第二章 加護の探究 第十五話
とても、いい天気だ。
朝、ソイエッテに天蓋のカーテンを開けられると、眩しさで目がひりひりするような、そんな朝だった。
夏真っ盛りはもうそこまで来ている。
セーラは、布団の中でもやもやと自分の失態を恥じてなかなか眠りにつけず、寝不足気味だ。
ソイエッテはそんなセーラの顔を一目見るや否や、温かく蒸された布を用意してくれた。
目の上に当てると、ぞわぞわと腕がざわめく感覚と同時に癒されていく。冷やすということはあっても、こんな方法は村でしたことはなかったが、これはいい。
気持ちが落ち着いて、もう一度眠りたいようにも思えたが、無慈悲にもソイエッテに布団から追い出された。
「報告がまだ途中だとお聞きしています。朝食はこちらで、その後迎えが来るので早く準備いただかないと」
「……ですよね」
「何と仰いました?」
「いえ。分かりました。すぐに!」
セーラは慌てて準備をする。着付けをしてもらい、いつもの窓際のテーブルで薄いカーテンの隙間から照らされる光を感じながら、大好きな麺麭をちぎって口に入れていた。
頬張りたいのはやまやまだが、もうそれに慣れて来ている自分もいることに気づく。
——この方が、ゆっくり味わえて確かに美味しい時間は長いね。うんうん。……でも、今日はなんだか体がだるいな。寝不足だからかも。
食事をしている途中にボルタークがやってきた。
「顔は大丈夫ですか? おはようございます、セーラ様」
そんな失礼な挨拶から始まる。
「ええ、つつがなく」
ツンっと顎を上げて応酬すると、意外にもボルタークはほっとした表情を見せた。
思った以上に心配されていたようだ。
「でも、お食事を残されてますね」
ソイエッテが残された料理を見て、つつがなくないことを指摘した。
ボルタークがセーラを鋭く見る。
「いや、いつもよりゆっくり食べた気がするからお腹がいっぱいになっちゃって」
身体の怠さには言及しなかった。あまり迷惑ばかり掛けてはいられない。
「でも、お顔がいつもより白い気がしますが……」
「え?」
セーラは両手で頬を強く押した。ボルタークがすかさず話に入る。
「いや、ソイエッテは変な顔をしろと言ったわけではないでしょう?」
「うっ……変な顔をしたつもりは。とにかく大丈夫です。向かいましょう」
ソイエッテが目録の箱を持とうとしたので、セーラはそれを止めた。
「その報告は終了しております。本日は結構ですよ」
——そうか。昨日私は自分に必死だったから気付かなかったけど、ちゃんと部屋に戻してくれたのね。
自分に必死になって余裕がなくなると、周りを配慮する心にも余裕がなくなる。
——それでは駄目だわ。
役に立てて嬉しかったことを思い出し、もう少し範囲を広げていきたいとセーラは思った。
泣いてしまったことは失態だが、この感情は間違っていない、と朝の光を見たときに自然にそう思えたのだ。
そして、同時にセーラは気が付いた。考え事は夜してはいけないこと、そして、朝だと何となく前向きな答えが導かれやすいということの二つだ。
——光が重要なのかしら? 時間? それとも私だけかしら?
また、サヤアーヤにでも聞いてみよう、とあれだけ感情の制御について落ち込んだ気持ちが晴れやかになっていた。確かに怠くはあったけれど大丈夫だろう。
今日は、ちゃんと報告の続きができそうだ。
今日の行き先は、食卓ではなくリューシュヴェルドの執務室だった。
ボルタークと二人、部屋に入ると、すでにリューシュヴェルドとグレンフィードは揃って何か会話をしており、ゼレットはお茶を用意していた。
「皆様、おはようございます。いい天気ですね」
背筋を伸ばして片足を下げ、挨拶をすると、ゼレットは笑顔で返礼してくれた。
「おはようございます。確かに気持ちの良い朝でございますね。こちらへどうぞ」
椅子を引いて待つ席に、セーラは座った。
今回、ボルタークは扉前に立った。昨日と一緒だ。
「ふむ。それでは始めよう」
リューシュヴェルドは、挨拶もせず表情を変えることもなかったが、そう機嫌が悪いようでもなく執務机で片づけていた書類を揃えて脇に置くと、セーラが座っている席の正面に座った。
その横にグレンフィードが座り、ゼレットはセーラの隣だ。
セーラの顔を見て、リューシュヴェルドはふと首を傾げた。
「何か様子が……ああ、少し顔色が悪いな。大丈夫か?」
「あ、はい。問題ありません」
にっこり笑いながらセーラは言ったが、リューシュヴェルドは額面通りに受け取らなかったようだ。
「ゼレット、見る限り血が足りないようだ。確か干した棗と葡萄があったろう。用意できるか?」
「はい。すぐにご用意いたしましょう」
「え? リュース様? 多分少し寝不足なだけですよ。大丈夫です」
診察したわけでもないのに、まるで医師のように確定的にセーラの調子が良くない原因と必要なものを話すリューシュヴェルドに、セーラは驚いて尋ねた。セーラ自身にも分かっていないにも関わらず、だ。
「いや、顔が白い。唇も色を失っているし、少し息が上がっている。明らかに身体に酸素が回っていない証拠だ。このまま調子が悪くなれば、ふらつきなども出るかもしらん。そうなる前に言うように」
——リュース様、すごいな。
リューシュヴェルドの言葉を受けて知識が紐づき、貧血なる病気と症状、必要な栄養素などの内容が出てくる。しかし、専門用語も多く、それ以上深堀するには基本まで一度戻らねば紐づいた理解ができなさそうだ。
「リュース様、お医者様みたいですね」
知識を得てもまだ不明部分が残るセーラは、はあ、と素直に感心した。
「これくらいは常識だ。女性には多いからな。皆知っていることだ。平民でも知っていることだろうと思うが?」
思わぬ回答が来て、セーラは首を傾げた。
「少しくらいの体調不良なら薬師に頼りますし、薬師で難しいなら医師が診てくれます。あまり気にしたことがないですね」
「そうか。君は教育を受けてこなかったんだな」
「はい。知識を確認しても、ちょっと紐付けには時間がかかりそうです。でも面白そうなので勉強してみますね」
「ああ。それは必要だな」
セーラはまた笑って、元気であることを示した。身体が怠かろうが気持ちから負けてはいけないのである。昨日の失態はなかったことにするのだ。
ゼレットが、器に盛られた干した棗と葡萄を持って帰ってきた。セーラの前に出して、隣に座り直す。
「さあ、お召し上がりください」
干し葡萄はよく知っている。村でもよく作られていたし、セーラはよく食べていた。干し葡萄を入れた麺麭を思い出して少し懐かしくなる。
「ゼレット、葡萄は村の果樹園でも作ってるんですが、棗? は初めて見ました。これも果実ですか?」
「ええ、そうです。他領で栽培されている果実ですよ。確かに手に入りやすいものではございませんが、リューシュヴェルド様の好物でございますから」
セーラが棗を口にして、幸せそうに眼を閉じる様子を見つめながら、ゼレットはそう言った。
「確かに美味しいですね。村の果物も負けてないですけど」
うんうん、とセーラは頷いてもう一つ、と手を伸ばす。干すと葡萄と同様に甘みが増すのか、果物が本来持つ甘さが口に広がってとても美味しい。疲れも取れるようだ。
「ああ、いっぱい食べなさい」
リューシュヴェルドはそう言いながら、「それで」と続けた。
「食べながらで構わないから、昨日の報告の続きを」
「あっ、それなんですけど……」
セーラは、行儀が悪くならないよう、一度飲み込んで棗から手を放してから答えた。
「報告に関しては、実は、ほとんど昨日で終わっているんです」
「なに?」
「ここから先は、リュース様に改めて報告する許可をいただきたいのです」
「どういうことだ?」
リューシュヴェルドは報告をしろと命令したにもかかわらず、再度許可を求めたセーラを不思議そうに見つめた。
「私の加護のこと、導き、知識の得方、これらを知っているのは、リュース様とグレンフィード様、それからゼレットだけです」
リューシュヴェルドは、はっと顔を引き締めた。
「館内に入る時は、ボルタークは念のため扉外で護衛してもらっています。室内の話をする範囲はどこまでか、物差しが欲しいのです」
「そうだな」
ふむ……とリューシュヴェルドは、頬杖をついて考え込んだ。
セーラがちらっと扉前のボルタークを見ると、少し緊張した面持ちで、聞きたいような聞きたくないような、そんな顔をしている。
護衛の役目を逸脱しないように、部屋全体に気を配っているように見せてはいたが。
——ボルタークにも、できれば知っておいてほしい。身近にいる人に隠し事をするのは、とても気を遣うんだから。
リューシュヴェルドは顔を上げて、一つ頷いた。
「そうだな。知識の得方は知らなくても問題がないであろう。ソイエッテにも教えていないのであろう?」
「そうです。部屋を一旦出てもらっています」
「それで問題がないなら、そのままで良い」
「はい。かしこまりました」
「ボルタークも引き続き、扉外での警護で構わん。知識の館は結界の力があるからな、そうそう何かが起こることはないであろう」
「はっ!」
ボルタークが敬礼した。
セーラは、確認する前に教えてしまわなくて良かった、と少しほっとしながら続きを待った。
「それから加護の導きについてだが、確か村にいる時にも顕現したと言ったな?」
「はい。夢かも知れませんが、そうです」
セーラは、夢の中で「流れに逆らうな」という知識の館の声を聞いた。そして、会話もしたのだ。
「では、いつ何時起こるか分からないな……。ボルターク、家族にも明かしてはならぬ秘事だが、守れるか」
「はっ。それが漏れることでセーラ様が危険に晒されるならば、それは私の本意ではございません」
「よし、その言葉忘れるな。違えた場合は所縁の者へも拡大した処罰が下されるであろう」
「……はっ!」
ボルタークはごくんっ、と一度喉を鳴らした後、再び敬礼した。
「ボルタークまでは許可としよう。よし、セーラ。報告しなさい」
リューシュヴェルドに顎を上げて、セーラを促す。
「はい。とは言っても、実は報告するのはそれが無かった、ということなのです」
申し訳なさそうにセーラは肩を竦めた。
「どういうことだ?」
「知識の館に行くたびに話しかけて祈ったのですが、一言の応答もなかったのです」
「ふむ」
「知識の館様から言葉があるのは、私が迷ったり不安だったり分からなかったりした時です。もしかしたら、今私が行っていることや進んでいる方向は間違っていないのかもしれません。……もしかしたら、ですけど……」
セーラは、応答や導きがないことについて、自分なりに考えて結論づけていた。
その結論に、リューシュヴェルドは否定も肯定もしなかった。
「そうかもしれない。だが、祈りはこれからも忘れず行いなさい」
「かしこまりました」
セーラは以上で報告を終了したことを告げて顔を緩めると、干し棗に手を伸ばした。
少し、体の怠さが増しているような気がする。どこがどうとは言い難いのだが、体の奥から怠さが出てきているような気がするのだ。
そんな感覚は今までになかったが、セーラはとにかくそこへ気が向かわないように、次は葡萄を口に入れる。
リューシュヴェルドがそれを見ながら、よく食うな、と言った。
一瞬セーラの手が止まる。
「いや、まあ良い。君は少し太った方がいいからな。どんどん食べなさい」
——むむむ……。食べて太るならとっくにまんまるになってるわよ。
セーラは、食べても太れないコンプレックスを刺激され、恨めしそうにリューシュヴェルドを見つめた。
グレンフィードがその隣で、ニヤッと笑いながら自分の顔を指しているのを見て、セーラは慌てて自分の顔を整えた。
——まずい。感情を制御! これが課題だわ。
今更だろうがにっこり笑っておく。
「そう言えば……」
そんなセーラの心中やグレンフィードとのやり取りには一切意を介さない様子で、リューシュヴェルドはセーラに問いかけた。
「南の村の果実は棗に負けていないと言っていたな」
セーラは、村の話が出たことが嬉しく、体の悪さを忘れてご機嫌になった。
「はい! 村の果樹園では様々な果物を栽培しています。働くのは女性が主なので、種類ごとの量はそこまで多くないのですが、それでもとても美味しいのです」
「そうか」
「はい。今の季節は桃がとても美味しいはずです。まだそんなに経ってないのにすごく懐かしく感じます」
リューシュヴェルドは、何か気づいたような顔をした後、セーラを見ずに考えながら席を立って執務机に移った。何か資料を探しているようだ。
セーラは不安になってグレンフィードやゼレットを見たが、二人とも分からないと首を振って見せた。
「リュ……、リュース様?」
おずおずとセーラが話しかけると、リューシュヴェルドは、セーラを見ずに手元の資料を見て考え込んだまま、返答した。
「セーラ、とりあえず感情を揺らしすぎるな。また泣かれては困る」
「うっ……!」
頭を使わずに口だけで返答したのだろう。思った以上にぞんざいな言葉でセーラは胸に刺さった。
——ひ、ひどい。……いや、間違っていないんだけど。
南の村の話は良くも悪くも感情が高ぶる。気を付けなくてはならない。
ゼレットが見かねたのか、セーラと同じようにもう一度問いかけた。
「リューシュヴェルド様。一体どうなさったのですか?」
——あ、そうだ、そのように聞かなきゃいけなかったんだわ。
言葉遣いへの注意ができていなかったセーラは、サヤアーヤの「違います」が脳内で響き、勝手に怒られている気分になった。
「いや、すまない。こっちのことだ」
手で遮りながら、聞くな、という態度に、皆が口をつぐんだ。
ただ、性急でも不穏なことでもないようで、むしろ口元には笑みが浮かんでいる。
しかし、全く爽やかではないその笑みに、セーラはリューシュヴェルドから離れるように少しだけゼレット側に体重をかけた。
——なんか、恐いな。




