婚約者シャブ漬け計画
剣と魔法の世存在する世界のとある学園の校舎の一室。
窓から差し込む光によって照らされたその部屋には、いくつかの机がコの字のような形で置かれている。
どの机もアンティーク調の美しいものだが、一つを除いて使われていないのか少し埃を被ってしまっている。
一番奥の最も豪華で唯一埃を被っていない机の主である少女ヴァネッサは一人、机の上に並べられたティーカップやポッドなどを片付けていた。
ポッドの中に冷めた紅茶が入っているが、ヴァネッサは気にも止めない。
「はぁ……パヴェル様……」
寂しげに愛しい婚約者の名前を呼ぶヴァネッサ。
しかし、その呼び声に答える者は誰も居らず、ヴァネッサが一人であるということを強調するだけだ。
本来ならば、パヴェルと楽しく話しながら茶会をする予定だった。
学園に入学してからは忙しいと断られることが多かったが、一週間ほど前にようやく約束を取り付けられ、久しぶりにパヴェルと談笑することが出来ると浮かれていた。
そのために今日の生徒会の仕事は早めに切り上げたし、茶葉もパヴェルの好みに合わせたものを用意していた。
しかし、茶会の時間になっても彼が現れることはなかった。
「もとよりご多忙な方……仕方ありませんわよね……」
そう呟き、自身を納得させようとはするが、やはり寂しさは拭えない。
むしろ孤独感は増し自身が一人であるということを実感してしまい、片付けていた手も止まってしまう。
「……ハッいけませんわ。気をしっかり持ちませんと」
二度ほど軽く自身の頬を叩いた後、換気でもしようかと窓辺に近づいたヴァネッサの視界にあるものが映りこむ。
「パヴェル……さ……ま?」
中庭で仲睦まじげに少女と話すパヴェルの姿だった。
自身の前では決して崩すことのなかった鉄仮面は外され、気恥ずかしそうに少女、シモーヌへと微笑んでいる。
二人ともお互いしか見えていないのだろう。
窓から覗いている婚約者のことなど気にも止めず、徐々に二人の唇は近づいていった。
深夜、月明かりにほのかに照らされた自室。
ベッドの上で赤子のように丸まったヴァネッサは考えていた。
あれはなにかの見間違いだったのではないか。
他人の空似であったのではないか。
寂しすぎて白昼夢でも見たのではないか。
一つの疑問符が浮かんでは消えるのを何度も繰り返し、ようやく認めることが出来た。
「失敗……かぁ……」
あまりのやるせなさに、この世界に転生してから一度も崩れることのなかった口調が崩れる。
「なんでなの……パヴェル様ぁ……」
ヴァネッサは前世、日本でとある会社で常務として働いていた。
しかし、ある日、突然クビを宣告されてしまったのだ。
失意の中ふらふらと家路についている最中、運悪くトラックにはねられてしまい、次に目が覚めると、自身が休日に寝る間も惜しんでやっていた恋愛ゲーム【どきどき★マギアスクール!】通称【どきマギ】の世界に転生していた。
一度死んだことなど、どうでも良くなるほど、狂喜乱舞したものだ。
転生したのが公式から『家柄と顔のみが取り柄』とまで言われたヴァネッサであっても。
「頑張ってきたつもりだったけどな……」
学力も、運動も、性格も、言葉遣いも、立ち振る舞いも、幼いころからパヴェルに見合うようにと努力し、ついには学園主席で入学し、生徒会長にまで上り詰めた。
血反吐を吐くような努力をしながら、定期的にパヴェルとの茶会を開いたり、一緒に市井に繰り出してみたり、誰よりも彼のことを考え、誰よりも彼のために生きてきたつもりだった。
親同士に決められた婚約とはいえ、彼のことを想えばいつか振り向いてくれるだろうと。
しかし、結果は惨敗。ヴァネッサとの十数年より、彼は学園で初めて出会ったこの世界の主人公、シモーヌを選んだ。
「どうして……? 私が主人公じゃないから……?」
このままではパヴェルをとられてしまう。
それだけは絶対に嫌だ。
「絶対に諦めない……」
憎悪にも似た暗い執着を瞳に宿すのだった。
翌日、目が覚めたのは昼頃だった。
絶対にパヴェルを取り返してやると誓ったものの、明確な計画は思いつかない。
「いまさら、学園に行っても……仕方がありませんわね……」
それにシモーヌとパヴェルが仲睦まじげにしている所なんて見たくない。
なんのアイデアも浮かばぬまま、遅めの朝食を終え、結局気晴らしに近くの草原へと繰り出した。
澄んだ空気が風と共に肺へと流れ込む。
誰が整えるでもなく、足首程度の高さで成長が止まった草むらには、ところどころに花が咲いている。
ここならば落ち着いて考えることが出来るだろう。
「どうしましょう。いっそのこと主人公を殺してしまう? ダメ。本来のストーリー通りじゃない。それに私が殺したことが、パヴェル様に露見したらまずい……」
独り言をぶつぶつと呟きながら歩き回っていると足元の花が目に付く。
ピンクのきれいな花びらで、花の中心の周辺は濃い紫をしている。
変わった色のパンジーのようなそれにヴァネッサは覚えがあった。
「これは……ケシ……だったかしら……」
確か前世に近所で見つかっただとかで、ニュースになっていたはずだ。
なんでも麻薬の材料になるだとか。
「……これですわ!!」
生い茂っていたケシを無造作に引き抜きぬいたヴァネッサは自邸へと走るのだった。
しばらく経って、あの日のようにヴァネッサはパヴェルとの茶会を準備していた。
特に理由がなければ、きっとあの日のようにすっぽかされてしまうだろう。
だから今回はとびっきりの話題を準備してきた。
そうこうしているうちに三度のノックの後、部屋の扉が開かれる。
「失礼、ヴァネッサはいるか?」
「はい、パヴェル様。お待ちしておりました!どうぞ!お座りください」
椅子を引き、パヴェルに座るように促す。
「ありがとう」
「ええ。かまいません」
パヴェルの紅茶を入れた後にヴァネッサも席に着く。
パヴェルはどこか緊張しているのか一呼吸おき、紅茶を一口飲んだ。
「……茶葉を変えたのか?」
「ええ、少しツテがありまして。少々苦みが強いのですが、いい風味でしょう?」
「僕は前のものの方が好きだがね」
そう言いつつも飲み切ったパヴェルは少し咳払いをし、話し出す。
「それで本題だが……」
「ええ!シモーヌ様との件について、お聞きしたいのです」
口にするのも忌々しいあの日の話だった。
「彼女について聞きたいとは?」
「最近、学園内で噂になっているのです」
何かを考えているような、焦っているような、そんな表情のパヴェルはティーポッドを手に取る。
そのまま少し震えながら、自身のカップに紅茶を注ぐ。
「なんでも、パヴェル様がシモーヌ様と逢瀬を重ねているだとか」
「それは……まったくもって根も葉もない噂だな」
「……ええ、そうですよね。根も葉もない噂です。まったくどこの誰が広めたのやら」
終始笑顔を崩すことのないヴァネッサ。
パヴェルもバレてないと思ったのだろう。
ホッとした表情でティーカップに口をつけている。
「そう噂……だと思っていました。先日までは」
パヴェルが置いたカップがカチャンと、ひと際大きな音を立てる。
「僕のことを信じてくれないのか!」
「もちろん、信じていました」
「なら! なんで!」
突然、感情的になったパヴェルは威圧するかのように机を叩く。
「この部屋からはよく中庭が見えるのです。パヴェル様」
「中庭?」
数瞬の思案の後、あの時のことを思い出したのだろう。
かつての鉄仮面はすっかりと剥がれ落ち、嫌悪と怒りの混じった表情でヴァネッサを見つめている。
「盗み見とは大した趣味だな!」
「それについては謝ります。申し訳ありません。ですが、一番の問題は私たちが婚約関係にありながら、学内にパヴェル様とシモーヌ様の逢瀬が広まってしまっていることです」
「は?」
困惑しているパヴェルと対照的に笑みを携えたまま、ヴァネッサは続ける。
「ですので!私たちの婚約を解消いたしましょう!」
ヴァネッサは手を叩きながらそう言い放った。
「……そのために今日、僕を呼び出したのか?」
「ええ!あっ! ご両親に関してはご心配なく! すでに話は通してありますので!あとはパヴェル様の了承一つで解消できますわ」
「……僕を怒らないのか?」
「怒る? ご冗談を! 想い人が新たな恋を見つけたのを、どうして責められましょう」
「あ……あぁ」
「私はいつだってパヴェル様の幸せを願っています」
「そうか……」
ようやくヴァネッサの言葉を飲み込めたのだろう。
落ち着きを取り戻したパヴェルは告げる。
「ありがとうヴァネッサ。婚約を破棄しよう。君が婚約者でよかった」
「……ええ。シモーヌ様と共に幸せになれること願っていますわ」
はじめて言われたその言葉をヴァネッサは強く噛みしめながら、空になったパヴェルのカップに目を細めながら目をやるのだった。
「♪~」
今日もヴァネッサは仕事を早々に片付け、鼻歌交じりに茶会の準備をし、ある人物を待っていた。
そこをいつものように三度ドアが叩かれる。
「ヴァネッサ!」
待っていた人物はもちろんパヴェル。
以前からは考えられないほど、嬉しそうにヴァネッサを呼んでいる。
婚約破棄をしたあの日以降、二人は定期的に茶会を行っていた。
最初こそ一週間に一度のペースだった茶会は徐々に四日、三日とペースを縮め、今では毎日二人は茶会をおこなっていた。
「パヴェル様!お待ちしておりました!」
パヴェルは小走りでヴァネッサの机に近づき席に着く。
「僕も待ちわびてたんだ!早く!早く淹れてくれ!」
「ええ。すぐにでも」
紅茶が自身のカップに注がれた途端、まるで砂漠での遭難者のように一気に飲み干してしまうパヴェル。
「違う……」
「え?」
「違う!!」
立ち上がりヴァネッサに掴みかかるパヴェル。先ほどとは違い、その表情には強い怒りが滲んでいる。
「僕が飲みたいのはこれじゃない!」
「あら? 毎日同じ茶葉だと飽きてしまうかと思い、以前お好きだと言っていたものを用意したのですが……お気に召しませんでしたか?」
「これじゃあダメなんだ!!」
「キャッ……」
そのままヴァネッサを突き倒したパヴェル。その目は焦点が合っておらず、全身をぶるぶると震わせている。
「あの……あの紅茶じゃないと僕……僕は……」
ぶつぶつと呟くパヴェルにヴァネッサは妖艶な笑みを浮かべながら囁く。
「あの紅茶、準備いたしましょうか?」
「本当か!?」
「ええ……ですが少しやって欲しいことがあるのです……お願いしてもよろしいですか?」
「あぁ!もちろんだ!なんでもする!」
「では……」
次の日。ヴァネッサはあの机に着き、書類を処理していた。
昨日までとは違い知的な雰囲気を漂わせる彼女のもとをノックと共に一人の来客が訪れた。
「失礼します」
「どうぞ。あら、シモーヌ様ではございませんか。どうかされましたか?」
「パヴェルを知りませんか? 今日一度も見ていなくて」
「パヴェル様ですか? 私も本日は見かけていませんわね……」
馴れ馴れしくパヴェルを呼ぶシモーヌに不快感を露わにするかのように、様を強調するヴァネッサ。
しかし、とくに気にした様子もなく続けるシモーヌ。
「そうですか。最近彼がここに来てるって話していたから、今日もそうかと思ったんですけど……失礼しました」
残念そうに去っていくシモーヌ。
扉が閉まったのを確認してから、ヴァネッサは舌打ちをする。
「チッ!不快な女! 絶対いつか殺してやる……ハッいけない、いけない。こんなんじゃパヴェル様に嫌われちゃう」
そう独り言を溢しながら書類仕事に戻るのだった。
日も暮れたころ、ヴァネッサは自邸の地下を目指し、手燭とティーポッドを持ち、階段を下っていた。
手職のキャンドルの火にしか照らされていない不気味な暗闇をヴァネッサはスキップでもするかのように降りていく。
やがて金属の格子のついた扉の前に着くとヴァネッサは声を上げる。
「パヴェル様―!今日の紅茶ですよ!」
「紅茶!」
扉がバンと叩かれ、格子から顔が見える。
パヴェルだった。
格子の向こうから血走った眼でヴァネッサが持ったティーポッドを見つめており、早くほしいという意思表示だろうか、バンバンと扉を叩き続けている。
「シモーヌとの別れの手紙はお書きになりましたか?」
「紅茶!!紅茶をはやく!」
「手紙がないなら、紅茶はお預けですわね……」
ヴァネッサがそういった途端ピタリと扉を叩くのをやめ、格子から一枚のくしゃくしゃの紙を投げ捨てるパヴェル。
「くしゃくしゃじゃあありませんか。全く……」
やれやれといった様子でくしゃくしゃの紙を拾い上げ、扉を開けたヴァネッサ。
ヴァネッサのティーポッドをひったくったパヴェル。
しかし、勢いのあまりか、震えのせいかそのままティーポッドを落とし、割ってしまう。
中の紅茶が少し薄汚れた石畳にシミを作っていく。
「あ!紅茶!こうちゃが!」
駄々をこねる子供のように言いながら、シミに顔を近づけ、ぴちゃぴちゃと舐めとろうとするパヴェル。
自身の舌にティーポッドの破片で傷が出来ようが、お構いなしだ。
「あらあら、仕方ありませんわね……もう一杯、作ってきますわね」
「ほんと!」
「ええ。だから、もう少しお待ちくださいね……愛しの……私だけのパヴェル様」
悪役令嬢転生婚約破棄モノのつもりで書いてみました。
どうしてこうなった……orz