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終わらない物語 - Beyond -  作者: irie
第一部 初めてとの出会い
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第一章 初めての旅 第十一話

 南の村の最南端にある丘に、まるで守るようにそびえ立つ大樹がある。セーラはその大樹の根元に、片膝を抱えて腰を下ろしていた。

 そして、先日の出来事を改めて思い出していた。

 あの後、ソジュとレグルスは大変だったようだ。

 意識を失ったセーラは、ソジュに抱えられて宿に戻った。雨の降る夕方、視界が悪い街の中を走って戻り、宿で待っていたレグルスは驚いて医師を呼びに行ったらしい。

 セーラは全く目を覚まさず、顔は蒼白で脂汗が引かなかったようだ。

 慌てて医師を呼んだは良いが、セーラに触れさせるわけには行かない。セーラの事情を知らない医師に、診せることもできないという事実を、ソジュとレグルスは改めて突き付けられたのだ。

 口頭で症状や経緯を、怪しまれながらも何とか説明した。医師の診立てでは、疲れじゃないか、と至極曖昧な診断だったが、ソジュやレグルスはそれ以上とやかく言えなかった。とにかく汗を拭いて一旦寝かせることにした。

 しかし、翌日も目を覚まさない。

 二人とも不眠状態だったが、翌日行う予定だった買い出しなどの仕事は全て取りやめ、馬車でセーラを連れ帰った。

 なるべく休憩を挟まず、雨の後でぬかるんで進みにくい道を急いで南の村まで戻ったらしい。

 馬車の荷台で寝かせられたセーラは、それでも目覚めなかった。

 村に到着してから医療部の医師や薬師に診てもらったが、領都の医師が下した診断よりましな答えはなかった。とりあえず栄養を補助する薬剤を与えられて、セーラはずっと眠っていたらしい。

 華奢な割に病気をしたことがほとんどなかったため、両親は今までに無い娘の状態にとても心配したようだ。

 意識を失って五日目の朝、ようやくセーラは目を覚ました。

 それが、昨日のことだ。

 目を覚ますと、気持ち悪さや吐き気、頭痛や身体の痛みはすっかり消えていた。知識が身体に馴染んだのだろうか、とその時セーラは思った。

 五日も経っていたことに驚いたが、身体が乾ききっていたことと、お腹が減りすぎていたことが証拠だった。

 セーラは、ベッドの上で母親の作ってくれた食事をとりながら、ソジュに説明をした。

 もちろん、全部ではない。文字を学んでいる途中に気分が悪くなったこと、そして、文字は覚えたということだけだ。

 いつも警備部や狩猟部の隊長として厳しい顔をしているソジュが、安堵したのか珍しく相好を崩す様子を見て、セーラはこれ以上心配を掛けられないと思ったのだ。

 レグルスも夕方立ち寄ってくれて、安心したように頭をなでてくれた。

 迷惑を掛けた謝罪をすると、ソジュもレグルスも首を振って大したことじゃないと言って笑う。

 セーラは守られている安心とありがたみに、謝罪ではなく、しっかりと二人に感謝を伝えた。それが大切だと思ったのだ。


 そうして、日常が戻ってきた。

 大樹に身体を預けたまま、南を見つめてセーラは思う。

 知識を得た感覚はあったが、それをどう使っていいのかはセーラには分からなかった。

「もう一度、館に行きたい……」

 独り言ちてみたものの、恐らく、この先セーラは二度と行けない。文字を覚えることがセーラの本来の目的で、その後は二か月後にある十五の儀を終えたら、見習いではなく本格的に村のために仕事をしていくのだ。

 村のことは大好きだから、それに不満なんて一つもない。むしろ大歓迎である。

「村の人の役には立ちたいもん。でも、このもやもやをスッキリさせたい……」

 誰もいないことをいいことに、セーラは髪の先をいじりながら独り言を続けた。独り言を言うと少し気が楽になるようで、癖になりそうだ。

 ふふっ、と傍から見れば不気味にも見え兼ねないが、一人微笑むと、セーラは立ち上がった。

「わあああああああ!!!」

 大きな声を腹の底から思い切り出した。

 南からの風で、髪がなびく。顔にかかるのもお構いなしに、もう一度大きく息を吸い込んでセーラは大きく叫んだ。

「ああああああああああああああああ!!!」

 吸い込む量が多かった分、先ほどより声が続いた。

「……。あ~、すっきりした」

 そう独り言を言いながら、再び腰を下ろす。自分にはどうしようもないことをぐるぐる考えていても、分からないことは分からないし、知ってしまったことは忘れることはできない。

 館に行きたいのも本当だし、館に聞きたいことが山ほどあるのも本当である。自分がどのようにしたらいいかの術を問いたい。点在した知識を使いこなすことも難しい。

 でも、言ったところで叶うことは恐らくないだろう。その中で変な思考に巻き込まれて、息が吐けないような、そんな生活を送る気はまったくないのだ。

 凝り固まった肩を回してほぐしながら、セーラは、よし、と頭と気持ちを切り替えた。

 元来持っていた楽観的な性質と、恐らく人と違うところから生まれた諦めの早さと切り替えの早さが、珍しく気鬱に思い悩む自分自身を払拭できたようだ。

 叫ぶことで身体の中の空気が入れ替わったのか、館が言っていたことをふと思い出した。

「あれ? そういや、知識の使い方について何か言っていたような……」

 

『主が委細任せるようにと……』


 ふっと館の中の光景を思い出す。

 ——そうだ。館様には主がいて、その主が私に知識を与えるって言ってたんだっけ。

 しかし、もう領都に行くことはないだろう。知識の館に行くのは、他の子と違って一度だけになるかもしれないのは分かっている。

 そして、セーラ自身ももう他の人たちに迷惑を掛けたくは、ないのだ。

 ——仕方がない仕方がない。

 とりあえず、皆と同じように文字が読めるようになったことは確かにありがたいのだ。

 行く前は一日やそこらで覚えられるかどうか不安だったが、覚え()()()()()ことの中では一番の感謝だ。

 もう一つは、ここから南が未開だということが分かったことだ。あの地図はセーラには衝撃的だった。不思議と好奇心を搔き立てられた。

 セーラが国の最南端と言われる南の村に住んでいるからかも知れない。国境が南の村だと思い込んでいたけれど、南に国境はなかったのだ。

「大樹様、あなたは南に何があるのか知ってる? 領都で地図を見たら、雲のようなもやが掛かってたよ。あの先に何があるんだろうね。皆が言うように何もないのかな」

 独り言にも飽きて、背中を預けている大樹に話しかけるように好奇心をぶつけてみる。

 もちろん返事が返ってくることはない。

 返事がないことにも全く構わず、セーラは気分が良くなって一層南に向ける目を凝らしたが、遠くの方に黄土色が煙るような気がするだけで緑の先に何があるかは分からない。

「あ、こんなところにいた!」

 突然、少女の声が聞こえた。

 カナエだ。

 白いエプロンに、染められてない生成きなりのワンピースを着ており、ワンピースの裾には五段ほど刺繍がぐるっと施されている。半袖の縁もだ。スカートのすそを持って丘を上がってくるカナエを、セーラは笑顔で迎えた。

「何だか久しぶりな気がするね」

「あら、本当に久しぶりよ。あんたが領都へ行ったのは、もう十日以上前の話じゃない」

 カラカラと、可愛らしい見た目にそぐわない笑い方をすると、カナエはセーラの隣に座った。

 カナエの黒いふわふわの髪は、上半分だけ後ろでまとめて編み込まれている。セーラより背は低いが、全体的にセーラより女性らしい丸みがあり、男の子には人気だ。ただ、男兄弟の中で育ったからか、彼女の言動は見た目と反して男勝りであっけらかんとしている。

 セーラはそんなところも好きだった。

「畑の方に行ったら、病み上がりだから四刻の鐘で帰ったって言われて、家に行ったら誰もいなかったのよ。あんたのことだからどっかふらふらしてんのかと思ったら、こんなところにいるんだもん。笑っちゃうわよ。だいたい、心配したんだからね! 元気になったなら何で会いに来ないのよ!」

 バシッと肩を叩かれて、セーラは顔をしかめたが、それを見てカナエはまた笑った。

 セーラも可笑しくなって笑う。

「ごめん、ごめん。もう大丈夫! カナエには会いたかったよ~!」

 そうカナエに抱き着くと、カナエはセーラの頭をなでる。

「五日も寝てたもんね。頭使いすぎてぶっ飛んだって?」

「違う!」

「そうなの?」

「いや……、違……わなくもないかも」

「あはははは!」

 二人で顔を見合わせて笑った。

「今日はカナエは畑……じゃなかったね、針?」

 カナエは、こくりと頷きながらスカートの裾を持ってセーラに見せる。

「ここ、この部分が難しくって時間かかっちゃった」

 南の村では、女の子は基本的に染めていない生成りのワンピースを着る。それに手仕事で刺繍を施していくのが教育の一つなのだ。

 十五の儀を終えて大人の仲間入りをすると、染めた糸で織られた布で服を作る。糸を染める仕事は南の村ではしていない。荷送部が買ってきた布を使うのが一般的だが、生成りの布よりも染められた布の方がもちろん高価なため、大人だけとされているのかもしれないとセーラは思っていた。

 セーラも同じようなワンピースだが、それぞれ刺繍糸の色や図柄で違いを出すのだ。セーラのワンピースは、裾に小花が散ったようなあしらいになっている。一つ前のワンピースよりも上達したと自画自賛しているお気に入りのワンピースだ。

「あとさ、十五の儀がもう二か月後なわけよ。知ってる通り私は他に男兄弟しかいないから、お下がりがないの。夜は母さんと一緒に仕立ててるんだけど、本当に難しくって……。晴れ着と普段着と両方作らないといけないでしょ? セーラんとこはどうしてんの?」

 カナエは針仕事が苦手だ。兄と一緒に狩猟部に入るのだと幼い頃に両親を困らせたころから知っているセーラは、カナエが苦手なことを頑張っていることも知っている。

「私のところは、晴れ着は時間がなさそうだから先に母さんが作るって。お下がりがないのは一緒よ。仕立ては、文字を覚えてからするはずだったの。だから、今からだね」

「セーラは針仕事は得意だもんね」

「まあ、嫌いな方じゃないと思う」

 カナエに刺さらないように、セーラは肩を竦めながら婉曲的に言った。

 むーっとカナエが口を尖らせたが、本当にむっとしている訳ではないのはいつものことだ。この年代の女の子というのは、くるくると話が変わっていくものである。

 カナエはポケットから小さく折った紙を出すと、セーラに渡した。

「はい、読めるようになったんでしょ?」

 セーラは目を丸くする。心の底から憧れた手紙だ。

「私が最初に書くつもりだったのに……!」

「それ。私も同じこと思ってたから早いもん勝ちだね」

 セーラに向かって指を差しながらカナエが勝ち誇ったように言った。

「だから、返事をくださいな」

「うん! ありがとう、カナエ」

「あ、手紙なんだから今開けちゃ駄目だよ」

 すぐに開こうとしたセーラの手がペシっとはたかれた。

 また二人で笑って、セーラは大事にエプロンのポケットにしまう。

 カナエはそんなセーラの横顔を見つめると、少し検分するように目を眇めた。

「セーラ、あんたまた少し瘦せたんじゃない?」

「あれ? そう?」

 頬に手をやってセーラが逆に尋ねる。自分の感覚としてはあまり違ってはないような気がするし、ご飯もしっかり食べている。

「何か、少し顔が……、なんていうか大人っぽくなった気がする」

「う~ん、自覚はないんだけどな」

「それ以上華奢になったら、消えてなくなるよ。ま、羨ましいとも思うけど」

 自分の二の腕をぷにっとつまみながら、カナエは笑った。

「それ、私も同じだから」

 セーラは胸を押さえて言う。

「あはははは!」

 二人でひとしきり笑った。

 セーラは、カナエがいてくれて一緒に笑うことで、どんどんと晴れていく自分の内側に安堵した。友達は本当に大切だと改めて思ったのだ。

 そして、話始めると女の子は止まらない。

 自分達が入った大樹の影が大きく伸びていたことに気づき、二人は慌てて立ち上がった。

「夕飯の手伝いをしないと、母さんに雷落とされる!」

「私もだ!」

 走って丘を下る時に、セーラは知識が入ってきたお腹の辺りがチクっと痛くなったような気がしたが、気のせいだと思うことにした。

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