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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
36/72

第二章 加護の探究 閑話 -1-

 その日は、普通の一日だった。

 朝起きて支度をし、狩りをして、警備部の詰所に寄って報告を聞き、帰ってくるという普通の一日。

 いつも通り服や身体に付いた獣の血を洗い流し、食事を食べ、今は洗い物をするケレーラの背を見ながら、一人酒を舐めるように飲んでいた。

 ——……静かだな。

 ソジュは、そう思いながらふと玄関に目をやった。

 娘が領都へ連れて行かれてから、一週間程だろうか。

 あの後、急ぎコーレンの父親であるサットンが、村の主要産業を担う組織の長を呼び出し、説明を行った。

 村の中で、セーラは同じように扱われていたけれど、異質で目立っていた存在だったのは間違いがない。いきなりいなくなって、都合よく忘れられるような存在ではないのだ。また、セーラはくるくると表情が変わり、皆には可愛がられていたと言える。

 育っていく中で、卑屈になったり劣等感を抱いたりせず笑顔で過ごしていたことを思い出すにつけ、この村の住民たちには感謝の念しかないと改めてそう思うのだ。

 セーラがあのように育ったのは、南の村の住民すべてが関わっていたからだ。

 ケレーラは少し寝込んでしまい参加は出来なかったが、セーラがいなくなって二日後に村の大人たちを集めた集会を改めて行った。組織の長へ説明するだけでは足りないと思ったからだ。秘匿しなければならないことを考えると、直接伝えた方が良いと考えた。

 セーラがいなくなった理由は、詳細は省いたものの、本当のことを伝えた。

 嘘は自然と積み重なるものだし、それが誰のためであるかなどは関係がなく、後ろ暗い部分は少なければ少ない方がやはり真っ当に生きていけるのだ。

 セーラの容姿はやはり珍しい物であったが、それは貴族の中でたまに出現する良いしるしだったこと、その徴は容姿が違うことで分かってしまうので貴族様にお守りしてもらうために領を出たこと、悪用されないようにセーラがこの南の村にいた事実を秘匿することを説明した。

「幸い、セーラが村を出たのは一度切りで、容姿は隠していたから口を噤めば分かるまい。この村に外からやって来るものはほぼいなかったし、南へ行った人間は帰ってきたことがないからな。セーラのために、そして我々の村を守るために、皆、どうか頼む」

 頭を下げると、レグルスとサットンも一緒に下げてくれる。

「セーラは大丈夫か?」

「本当にその貴族は悪い貴族じゃないんだろうな?」

「セーラは酷い目にあったりしないのかい?」

「戻ってこれるのか?」

「まさか、あの髪と目をお貴族様が知っていたとは……」

「他にもいるのかねえ?」

 口々にセーラのことを気にかけてくれる言葉が村人たちから出てくる。ソジュは単純にありがたいと思った。

 皆、村がどうなるかというより、セーラのことを心配してくれているのだ。

「我々が話した貴族は、安心できるお人柄だったよ」

 サットンが一言添えると、世間知らずが多く気のいい村人たちは、心配ではあるものの納得したようだ。

「ただ、セーラの話が外に出るだけではなく、村の中でも話されていることが分かってしまうと、お咎めがあるかもしれない。気を付けよう」

 セーラのことを秘匿するために、容姿についての話は村の中でも話をしないことや、セーラの名前を言わないことなどを簡単に取り決めた。

「子どもたちへの話はどうするね?」

 そんな問いに、サットンが少し考えて答えた。

「まだ見習いにもなれない子たちには、セーラのことを聞かれたら領都に働きに行ったと伝えて欲しい。嘘ではないしね。成長したらどうするかだけど、セーラのことは秘匿することを第一として、話すか話さないかは親の裁量に任せるよ。十五の儀前の見習いとして働いている子たちに関しては、うちの息子に任せようと思う。ガバラさんのとことコルレドさんのところの子とうちの息子は知っているから」

 カナエの父、コルレドがたくましい腕を組んで唸った。

「ああ、そういや何日か前に思い切り泣きべそかいてたが、あれはセーラのことだったのか。いつもの癇癪かと思ったぜ」

「カナエは言わなかったんだね。褒めてあげてくれ。まあ、子どもは、親よりも少し年上くらいに言われた方が言うことを聞くもんだろう。では、そういうことで一つ、頼みますよ」

 サットンの言葉の後に、ソジュはもう一度頭を下げると、皆、ソジュの肩を元気づけるように叩いて集会所を出て行った。

 ソジュは、酒を飲みながら思い出し、その時叩かれた肩をそっと触る。

 深いため息を吐いて思うのは、やはり、セーラがいなくなってから途轍もなく静かだということだ。

 ケレーラは何日か寝込んだものの、折り合いをつけたのか普通の顔に戻っていた。ソジュには何も言わなかったことはさすがにこたえたが、そうはいっても何と声を掛けていいものか、夫婦であっても分からなかったのだ。

 娘と会えないまま、普通に生きていくしかないのか。

 仕事をする意義、家族を養う意義、村の秩序を守る意義、そういう大事にしてきたことがすべて壊れた気分だ。

 ——ああ、嫌な酒になってきた。

 一人で飲んでいると、嫌なことが頭をよぎる。

「ケレーラ」

「なあに?」

 水で洗った鍋を拭いて戸棚にしまいながら、ケレーラが振り向かずに答えた。

「一杯付き合ってくれないか」

「あら、珍しい」

 ふふっと優しくケレーラが笑うと、手早く片付けて木の杯を持ってきて席に着いた。ソジュは、片手で黄金色の酒が入った瓶から杯に注ぎ、自分の杯にも注ぎ足すと杯を少し持ち上げた。

 ケレーラがそれに合わせて、コツっと軽い音を鳴らせる。

「珍しいわね」

 一口飲んで、もう一度ケレーラが同じことを言った。

「いや、セーラがいた時はうるさいくらいで、一人酒で充分だったんだけどな。こう静かだと寂しくてな」

「そうねえ。でもあなた、セーラの話は村の中でもしないようにってなったんじゃなかったの?」

「俺たちが家の中で話をするのは構わないだろ。だって娘なんだから」

「そうね。……セーラのことを考えると、やっぱり心配だわね」

「ああ」

 二人になっても、二人でセーラのことを考えてしまい言葉少なになる。

 ソジュは、やっぱり胸に痛みを感じながら、酒をちびちびと黙って飲んでいく。

 ——やっぱり、どう話していいか分からんな。ケレーラも同じように思っているのかも知らんが。

 夫婦で向き合う時は、セーラをどのように育てていくかが主な話題だった。もちろん、ソジュはケレーラを愛していたし、今もその気持ちに変化はない。ただ、今は何を話していいのかすら分からないのだ。

 十五年間、セーラが間に入って成り立っていた家族から、突然一人欠けることがこんなに大きく影響するなど思わなかった。突然一人欠けることすら思っていなかったのだから当然かも知れないが。

 それでも子どもは巣立つもの。そんな心構えは、セーラの異質さに紛れて一切できていなかったのだ、とソジュは改めて感じていた。

 二人とも黙ってゆっくり杯を傾けていると、玄関の鈴の音が鳴った。

「あら? こんな時間に誰かしら?」

 一週間前に、とんでもないことがあった後だ。ケレーラは不安そうにソジュを見る。

 ソジュは難しい顔をして頷くと、扉を開けに行った。

「ソジュさん!」

 扉を開けると、レグルスがいた。

「おお、どうした。今日は夜勤じゃなかったか?」

「ええ。とりあえず、中に入れてください」

 慌てて走ってきたのか、レグルスは膝に手をついて荒くなった呼吸を整えていた。一つに縛った髪が少し乱れている。

 後ろからレグルスだと気づいたケレーラが出てきた。

「レグルスさん。あなたはいっつも急いでるのね」

「ケレーラさん。そりゃそんなことばっか起こるからですよ」

 そう言って片手を上げた手には、紙が握りしめられていた。

「とりあえず、入れ」

 ソジュはレグルスを招き入れ、ケレーラは水を用意した。

 空いた席にレグルスは座り、まだ息も荒いまま水を一気に飲み干す。

 ケレーラは、ふっと思い出したように笑い、ソジュの隣に移動して席に着いた。

「前と一緒だわ」

「前ってなんだ?」

 ソジュは知らない。

「貴族様が街に来るかもしれない、って知らせに来てくれた時と一緒なのよ。まさか、またお貴族様が来たって話じゃないわよね?」

 ケレーラは説明してもう一度微笑む。ソジュはぎょっとした顔を隠せなかったが、レグルスは首を横に振った。

「すみません、ケレーラさん。貴族は来ません」

「あら」

「でも、良い線言ってますよ」

 レグルスはそう言って、二人の前に封蝋された封書を出した。

「先ほど、領都から早馬が到着しました。ソジュさんへとのことです。差出人も何も教えてはくれませんでしたが、この封蝋を見て、もしかしてセーラのことかと」

 ソジュも、それには何となく気付いていた。

 封蝋印には、不死で炎を吐く火炎鳥が使われていたからだ。火炎鳥はアランディア領の象徴だ。

 つまり、この封書はアランディア領から来たということになる。

 三人は、しばし頭を寄せ合ってテーブルの上の封書を見つめた。

 暫くすると、焦れたようにレグルスがソジュの肩を叩いた。

「ソジュさん、早馬ですよ? 早く読んだ方がいいのでは?」

「うむ。しかし……何が書かれているのか……」

「ソジュさん! もしかしたらセーラに何かあったのかも!」

「そりゃいかん!」

 ソジュはすぐに封書に手を伸ばした。

 ケレーラは、すぐにペーパーナイフを持ってきてソジュに手渡す。こういう時の息はピッタリだ。

 ソジュはありがたく思いながら、丁寧に封書の端を開ける。

 一枚の羊皮紙が畳まれて入っていた。

 まずは左上からざっと目を通す。二回、三回と目を通して、ソジュはほっと息を吐いた。

 焦れたレグルスが横から覗き込もうとするのを阻止しながら、ソジュはケレーラに酒を所望した。

「ちょっと飲み過ぎじゃない?」

 ケレーラが難しい顔をして、杯に半分だけ注いでくれる。

「少し落ち着きたいだけだ」

 ソジュは、手紙を封筒へ丁寧に入れると、気になった顔でソジュの顔を見るケレーラとレグルスに大丈夫だ、と言った。

「グレンフィード様からの手紙だった。第二公子様の代わりに書いて、領主の許可を得て送ってくれたらしい」

 二人は黙って頷きながら、続きを促した。

「ああ、大丈夫だ。セーラは元気にやっているようだ」

 ケレーラは、少し泣きそうな顔になりながら姿勢を緩ませる。レグルスは少し笑顔になった。

「やっぱり。セーラは元気だと思ってましたよ。しっかりやってるかどうかは微妙ですけど」

 場を和ませるためか、レグルスは少し軽口も挟むが、安堵から来るものだということがソジュには分かった。

「それで? 他には何か書いてましたか?」

「ああ。セーラは、アランディア城の敷地内にある第二公子様の別邸で匿われていると書かれている。安心していいと」

「グレンフィード様はお優しいのね。わざわざ教えてくれるなんて」

 溜まらず目尻から流れる涙を指で押さえて、ケレーラが言う。

「それから? 何て?」

 レグルスは全部知りたいらしい。

「好奇心旺盛なセーラみたいになってるぞ」

 レグルスにそう言うと、俺は大人ですよ、と少しムッとした顔をしたが、どう見てもワクワクしながら色んな事に興味を持ったセーラにしか見えない。

「まあ待て。これから一年、そこでセーラは匿われるそうだ。そこから先のことについては、一度セーラの両親に話がしたいと第二公子様が仰っているらしい。今回は早馬を使ったが、領都から南の村へ早馬を走らせるのは今回限りだそうだ。なるべくセーラのことが漏れるのを阻止したいみたいだな」

「え? 話って、第二公子様にお会いするってことですか? ソジュさんとケレーラさんが?」

「ああ。調整も必要だから、夏の仲月の五の日に、領都の南門に信頼できる者を配置するとのことだ。その者から詳細が書かれた召喚状を渡すため受け取りに来るようにと書かれている」

「なるほど。一月近く先ですね。これは、荷送部に任せるわけにはいかないな」

「そうだな。レグルス、一緒に行ってくれるか?」

「他ならぬソジュさんの頼みであれば、もちろんです」

 胸を叩いてレグルスが朗らかに言った。

「助かる」

 ソジュは笑って、酒を一口飲む。

「しかし、緊張しますね」

「まあ、召喚状を見ない限りは分からんな。ケレーラ、貴族様の前に出ても恥ずかしくない服はあったか?」

「あったかしら?」

 ケレーラが少し現実に戻ったのか、青い顔をして慌てだした。

「探すより先に仕立ててしまう方がいいかしら」

「頼む」

「分かったわ。仲のいい村の女衆にもお手伝いをお願いしてもいいかしら?」

 言ってもいいことかどうかが分からなかったのか、ケレーラはソジュに尋ねた。

「そうだな。仕立てるよりも、召喚状を受け取りに行くときにコランドルか領都で調達してこようか」

「それだと、助かるわ」

 貴族の前に出れる服など、仕立てるよりも買った方が良いだろう。多少値が張ったとしても、蔑まれたり不敬だと思われたりしては敵わない。

「それじゃ、僕は戻ります。出発に合わせて勤務調整先にしときますね」

 レグルスは、敬礼を一つすると出て行った。

 静かだと思っていたことが嘘のように慌ただしくなった夜だ。

 杯を片付けて寝る準備をするケレーラを見ながら、ソジュは、手紙に書かれていてレグルスの前では言わなかったことを思い出した。

「ケレーラ」

「はい?」

「セーラの、あれだが」

「セーラの、なに?」

 ケレーラが振り返る。

「遺伝とか、俺たちの()()とかではないらしい。そう書いてあった」

「……そう」

 ケレーラが、色々な思いを押さえるかのように呟いた。

 セーラが一人っ子なのには理由がある。村には働き手が必要だったが、単純にソジュ達夫婦は思ったのだ。自分達に何か責任があったのでは、と。そして、それがまた続くことを怖れたのだ。

 でも、それが杞憂だったと分かった。

 ソジュは、遠慮がちにケレーラに話しかけた。

「その……第二公子様の件が終わったら……、少し、考えてみないか?」

 ケレーラがソジュを見た。

「その……、俺たちもまだ若いんだし……もちろん、セーラがいなくなったからとか、そういうのじゃなくてだな……」

 ソジュは何も言えなくなった。こういうのは、どちらかというと苦手だ。

 その上、十五年以上も一緒に暮らした相手を改めて口説くというのは何ともこそばゆい。

 ケレーラは一瞬きょとんとした顔をしたが、顔を赤らめてくすくす笑った。

「ええ。考えてみましょう。第二公子様の件が終わったら、ね」

 この聡さには、何度も救われてきた。

 ソジュは、セーラにも受け継がれたこの聡さを持ったこの人を改めて愛おしいと思った。

 ケレーラが先に二階に上がった後、蝋燭の灯の中でまだ一人酒を続けていたソジュの口元が綻んでいた。

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