第一章 初めての旅 第二十八話
「それで、加護持ちの話だったな」
そう言うと、ゼレットに低く何か指示をし、ゼレットが部屋を出て行った。
セーラはそれを見送りながら、冷めてしまったお茶を飲んで先ほどの話を思い返す。
——この邸で過ごすって言ってたよね? 私は何をするんだろう。
「加護持ちは説明したとおり、平民には出現した記録はない。そして、建国以降、加護持ちの数が激減しているのが実情だ。建国以前も減ってきてはいたようだが、時折り加護持ちが現れては精霊と繋がり世界に影響している史実は残っている。しかし、建国以降は片手で数えられる程度だ」
「建国? このユール・ディフェル王国が出来てからってことですか?」
「ああ。そして、現在は滅多にいない」
「……建国は、今からおよそ六百年前。大地が変化するほどの大災害が起こり、大陸の人口の四分の一が死傷。この災害により土地が隆起し山脈が形成され、大河が創られる。大陸が分断された最初のこと。国家も分断され、大陸の西側には統べる者がおらず、ユール・ディフェル王国が誕生する」
セーラは人差し指をこめかみにあて、少し上を仰ぎながら知識を紐づけていく。リューシュヴェルドは面白そうに目を細め、グレンフィードは目を閉じて頭を振っていた。どうやら、余程のことのようだ。
南の村にいた時は紐づくものがほとんどなかったが、邸に来てから紐づくことが多くなったのは新しいことが多いことと比例しているのだろう。
「そうだ。それで、加護持ちはほとんどいない」
三度言葉を変えて、加護持ちの少なさをリューシュヴェルドが言う。
「リュース様、それはさっきも聞きました」
「それが重要だからだ。そして、そのことを君が理解していないからだ」
「えっ?」
呆れたようにリューシュヴェルドが肩を竦める。
「つまり、君は希少なのだ。君の知識が悪用されないとも限らない。加護にもいろいろあるが、君のそれは知識だろう。そして、加護持ちには特徴がある」
一旦言葉を切って、真剣に聞くセーラを見ると、リューシュヴェルドはセーラの変化を逃さないようとでもするかのようにじっと見つめて続ける。
「加護は色に現れるという、特徴だ」
「えっ? それって……」
「ああ、君の場合は髪と瞳に加護が現れていると言える。これがどういうことか分かるか?」
セーラは考えた。セーラは、精霊の加護を持って生まれたということだ。その加護が知識の館に来たことを発端とし与えられたということだろうか。
——えっ、待って……。平民は知らないことだけど、貴族はそれを知っている人が多いってことよね? 見られただけで、何の加護かまでは分からないけど、加護を持ってるって分かるってことだ。そしたら、私、悪用されるかも! どう悪用されるかは分かんないけど……。
セーラはどんどんと思考が恐怖に覆われていくのを感じた。
「全員敵?!」
「なに?」
セーラの白い顔が青くなり、いきなり口走った言葉にリューシュヴェルドが驚く。
「あっ、すみません。言葉に出ちゃいました」
焦って何度も謝るセーラを見て、リューシュヴェルドは何度付いたか分からないため息を吐く。
「はあ、もう問答はやめておこう。全員とは言えないが、可能性ならばあり得る。だからこそ、の話だが、君が領のために加護を使ってくれるのであれば、アランディア領は君を庇護しよう」
「はい! お願いします! できることはします!」
恐怖に駆られていたからか、セーラは反射的に答えた。
それと同時に、リューシュヴェルドの片方の口角が上がった。先ほどは表情が緩んだように見えたが、今度は、セーラには怖く見えた。
——あれ? さっきと雰囲気が……。
少し慄いたが、気を取り直してセーラは尋ねた。
「それで、私には何ができますか?」
「ふむ、君の加護のことは細かく調査してみないと何とも言えないが……」
リューシュヴェルドは顎を触りながら考える。
「君に加護が出現したのも最近の話なので、情報が少ないのだ」
「そうですね。分かっていることは二つだけです」
「二つ? それはどういうことだ?」
「ええっと、まず、頭の中で紐づかないと知識が展開しないです。村にいた時は、知っていることが多かったからだと思うけどあまり展開しませんでした。でも、この邸に来てお話ししている間に、知らない言葉がどんどん紐づいて出てきてる気がします」
「なるほど。確かに」
「紐づいた知識は、私の中で知っていることとして認識されてるみたい。……これは感覚ですけど」
「そうであろうな。そうでなければ知識の館が与えたとは言わないであろう」
頷きながら、リューシュヴェルドは納得した。
「えっと、それで二つ目なんですけど、行動や動作が伴う知識は訓練が必要みたいです。知っていてもすぐにできるようにはならないっていうか……」
「どういうことだ?」
「例えば、見たことのない料理の調理方法は、多分何か紐づきさえ得れば展開されます。でも包丁も鍋も使ったことがなければ、それがあっても美味しい料理はすぐには作れません」
「そういうことか」
リューシュヴェルドが納得したように頷いた。グレンフィードがいまいち分かっていない顔をしていたので、セーラは例えを出しなおす。
「例えば、グレンフィード様が見たことのない新しい武器の指南書を読んで、その武器を一回も練習せずに達人のように使いこなせますか?」
「そうだな。確かに、技術はそうだ」
グレンフィードも合点がいったように、大きく頷く。
「作法やマナーもだな」
リューシュヴェルドは先ほどのセーラを思い出したのか、そう言った。それを聞いたセーラが、手を挙げて進言する。
「私、文字は一番最初に覚えましたけど、書くのは一回しか練習していないから満足に手紙も書けないです」
「何だと?!」
リューシュヴェルドが、大きな声を上げた。
「わっ! す、すみませんっ!!」
セーラは反射的に謝った。癖になっているかもしれない。
——この食堂で私何回謝ってるんだろう。
「いや、こちらこそすまない。それは想定外だった」
リューシュヴェルドが片手をあげて謝意を表した。
すると、ゼレットが何冊かの本を抱えて戻ってきた。
「ああ、良いところに戻ったな。次は、こちらから一点確認をしたいことがある」
セーラの目の前に本が三冊並べられた。とても重厚な革表紙で、セーラは一冊持つだけでも大変そうに思える。
「これは、知識の館にない書物だ。この内容は秘中の秘ゆえ、もし理解できたとしても漏らしてはならない」
セーラに緊張が走った。リューシュヴェルドの言葉に耳を傾ける。
「一番左端は、先ほど君が知らないと言っていた、加護持ちについて書かれた書物だ。君のことを聞いて城から一冊持ってきていたのだ。アランディア文字で書かれている。それから、真ん中は王都で私が写本した書物だ。知識の館にはない比較的新しい技術について書いてある。これも私が写本する時にアランディア文字で翻訳している。右の一番古い革表紙のものだが、それは古代文字で書かれている。六百年以上前、建国前の貴族名鑑のようなものだ。これは事情があって、私の私物だ」
説明を終えると、リューシュヴェルドは肘掛けに腕をおき、椅子の背にゆったりともたれかかってセーラを促した。
「これに目を通してほしい。この知識はないはずだが、君にはどうなのだろうか」
「はい」
恐る恐る、セーラは一番左の本の表紙を開ける。文字は記憶できたが知識は展開せず、確かに初めての知識のようだ。真ん中も、右の古書も同じだ。右の古書に至っては、文字すら分からなかった。古代文字自体、知識の館にはないのだろう。
——それくらい貴重ってことよね。
首を傾げながら、頁を捲って本を閉じるセーラの様子を見て、不発だったとリューシュヴェルドは理解したらしい。
セーラは駄目だったことを報告しようとして、ふと思い出した。
知識の館では、まず祈ったはずだ。他の平民もそれは一緒で、祈ってから知識を得る書物が分かり、勉強しているのだ。
試しに、セーラは心の中で祈ってみた。目を閉じて手を組む。
——知識の館様、今私は館にはいませんが、ここに新しい知識があります。これは、覚えてもいい知識? 館様はどう思いますか?
祈りではなく、ただの質問になってしまっていることにセーラは気が付かなかったが、とにかく館に呼びかけた。
しかし、返答はない。
セーラは少し焦って、更に手に力を込めて祈りではない祈りをする。
——偉い人の前にいるの。可か不可かくらい教えて欲しい! 館様!
しかし、やはり返答はなかった。
リューシュヴェルドは、セーラの様子を訝し気に見ていたが、様子が変わらないのを見るとゼレットに目をやった。ゼレットは一つ頷いて、本を片付けようと動こうとしたが、一歩目で固まってしまったようだ。
「え?」
ゼレットの驚きの声に、リューシュヴェルドがセーラに目を戻すと、本が光っていた。この光景は、リューシュヴェルドにも覚えがあった。知識の館にある本の光り方と酷似している。
ただし、明々とした食堂の中なので、知識の館よりは目立っていないかも知れない。それでも、知識の館以外でこの理外の事柄に触れた事実に、驚愕を隠せない顔をした。
セーラもまた、返答がないまま光った本を見て驚いた顔をする。そして、はっと気が付くと、お腹を押さえた。
——まさか、また?!
知識の館で知識が入った後、気持ちが悪くなって倒れた事実をセーラは思い出した。お腹を押さえたのは、あくまで気持ち悪さを回避したかったからに過ぎない。それが抗えるものではないことは、セーラには充分分かっていた。
本から出た光は渦を描きながら中心に纏まっていった。纏まっていくにつれ光の強さは増していき、セーラが押さえた手の上からセーラの体内に入っていく。
リューシュヴェルドは大きな音を立てて椅子から立ち上がり、驚きの表情を隠さずに見守っていた。グレンフィードも同様だ。リューシュヴェルドの前に出て盾にはなるものの、騎士とて、この人智を超えた現象にどう立ち回っていいか分からなかったのだ。
ほんの数秒でスーッと光が消えていく。
セーラは、頭はぐるぐるとしたものの、前回とは違ってそれ程気分が悪くないことに少し気を良くして、リューシュヴェルドへ笑いかけた。
「知識、全部貰っちゃったみたいです」
リューシュヴェルドの頬を汗が一筋流れた。それでも、リューシュヴェルドが口元を綻ばせているのを見て、セーラの背に寒気が走ったが、セーラは気にしないことにした。
——大丈夫よね? 私、庇護してもらえるよね?
セーラはカップを手にして飲みかけたが、既に飲み干した後だったことに気付いた。それでも飲む振りをしながら、ぐるぐると回る頭を落ち着かせて、いまだ立ち尽くしているリューシュヴェルドを恐る恐る呼びかけた。
「リュース様?」
「……。」
「リュース様!!」
「……ああ」
セーラが何度か呼びかけて、ようやくリューシュヴェルドは返答した。立ったまま固まっていたのだ。もちろん、グレンフィードとゼレットも同様である。
リューシュヴェルドが椅子に座り直して、ゼレットを呼んだ。
「給仕で構わないから、お茶を……。いや、セーラにはお茶を、私には酒をくれ。あ、セーラ、しばらくショールを羽織っていなさい」
両のこめかみを片手で揉み解しながら、そう指示した。
「大丈夫ですか?」
「誰のせいだと……?! いや、そういや君は大丈夫なのか? 館では気を失ったと言っていたが」
一瞬言葉を荒げたが、感情が出たことに自分自身驚いたような顔をして、リューシュヴェルドは言った。
「いえ。多分、知識の量があの時とは違うから、ちょっと頭がいっぱいになったくらいだし、もう大丈夫です」
「そうか」
セーラがショールを羽織り、なるべく顔を隠して座っている中、給仕がテーブルを片付けて用意する。その間にゼレットは本を片付けに行き、すぐに戻ってきた。
用意が整い、再び人払いを告げた後、リューシュヴェルドは早速酒に手を付ける。
「ようやく落ち着いた。君らには申し訳ないな」
「まったく問題ございません」
労いの言葉に、ゼレットが柔らかい笑みで返す。グレンフィードも護衛中だからと、再度後ろに立った。
これが貴族か、とセーラは驚いた。
先ほどの顔を見ると、とても動揺していたように見えた。しかし、ゼレットもグレンフィードも今はそんなことは一切なかったかのように落ち着いて行動している。内心は、リューシュヴェルドと同様、座ってお酒でも飲みたいに違いない。それでもまったく表情に出ないその姿勢にセーラは感服すると同時に、自分には絶対できないと思った。
——無理無理! 私は貴族にはなれないわ。もちろん、生まれが違うからそこから無理なんだけど。
「知識については色々と分かったな」
「はい。私も今日初めて知ったこともあったし、びっくりしました」
「ああ、知識になくとも与えられるということは、とんでもない武器だ。そんな加護は耳にしたことがない」
「そうなんですか」
「領のために役立てるように、励みなさい。そのための助力はしよう」
見たこともないような美しく輝くグラスを傾けて氷を鳴らしながら、リューシュヴェルドが言う。
「あの、私、何をしたらいいのかが分かっていないのですが……」
「結論を先に言うとだ。君の任務は、私の頭脳になることだ」
「リュース様の……頭脳?!」
セーラはどのようなことか判別がつかなかったが、それがとんでもないことだという予想はついた。
——この、鋭い目をした人の、頭脳?! 知識を貰ってる私より知識ありそうだけど……。
「君には、図らずも加護として知識が詰まってしまった。ただ、その使い方と使いどころが分からず、使うための権力もない。しかし、それはすべて私が持っている」
「はあ」
「君を秘匿したままにしておくことは、今後のためにも避けたい。できれば、君を動かしたいのだ」
知識だけを吸い取って隠すことはない、というこの言葉に、セーラは救われた。
——動かす、って全然よく分かってないけど、隠さずに人にも会えるってことよね? もしかしたら、村にも帰れたりするのかも……!
セーラは期待もしつつ、次の言葉を待った。
「そのために必要なのは、貴族の中で甘く見られないことだ。どうすればいいか、分かるか?」
「……行儀……作法?」
先ほどから全くできていないことを指摘されたようで、口を尖らせながらセーラは言った。
「その通りだ。テーブルマナー、言葉遣い、感情の隠し方、交渉の仕方など、覚えることはたくさんある。君が現在できていない上に、先ほど訓練が必要だと分かったわけだしな」
「はーい」
少し落ち込んだ顔を見たリューシュヴェルドが、「それだ」と言った。
「貴族が感情を表に出すと、弱みを握られたり、揚げ足を取られたり、とにかくトラブルになりやすいのだ。もともと君は平民で下に見られるのは確実なのだから、それは好ましくない。侮られるだけでなく、そんなつもりがないのに不敬を理由に殺されたくはないだろう?」
セーラはぎょっとしたが、そのようなことになり兼ねないことは何となくわかる。何と言っても雲の上なのだ。同じテーブルについていると勘違いしそうになるが、そもそもがまったく違う人種なのだ。
ただ、平民であったとしても、セーラは感情が豊か過ぎる方なのは確かだ。母さんからも「子どもの内だけだからね」なんて言われたりしたなと思い出しながら、セーラは頷いた。
「分かりました」
「……一年だ」
「え?」
「一年はこの別邸で、必要なことを身につける。文字に関しては、知識の館でまずは目録を作ること。目録作成は書く練習にちょうどいいだろう。目録を作りながら、頭の中の知識と紐付けていくように」
リューシュヴェルドは、一年間はここでセーラを隠して生活させるようだ。その間にすることの多さに、セーラは目を白黒させた。
「が、がんばります」
「頑張るのではない。そうでなければ困る。私も、君もだ」
「私も?」
首を傾げて、セーラはきょとんとした。
「花冠の儀を一年遅らせて、一年後の儀で披露目とする。つまり、一年でできなければ、更に一年秘匿が続くことと、花冠の儀を行えずに大人として扱われないということになる」
「ええええ?!」
セーラが悲壮な顔になった。
「大人になれないの?! 私、来月大人になる予定だったんです!」
「そんなに驚くことか? 結婚のための準備儀式のようなものだし、そもそもすぐに君は結婚できる訳ではないからな、些少な問題だろう? ただ、何年も続くと大変なことになるな」
ニヤッと笑いながら見下ろされ、セーラはぐっと言葉に詰まる。
「でも、でも、母さんの晴れ着が……」
「大事に取っておきなさい」
「でも、でも、大人の服も……」
「儀式以降は嫌になるほど着るから安心しなさい」
「でも、でも……」
「しつこい」
リューシュヴェルドに一蹴され、セーラは飲み込むしかできなくなった。
「……分かりました」
セーラは渋々と受け入れた。
「まだまだ話すことはあるのだが、君の話を聞いた結果を領主へ報告しなければならん。後は諸々の調整だな」
リューシュヴェルドは、席を立った。
「取り急ぎ城へ戻る。セーラ、湯浴みは済ませているのだろう。今日は色々あっただろうから、部屋から一歩も出ずに休むように。ゼレットは、セーラを案内した後に城へ来るように。急ぎ別邸の調整の打ち合わせもしなければならん」
「かしこまりました」
セーラは慌てた。
「えっ?! リュース様待ってください! 私まだ聞きたいことが……!」
村のことや両親のことが頭を巡るが、リューシュヴェルドに途中で遮られる。
「早く報告して決定事項にしてしまわねば、これからのことは何も話せん。君は取り急ぎ、大人しくしておくことがしばらくの仕事だ。部屋でじっとしているように。行くぞ」
それだけ言うと、リューシュヴェルドは重厚なマントを翻し、グレンフィードと共に出て行った。
セーラは、カツカツと床を鳴らす足音が消えても、開いた扉を口を開けたまま見ていることしかできなかった。




