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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
39/72

第二章 加護の探究 第八話

「……様」

「……ラ様」

「セーラ様!」

「ひゃっ!」

 セーラは、執務机の椅子に座ったまま飛び上がった。

 違う世界へ行っていたせいで、目の焦点がしばらく合わず何度か瞬きを繰り返す。何度か繰り返すと、ようやくここが別邸のセーラに割り当てられた客室だと思い出した。

「ああ、ソイエッテ。ごめんなさい」

「セーラ様の集中力は素晴らしいものですが、もう五刻の鐘もとうに終わっております。先に湯浴みをして夕食をお召し上がりにならなくては」

「そうか。知識の館に行かなきゃいけないのね」

 そっと本を閉じ、現実が戻ってきた。

 午後、雨は止んだもののどんより湿った空気の中、セーラはリューシュヴェルドから預かった知識をまとめた後はサヤアーヤの本を読んで過ごしていた。

 物語はとても面白かった。ただ、残念なのは、もうすでにすべて知っているということだ。頁をめくる前に答えが分かっているので、緊張や想像を巡らせることはできない。物語は、最初からちゃんと読んだ方が面白いかもしれない、とセーラは思って、立派な革表紙をそっと撫でた。

 ——でも、結末が分かっていても面白く本を読めるなんて、初めて知ったけどね。

 セーラは人生で初めて本を読んだのだ。

 それは、騎士と姫の悲劇の恋愛大作だった。それぞれの家系や職業などが絡み、想いを遂げられない葛藤や家族との板挟みなどのつらい描写が続き、知識は得ても経験のないセーラは知識と目を両方辿りながら胸が苦しくなるほどだった。

 最終がどうなるか分かってはいても思いは寄せないようにしよう、とセーラは続きを最後まで読むことに決め、ソイエッテに戸棚に仕舞うよう伝える。

 そして、セーラが浴室に向かおうとすると、本を戸棚に直すソイエッテに止められてしまった。

「セーラ様! お待ちください」

「え? 私湯浴みをしてきます。ソイエッテのことだから、着替えは用意してくれてるんでしょう?」

「私がお手伝いをします。それが、常識なのです」

「ど……どういうことかし……ら?」

 セーラは戸惑い、言葉遣いに気を遣いながら尋ねた。

「淑女や高貴な女性は、ご自分で洗いません。着替えもそうでしょう? すべて侍女に任せるのです。それが、侍女の仕事の一つなのです」

 伏し目がちのままソイエッテは説明し、本を戸棚に丁寧にしまうと、素早くセーラを浴室へ案内した。

「ええ?! それが、常識なの?」

「そうです」

「淑女は一人で何もできないの?」

「できないのではありません。しないのです」

「なぜ?」

 そこで、ソイエッテは口を噤んだ。

 逡巡しているように見えたが、噤んだのは一瞬で、再び説明してくれる。

「セーラ様、身の回りの世話が私の仕事です。身の回りのことは、使用人に任せるのが高貴な方の常識としか言えません。自分で行うよりも技術を持った者に任せるのは、それが許される立場だからです。当たり前では、ございませんか?」

 おずおずと言うソイエッテの言葉を聞いて、思い当たった。

「そうか。確かに、髪を梳いてもらうのも自分でやるよりやってもらった方が綺麗になるわ。自分を良く見せるために、侍女プロにやってもらうのね?」

「そうです。そして、その技術が高い者ほど、侍女として重用されます。……私などはまだ勉強中の身ですが」

 セーラは納得してにっこりと笑った。

「分かったわ。では、私で勉強してください」

 少し頬が赤くなったようにセーラには見えたが、それを隠すかのようにソイエッテは後ろを振り返り、湯の温度を確かめに行った。

 薬液を使って、身体や髪を泡だらけにして洗われながら、自分が使っていた時よりも一層泡立っているのを見て、セーラは感心した。

 ——村の石鹸より泡立つと思っていたけど、こんなに泡が出るのね。泡が多い方が香りがいいわ。確かに、自分じゃできなかったな。

 セーラは、納得してソイエッテに任せた。最初は恥ずかしかったりくすぐったかったり何やら妙な気分にもなったが、同性ということもあってか、セーラはすぐに気にならなくなった。頭を洗ってもらえるということが、これほど気持ちのいいこととは知らなかった。

 ——母さんに洗ってもらったことはあるけど、その時は鼻にも目にも水が入って堪ったもんじゃなかったもんね。髪を梳かすのも痛いくらいだったし。

 ふふっ、と思い出しながら笑みをこぼす。

 湯に浸かりながら、髪だけ外に出してセーラは洗われていた。

 ふと、違う香りが漂い、セーラは頭を動かさずソイエッテに尋ねる。

「ソイエッテ、この香りは何?」

「これは、髪に艶を出す油です」

「油を、髪に? ああ、香油ね!」

 セーラの知識に現れた、色々な花から抽出できる、肌や髪に潤いと艶を与える油のことだ。

 そして同時に思い出した。何か分からず使っていない小さな薬液の瓶があったことを。

 頭がどうなっているかはまったく見えないためどうなっているかは分からないが、温かい湯気と香りに包まれて良い心地だ。

 高貴な人は、人にしてもらうことで()()()()を得ているのだとセーラは納得した。


 風呂を上がって身支度を整え、すぐに夕食だ。

「本日のサヤアーヤ先生との勉強を思い出してくださいませ」

 窓際の籐の椅子に座り、お腹が減ったセーラが、祈りもそこそこに目の前の麺麭パンにかぶり付こうとした時、ソイエッテが小さな声で一言添えた。

 そうだった。慌てて麺麭を皿に戻し、一旦姿勢を正してからもう一度麺麭を丁寧に小さく千切って口に運ぶ。

「セーラ様は麺麭がお好きなのですね」

「そう?」

「毎回、麺麭に一番に手を伸ばされますもの」

 自分では気づかなかった。多分、簡単に手に取って口に入れることが出来るから、というそんな理由だとセーラは思った。

 しかし、それを言うのは間違っている気がする。いや、間違っている。絶対に言ってはならない。

「そうね。焼き立ての麺麭は大好きです」

 セーラは、一瞬考えて嘘ではない答えを口にした。特に、この邸で食べる麺麭は何が違うのか、とても美味しいのだ。

 丁寧に食べても緊張がなかったためか、昼よりは味がちゃんと感じられた。味が分かると、すぐに満腹になる。

 柔らかく煮込まれた肉を最後に一口食べて、フォークとナイフを置きセーラはナプキンで口をそっと拭った。

「とても美味しかったわ」

 ソイエッテが小さく頷き、ワゴンに片付け始めた。

 何も言わなかったということは、問題がなかったということだろう。

 セーラはほっとしながら、明日のサヤアーヤの「違います」を聞きたくない思いに駆られた。

 ——駄目だ。落ち込んでしまう。まだこれからお仕事があるのに……。一旦。一旦、忘れよう。

 頭を振って、サヤアーヤを追い出す。

 ——サヤアーヤ先生、ごめんなさい。

 セーラが一人でサヤアーヤの幻影と戦っている間に、ボルタークがやってきた。

「ただいま、戻りました」

「ボルターク、お帰りなさい。夕食は食べました?」

「はい、城で」

「あっ、間違えた」

「はい?」

「夕食は、召し上がりましたか?」

「……。はい、城で」

 言い方を間違えたことにセーラは気付いて、ボルタークに言い直したのだが、少し嫌そうな顔をしたものの、ちゃんと二回目も答えてくれる。生真面目で口が悪いだけで、根は悪くないのだ。

 グレンフィードが言った通りだ、とセーラは思い出し、微笑んだ。

 嫌そうな顔をしたまま、ボルタークがセーラに確認した。

「準備は出来ていますか?」 

「はい、ここに」

 セーラは執務机を指さした。

 インク壷、羽ペン、羊皮紙をまとめて箱に入れてある。もちろん、ソイエッテが準備してくれたものだ。

 ネイティオに確認してから目録作りになることと、どの程度の量ができるか分からないけれど、リューシュヴェルドから預かった本を纏めるのに掛かった時間を基準に紙の枚数を準備した。

「では、そろそろ参りましょうか。ゼレットが別邸の入り口に馬車を用意しています」

「かしこまりました。ソイエッテ、ショールをください」

「はい、こちらに」

 セーラはショールを巻き付けて箱を手にしようとすると、ソイエッテが無言で遮って箱を持った。

 ——そうだった。うう……、慣れない。

 自分で動かない、というのは、何とももどかしいものである。確かにソイエッテは良く気が付いて動いてくれるが、それでもだ。先ほどの湯浴みの時のように転換できる発想があればいいのだけれど、とセーラは思ったが、今回はさすがに出ては来なかった。

 まず、ソイエッテが前を行き、セーラが後に続いた。ボルタークはセーラの後ろから護衛らしく付いてくる。

「ゼレットは今回来なかったのですね。お忙しいのかしら?」

 セーラがそう独り言ちるように言うと、ボルタークが後ろから声を掛けた。

「はい。城でリューシュヴェルド様より指示が出ましたので、先ほど私が伝えました。今はそちらの調整かと」

「離れていても指示が出るなんて、指示を運ぶボルタークも質問も出来ないゼレットも大変ですね」

「私はともかく、ゼレットはリューシュヴェルド様の意向を把握することには長けているので大丈夫かと」

 それに、と続けた。

「指示はセーラ様のことですし」

「え?」

 思わずセーラは振り返る。

「足を止めないでください」

「あっ、ごめんなさい」

「別邸のことといったら、来客があるか、リューシュヴェルド様が使われるか、セーラ様のことか、それくらいしかないでしょう」

 後ろからため息が聞こえた。

「今は、来客はないので主にはセーラ様のことになるのは当然です」

「そうですか。私、何かしましたか?」

「いえ、私は指示書を渡しただけです。明日ゼレットから報告があるでしょう」

「分かりました」

 セーラは聞くことを諦めた。明日になれば分かるのだし、セーラにはやらなければならないことも多い。

 しかし、ボルタークはただ、と続けた。

「新しい本もお持ちしたので、明日ゼレットから受け取ってください」

「ええ?」

 セーラはまた後ろを振り返りそうになり、ボルタークの嫌そうな目を見て慌てて前を向く。

「ごめんなさい。いや、知識の館にもたくさんの本があったのに、それ以外にもたくさんあるのだなと思って」

「そりゃ、ありますよ。知識や歴史を後世に残すために保存しているのですよ? 建国から六百年。建国前は大災害があって失われた書物も多かったと聞きますが、それでも現存してるものもありますし」

 セーラは、事実としては聞いていたし知ってもいたが、考え方や見方ひとつで気付かないこともあることを初めて思った。

「そうですね。確かに、建国前の知識もあります」

 リューシュヴェルドから貰った知識の中に確かあったはずだ。古代語だったので、知識として出てきても今のセーラには分からない。

「その中で、アランディア領民に必要とされる知識だけが集められたものが、知識の館なのです」

「……尽きることがなさそうですね。これから先も増えていくと考えると」

「その通りです。だから、セーラ様の加護はとても価値があるのです」

 セーラは、今回は後ろを振り返らなかったが、言葉が出なかった。

 少し黙っている間に別邸の入り口に到着し、ボルタークと二人で馬車に乗り込む。ボルタークがソイエッテから箱を預かった。

「行ってらっしゃいませ」

 伏し目のまま小声で挨拶をするソイエッテに、セーラは、行ってきますと答える。

 馬車が走り出すと、目の前に座っているボルタークが「セーラ様」と咎めるような声を出した。

「何でしょう?」

「セーラ様はソイエッテに嫌われているのですか?」

「なっ……! 今は仲良くなっていってるところなのです!」

 ボルタークは胡乱そうにセーラを見たままだ。

「何したんですか?」

「いいえ! 何も!」

「本当ですか?」

「ええ」

 それだけ答えると、セーラは押し黙った。嫌われているのかも知れないのは本当だ。だが、これ以上否定するのも、肯定するのも何だか悔しい。

 セーラが黙ったにも関わらず、ボルタークはまだしつこく聞く。

「嫌がらせは? 危害は加えられていませんか?」

 ああ、護衛として気になったのか、とセーラは納得した。

「ええ。仕事はきちんとしてくれますし、そのための会話もちゃんとできています。ただ、私のことが少し怖いのかと……だから! 今仲良くなっていってるところなのです!」

「なら良いです。部屋の中で私がずっといるわけには行きませんから。信頼に置けないようであれば入れ替えるのですぐに言ってください」

「……大丈夫です」

 入れ替える……そんなに簡単に言えることなんだ、とセーラはソイエッテが侍女としての矜持をちゃんと持っていることを思い出し、首を横に振った。

 そんなことさせちゃいけない。

 ——徐々にでいいから、やっぱり仲良くなりたいな。

 今日一日で何度思っただろうことをまた改めて思った時、騎士に恋する姫の物語が紐づいて出てきて可笑しくなった。

 ——騎士に恋する姫、まるで私ソイエッテに恋してるみたい。違うけど。

 ふふっ、と一人の世界に入っていると、ボルタークがまた嫌そうな顔をした。

「セーラ様、顔がおか……、いや、変な顔になってますよ」

「どういうことよ?!」

 口調を正すのも忘れることをすぐに言うのだ、ボルタークという男は。

 セーラはすぐに聞き返す。

「いや、表情が忙しすぎて、正直ちょっと気持ち悪いです。だからじゃないですかね」

「だから?」

「ソイエッテに怖がられるって」

「それは! ……あれ? どうしよう。無意識過ぎて直し方がわかんない」

 セーラはショールで覆われた頭を抱えた。

「そりゃ重症ですね」

「む……」

 駄目だ。ボルタークとのこんな会話は、ずっと続けられてしまう。

 領都へ来る道中からそうだったのだ。腹は立つけど、気は合っていると言えなくもないのだろう。

 セーラは、無理やり話を変えた。

「私の加護の価値ですけど。この価値って()()()()()()にしか通用しなくないですか?」

「どういう意味です?」

「例えば、世界中のあらゆる分野の叡智を結集して保存したものが過去からの書物だとして、それがそもそも叡智で価値があるものだと思わなかったら無用の長物でしょう? 実際、私は先ほど教えてもらって初めて気づきましたもん」

 人は、必要な知識だけを得に知識の館に行く。調べたいものが出来たら、調べに行く。すべてを知る必要があるか、と問われれば、今のセーラにだってそれが正解かとは分からない。

「ああ。それはセーラ様が平民だからです」

「それこそ、どういう意味ですか?」

「書物自体に価値があるのです。これは貴族社会では皆知っていることです」

 セーラは首を傾げた。どういうことだろう。

「いいですか? 書物は高値なのです。情報は、高く売れるのです。つまり、セーラがすべての知識を得たら、それはどの書物や情報よりも高く売れるでしょう」

 セーラははっとし、硬い表情になってボルタークを見た。

「あれ? 気付いていなかったんですか? だから危険だってリューシュヴェルド様が仰ったでしょう」

 セーラは本当には分かっていなかったことに気づいた。知識が使われるから危険だと言われ、それがどのように使われるかは分からないまま感覚で危険だと思っていただけだ。金が直接的に絡んでくるとは思わなかった。

 自分が金銭に例えられることによって、危険性がぐっと身近になった気がする。

「ええ。私、危険って分かっていても、その意味や理由まで深く考えていなかったわ」

 ボルタークはすっと声を落とす。

「セーラ様が自身の危険に関して充分に理解して下さらないと、護衛もしにくくなります。呆けたままでは困ります」

 セーラはムッとした表情を隠さずに、ボルタークに合わせて声を落として言った。

「分かりました。その暴言、今回は受け入れましょう。理解した後は、覚えてなさいよ」

 その言葉に少しボルタークが怯んだ時に、揺れる馬車が止まった。

 セーラは、ボルタークにエスコートされて降りる。

 石畳は濡れてはいるが、雨はすっかり上がり、もう薄暗くなってきていた。

 セーラは、二回目の知識の館の玄関を前に、色々聞きすぎて途切れた気持ちを元に戻すべく睨みつけた。

 ——目録、早く作ってしまわなくっちゃ。考えないといけないことが山ほどあるって今更気付かされたわ。

 ——知識の館様! お久しぶりです!

 勢いよく心の中で知識の館に挨拶をして、二人は暖かい光が灯るホールに入って行った。

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