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スターリンの足跡

作者: 星賀勇一郎
掲載日:2025/10/14





保坂は紺のスーツの胸のポケットに真っ白のチーフを差し、ゆっくりとソファに座った。


政治家はイメージが九割だと先輩議員に教わったのは、もう二十年も昔の事だが、それだけは今も鮮明に覚えていて実行していた。


「保坂大臣……。今日の予定ですが」


横に立つ秘書の松原はプリントアウトされた予定を読み上げた。

いつもの事で、別に覚える必要もなく、秘書と一緒に行動するのだから。


「あと、少々ネットの方で騒がれている事がありまして……」


「ネット……。何かあったのか……」


松原はインターネットからプリントアウトした紙を保坂に渡す。


「先日、狙撃された田尻議員と交流のあった大臣に対して、殺害予告が出ているらしいのですが……」


保坂はそれを鼻で笑うと足を組んだ。


「田尻は金を受け取っていたのだろう。私はそんな事はしていない」


そう言うとテーブルの上のお茶を飲んだ。


田尻光太郎代議士はクリーンエネルギーセンター開発の一件で、賄賂を受け取り、それで私腹を肥やしていたらしい。

しかし、去年の暮れのある日、何者かに射殺された。

その犯人はまだ捕まっていない。


「それは秘書の私が一番理解しております。しかし、世間ではそう騒がれているようでして、十分にお気を付けてください」


保坂は何度か小さく頷き、湯飲みをテーブルに戻した。


「本日は子供たちとの交流もありますので……」


それこそ、クリーンなイメージの政治家の絵だ。

保坂はそう考えてニヤニヤと微笑んだ。


「松原……政治家は四色のネクタイを使い分ける。それは知っているか……」


秘書の松原は首を傾げる。

保坂は今している赤いネクタイをベストから引っ張り出して見せた。


「情熱の赤、冷静の青、お祝いの白、そしてお悔やみの黒だ。議員になった時に先輩議員にその四色を買えと言われたよ。それだけ持っていれば何にでも対応できると言われてね」


松原はじっと保坂の顔を見て、自分のネクタイに目を落とす。

黄色のネクタイをしている松原は慌ててそのネクタイを隠すように上着の前を合わせた。


保坂はそれを見て笑った。


「今日は民衆の前に立つ日だ。そんな日は情熱の赤を選ぶ。君も議員を目指すのであればそれくらいは考えろ……」


保坂はゆっくりと立ち上がる。


「さあ、そろそろ時間だろう……。その病院へ向かおうじゃないか……。私を狙撃する理由があるのであれば、狙撃してもらおうじゃないか……」


傍に立つ松原の肩をポンポンと叩き、声を上げて笑った。






国立こども病院。

難病の子供たちを受け入れ、治療するための病院として作られた。

その設立にあたり、尽力したのが保坂正義議員だった。

そしてその計画から十年程の年月が過ぎ、保坂は大臣となり、多くの国民の支持も受けている。

しかし、光があれば影がある。

保坂の政策で犠牲になった者たちも少なくなかった。

この国立こども病院の設立ばかりを目標に掲げていた陰で、難病の支援を受けられなかった子供たちも多くいて、そのために保坂を恨んでいる者もいた。


じっとその大きな新しい病院を見つめる男がいた。

早田武夫。彼も保坂を恨むその一人で、幼い一人娘を一昨年の秋に亡くした。

そして同じように保坂の政策の中で子供を犠牲にした仲間たちとネット上で知り合った。

その仲間が今日、保坂を殺すという。







「どうしても我慢ならんのです……」


榑松は握った拳と声を震わせながら言う。

その様子を早田はすぐ傍で見ていた。

早田も似た気持ちで過ごしてきた。

しかし、保坂を殺したところで娘は戻ってくる訳ではない。

そう自分に言い聞かせて、その気持ちを抑えていた。


「榑松さん……。気持ちはわかりますが……」


ソファで足を組んで座る吉井は、じっとその榑松を見て静かに言う。


「吉井さんだって同じ気持ちでしょう」


榑松は吉井に食ってかかるように声を荒げた。


「大丈夫です。皆さんに迷惑はかけません……」


そう言うと目を伏せて微笑む。

そして腰に挟んだ拳銃を抜いて見せた。


「榑松さん」


早田は思わず声を上げた。


「早田さん……。良くして頂いたのにすみません……。私にはもう、これしかなくて……」


榑松は頭を下げて、部屋を出て行った。


早田は慌てて吉井に言う。


「良いんですか……。吉井さん」


吉井は顔色一つ変えずにソファで足を組み直した。


「彼を止める事なんて出来ますか……。もしかしたら自分が榑松さんになっていた可能性もあるんですよ……」


「しかし……」


吉井は組んだ足を解き、身を乗り出した。


「早田さん……。私たちに出来る事は、彼を見守る事くらいです。そうしてあげませんか……」


「吉井さん……」


早田は眉を歪めながらそう言うと、部屋を出た榑松の後を追いかけた。






大きなダンプカーが何台も通り、砂埃が舞っている。

早田は病院の横の空き地に入って行くダンプカーを気にしながら、榑松が現れるのを待っていた。


保坂がここに来るのは昼頃の予定になっている。

時間にはまだ早い……。


使い込んだ腕時計を見ながら、コートの前を合わせた。

そしてポケットを探るとクシャクシャになったタバコの包みを取り出し、咥えた。

強い風の中で火をつけると煙を吐いた。


勢いよくダンプカーが走ってくる。

その度に砂埃を巻き上げる。

早田は目を細めて周囲を見渡していた。


榑松さんが保坂を狙うなら今日しかない……。

しかし、どうやって保坂を撃とうとしているのだろうか……。


早田は今一度、大きな病院を見上げた。


この病院で治療してもらえたのなら、たとえ娘が救われなくても保坂に感謝していたのだろうか……。


早田はそう考えるとおかしくなり苦笑した。


何処から来るのか、ムクドリたちが群れをなして街路樹から街路樹へと移っていくのが見える。

その独特な鳴き声は子供の頃から聞き覚えがあり、懐かしく思えた。


またムクドリたちが別の木に飛び立つ。

その時だった。

走ってきたダンプカーのミラーにそのムクドリに一羽が当たり、早田の前に弾き飛ばされた。

早田はそのダンプカーを見て、足元に転がったムクドリに視線をやった。

苦しそうに嘴を震わせている。

咥えたタバコを投げ捨てると、膝を砂埃で汚れたアスファルトに突いて、両手でそのムクドリを拾い上げる。

もう飛ぶ事は出来ない事はその瞬間にわかった。

そしてその温かい体温を掌で感じた。

ムクドリは小刻みに体を震わせると、ぐったりと息を引き取った。


同じだった。

早田の娘が息を引き取る時、同じように早田の腕の中で小刻みに体を震わせ、早田にその体の重みを預けるように死んで行った。

早田はそれを今でも覚えている。

覚えているのではない。

忘れる事が出来ないのだ。


まだ温かい体なのに、もう死んでしまっている。

そう考えると早田は鼻の奥がツンとするのを感じた。


早田は空き地の金網に背中を付けて座り、両手に乗せたムクドリをじっと見つめた。


「おじちゃん、その鳥さん、どうしたの……」


そんな声に顔を上げると小さな女の子が、覗き込んでいた。

早田は泣いている事を気付かれないようにその少女を見た。


「ダンプカーにはねられて死んじゃったんだ……」


早田は両手でムクドリを包み込むようにして少女から隠した。

死んだモノを見せてはいけない。

咄嗟にそう思ったのだ。

しかしそれ自体が正しい事なのだろうかと思い、再び手を開く。


「死んでるの……」


「ああ。まだ温かいんだよ。けど、死んでしまってるんだよ」


少女は躊躇せずに手を伸ばし、息絶えたムクドリの体を撫でた。


「鳥さんも、この病院で診てもらえれば助かったのかもしれないのにね……」


少女は早田の前に座り込んで言った。


「私ね、この病院で診てもらって病気が治ったのよ……」


少女はすっと立ち上がった。


「だからね、今日、保坂大臣にお礼を言いに来たの」


早田は複雑だった。

素直に「良かったね」と言えない自分がいることに気付く。

少女に小さく頷いた。


そして早田は立ち上がると、歩道に植わる街路樹の根本にムクドリの亡骸を置くと、その土を手で掘り始めた。


「何してるの……」


少女はまた早田の隣に来て訊いた。


「鳥さんを埋めてあげるんだよ……」


早田は道に落ちていた板を拾うと、その板で土を掘った。


少女は座り込んでその様子を見ていた。


ある程度の深さまで掘ると、早田は少女に微笑んだ。


「早く生まれ変わって、また空を飛べると良いね」


少女は街路樹の根本に置いたムクドリの亡骸を撫でた。


早田は少女に微笑むと、そのムクドリを掘った穴の中にそっと置いて、土を被せて行く。

すると少女は立ち上がって病院の方へと走って行った。


見るに耐えなかったか……。


早田は少女の小さな背中を見送った。

娘も生きていればあの子と同じように笑顔を見せてくれたのだろう……。


早田はムクドリの亡骸を埋めた土の上を掌でパンパンと叩いて固めた。


「おじちゃん」


少女の声に早田は振り返った。

そこには一輪の花を持ったさっきの少女が立っていた。


「大臣に渡すお花を一つ持ってきた……」


そう言うとムクドリを埋めた場所にその花を置いた。


早田は自然に溢れてくる涙を目頭に溜めて、少女と一緒にムクドリの墓に手を合わせた。


「マユ、マユちゃん」


病院の方から声が聞こえた。


「あ、ママだ」


少女は立ち上がって早田に微笑むと病院の方へと走って行った。


早田は振り返り、若い母親に手を引かれて病院へと入って行く少女の姿を見て微笑んだ。


そして土で汚れた手を払うと、ポケットからタバコを出して咥え、火をつけると晴れた高い空を見上げる。






早田が理事長室のドアを開けると、ソファに座っていた吉井は顔を上げた。


「早田さん……。どうしたんですか、こんな朝早くに……」


吉井は慌てて立ち上がった。

そして吉井の向かいに座る男は早田を見る事もなく、ゆっくりと背もたれに寄りかかる。


「お客様ですか……」


早田は吉井に訊いた。


「あ、ああ……」


バツの悪そうな吉井に早田は目を細めた。


「じゃあ、そういう事でよろしく頼むよ、吉井君」


男は太い声でそう言うと脇に置いたコートを手に取って立ち上がった。


「はい……。承知致しました。後はお任せください」


吉井は丁寧にその男に頭を下げた。


男は早田の横をすり抜ける様に理事長室を出て行った。


神野誠二郎……。


早田にも見覚えのある顔だった。

保坂の一派と対立する政治家で、保坂の存在のせいで大臣になれなかったと言われる男だ。


吉井は神野を見送るとそそくさと自分の机に座った。


「どうしたんですか……。こんな時間に、約束も無しに来られては困りますよ……」


吉井は机の上の資料に目を通しながらそう言う。


「すみません……。急いでいたモノで……」


早田はゆっくりと吉井の机の前に立った。


「今日、保坂が国立こども病院の設立記念式典に出席します。榑松さんはそれを狙うのではないかと……」


早田の言葉に吉井は手を止めて顔を上げた。


「既に彼は、この協会の会員ではありません。彼が何をしようと私には関係ありませんよ」


早田は身を乗り出して吉井の机に両手を突いた。


「吉井さん……」


吉井はその早田の言葉を遮る。


「良いですか、早田さん……。うちは被害者の会であって、復讐する会では無いのです。そんな過激な事を考える人を協会においておける筈ないじゃないですか」


早田はじっと吉井を見つめた。


「それに、榑松さんは拳銃を持っていた。それだけでも犯罪です。犯罪者を会員にしておく訳にはいかない。それくらいはわかるでしょう……」


目が泳いでいる吉井を早田は睨むように見ていた。

そして机に突いた手を離した。


「黙ってビラを配っていれば、金になるんですね……。そして榑松さんが保坂を殺してくれれば、神野議員が次の大臣になれる……。そうすればもっと金になる……」


早田はゆっくりと理事長室のドアへと歩いた。


「我々はあなたに金儲けの道具にされた……。いや、我々じゃない。我々の亡くした命……ですね……」


「早田さん……。何を言ってるんだ……」


吉井は声を荒げた。


「すみませんね……。私も退会させてください……」


早田は勢いよくドアを開けて出て行った。






早田は、短くなったタバコを足元に捨てるとつま先で踏みつけた。

そして病院の敷地へと入って行った。


街路樹の下で黄色い花びらを付けた花が強い風に揺れていた。






保坂の乗った車は大通りをゆっくりと曲がり、病院のある通りに入った。

再開発地域は埃っぽい風を巻き上げ、工事車両でいっぱいだった。


「松原君、式典はどのくらいかかる」


松原は同じ事を何度も説明する事が嫌で仕方なかった。


「聞いているのかね、松原君」


保坂は返事がない事に苛立ちそう言った。


「あ、すみません。保坂大臣は半時間もおられれば良いかと思われます」


その言葉に保坂は後部座席に体を沈めた。


「先程、病院から連絡が入りまして、あの病院で第一号の患者である少女から、大臣に花束のプレゼントが準備されているようですので……」


「花束ね……。紙の束の方が私は好きなんだがな……」


そう言うと嫌らしく笑う。


車窓からは国立こども病院と書かれた大きな建物が見え始めた。


「ほう……。あれか。立派な病院じゃないか……」


何度も写真を見せているのに……。


松原は顔を震わせながら自分も、その病院を見た。


「白い巨塔とはよく言ったモンだな……」


保坂は声を上げて笑った。






保坂の乗った車は病院の敷地内にゆっくりと入って行った。

スロープをゆっくり上り、そのスロープの両側に集まった民衆に保坂は手を挙げて挨拶をした。


車は病院の正面玄関の前に停まり、先に降りた松原が後部座席のドアを開けた。


保坂はゆっくりとコンクリートの地面を踏みしめて車を降りた。


その瞬間、周囲から歓声が起こった。






早田はその民衆の中から榑松の姿を探す。

しかし、何処にも見当たらず、首を伸ばして更に探す。


正面玄関の前では誇らしげに手を挙げて周囲に微笑む保坂の姿があった。


出来る事なら俺も保坂を殺したい……。

けど、違うんだ、榑松さん……。


早田は心の中でそう叫びながら榑松を探した。






榑松は膝に肘を乗せて体を揺すりながら、手術室の前で険しい表情で手術中のランプが消えるのを待っていた。

その榑松を見つけて早田は足早に近づいた。


「榑松さん」


早田は息を切らしながら声を掛ける。

それに気付き、榑松は立ち上がった。


「早田さん……」


「どうですか」


榑松はゆっくりと首を横に振った。


「一割に満たない成功率だと先生から説明がありました」


そう言って力なくソファに座った。


「それでも……。たった一割でも可能性があるのであれば……」


榑松はゆっくりと手術中のランプを見上げた。


「それって親のエゴなんですかね……」


「榑松さん……」


早田は俯く榑松の横に座って肩に手を添える。

早田は自分が娘を亡くした時の事を思い出していた。

榑松の心中が他人事ではない気がしてならなかった。


安易に「大丈夫」とか「絶対にうまく行きます」なんて言葉を掛ける事が出来ないのは早田も知っていた。

そんな言葉がなんの気休めにもならない事は早田が一番よくわかっていた。


俯いている榑松を尻目に早田はゆっくりと手術室のランプを見上げた。

その瞬間、ランプが消える。


「榑松さん……」


早田は榑松の背中を叩き、ランプが消えた事を教えた。

榑松はゆっくりと立ち上がった。


「佳織……」


榑松からは娘の名前が自然と漏れる。


その後すぐに白衣姿の医師が手術室から出てきた。

そして榑松に一礼した。


「残念ですが……」


その医師は榑松の顔を見るなり、小さな声で言い俯いた。

それと同時に榑松は声にならない吐き出すような息を吐いて、リノリウムの床に膝から崩れ落ちた。


早田はその榑松の横で掌に爪が食い込むのを感じていた。






保坂は四人の警備員に囲まれて、集まった民衆に挨拶をしていた。

そんな保坂の口から出る綺麗事など早田の耳に入る筈もなく、そんなありきたりな演説めいた話を雑音に感じながら、群衆の中に居る筈の榑松を探した。


榑松さん……。


早田が立つ場所の反対側に榑松らしき影を見つけた。

早田は急いで人並みを掻き分けて榑松の方へと進むが、上手く移動する事が出来なかった。


「榑松さん」


早田は大声で叫ぶが、その声も民衆の声にかき消されてしまう。

その時だった。

大きな歓声が起きた。

早田はその歓声に保坂を見る。

保坂の前にさっきの少女が花束を持って立っていた。

その花束にはムクドリの墓に備えた黄色い花が揺れていた。


少女は保坂に抱かかえられ、その姿を報道陣のフラッシュが照らす。


「保坂大臣さん。私の病気を治してくれてありがとう」


少女はたどたどしくそう言って花束を保坂に渡した。

保坂は政治家特融の作った笑みを浮かべて、その花束を受け取り、報道陣のフラッシュの光を浴びた。

しかしその笑顔はゆっくりと消え失せる。

そこには拳銃を構えた榑松が立っていた。


「榑松さん……」


早田は慌てて民衆を掻き分けて前に出た。

同時に民衆は叫び声を上げて後退る。


「保坂……」


構えた銃口は真っすぐに保坂の方を向いていた。


警備員たちは慌てて近付こうとする。


「下がってろ」


と、言う言葉に動く事が出来ない。

そしてジリジリと保坂に近付いて行く。


早田はようやく民衆を掻き分けて保坂の前に弾かれる様に飛び出した。


「早田さん……」


榑松は早田の姿に驚き、一瞬気を抜く。

その隙に警備員が榑松へと近付こうとするが、我に返り再び保坂に銃を構えた。


早田は両手を広げて保坂の前に立ちはだかった。


「榑松さん……。どんな理由があっても子供に銃を向けてはいけない……」


早田は静かにそう言う。

そして、


「保坂大臣。子供を下ろして……。狙われているのはあなただ。子供を巻き込むな」


保坂はそう言われ、ゆっくりと少女を下ろした。


「何なんだ、貴様たちは……」


少女を下ろした保坂は早田の耳元で訊いた。


「アンタに子供を殺された者だ……」


早田は小さな声で答えた。


「私が殺しただと、馬鹿も休み休み言え」


保坂の傍にいた少女を母親が抱かかえ、その場にうずくまる。


「この病院のおかげで助かった子供もいる。しかし、その陰で何の支援も受けられずに死んで行った子供も大勢いるんだ。アンタを殺したいと思っているのは彼だけじゃない」


早田の言葉に保坂は拳銃を構える榑松を見た。


両手を開いたまま立つ早田に言う。


「早田さん……。どいて下さい。私はその男を殺して死ぬんです」


早田はゆっくりと首を横に振る。


「どかないとあなたも撃ちますよ……」


榑松は銃を構え直した。


「どきません……」


「私を殺して、どうしようと言うんだ。死んだ者は生き返らんだろう……」


保坂は声を荒げた。


「簡単に言うな」


榑松は吐き出すように強い口調で言う。


「生き返らせて欲しいんじゃない。死なせたくなかったんだ……」


そう言うとまた銃を構え直した。


「お前たちの仕方ないという言葉の陰で苦しむ人間がいる事。知ってるか……」


榑松はまた前に出た。


「仕方ないと見放され、命を落とす者がいる事を知っているか」


秘書の松原は、その光景を見てニヤリと笑った。


「俺はお前を殺す……」


榑松が銃口を保坂に向けた。


「榑松さん……。そんな事をしても何も変わりませんよ。保坂をあなたが殺せば、それを喜ぶ政治家がいる。それだけの事です。そんな事をしても誰も喜ばない……。死んだあなたの娘さんも……」


榑松はまた前に出て声を荒げる。


「うるさい」


「早田さん。あなたにはわかる筈です。私が何を求めているのか……。私が望んでいる事が何なのか……」


早田は顔を伏せた。

そして榑松を見た。

その瞬間だった。

榑松は銃口を自分のこめかみに押し付け、引き金を引いた。


「榑松さん」


早田は慌てて榑松に駆け寄る。

しかしそれは既に遅く、銃声が辺りに響いた。


民衆が叫び声を上げてまた後退った。


息絶えた榑松の傍に膝を突いて早田は拳を握った。


「人騒がせな奴だな……。ただじゃ済まさんぞ」


早田の後ろで保坂が口にした。

早田は立ち上がり、保坂の襟を掴んだ。


「保坂……。貴様を恨んでいる人間が他にもいる事を忘れるな……」


そう言うと突き放した。

保坂はよろけてコンクリートの上に倒れ込んだ。


早田はポケットに手を入れると病院を出た。


ふと街路樹の下に埋めたムクドリの墓に、数羽の仲間が集まっているのが見えた。

それを見て微笑むとタバコを咥えて火をつけ、また歩き出した。








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