1
春爛漫の晴天の下。
黄色い連翹の花が天へ向かって伸び伸びと咲く小径を、今上帝の第一公主である宵華は女官を従えて歩いていた。
後宮の中でもいっとう美しい花が咲き揃う徐花園。
今日はこれから皇帝主催の春の御宴が開かれるのだ。
龐朝は春を特に尊ぶ。
厳冬を乗り越えた祝宴には、普段は後宮に踏み入れるには皇帝の許可が必要な百官も招待され、一年の中で最も華やいだ宴になる。
紫丁香花や、碧桃、紅緋色の桃花といった華麗な花たちが競わんばかりに咲き誇り、馨しい香りがあたりに広がる。
宵華は身支度もそこそこに、簡素な装いでもうじき始まる宴を前に徐花園を散策していたところだった。公主に気付いた庭師や花木を整える官奴婢たちがその場で深く叩頭する。
「長耀公主様にご挨拶いたします」
長耀公主とは宵華の封号を指す。
「楽にして頂戴。邪魔をして悪いわね。花がどれくらい咲いたか楽しみにしていたのよ。」
朗らかに告げると、庭師は許しを得てから頭を上げ、笑顔で頷き返した。
「今年もよく咲いておりますよ。昨年は冬の嵐が長すぎてなかなか咲きませんでしたが…。皇帝陛下のご名声が天に届いた証でしょう。」
「そうね、違いないわ。お父様は素晴らしい方だもの。
北方の異民族の越境を御自ら食い止め、身を粉にして、民を守っていらっしゃる。まこと、誇らしい。」
昨秋、厳冬に備えて北部を巡幸していた今上帝のもとに、北鎮府より、北禮国が越境すべく兵を差し向けてきた報がもたらされた。
北鎮府は総出で攻撃をしかけているものの、敵兵との兵力の差は開く一方で、国境を侵される危険性があると聞いた今上帝はすぐさま馬上のひととなり、自ら剣を抜いた。そして護衛である兵たちを率いて、北壮原へ向かって馬を駆り、二日かかる距離を半日で駆けつけた。
北禮国の兵は突然現れた大嘉皇帝の姿に驚き、北鎮府軍は天の助けを得たとばかりに勢いをつけ、みごと北禮国を打ち破ったのだ。
それだけにあらず。
敵兵の大将であった男の首級をあげ、「朕が生きたるうちは、何人たりとも我が大嘉を侵すことこれ赦さず」と声高に宣言し、逃げてゆく北禮国兵の最後の一兵の姿が北荘原から見えなくなるまで、北鎮府軍を叱咤激励し、城砦の士気を高めたのだという。
都の人気劇団が連日のように今上帝の活躍を演劇で広め、その話を知らないものはいないくらいだ。
好々爺然とした庭師は、「そうでしょうとも」と微笑んだ。
「天も、皇帝陛下のご活躍を喜んでいることでしょう。これほどみごとに晴れやかな日は久しぶりですからね。
——あぁ、みごとに、で思い出しました。
長耀公主様、垂微園の白蓮花が花を咲かせたのです。是非、足をお運びください。真っ白な花が青天に映えて、絵のようでございますよ。」
「まぁ本当?あとで行ってみるわ。有難う」
礼を述べると、傍に控える女官が「公主様」と口を挟む。
「目下の者へ、そのように気軽に礼などしてはなりません。
あなた様は皇帝陛下のご寵愛深い公主様であらせられるのです。
貴い身分であることをご自覚なさってください。」
ちらり、とその女官に視線を送る。あまり見たことのない女官だった。
(またあの女の仕業かしら)
「あなた、名前は?」
「京荷と申します。」
「そう。では、京荷。忠言だと思って聞いておくわ。
ただ、受け入れるべきか判断するのはわたくしよ。
この大嘉では、奴婢も庭師も人民であり、物ではない。ゆめゆめ忘れないことね。」
(あなたの本当の主人は、忘れているようだけれど、ね。)
悔しげに一瞬顔を歪ませた京荷は、しかしすぐ元の表情に戻り、「しかと受け止めます」と一歩退がり、礼を執った。
甜點と冷茶を用意していることを伝えると、わぁっと嬉しそうな声が上がった。恐縮したように頭を下げる庭師と別れ、小径を進むと、御宴の準備がちょうど終わり、臨席を許された妃嬪たちが色鮮やかな衣を緑風に遊ばせながら、談笑しているところだった。普段は天子の箱庭たる後宮におさめられている美姫たちを、居並ぶ百官たちが驚嘆まじりに見惚れている。
「あら、宵華お姉様」
指定された席へ腰を落ち着けた宵華に、声がかかる。
声の主に目を向けると、豪奢な装いに身を包んだ異母妹・琴麗が鮮やかに絵付けされた絹団扇を手に、得意気に微笑んでいた。
「ご機嫌よう。宴に出るとは思えない装いね?」
じろじろと全身を眺め、団扇の陰でふっと嘲笑う。
宵華の今日の装いは琴麗や妃嬪たちの装いと比較すると、かなり控えめな格好だ。
小さく桃花と胡蝶が織り出された上襦は碧玉石色。
胸まで引き上げられた襦裙は、水縹色。
腕にかけている金糸で意匠が施された被帛は蝋白色で、
柔らかな印象になるような色合いでまとめられている。
対する琴麗の装いは、玫瑰を思わせる紅色の衣装で、大袖には白牡丹が咲き、艶やかな髪には金銀の歩瑶が煌めく。皇后所生の公主らしく、美しく華麗な装いだ。
この御宴は、公主にとって降嫁先を見繕う良い機会なのだ。
公主は、ゆくゆくは夫となる駙馬を迎え、後宮を出て行かなければならない。
宵華は十八歳、琴麗は十七歳になる。
そろそろそういった話が出てもなんらおかしくはない年頃だ。
いまはまだ父帝が、溺愛する公主たちを手元に置きたがっているが、特に琴麗の生母である韋皇后は良い縁を結ぼうと躍起になって、名だたるいくつかの権門貴族へ文を認めているらしい。
そんなことを思い返しながら、宵華は年長者らしく鷹揚に微笑みを返した。
「琴麗の衣装、よく似合っているわね。なんて素敵なのかしら。」
「でしょう? この玫瑰紅の色に満足できなくて、何回も染め直させたのよ。」
衣装の素晴らしさを見せつけるように、自身の大袖を左右に振る。離れた宴席に座る青年武官たちも、琴麗の姿に釘付けだ。
しばらく衣装の素晴らしさや、いかに高価な宝珠が使われているかを語った後「まぁ、お姉様にはわからないでしょうけれど」と厭味を付け加えて白茶がはいった蓋碗を優雅に傾け、年が近い皇后派と呼ばれる父の側室たちとくすくすと笑いあう。
皇后とその娘である琴麗は、皇帝の君寵が深い鄭淑妃と宵華を敵対視している。なにかにつけ突っかかってくる母娘を、宵華は大事にはならない程度にかわし、うまく対処してきたのだった。




