第一章 初めての旅 第二十三話
「……うわ~ん」
馬から落ちないように手綱をしっかり掴みながら、セーラは大声で泣いていた。
涙が止まらなかった。寂しくてたまらなかったからだ。
もしかすると、このまま二度と会えないのではないか。先行きの不安より、今の別れの方が何倍も強く心を揺らした。
セーラは既にグレンフィードには泣いている姿を見られている。恥の概念も少し緩んでいる様だ。
「……舌を嚙むぞ」
呆れたように後ろからグレンフィードが声を掛けた。
「だって……っ、だって、でも……、止まらない~。わ~ん」
途中でしゃくりあげながら、セーラは盛大に泣いた。
先ほど涙が枯渇するかと思うくらい泣いたはずなのに、どこに溜まっていたのか無尽蔵にも思えるくらいだ。既にセーラの瞼はパンパンに腫れあがり、視界がぼやけて景色を見ることなどできやしなかった。
「うう……。顔が痛い……」
擦って赤く腫れたセーラの顔に、風が突き刺さる。馬は、結構な速度で駆けている様だ。
「自業自得だな」
そう言うと、グレンフィードはボルタークに合図を送り、馬の速度を少し緩めた。
「ここまで来れば、大丈夫だろう。ボルターク、コランドルを迂回してこのまま森の中を通り、領都へ直進する。警戒は怠らぬように」
「はっ」
二人のやり取りを酸素が足りていない脳でぼんやり聞きながら、セーラは疑問に思った。前回行った時はコランドルで泊ったはずだ。
「コランドルで一泊しないんですか?」
「今日はコランドルに着く前に日が暮れるな。それに、なるべく人目に付きたくない。君は平民で、私は貴族だ。一緒にいること自体が稀だろう?」
そうか、とセーラは理解した。確かに、もう四刻はとうに過ぎている。前は朝早くに出発したはずだ。
——それに、貴族様と一緒に平民が馬に乗っているなんて、確かに変だわ。
四刻をとうに過ぎている、と考えた瞬間に、お腹が空いていることに気が付いた。泣いて体力を使ったのもあるかも知れない。
「騎士様、お腹が空きました」
「唐突だな。泣くのはもういいのか?」
「お腹が減ったことに気づいたら止まったみたいです。御飯は切実な問題だから」
「もう少し先に進めたい。我慢しなさい」
歩を進める方が切実だ、とグレンフィードは言った。
セーラはその言葉に鼻を膨らます。
「分かりました」
その様子を見ていたボルタークが驚いたように言った。
「君は命知らずだな。言葉と表情がまったく逆だぞ」
「そうなのか?」
顔を見れないグレンフィードが、少し笑って相槌を打った。
「すみません。我慢します」
ボルタークに向かって謝罪をする。セーラに対して警戒し、居丈高だった人だ。怖さがまだ残っている。
セーラが警戒して身体に力が入ったことにグレンフィードが気付いたようだ。
「セーラ、ボルタークは忠実で真面目な男だ。確かに融通が利かない部分は認めるが、そもそも警戒するのが彼の仕事だ。何か不測の事態が起こった時にすぐに動けなかったら意味がないからな」
「ああ、君は警戒に値しないことは分かった。鶏ガラみたいな手足で考えていることは駄々洩れ。感情をすぐに爆発させる。どう考えても君には騙されないし、ただの子どもだったからな。申し訳ないことをした」
「鶏ガラ?! ただの子ども?!」
目を向いて、セーラが反応した。文句を言ってやろうと思ったが、はっとセーラは口を噤んだ。
これ以上言うと、切り殺されるかも知れない。
——どっちが駄々洩れよ! 言いたいこと全部言ってくれちゃって! でも、この人は、貴族様、貴族様、貴族様……。
セーラが深呼吸して、気持ちを整えている間、グレンフィードが後ろで笑いを堪えているのが分かった。
「確かに、セーラ。君はもう少し太る必要がありそうだ」
「なら御飯が必要ですね」
「そう来るか」
「セーラ」
ボルタークが真面目くさった顔で話しかける。
「我々は、君を領都まで安全に連れて行くのも任務の一つだ。そこに君の腹事情や感情はまったく関係がない」
「む……」
何という言い草か。色々と便宜を取り計らってくれたことには恩義を感じている。我儘を言ってはいけないことも、貴族に対して立てついてはならないことも分かっている。でも言い方ってものがあるだろう、とセーラは沸々と湧いてくる怒りを感じた。
——貴族様、貴族様、貴族様……。
「ボルターク様、失礼しました。もう言いません。その代わり、ボルターク様も何も言わないでくれると助かります。ボルターク様の言葉は私には棘のようですから」
「何という言い草か!」
ボルタークが目を向いた。
セーラは、腫れた目でにっこり笑う。
「お互い様ですね」
ボルタークは領都へ安全に連れて行くのが任務だと言った。ということは、領都までは余程のことがない限り殺されることはないだろう、とセーラは算段を付けたのだ。
——あ、今のは余程のことだったかな。
少し不安になったが、グレンフィードが笑いを堪えているのを見ると大丈夫そうだ。
「あ、でもボルターク様。私、ボルターク様のお陰で涙はすっかり止まったようです。ありがとうございます」
顔を押さえて、セーラが言うと、グレンフィードが堪え切れなくなったようだ。
「あはははは! 何だ君は! 面白いな!」
「グレンフィード様、口が悪いただの小娘ですよ」
「だからお互い様ですってば!」
「あはははは!」
大きな身体を揺らして笑うものだから、もたれたセーラの背に直接振動が伝わってくる。
貴族も大きく笑うのだ、とセーラは初めて知った。
貴族だって人間なのだ。
——雲の上の雲の上も、笑うのかな?
グレンフィードが言う「主君」。第二公子様は雲の上の雲の上の人だ。
グレンフィードにどんな人なのか聞いていいかどうかすら分からない。でも、その人がセーラの処遇を決めるのだ。セーラの、未来も決めるのだ。
そんなことを思いながら、涙の原因を振り切るように、この先の未来を見てみようと、少し高い場所から前を見据えてセーラはそう思った。
風が、まだ腫れた目には痛かった。
一行は、コランドルを迂回して森の中を進んだ。なるべく水場の側を通っているようにセーラには感じられた。馬の背に座っているとセーラの肉の付いていないお尻と腰は痛くなったが、文句は一言も言わなかった。
貴族が野宿をしているのである。セーラを人目に晒さないようにという理由でだ。
文句を言いたいのはグレンフィードやボルタークの方だろう。彼らが言わないのに、セーラが文句を言えるはずもない。
道中、グレンフィードが騎士家系の上位貴族であることや親兄弟すべて騎士団に所属していることを聞いた。 野営をしている時である。グレンフィードが話した訳ではないが、ボルタークがそう教えてくれたのだ。
「グレンフィード様は近衛騎士隊長である御父上にも引けを取らないくらいお強いのだ。私はいつかグレンフィード様のように近衛騎士隊に入って、領主一族をお守りしたい。下位であるため叶わぬかも知れぬが、努力をしない理由にはならないだろう?」
何度か軽い言い争いを繰り返し、セーラと距離が縮まったようで、ボルタークは目を輝かせながら軽快にグレンフィードの武勇などを語った。主には剣技の話だった。
——憧れてるんだなあ。
真面目くさって頭の固い男かと思ったが、それだけではない嬉々として話すボルタークの姿に、ソジュに憧れて付いて回るキシュトがなぜか重なり、セーラは微笑ましく思った。
「ボルターク様は近衛騎士隊ではないの?」
「騎士団のことは機密情報のため、許可が出ない限り説明するわけには行かない。ただ、近衛騎士隊は上位貴族の花形組織だ。私はそうではない」
セーラは、既に組織の概要は得ている。騎士団の構成や平民からなるアランディア軍団の概要なども紐づいて把握していた。
近衛騎士隊じゃないならば、騎士隊に所属しているのだろうか。平時には貴族街の安全を守り、有事には軍団の剣兵隊、弓兵隊、槍兵隊等を指揮する組織だ。そう思いながら、セーラは疑問に思った。
——機密? あれ? 知識の館は平民に開放されているのに? 言った方が良いかな?
そっとグレンフィードを見ると、グレンフィードは火をくべながらボルタークに注意していた。
「私のことを話していいと許可はしていないがな」
「はっ……あ! 失礼しました!」
直立不動になってグレンフィードに敬礼をする。
グレンフィードが笑った。どうやら矛盾を揶揄っただけで怒っているわけではなさそうだ。
「いや、そもそも私は名乗っているし問題ない。問題があれば止めているしな」
「はっ、気を付けます」
——ま、いいか。グレンフィード様は経緯や細かいことは直接第二公子様に、って言ってたもんね。
セーラは、グレンフィードのマントにくるまりながら一旦脇に避けておくことにした。




