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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第一章 初めての旅 第十八話

 夜が更けても、ソジュは帰って来なかった。

「父さん、今日は帰って来ないかしらねえ」

 セーラが身体を洗っている横で、新しい乾いた手拭いを棚に置きながらケレーラが呟いた。

 セーラの家には、炊事場の横に食材や加工品を保管する小部屋がある。冷暗な貯蔵庫の奥には扉があり、家の裏手に続いている。

 扉から出たところで、セーラは盥に入った温かい湯に手拭いを潜らせ、身体を拭っていた。

 セーラたちは、毎日ではないが、この場所で身体や髪を洗って最低限の清潔を保っていた。目隠しの板はあるものの、外なので冬はこの場所をあまり使用しない。家の中で身体を拭くことになるが、暖かい時期は身体や髪を洗える機会は減らせないのだ。特にソジュは狩猟部で、血が付いたり獣の匂いが移った身体を、冬でも洗い流す必要がある。

 南の村には風呂がなく、川で水浴びをしたりもするが、ほとんどの家には外に洗い場があった。

 今日は、ケレーラが湯を沸かしてくれたのだ。

 身体を拭いた後は髪を盥に浸して洗う。最後に身体を流して終わりだ。

「母さん、母さんの分の湯は沸いてる?」

「ああ、ちょうどいい頃間だと思うけど」

「はーい」

 手早く着替えると盥に湯を入れなおす。南の村、というよりアランディア領は、山から水の資源が豊富に得られる。昔はあったようだが、セーラが生活している中で、ありがたいことに水不足などで困ったことはなかった。

 ケレーラが身体を洗っている間に、セーラは濡れた髪を纏めてフードに隠した。一応拭いたし、乾かすよりも隠す方が重要だ。

 ——父さん、今日は帰って来ないかな。

 先ほどケレーラが呟いたことと同じことを、セーラは改めて思った。

 ソジュは夕食にも帰って来ず、連絡役のレグルスもあれから来ていない。

 セーラとケレーラはきっちり六刻の鐘が鳴るまで針仕事をした。ケレーラが仕立てていたセーラの晴れ着は出来上がり、修繕が必要なエプロンや枕の繕い物までやっていた。

 いつソジュが帰って来るか、レグルスがやって来るかとそわそわして、まったく関係のないお喋りに花を咲かせながら仕事をしている間に、時間だけが過ぎていったのだ。

「寝る時もケープは外さない方がいいかもね」

 定着してしまった独り言の癖は直らないようだ。

 セーラはうんうん、と頷きながら食卓に頬杖を付き、玄関扉を見遣った。

「そういや、カナエはどうしてるかな。心配していないといいけど」

 皆のことを思い、会いたくて胸の奥がキュッと一瞬縮むような心持ちがした。

 その時、コンコンと控えめに玄関扉が鳴った。

 縮んだ胸の奥から一気に血液が流れだし、大きく心臓が拍動した。

 ベルではなく、扉がノックされたことに不信感が一気に募る。

 ——母さんはまだ裏だ。どうしたらいい? わかんない! どうしよう、わかんない……!

 椅子に張り付いたまま、頭の中が色々巡ったが、答えは一つ。セーラはどうしていいのか分からなかった。

 誰なのか尋ねることはもちろん、声を出すことすらできなかった。

 すると、声が聞こえた。

「セーラちゃん?」

 抑えた声で呼びかけるのはレグルスだ。

「び……び、びっくりした~!!」

 セーラは脱力して机に突っ伏した。机に置かれた蝋燭の灯が、セーラの動きに合わせて揺れる。

「セーラちゃん? ここ、開けてくれるかな?」

 セーラはムスッとした顔で、半目になりながら鍵を開けた。

「え?! 何て顔してんの?!」

「……レグルスさんが驚かすから。何でベルを鳴らさなかったの?」

「ああ、ごめんごめん。時間も時間だし、ベルの方が怖いかなと思って」

「じゃあ先に声を掛けてよ!」

「ごめん、ごめん。ちょっと周りを気にしてたら、声かけるのが遅れちゃって」

 へらっと笑いながら片手で謝罪のポーズをするレグルスを、鼻にしわを寄せながら睨みつける。悪いと思っていないに違いない。

 セーラの怒りもまったく気にしていないようで、勧められる前に椅子に腰かける。

「ふう、ちょっと休憩」

 セーラは、レグルスが今まで村の入り口で警備してたことを思い出して、少し怒りが和らいだ。

 暖かいお茶でも淹れてあげようと思い、湯を沸かし始める。

「誰なの?」

 ケレーラが少し慌てた様子で貯蔵庫に繋がる扉を少し開けた。セーラの怒る声が聞こえたようだ。慌てて着替えたようで、髪からは水滴が落ちている。

「あ、ケレーラさんすみません。こんな時間に」

 レグルスが謝罪して後ろを向く。

 ケレーラはほっとしたのか、そのまま扉を閉めてきちんと身なりを整えてから戻ってきた。

 ——私と母さんへの「ごめん」が全然違う!

 セーラはちょっと口を尖らせながら、お茶を淹れた。

 ——でも、疲れた顔しているから、追及してあげないでおこう。私ももうすぐ大人だしね。

 顔に出ていることには気づいていないようだ。

 ケレーラも席に着き、お茶を注ぎ終わるとセーラも座った。

「何かあったの?」

 質問をしたのはセーラだ。

「いや、まだ来ていないんだ。もしかしたら、今日は来ないかも知れない」

「そう」

「どれくらいで着くかの見通しが立ったから一度馬を休ませてるのかも知れないって、ソジュさんの見解だ」

 セーラは頷きながら、気になっていたことを尋ねた。

「……あの、村の人たちは大丈夫なの? カナエ達は知ってる?」

「ああ、なるべく普通に生活してもらってる。まだ来るかどうかも分からないからね。ただ、落ち着くまでこの家には来ないように村全員に周知したよ」

「そっか」

 少し罪悪感を覚えてセーラが俯くと、レグルスが頭を撫でた。

「こら。そうじゃないでしょ。これがこの村の決定事項なんだから、セーラちゃんがどうこう思うことはないの」

「ありがとう」

「はい、正解」

 セーラは笑って、心の中でもう一度感謝した。

「レグルスさん、うちの人は一度も戻れないかしら? ご飯とかどうしてるの?」

「ソジュさんは長だから、離れた時に何かがあったらまずいって言ってました。今日は夜も帰って来れないと思います。腹は干し肉とかで満たしているから何とか大丈夫ですよ。訓練もしてますし、一日やそこらじゃへばったりしません。ちゃんと交代で仮眠は取りますし安心して下さい。それに、村の外へも見回り隊を出してますけど、まだ気配の一つもないようですし」

 大したことじゃないようにレグルスは答えた。

「そう。大変ね。あ、麺麭を包むから持って行ってくれる? 皆さんの分もあったかしら?」

 ケレーラが小走りに貯蔵庫へ向かう。

「助かりまーす」

 レグルスが嬉しそうにケレーラの背に声を掛けた。

 ケレーラが貯蔵庫に入ったのを確認すると、レグルスは目の前のセーラに少し真面目な顔をして向き合った。

「セーラちゃん。本当は言うべきじゃないかも知れないけど、僕とソジュさん、それから村全体も承認してる僕らの心積もりを聞いておいて欲しい。これは、あくまで、本当に貴族が来て、その目的がセーラちゃんだったと仮定しての話だ」

 ケレーラに聞こえないよう声を落とした様子に、セーラは頬杖をやめて姿勢を正した。

「分かった」

「僕らは君を渡さないっていうのは、さっきも言った通り既に決定事項だ。ただ、貴族は雲の上の存在だ。その雲の上に歯向かった時に何がどう転んでも良い結果になるとはとても思えない。南の村自体、全部無かったことにされるかも知れない」

「え? それは駄目」

 一瞬血の気が引いたが、セーラは瞬時に返事をした。

「仮定の話だよ。僕はもともと一番最悪を想定してしまう性質たちなんだ。でも可能性としてはあり得ないことじゃないって思ってる」

「駄目だよ」

 青い顔をしたまま、セーラは首を振ってレグルスを見上げた。

「セーラちゃんを守ったところで村が無くなって僕らがいなくなったら、もう守るとか言った話じゃなくなるからね。皆が不幸なんて、僕らもそんなことは望んでない」

「……うん」

「だから、昼言った通り、絶対に君の存在が露呈することは避けなきゃいけないんだ。この一線を、絶対に僕らは守ってみせる」

 人差し指で机の上に線を引きながらレグルスが言った。

 その言葉を聞いて、セーラは考える。セーラが想定外な行動をすることが、彼らにとって一番余計なことになるはずだ。

 ——今は、守られる対象じゃないと駄目だ。

「私は、絶対に家から出ちゃ行けないって訳ね」

 レグルスはにっこりと笑う。

「セーラちゃんは賢いね。時間がある内にって、役場連中も一緒に知恵を絞って想定問答をまとめてるんだ。もう村人全員に行き渡ってる頃だよ」

「分かった。母さんには何で言わないの?」

「そりゃ、知ってるからさ」

「知ってる?」

「君が子どもの頃から、大人たちは話合ってたみたいだよ。こういうことが起きた時どうするか、とかね。敢えてこの不安な時に蒸し返さなくてよくない? もう、どうすべきかはケレーラさんは分かってるはずだ」

 今まで知らなかった事実に、セーラは目を大きくした。

 まさか、家族だけではなく村の人たちも、セーラのことを考えてくれていたことは知らなかったからだ。

「私、知らなかった」

「うん。何もなかったからね。別に知る必要もないでしょ? でも、今、君は知っとかなきゃいけないって思ったんだ。これは僕の判断だからね」

 内緒ごとのように人差し指を口に当てて、レグルスは片目を瞑った。

 軽く言うが、目の奥から真面目さは消えていない。

「分かった」

 セーラもまた真面目に言って、すぐに口を閉じた。

 ケレーラが貯蔵庫の扉を開けたからだ。

「これで足りるかしら?」

 手には、麺麭の包みを入れた籠を持っている。

「ありがとうございます。助かります」

 レグルスはそう言って笑うと、警備へ戻っていった。

「母さん、寝よう」

「え? まだ早いんじゃない」

「うん。一緒に寝たい。で、お話して」

「あらあら、子どもに戻ったみたいね」

 甘えたように言うセーラに、ふふっとケレーラは笑う。

 ケレーラのベッドで二人並んで横になった。

 柔らかな声で物語を聞いている内に、セーラは眠りについた。

 ……何もないことを祈りながら。

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