第7話『星剣解放―ブレード・リリース』
学院の中はひどく異様な光景が広がり、嫌な空気が漂っていた。
テレジアが負けた時も、セナが編入してくると話題になった時もこれほど騒がしくなることはなかった。
焦燥に駆られる生徒が何人か切羽詰まった表情で廊下を走り回り、一部は知り合いだと思われる生徒の名前を叫んでいる。
そういえば……今日はやけに数が少ないような気がする。
学院の様相を疑問に思いながら教室のドアを開けると、まるでぼくを待っていたかのように駆け寄ってくる赤い影が一つ、テレジア・リヒテンベルクだ。
「イヴ・グレイシア……!!」
テレジアは憎悪にも似た怒りの表情を向けてぼくの名前を呼ぶと、胸倉を強引に掴んで持ち上げる。
なんで……ぼくは別に、テレジアには何もしていないはずなのに。
「どうして……あなたがここにいますの」
「どうしてって、どういうこと?」
「あなたがいれば……グランヴィルとアステリオさんは……っ!!」
「アルミリアとセナが……どうか、したの……」
嫌な予感がした。
そういう予感がした時はすぐ、答え合わせのように現実を突きつけられる。
教室の扉が開く、中に入ってきたのは、神妙な面持ちをしたリツ先生だった。
「重要な話がある。お前ら、どこでもいいから席につけ」
先生の指示に従って、テレジアはぼくの胸倉から手を離し、舌打ちをしてからいつもの席へと座る。
ぼくも襟を直してから、後方の席へと腰をかけた。
生徒全員が席についたことを確認すると、先生はいつになく真剣な表情で、一つ息を吐いた。
「よし、全員いるな」
全員? どう見ても、普段の半数しか出席していない。
それでも先生は、まるでそれが当然のことのように話を続ける。
「昨日の夕方、大迷宮内で大規模な魔物の大量発生と無力化されていた転移術式の暴走が観測された。それにより現在、三十人近い生徒が未帰還となっている」
それがあまりにも突拍子のない話で、ぼくは自分の耳を疑った。
ぼくと同じ生徒が何人もいるようで、先生は事の重大性を今一度伝えるためにもう一度、一言一句違えずに繰り返す。
プラネスタの大迷宮には、階層ごと無力化された転移術式というものが各地に存在する。それはおそらく、かつて旧時代に調査が行われていた時代の名残とされていて、誤って生徒が深い階層へと転移してしまうと危険だからと、学院で無力化処置がされていた。
「先生。転移術式の暴走というのは、二年前の事故と同じということでしょうか」
すっと挙手をして、テレジアが質問する。
「詳細は分からない。だが、暴走が確認されたのは二年前の大迷宮探索実習での事故と同じ箇所だ。現在、学院の教師総出で魔物の大量発生へ対処しつつ、帰還していない生徒の捜索に当たっている。だから今日の授業は終日自習だ。寮に戻るもよし、マジで勉強するもよし、絶対に迷宮には潜るな。いいか! 絶対に潜るんじゃねぇぞ!!」
先生はそれだけ言い残し、上着を羽織って教室から出ていく。
嵐のように事実だけが突きつけられて、ぼくの思考は混乱していた。
未帰還……帰っていない……帰れない……。
セナとアルミリアが、戻ってこない。
「……イヴ・グレイシア」
ぐるぐると思考が渦を巻く中、テレジアに名前を呼ばれる。
彼女は冷たい瞳でぼく見下ろしていた。
「言ったはずですわ。いつまで逃げるつもりだと」
「君の言っていることが、分からないよ……」
「後悔しているのでしょう。二人についていかなかったことに」
「……ぼくには関係ない話だよ。それに、勇者の課題に興味は―――」
不意に、左頬に強烈な衝撃を感じる。
視界が揺らぐ。見上げると、歯を食いしばって怒りを堪え、震えるテレジアがぼくの頬を平手打ちしたのが分かった。
「やはり私、あなたが嫌いですわ」
それだけ言い残し、テレジアは教室を出ていく。
なんでだよ……なんで、そんなこと君に言われなきゃいけないんだよ。
他の生徒の視線が集まる。その中には、テレジアの形相から今回の事故を引き起こしたのがぼくだと思っている人もいるのかもしれない。
居心地が悪くなって、ぼくは席を立ち、教室の外に出た。
「イヴ先輩……っ!!」
廊下の先から、ぼくを呼ぶ声がする。
シオンとクロエだ。二人はぼくのもとに駆け寄ってくると、テレジアに叩かれて赤くなっている頬を心配そうに見つめる。
「イヴ先輩、それ……」
「テレジアっすね。あんにゃろ、ついに手ぇ出しやがったか……」
「いや、いいんだ……ぼくのせいだから……」
今にもテレジアへと突っ走って殴りかかろうとするクロエを制止して、一つ息を吐く。
今は、一人になりたかった。
一人じゃ真っ直ぐ歩けなかったから、二人に肩を貸してもらう形で寮の部屋に帰ってくる。
扉を開けると、セナの剣が変わらない位置に立てかけられていて、それが少し物悲しかった。
崩れ込むようにベッドに身体を預ける。薄らと、部屋の中にセナの匂いが漂っていた。
あの日、あの後、先生に保護された時のことを思い出す。
真っ先に忘れたのが、リーナの匂いだった。
もし、このままセナが帰って来なかったから、この匂いも忘れちゃうのかな。
「イヴ先輩……」
傍から見ればぼくは、かなりひどい状態なんだと思う。ぼくを呼ぶシオンの声が、今にも消え入りそうだった。
どうしてテレジアは、あんなにもぼくを責めるのだろう。
ぼくは何も悪くない。勇者の課題に協力しなかったのは興味がなかったからで、ぼくが勇者を目指す資格なんてどこにもなくて、そんなぼくが、二人についていく理由もなくて。
なのにどうして……こんなにも腹が立つのだろう。
どうして……こんなに後悔しているのだろう。
「もう、やだよ……助けてよ、リーナ……」
彼女なら、リーナならどうするだろう。
いや決まっている。迷うことなく助けに行く。リーナはそういう子だった。
ぼくは違う。ただ彼女の背に隠れて怯えていただけのぼくに、そんな勇気はない。
ふと、セナの剣が目に入った。
おかしい、ただの剣のはずなのになんだか意志があるように見えて、その顔が「また手放すのか」と語っていた。
君もぼくに、そんなこと言うのかよ……。
そうだよ。セナと出会った日、もう手放したくないから彼女の背中を追いかけた。
逃げるのはやめたんだ。後悔もしたくないって言ったじゃないか。なら、こんなところで腐っていられない。
立ち上がって、セナの剣を手に取る。
この行動の理由は分からなかった。だけど何となく、これをセナに届けなきゃって思った。
胸に手を当てて、深呼吸を一つ。
考えるまでもなかった。だってもしぼくの立場にセナがいたら、きっと迷っている暇もなく、助けに来てくれるだろうから。
「シオン、クロエ、ちょっと手伝って欲しいんだけど、いいかな?」
「任せてください!」「なんなりと」
ぼくの頼みに、二人は目を輝かせて強く頷く。
正直、二人を巻き込むべきじゃないのは分かってる。だけど大迷宮に潜るにはぼく一人では不可能なこともあるから、戦力が欲しい。大丈夫、死なせはしない。だって、ぼくがついているんだから。
◇ ◇ ◇
プラネスタの大迷宮は、都市の地下に広がる巨大な迷宮だ。
第一層に繋がる大階段を下りれば、階層ごとにその様相をがらりと変化させる異様な空間が挑戦者たちを出迎える。魔物の大量発生と聞いていた通り、第一層ですら危険度の低い魔物で溢れ返り、大階段から街へ侵入されるのを防ぐため、学院教師が防壁を張っていた。
人目を掻い潜って迷宮に潜るのは案外簡単だった。それこそ、魔物がカモフラージュになってバレることなく進行できる。
プラネスタの大迷宮、第三層「氷晶洞窟」
「それで、セナ先輩たちがどこにいるのか目星はついてるんすか?」
「大規模な魔力反応が十二層にある。帰還していない人は同じ場所に固まってるみたいだから、まずそこを目指そう」
「そんな簡単に分かるものなんですか? それもその本の力ってことですか?」
「そういうことに、なるかな」
「まっ、詳しい話は後にして、ひとまず十二層直行ってことでいいんすねっ!!」
両手に携えた斧で襲いかかる魔物を撃破し、クロエが先行する。
即席だから連携も何もないけど、前衛がクロエとシオン、後衛にぼく、といった具合のパーティー編成だ。
時間が惜しいし、何よりセナとアルミリアだけじゃなくて未帰還の生徒全員を助けなきゃならない。だから出し惜しみはしない、最初から【星紡ぐ物語】を解放した状態で迷宮全体に魔力探知をかけつつ進行する。
「肝心なのがフロアボス。ぼくの魔力はなるべく温存したい」
フロアボス……大迷宮の階層ごとに用意された強力な魔物。原理は定かじゃないけど、倒しても大体三十分程度で復活する。今回はその仕様が少しばかり足を止める要因になり兼ねない。
「心配はいらないっすよ、イヴ先輩。あたしとシオンがぶっ飛ばすんで」
大量発生で襲いかかってくる魔物を、クロエは一切速度を落とすことなく殲滅する。飛来する矢や魔法といった攻撃も、ぼくたちを守る風のバリアに阻まれて届かない。
宣言通り、三層のフロアボスはクロエが一瞬で蹴散らした。
ぼくたちが迷宮に潜って、大体三時間が経過。
学院許可領域の十層を超えた途端、順調に進んでいた足が止まった。
「こいつら……一体いつまで出てくるんすか!!」
「クロエこっち防ぐのもう無理! 早く倒して!!」
「あぁ!? もうちょい耐えてろウスノロシオン!!」
プラネスタの大迷宮、第十層「悪魔の巣穴」
以前戦った魔人ほどではなくても、学生相手なら軽く蹂躙してしまえるほど強力な魔物がぼくたちを包囲している。後方を氷の壁で塞ぎ、ぼくが前方、クロエが右、シオンが左と分担して対応するけど、正直無茶だ。
ゴツゴツした岩肌の狭い通路に溢れる、赤い体躯の悪魔たち。大量発生も相まって、ぼくたちの手数では捌き切れない状態だ。
特に、大盾で敵の動きを止めているだけのシオンへの負担は計り知れない。
こんなところで時間をかけていられない。なるべく温存したかったけど、使うしかない。
「二人とも、ぼくの後ろに!!」
指示を受けて、二人はぼくの背後に隠れる。押し寄せる魔物を氷の壁で足止めし、マギステラを開く。
「【炎姫と氷王の邂逅】ッ!!」
青い炎が、悪魔たちを包み込む。
対象は目に映る全ての魔物、突破口を開き、フロアボスに向けて一直線で走る。
ここを切り抜けるならそれしかない。
「走って!!」
殲滅完了。だけど今の魔法に反応して数体の魔物がこっちに来ている。再度包囲されないように慎重に、前衛を張っていた二人に代わってぼくが今度は二人を導く。
右へ、左へ、狭い通路を抜けて、ボスのいる空間へ駆け込む。
普通の魔物はここに入ってこない。後はボスを切り抜け、十一層に向かう。
少し開けた空間にぼくたちが足を踏み入れると、その中央が赤く光り輝き、フロアボスが姿を現す。悪魔たちの長、デモンズロード。
高火力な炎と翼を用いた空中からの奇襲が厄介な相手だけど、そんなの今はどうでもいい。
「【氷王の覚醒】ッ!!」
そこを退け、道を開けろ。ありったけの怒りを込めて、奴の苦手とする氷の魔法を叩き込む。
大きく翼を広げて、着地。デモンズロードはその一連の動作を終えるまでこちらの攻撃に対処できない。だからそこを突く。
「【炎姫と氷王の邂逅】ッ!!」
ぼくの最大出力で凍りついた瞬間、青い炎の最大火力をぶつける。
デモンズロードは出現したその場から一歩も動くことなく、蒸発。次の階層へ繋がる階段が姿を現す。
「うっわぁ……マジか」
「イヴ先輩こっわぁ……」
容赦のない攻撃に後ろで後輩がドン引きしているけど、今はそんなの気にしない。
プラネスタの大迷宮、第十一層「魔鋼都市」
景色は先程までとは打って変わって、広大な地下都市が広がっている。出現する魔物の種類も、悪魔から魔導機械に変化したけど、やることは変わらない。
魔法で敵を殲滅しつつ、フロアボスへ一直線。その最中、見知った人影を発見した。
「くッ……キリがないですわね……!!」
「テレジア……?」
「イヴ・グレイシア!?」
高い魔力耐性を持つ魔導機械に苦戦するテレジアの姿がそこにあった。
一人で潜ってきたのだろうか、いつも彼女と一緒にいる双子の取り巻きがいない。
テレジアを包囲していた魔導機械を【氷王の覚醒】で氷漬けにし、壁にすることで安全地帯を形成。テレジアのもとへと駆け寄る。
さっきの魔導機械連中の攻撃を受けたのか、テレジアは左肩を負傷していた。
「潜るなと、リツ先生に言われていたはずでは?」
「それはお互い様。腕、怪我してるでしょ、見せて」
「触らないで! ……ご心配なく、このくらい平気ですわ」
テレジアの負傷箇所に触れようとした瞬間、勢いよく手を弾かれる。
彼女は人一倍ぼくを嫌っている。そりゃあ、触られたくないだろうけど、こうもひどく拒絶されると少し心が痛い。
でも……今更どれだけ拒絶されても、ぼくには関係のない話だ。
「その傷じゃ弓も構えられないでしょ。この先、アポディリスを使わないで君一人の攻略は不可能だし、何より、たとえ君がぼくを嫌っていても、ぼくは君を見捨てない。あの子ならきっと、そうする」
「……くだらない」
文句を言いながらも、テレジアは上着を脱ぎ負傷した箇所をぼくに見せてくれる。
銃弾が軽く掠めた程度で、それほど大きな怪我じゃない。ただテレジアは大弓を扱うから、肩の痛み一つでパフォーマンスに支障をきたすはずだ。
マギステラに記された魔法のうち、中程度の効力を持つ治癒魔法【光精の祈り】をテレジアの負傷箇所に施す。銃弾が掠め、軽く火傷も負っていたテレジアの肌は、まるで時間が加速したように再生を開始、傷痕一つなく塞がった。
「これが魔法……直接見るのは二度目ですが、凄まじい力ですわね」
「二度目……?」
「はぁ!? 忘れたとは言わせませんわ、あれは二年前―――いえ、その話はやめておきましょうか」
「二年前……ごめん、心当たりがないや」
「でしょうね。あなたが魔法を使った回数は計り知れませんから」
呆れたように一つため息をつき、テレジアは立ち上がる。
スカートについた砂埃を手で払い落し、上着を羽織って大弓を構えた。
「そういえば、取り巻き二人はどうしたの? えっと、アンネとイリーナ」
「……二人とも、未だ迷宮の中ですわ。転移術式が起動し、私を庇って消えてしまいました。というか今気付きましたの?」
「ごめん……あの時は、あまり周りが見えてなかったから」
「はぁ……あなたの態度に苛立っていた私が馬鹿みたいですわ」
頭を押さえて天を仰ぐテレジア。多分ぼくたちの間には、きっと何か、とても大きな擦れ違いがあるんだと、彼女の反応から察した。
「先を急ぎますわ。窮地を救ってくださったこと、感謝いたします。ですが、私はまだあなたを許したわけではありませんので」
「あ、待ってテレジア」
「まだ何かありますの? 私急いでいるのですけど!?」
「魔力の反応からして、みんな十三層にいる。だけどこの先を一人で進むのは危険だ。だから……その……」
今は、日頃の恨みとか、イライラとか、そういうのは一旦抜きだ。
そう、これはとにかく皆を救うために打つ最善の手であり、別にぼくが彼女を許したわけじゃない。
「一緒に行こうよ。四人の方が攻略が楽だし、君の射撃能力があると助かる」
「……あなた、それ正気で言っていまして?」
「おい負け犬ぅ、イヴ先輩の言葉が聞けないのかー」
「そうだぞ負け犬ぅ、イヴ先輩がお前を認めてんだぞぉ」
「……生意気な後輩ですわね全く!!」
周辺を警戒していたクロエとシオンからの援護射撃……は、ちょっとテレジアを刺激してしまったらしい。
「はぁ……仕方ないですわね。今回だけ、ということでしたら構いません」
「ありがとう、テレジア」
「精々弾避けくらいにはなってくれること、期待してますわ」
テレジアは渋りながらも、ぼくの手を握り返してくれた。
ここから先の攻略には心強い味方だ。
テレジアを加え、ぼくたちのパーティーは十一層以降の攻略を開始した。
彼女の加入でぼくの魔力もある程度温存できたけど、それでもとにかく速度を重視して進んでいれば、消耗も激しくなっていく。
第十一層ボス「重装機士」の弾幕は、一撃受けるだけでも命取りになるほど強力だ。ぼくたちは氷の壁で弾幕を凌ぎながら、敵の弾切れを待っていた。
「これ、本当に弾切れするのですか!?」
「イヴ先輩が言ってんだからそうに決まってるでしょ負け犬!! いいからボクの後ろに隠れてよ!!」
「大丈夫、こいつは一度戦ったことがあるから、そろそろ弾切れする」
「許可されてない領域に潜るなんて、イヴ先輩もなかなかのワルっすね」
「あれは仕方なかったんだよ!!」
そうこうしていると、先程まで氷の壁を打ち砕かんとする勢いだった弾幕が止んだ。
重装機士の弱点は弾幕。およそ三分続く弾幕の後、三十秒のリロード時間は完全に何もできない。だからそこを叩く……!!
「今ッ!!」
「打ち砕きなさい! カウレス!!」
リロードの隙を突くように、鎧の身体を【氷王の覚醒】で凍結させ、追い打ちの【炎姫と氷王の邂逅】の代わりにテレジアの最大火力で粉砕する。
戦闘時間、三分十二秒……弾幕を耐える必要があったせいで、かなり時間をロスした。
道中の雑魚はシオンとクロエに任せきりだから、二人もかなり消耗している。本当は休息を挟みたいところだけど、ここは心を鬼にして次の階層へ。
いつもより心臓がうるさく鼓動する。
プラネスタの大迷宮、第十二層「亡霊の英雄墓」
アンデッドタイプの魔物が多数出現するこの空間は、白兵戦主体の魔導師にとって天敵ともいえる魔物と遭遇する可能性が一気に高くなる。
実体を持たない魔物へは、物理攻撃が極端に通用しない。そしてセナは……魔術が使えない。
急がないと。気付けば皆を置いて駆け出していた。
「そこを退け! 【氷王の覚醒】ッ!!」
スケルトンが至る場所から湧き出てきてぼくを包囲するけど、そんなもので足は止まらない。まとめて【氷王の覚醒】で氷漬けにし、敵を防ぐ壁として利用する。
だけど……本当にこれでいいのだろうか。
十二層はひどく入り組んでいる。直線距離ではもうセナのすぐ傍なのに、迷路のように複雑な通路のせいで辿り着けない。
「あぁぁあああもう!! これじゃ遠回りだよ!!」
「文句言うなシオン! これでも最短ルートなんすよ!!」
「難儀なものですわね。せめてこの壁を取り払うことができれば―――」
「それだよテレジア!!」
「はいぃ!?」
魔力探知……大丈夫、この分厚い壁の向こうにフロアボス。そして、セナとアルミリア、皆がいる。やれるか分からないけど、ぶつけてみる価値はある。
「三人ともごめん、壁、壊しちゃおう」
「ここまで来たら何も驚きませんわ……」
「いやぁ……流石のボクもドン引きです」
「まぁでも、先輩らしいっちゃらしいっすね」
右の掌で壁にそっと触れる。
再度魔力探知。大型の魔物の魔力反応が一つ、小型の、人間の魔力反応が数十、大型の魔物と戦闘中の魔力反応が一つ。これはセナじゃない、おそらくアルミリア。セナは……剣が折れて後退してると思われる。
一つ、息を吐く。
大丈夫、外しはしない。
壁の僅かな隙間に冷気を流すように、向こう側に通すように集中する。
「星杖の章、第二節【氷王の覚醒】」
ありったけの魔力を込めて、壁全体を凍結させる。
内部まで冷気を通し、内側から凍らせ、そして―――
「打ち砕け! 【炎姫と氷王の邂逅】ぁぁぁぁあああああッ!!」
凍らせ、固めた壁を一気に、高熱で叩き壊すッ!
掌から一点に青い炎を収束させて、直線的に放つ。火力がまとめられた法撃は、凍り付いた壁にヒビを入れ、飴細工のように崩壊させる。
蒼炎の火球が、壁の向こうのボス、聖騎士の亡霊へと襲いかかる。
だけど、壁を壊すのに力を使い過ぎて、決定打にはならない。
「……行かなきゃ」
セナの剣を強く握り締めた。
ずっと走って棒になった脚を奮い立たせ、重い体を持ち上げる。
壁の穴は、以前の検証通りならそのうち塞がる。その前に、セナにこれを。
走った。
走って走って、走りまくった。
もう一生分走ったんじゃないかってくらい、ここまで走りっ放しだった。
疲れなんてとうに忘れた。痛みなんて既に感じていない。
「セナ―――!!」
こじ開けた壁の穴を抜けて、セナの名前を叫ぶ。
足がもつれて転びそうになるのをもう片方の足で堪え、純白の鞘に納められたセナの剣を放り投げた。
剣は回転しながら生徒の集団に飛んでいき、飛び出した白い影が、それを片手で掴む。
「アルミリア、代わってください!!」
もう戦えない集団を守りながら防戦していたアルミリアと切り替わるように、セナが前に出る。
対峙するのは、漆黒の鎧を纏った亡霊の騎士。物理攻撃には高い耐性があるから厄介な相手だけど……どうしてか、セナなら大丈夫だと確信できる。
亡霊騎士が大剣を振り下ろす。
セナは鞘がついたままの剣でそれを受け止め、弾く。
鞘にヒビが入る。ヒビの隙間から金色の光が漏れたのを見て、セナが笑った。
「【星剣解放】―――応えてください、ユスティアッ!!」
彼女が一言そう叫ぶと、純白の鞘のヒビが無数に枝分かれしながら広がる。
鞘が砕けた―――黄金の剣が、姿を現す。
「はぁぁぁぁあああああああああああ!!」
セナが亡霊騎士に向けて剣を振り下ろす。
一閃―――白銀の煌めきと、黄金の光波が放たれ、漆黒の鎧が二つに割れた。
一瞬のことだった。
瞬きの直後、セナの剣は先程までの輝きを失い、純白の鞘のヒビも綺麗に戻っていた。
何が起きたか、分からなかった。
視界に飛び込んでくる光景は、一撃で両断される聖騎士の亡霊という事実だけ。
だけどセナが振るったその剣を、ぼくは知っている、見たことがある。
だけどあれは、千年誰にも祝福を与えなかった聖剣で、あれに選ばれたのはこの千年間ただ一人で、だから……セナが扱えるはず、なくて……。
「イヴ!!」
混乱する思考を掻き消されるように、セナに強く抱き締められる。
セナの温もりを全身で感じる。
涙が出そうだった。いや、もう溢れていた。
そうだ、セナに会ったら、えっと……確か、言いたいことがあって。
「ごめん……セナ……っ」
でもやっぱり、ぼくの口から出てくるのはその一言だった。
色々伝えたいことがあったけど、うまく言葉にならなかった。
それでもセナは、ぼくに笑いかけてくれる。笑顔を見せてくれる。
「信じてました。イヴならきっと、助けに来てくれるって」
「手放しでぼくを信頼しすぎだよ」
「でも、実際そうだったでしょう?」
「……ばっかじゃないの」
両手でセナを押し返して、改めて向き直る。
よく見たら彼女はボロボロだった。全身に細かな傷がついていて、炎を受けたのか、制服も所々焼け落ちていて肌が見えていた。
自分の上着をセナの肩にかけて、アルミリアのもとに駆け寄る。
「アルミリア、平気?」
「グレイシア……ありがとう、感謝する」
彼女も傷だらけだった。セナと違って自己治癒なんてないから、残った魔力を治療に当てる。だけど、ぼくが治癒魔術が苦手というのもあって血を止めるので精一杯だった。
「傷、残るかもしれないけど……その時はごめん」
「構わないさ。皆を守ること、それがグランヴィル家の人間としての使命だ。そのために負った傷なら、名誉として受け入れよう」
アルミリアの治療は終わり。他の生徒を見ると、シオンとクロエが治療に回っているようだった。まぁ、今のぼくが加勢したところで役には立たないから、ここは彼らに任せるとしよう。
「イヴ・グレイシア。あなたがいなければ、私はここまで辿り着けなかった。感謝いたしますわ。あなたのおかげで、アンネとイリーナを助けることができました」
名前を呼ばれて振り返るとテレジアが立っていた。
深く頭を下げて感謝の言葉を口にするテレジアの後ろで、彼女の取り巻き二人組も同じように頭を下げる。
「ううん、お礼ならセナとアルミリアに言って。ぼくはただ、あの剣をセナに届けただけだから」
「……この私が頭を下げたのですわ、素直に受け取りなさい」
ふん、と鼻を鳴らしていつもの調子に戻ったテレジアは、二人を連れて帰還用の転移陣へと歩いていく。
他の生徒の治療も終わったようで、シオンとクロエの誘導で次々に帰還を開始していた。
ボス討伐後の帰還用転移陣は、迷宮入口に繋がる大階段への直通便だ。転移後に魔物に襲われる危険性はほぼ皆無だし、万が一襲われたとしても、シオンとクロエに任せて問題ないだろう。
「よしっ、ぼくたちも帰ろうか」
「はい!」「あぁ!」
プラネスタの大迷宮、転移術式暴走事故はこうして、誰一人犠牲になることなく無事に解決した。
第一層に戻ったぼくたちは、リツ先生に小一時間ほどキツイ説教を受けたけど、正直、疲労が溜まっていて何も覚えていない。
寮に戻ったぼくとセナは、お互い泥のように眠った。
また、一日がはじまる。