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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第一章 初めての旅 第二十五話

「ふぅ……」

 セーラは、湯気の煙る浴室で人生初の湯に浸かっていた。

 ——本当に一仕事だったわ。でも、部屋に浴室がついているなんて、聞いたこともない。

 お金持ちが泊る宿には浴室があるとか、街に風呂屋があるとか、そういったことを耳にしたことはあるが、何といっても部屋だ。この別邸に浴室があるのではなく、部屋に浴室が備えられているということなのだ。

 水の豊富なアランディアだからだろうか。それともやはり領主一族の別邸だからだろうか。城はどうなっているのだろう。

 セーラは、天井を見上げてそんなことを考えながら目を閉じた。

 湯で身体を流したことはある。が、それはあくまで盥の湯で、川での水浴びとは訳が違う湯に浸かるという行為は、本当におそるおそるという言葉が相応しかった。

 灰や油から作られる石鹸は普段使っていたが、薬液を使うのも初めてだ。花のいい香りがして、石鹸のそれより大量の泡が立ち、どう使うべきかよく分からなかったが、頭に浮かんだのは第二公子様との面会だ。

 泡がどうだろうが、とにかく無我夢中で頭と髪を洗い、身体の表面が赤くなるまで擦った。

 湯に浸かっている今は、少し皮膚がひりひりするような気がする。

 「怒涛だったな……」

 セーラは、村に貴族がやってくる、と聞いてから今日までの数日を振り返った。

 村を出る時はあんなにも涙が出たのに、今日、領都に入ってからは新しいことや怖いことが多すぎて、悲しみを感じる暇もなかった。

 「父さん、母さん。領都に来たよ」

 邸しか目にしていないので、感慨は薄いが、この邸だけでも別世界である。距離としては馬車で三日程度だが、遥か遠くに来てしまった心地だ。

 物思いに耽っている内に、頭がクラクラして来た。

 慌てて浴室から出る。

 身体と髪を洗面所で拭きながら、乾いた空気で思い切り深呼吸をすると、体の熱が発散されていくように感じた。

 ——湯にはずっと浸かっていられないな。寸刻(数分程度)だって私には無理だ。

 本来は疲れを癒すはずの風呂に入って疲れたセーラは、下着姿に布を巻き付けた状態でクローゼットを開けた。

「うわっ!」

 中には、ドレスにしか見えないワンピースが十数点かけられていて、セーラは目を白黒させる。

「これをどうしろって……?! 着方すら分かんないよ」

 聞く相手もいないのに一人話しながら、簡単に着ることができてなるべく大人しいものを恐る恐る選り分けていく。少し大人しい薄いクリーム色のワンピースを手に取り、セーラは鏡の前で着てみた。

 体の角度を変えて自分を見てみる。

「これなら何とか、大丈夫かな? 騎士様はこれ着ていいって本当に言ったよね? 怒られたりしないよね?」

 そんなことを独り言ちながら、少しだけ気分が高揚する。セーラだって女の子なのだ。素敵で袖や裾が柔らかく肌に当たる、こんなにフワフワしている服は初めてだ。

 少しだけセーラには身幅が大きく、腰のリボンをきゅっと結び直した。

 ふと、鏡台の前に櫛があるのが見え、そのまま髪を梳かし始める。

 梳かし始めた瞬間、セーラは驚いた。

 まだ乾ききってはいないものの、こんなに櫛通りがいいのはセーラが覚えている感覚の中では初めてだ。

「これも初めて。これが薬液の力なのかな?」

 いつもは水、またはお湯で洗い流すだけ。汚れが酷くなったら石鹸を使って汚れと油分を落とす。そんな生活をしていると、梳るだけで一仕事だったのだ。人よりも髪は細いが、極めて絡まりやすかった。

 フワフワなのにしっかり波打つカナエの髪が羨ましかったものだ。

 セーラは感動して、何度も何度も髪に櫛を入れた。

 そうしていると、自分の髪が思っていた以上に真っ直ぐなのが分かる。肩より少し下ぐらいのセーラの髪の毛は、梳かしてきれいにすると今度は毛先がガタガタと揃っていないのが如実に分かり、少し恥ずかしくなった。

 髪を洗う前までは然程気にならなかったところが、気になるようになってしまうこともまた、セーラにとっては初めての感覚だった。

 初めて尽くしでずっと気が休まらず、かつ体の疲れも相まって、セーラは鏡で自分を見ながらうとうとし出した。

 ——駄目だ。このまま寝てしまっては、騎士様に怒られる……。

 人間、駄目だ駄目だと思うとその駄目な方向に流れやすいという。セーラはそんなことを思い出しながら抗いようがない瞼を頑張ってこじ開けるが、鏡の向こうの自分は、とてつもなく緩んだ顔をしている。

 すると、タイミングよく扉を叩く音と、グレンフィードの「セーラ、身支度は済ませたか?」の声が部屋に飛び込んできた。

「はっ……はい!」

 慌ててセーラはシャキッと立ち上がった。

 ——た、助かった!

 心の中で額を拭いながら、グレンフィードを迎える。

 と、グレンフィードは口を開けたままセーラを凝視し、扉の前から動かなかった。

「え?」

 セーラが疑問に思って、グレンフィードの前で一周回って見せた。

「何か、変ですか? 着方間違ってるとか」

「え? ああ、いや……」

 グレンフィードが口籠る。そして、口の中で「想像以上だな」と呟き息を呑んだ。

「え?」

 セーラは聞こえず、不安になって聞き返したが、グレンフィードは、「いや、いい」と手を振ってクローゼットに向かった。

 中を確認すると、一枚の柔らかそうな布を持ってくる。少し透けて見えるくらいで見ただけで軽いことがセーラには分かった。

「これを頭から羽織っておきなさい」

「なぜ?」

「第二公子様がお戻りになられて、今から面会が可能だ。この別邸の使用人はよく教育されているから大したことにはならないだろうが、移動時には君が目立ちすぎる」

「分かりました」

 セーラは自分の()()をこれまでの生活の中で受け入れてきた。村の人もそうだ。初めて目にするとなれば、それが例え許可されたもの、例え自分の雇い主の命令であったとしても、驚かせるばかりだろう。確かに、それはセーラの本意ではない。

 素直に布を受け取って、その軽さに目を大きくしたが、セーラは頭にふんわりと被せてグレンフィードに見せた。

「これでいいですか?」

「ああ、大丈夫そうだ」

「公子様には、経緯を説明するんですよね?」

「ああ。私が村で聞いたことは既に報告済みだ。私が聞いていないことを聞かれると思うから、嘘偽りなく話すように」

「分かりました」

 セーラは不安と怖さが緊張へとつながり、目が完全に覚めた。ふと窓の外を見ると、夕暮れ時の様々な色が混じり合った光が入ってきている。

 何刻頃だろう、とセーラが思った瞬間、お腹が盛大に鳴った。

「わああああああ!」

 鳴った瞬間、ごまかそうと大きな声を上げてみたが、ごまかせただろうか。

 セーラは頬が熱くなるのを感じながら、ちらっとグレンフィードを見上げるとグレンフィードの目が点になっており、更に熱くなる。

「ぷっ」

 グレンフィードが吹き出した。

「君は肝が据わっているな。食事の用意もできている。安心しろ」

「……すみません」

 ひやひやしながら謝る。

「そう言えば、君は作法は分かっているのか?」

「えーっと、分かると思いますが、難しいかもしれません」

「何だそれは?」

「試してみないと分からないから、何とも言えません」

 少し不思議そうな顔をしてグレンフィードが首を傾げた。

 グレンフィードに尋ねられた時に、セーラには食事の仕方やカトラリー、ナプキンの使い方などの知識が頭と紐づいたことが分かった。行儀作法や礼儀をまとめた書物関係が紐づいているようだ。お辞儀の仕方まで出てきた。

 ただ、文字も練習しないと容易に使いこなせるようにならないのだ。

 食事がそれと違ってすぐにできるとは言い難い。説明も難しいので、セーラはごまかした。

「ふむ。とりあえず知識は得ているということでいいか?」

「はい」

「それならば粗相もすまい。行こう」

 粗相する気しかしなかったが出来ないとは言えず、セーラはグレンフィードの後をついていった。

 広い廊下を何度か曲がり、一つの扉の前に着いた。使用人には運良く出会わなかったようだ。それとも目に入らないよう、控えてくれたのかも知れない。

「ここが食堂だ。第二公子様は既にいらっしゃるからな」

 ごくっと息を呑み、セーラは頷いた。

 監視と保護がどの程度になるのか、第二公子が鍵を握っている。

 自分をよりよく見せようなどはとても思えなかったが、「馬鹿でも正直であれ」と言うソジュの言葉が改めて頭を巡る。

 ——父さん、母さん、頑張るよ!

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