第一章 初めての旅 第十五話
それから数日が経ったが、まだ服は出来上がらなかった。
畑や果樹園での仕事、家畜の世話や家事と並行しての針仕事だ。なかなか思うようには進まない。
手は遅い方ではないが、集中を削がれているのが本音だ。ふとすると、想いが地図や館に向かう。そうすると知らぬ間に針を運ぶ手が遅くなったり、時には止まったりしているのだ。ケレーラに叱られて、慌てて手を進めることも少なくない。
今日も食卓の椅子に座ってセーラは針仕事をしていた。ちょうど、ケレーラに叱られたところだ。
「最近なんか変よ。そんなにぼーっとすることなんかなかったじゃない」
ケレーラが、熱い茶が入ったカップを食卓に置いて、ため息を吐きながら言った。セーラは手を止めて、針を無くさないよう丁寧に針山にさして茶に手を伸ばす。
「ありがとう母さん。ごめんなさい」
「恋でもしたのかしら? コーレンに」
「え? 何の話?」
悪戯っぽく笑ったケレーラに、セーラはきょとんとする。
「コーレンが王都へ行くって話を聞いたんでしょ? それで二人は何かあったんじゃないの?」
「え? 違うよ!」
何の話か理解して、セーラは慌てて否定した。しかし、これでは駄目だとすぐに思い直す。
昔もあったのだ。足を怪我した時だっただろうか、キシュトと手を繋いでた時に近所の人にからかわれたことがある。こんな時は慌てて否定しても、否定にならないことをその時に学んだのだ。
「母さん待って。私、コーレンが王都に行くのは心の底から応援してるのよ。私には無い、ちゃんとした目標があるんだもん。それに、兄弟がいない私にとってコーレンはお兄ちゃんみたいなものよ。大好きだけど恋じゃないわ」
うんうん、と頷きながら落ち着いた声で言った。言葉にしながら改めてセーラは本当にその通りだと思った。
「ふ~ん。恋の病じゃないとしたら、最近のあなたのそのぼんやりは何の病かしら?」
セーラの顔が固まった。
それに対する答えは……ある。あるが、言えるわけがない。
「そ、それは、うん。 ……何でか分かんないけど、あ、暑いからかな。あは、あははは。……ちゃんとします!」
カップを置いて、慌てて針を取る。
——あ、危ない危ない。
まだ追及したりなさそうなケレーラの視線を避けるように、作成途中の縫い目を真剣に見直している振りをした時、玄関扉の向こうから、カランカラーンと気持ちのいい音が鳴る。
——助かった。
顔に出さないよう注意しながらも、セーラはほっとする。ケレーラが玄関を開けると、レグルスが入ってきた。
「レグルスさん!」
一緒に旅をした仲だ。セーラはレグルスにすっかり懐いていた。
すぐに出迎えに玄関まで走る。
「いらっしゃい! 今日はどうしたの? まだ勤務中でしょ?」
「ああ、ソジュさんに言われて来たんだ」
ケレーラの顔色が変わった。
「あの人に何かあったの?」
「いえいえ、違いますよ。村の周辺を巡回中に、久しぶりに南方面へ行くという変わり者を見かけてね。話を聞くと村に一泊滞在させて欲しいということだったんで、今ソジュさんは一緒に役場に向かってます」
ほっとしてケレーラは「良かった」と微笑んだ。
ソジュは仕事上怪我をすることも多いから、普段から心配が尽きないのだろう。セーラは自分より少し低いケレーラの肩をさすった。
「じゃあ、どうしたの?」
セーラは首を傾げた。
「ソジュさんが、セーラは目立つからあまり家から出るなって。あと、外に出る時はケープを羽織っとくようにって」
「分かった」
「レグルスさん、わざわざありがとう。お茶はいかがかしら?」
ケレーラが進めたが、レグルスは職務中だからと断り、仕事に戻っていった。
「こないだケープ出来あがったばかりだから、父さん思い出したんだね。確かにあったら安心だわ。取ってくる。」
ふふっとセーラは笑いながら、炊事場の奥にある階段を駆け上がった。
「こら、バタバタしない!」
「はーい」
部屋からケープを取って、羽織るとすぐに下りてケレーラに見せる。
「母さん、これで大丈夫?」
「ええ。でも外は暖かいし、日が落ちるまで出ない方が良いわね」
「えー! 今日は書き方の訓練をしに行こうと思ってたのに……」
数日仕事しかできてない。夜はどうしても眠気に逆らうことが出来ずに、訓練をする間もなく寝てしまうのだ。たまには休憩しながら訓練しないと、手紙なんていつになっても書ける気がしなくなってくる。
「カナエにも会いたい。これから雨も増えるし外に出れる日少なくなっちゃうよ。気を付けるから! 半刻(一時間半)いや、小半刻(四十五分)でいいから! お願い!」
手を合わせて必死にお願いすると、ケレーラはふーっとため息を吐いた。
「しょうがないわね。いいけど、とりあえず五刻の鐘も鳴ってないのにどうしてもう行く気になってるの?! 途中で投げ出さないの! キリが良いところまでは続けなさい」
そして、作りかけのワンピースを手に取り、縫い目が途中で止まっている裾部分に目をやった。
「これ。この部分が最後まで終わらないと、出ちゃ駄目。五刻までに終わったら、行っていいわ」
厳しいが、ケレーラの言う通りである。そして、どこの家庭も母親の言うことは絶対だ。
「分かった! 任せて、母さん!」
目標ができたセーラは早い。物思いに耽ることもなく、ちゃっちゃっと縫い上げていく。
「本当にやればできるのに……」
呆れたようにケレーラは呟いた後、洗濯物を片付けに籠を持って出て行った。
五刻の鐘が響いた時には、セーラは既に指示された裾部分は終わって片付けも終わらせていた。ケレーラの確認で合格を貰うと、ペンと木札を持ってセーラは大樹の丘へと向かう。もちろん、ケープをきちんと羽織ってフードを深く被ることは忘れない。
自分のことを知らない誰かの目は、やはり嫌なものだ。
いくら南へ行って帰って来ない変わり者だと言っても、怯えや蔑みが混ざった目は、違いを突き付けられるだけでなく自分が劣っているかのような気分にさせられる。避けたいと思うのは道理だろう。
セーラはそんなことを思いつつ、周りを注意ながら丘へ向かった。
丘を登り切ると、先客がいた。
見たことがない人だ。やってしまった、とセーラは思って踵を返そうとしたが、気付くのが遅れたためか先に相手に気づかれてしまった。
「村の人かい?」
無視はできない。
「そうです」
「ここは風が気持ちいいな」
そう言いながら焦がれたように南へ向けられた目を見て、セーラは自分となぜか重なって見えて言葉が出なかった。
片膝を立てて座る男は、三十歳過ぎくらいだろうか。引き締まった身体をしており、レグルスよりも長い髪を後ろで一つに括っていた。精悍ではあるが、少し疲れも見えるその顔は、真っ直ぐに南を向いている。着ているものはあまり質の良いものとは言えないようだが、南の村の住人も同じなので違和感はない。右手の側に立てかけられた槍と、胸当てが戦う者であると予想させる。
男は、セーラの返答がないことが気にならないのか、南を見遣ったまま言葉を続けた。
「この先に何があるのか知ってるかい?」
セーラははっとした。この男は、もしかして知っているのだろうか。
「ううん。私は知らない」
「そうか。俺も知らない。誰一人知らないんだ」
「誰も?」
男が知らないだけでなく、誰も知らないことだとは思わなかった。誰かが知っていると思っていた。
でも確かに、知識の館に言われた、セーラに与えられた『すべての知識』の中からはその答えは出てきてはいないのだ。何度か試してみたが、そもそもないのか、それとも紐付きがないのかすら分からなかった。
「そう、誰も知らないんだ。ワクワクしないか?!」
そこで、男は初めてセーラを見た。
セーラは少し離れたところで、大樹の影になるところで立っていた。
「なんだ、変な格好だな。この村の女にはそういうのが流行っているのか?」
怪訝な顔をするが、セーラの髪や目の色には気づいていないようだ。
「あまり見られるのが苦手なの」
原因は言わず、かつ嘘はつかずに答えた。我ながらうまく説明したとセーラは心の中で自画自賛する。
「そうか。それより、南の村の連中は南に行ったやつがいないって聞いたけど本当かい?」
「うん。南へ行って戻ってきた人もいないもん」
「それも聞いた。南で何してんだろうな」
男はにっと笑ったが、セーラは笑えなかった。
「帰って来られないってことは、何かが……あったんだと思うけど」
セーラの中ではもちろんそれは、死を意味した。しかし男はそうではなかったようだ。
「ああ、俺は、何かいいことがあって帰ってきたくないんじゃないかって思うんだ」
「何かいいこと?」
「そう。きっとあるよ」
そう言って笑った男の目に影がかかるのが見えて、セーラは少し怖くなった。
「あなたも帰って来ないの?」
「ああ、俺は帰らない」
珍しい答えだった。村人から聞く限りでは、他の人は財宝を求めに行ったり、真理を探しに行ったり、幻の何とかを見つけに行ったり、いつかは帰ってくると言って出て行って帰って来なかった連中ばかりだ。
それなのに、この男は南に良いことが何か待っていて、そこで暮らすのだと言う。
セーラは、また少し怖くなって後ずさりした。
「……じゃあ、気を付けて」
それだけ言って帰ろうとすると、男が声を掛けた。
「待って」
じっとセーラを見つめる目が怖くて、フードを押さえて見られないようにした。
「あ、見られるのが苦手だったって言ってたな。すまん……」
目を逸らしてまた南を見つめた男は、呟いた。
「俺はガロイ。ガロイが南へ行ったってこと、頭の片隅で覚えておいてくれたら、と思ってな」
理由は分からないけれど、この男には南へ行く理由があるのだろう。その理由は分からなくても、ガロイが誰にも言わずに南へ行くのだということが分かり、セーラはガロイの横顔を見ながら頷いた。
「分かった、ガロイ。私はセーラ。ガロイが、春の終月の最後の日に、村に立ち寄って南へ向かったこと、覚えとく」
ゆっくりそう言うと、ガロイが少し唇を震わせながら、ありがとうと言った。
南を見たまま何かを思う男に、怖さを感じながらも幸運があるようにと願って、セーラはその場を後にした。
書き方の練習は、一度してからずっとできていないままだった。
そして、その男と話をしたことも、誰にも言えなかった。
言えないことがどんどん増えていく気がして、セーラは少し悲しくなった。




