第一章 初めての旅 第十七話
翌日、セーラが目を覚ますと既に太陽は高く昇っていた。
「あれ、寝過ごしたかな」
乾いた喉から掠れた声が出る。
「喉乾いた……」
どうやら、良く眠れたようで身体はすっきりしている。のそのそとベッドから出て身支度を整えると、セーラは階下へ降りた。
ケレーラは外に仕事に出ているようで、静かだ。
隅にある水桶に目をやると、朝に汲んできたのか水はたっぷり入っていて、セーラは水差しではなく直接木のカップに入れて喉を潤した。
「ふう。美味しい」
今が何時かは分からなかったが、窓から太陽の位置を確認した。三刻は過ぎているはずだ。今からバタバタ畑に行っても大した戦力にはならない。
セーラはすっきりした身体を動かしたくて、今日は家事に専念することにした。
肩を回して準備運動をしながら、掃除用の桶を持って水汲み場へ向かう。南の村の水は山からの湧き水が水源となっている。村の中には、どこの家からもそんなに離れていない場所にいくつか水汲み場が設置されており、村人はその水を使って生活をするのだ。水汲み場の近くに手洗い場や洗濯場などもあり、近所の女連中はそこで洗濯や洗い物をしながら語らい合うのが日課の一つでもある。
ケレーラがいるかもと思いながら水汲み場へ行ったがおらず、まず顔を洗った。ここ最近は、不調を来して何だか良く眠っている気がする。もともと病弱ではないセーラは、眠れば回復するようだ。元気な証拠である。
領都へ行ったときにソジュが病弱だとセーラを説明していたことを思い出して、ふふっと笑いが漏れた。
水を汲み上げていると、近所の女連中の一人が大きな洗濯籠を抱えて通り過ぎた。洗濯場で洗い終えて帰宅するようだ。
「あ、おばちゃん。こんにちは」
「あらセーラ、こんにちは。水汲みかい? 細っこいのに汲めるのかい? ほら、おばちゃんに任せな」
恰幅の良い体を揺らして、笑いながらセーラを手伝ってくれた。
「やだなあ、私だってできるよ」
「あはは、そりゃ大したもんだ。ひょろひょろと背ばっかり伸びて……あれ、また痩せたんじゃないかい?」
「そう?」
自分ではあまり気付かないが、周りが言うならそうなのかもしれない。
「でも食欲あるし、人一倍食べてる気はするんだけど」
「痩せの大食いかい。何だか羨ましいねえ」
小母さんは自分のお腹を撫でながら、「半分くらい貰ってもらいたいもんだねえ」とため息を吐いた。
「あ、おばちゃん、今何刻くらい? 私寝過ごしちゃって鐘の音聞いてないんだった」
「ああ、三刻の鐘から半刻くらいは経ってるかねえ」
「やだ、そんなに経ってるんだ」
昼まであと半刻(一時間半)とは、我ながら良く寝たものだ、とセーラは思った。
「あまり無理するんじゃないよ。ケレーラも心配してたからね」
「そうなの?」
「ああ、あんたが意識ぶっ飛ばして帰って来た時は大騒ぎだったんだから」
「うう……ぶっ飛ばしたわけじゃ……」
「ケレーラは心配してたけど私は分かったね! セーラのことだ、好奇心が勝って頭い~っぱいになるまで詰め込み過ぎたんだろうって言っといたんだ」
「おばちゃん、ありがとう」
小母さんの洞察はあながち間違いとは言えず、セーラは他愛ない話をしながら笑うことで少し気分が良くなって、水を汲んで帰った。
人と関わるのがセーラは好きなのだ。小さな村で、面倒だと感じることも多々あるけれど、それでも皆が繋がりを持って生活をしている南の村が好きだった。
家の中の拭き掃除や掃き掃除、モップ掛けまでを終えて玄関ポーチを掃いている最中に、ケレーラが帰宅するのが見えた。手には果物の籠を抱えている。
「あら、セーラ起きてたの。体調は大丈夫?」
「うん。寝過ぎちゃったみたい」
「きっとまだ本調子じゃないのよ。あまり無理しちゃ駄目よ」
ケレーラは、籠から杏を一つ取り出してセーラに見せた。
「食欲あるか分からなかったから、杏を持って帰って来たわ。お昼にしましょう」
家に入ろうとした時、レグルスが走ってくるのが見えた。
「おーい!!」
「あら、レグルスさん、どうしたの?」
慌てて走ってきたのか、息を切らして言葉が出ないようだ。
「とりあえず、中に入って水飲んで」
セーラはそう言うとレグルスを招き入れた。
「ぷはー!」
一気に水を飲み干すと、ようやくレグルスは落ち着いたようだ。
「そんなに急いでどうしたの?」
セーラが聞くと、ケレーラが水を注ぎ足しながら質問を続ける。
「また、変わり者でも来たのかしら?」
「違うんだ」
レグルスはもう一口ゆっくりと水を飲むと、説明し出した。
「俺たちが領都での買い出しを途中で切り上げて帰ってきたろう? で、荷送部が果物の出来高が良いから、日程を早めて昨日領都へ出発してたんだ。で、コランドルの街で南の村へ向かうという人たちに出会ったらしい。コランドルからどれくらい時間が掛かるのか聞かれたみたいだ。とても身なりが良くって、ありゃ領都の、もしかしたら貴族様じゃないかって」
「まさか!」
ケレーラとセーラは同時に驚いた。
変わり者はだいたい流れ者が多く、領都から人がやってきたことはない。徴税官もこの村には来ない上に、これより南へ村や町はないから途中立ち寄るなんていう人もいない。基本的に外の人が来るのは変わり者だけなのだ。
ましてや、貴族なんて見たこともないのだ。身を隠すように生きているセーラだけではなく、村人のほとんどが、である。
「それで、慌てて一人折り返して知らせに帰って来たんだ。来るかどうかは分かんないけど、警備部は北の入り口へ集まってる。僕は、ソジュさんに言われて伝書鳩役だよ」
レグルスはそう言うと、セーラとケレーラを見て真面目な顔で見た。
「いつもの変わり者じゃない。セーラの違いがばれると、恐らく厄介なことになる可能性が高い。貴族かどうかも、どんな目的かも、どんな人間かも分からないが、警戒するに越したことはないからね。ケープを羽織って、絶対に家から出ないように」
いつになく真剣なレグルスを見て、ケレーラは不安になったのかセーラの肩に手を置いた。その手に自分の手を重ねて、セーラは眉根を寄せる。
『もう、既に動き出しているのだから。』
頭の中に、夢で見た知識の館の言葉が浮かんで不安になる。
——せっかくすっきりした気分で起きれたのに……。
そんな不満も同時に出てくるということは、まだ余裕があるのかもしれない。セーラは気を取り直して、頷いた。
「分かった。家から出ないわ」
そう言うと、ケープを取りに部屋へ向かった。髪をなるべくケープから出ないように梳って纏める。丁寧にフードを深く被ると、階下へ降りた。
「それなら、きっと大丈夫だね」
幾分ほっとした顔でレグルスは言った。
「僕は戻るよ。いつ来るか分からないからね。その人たちが今日やって来ないなら、ソジュさんもこちらには帰って来ないと思います」
「分かったわ。レグルスさん、状況またお知らせしてもらえる?」
ケレーラが少し不安そうに言うと、レグルスは笑顔で大きく頷いた。
「伝書鳩になりますよ! ご安心を」
レグルスが去った後、家のカーテンをすべて締めて、ケレーラとセーラは食卓の椅子に手を取り合って座っていた。
「何の用事で村に来るのかしら」
不安に押しつぶされないようにだろうか、ケレーラがそっと呟いた。
セーラは返事が出来なかった。もしかしたら、領都で顔を見られたのかもしれない。そんな考えがぐるぐる回り出す。
ケレーラや、ソジュ、レグルスや村の人も、そう思っているのだろう。だから荷送部の人は引き返して帰って来てくれたし、レグルスは急いで連絡しに来てくれたのだ。
——そう、なりませんように。私じゃなく、村の責任になりませんように。
いつかの魔女の話のように、そっと村を飛び出したくなった。もちろん、そんなことをすれば村がどうなるか分からないからセーラには出来なかったが。
——そして、あわよくば、村に来る理由が私じゃありませんように。
まったく関係がないことであればいい。皆で怯えたことを後で笑い話にできるような。
ケレーラがふと立ち上がり、杏を洗ってセーラの前に出した。
「ずっと気を張っていたら疲れちゃうわ。食べましょう」
「うん」
「それで、食べたら、針仕事よ」
「え? 今?」
「普通に過ごす方がいいのよ。そうして気が付いた時には、きっと終わってるわ」
そっとケレーラは笑って、セーラは母親の言葉に少し安心して杏に手を伸ばした。
甘くて少し酸っぱかった。




