第6話『星神からの課題』
星来暦一〇〇五年、牡牛の月、一日。
今日は王国にとって決して欠かすことのできない一日、選別の前課題が提示される日だ。
世界を救った七人の勇者、彼らを導いた星神器が、勇者を目指す若者たちに向けて課題を与える。その課題を熟せた者は次なる課題を与えられ、次、また次の課題と繰り返す。最終的に六人が選定され、勇者の称号が授けられる―――過去の勇者選別は、そういうものだった。
だけど今回は少し特殊な課題が提示された。
《星詠みを見つけなさい》
そのたった一言で示された課題があまりに不明瞭で、勇者を目指す候補者たちは困惑していた。
それは勿論セナも例外じゃなくて―――
「星詠み……星詠み……一体何なんでしょう、星詠み……」
昼休み、食堂のいつもの席で昼食をとる間もセナは上の空だった。
朝からずっとブツブツ呟いてばかりで、授業も頭に入っていない様子だった。
とはいえ、課題の意味を理解した者は誰もいないらしく、皆同様に星詠みを求めては彷徨って、学院内は未だかつてないほどヒリついた空気が張り詰められていた。
「星詠みというと、剣星アルトリウスの伝説に登場する、勇者を導いた魔法使いの呼び名だね」
そんなセナの疑問に答えるように姿を現したのはアルミリアだった。
彼女は「隣、失礼するよ」と一言断りを入れてセナの隣の席に腰をかけ、一冊の本をテーブルの上に置いた。
「なんですか、これ?」
「子供向けの童話であり、伝承であり、実話。千年前、魔王との戦いに挑んだ勇者の伝説を編纂し直した物語だよ」
その本のタイトルは、剣星アルトリウスの伝説。
かつて、魔王と打ち倒し世界を救った勇者、剣星アルトリウスとその六人の仲間による冒険の物語。実話を編集しより子供向けに仕上げたこの本は、これを読んで勇者に憧れる者も少なくはないほど王国に普及していた。
「アルトリウスの冒険は二人で始まったんだ。星剣を手にした少年アルトリウスと、彼を導く魔法使い、星詠み。旅の中で二人は仲間を増やし、魔王を倒す。勇者アルトリウスは英雄に、陰ながら彼を支えた星詠みは、迷宮の奥深くにて眠りにつく。それが物語の結末だ。君も一度読んでみるといい」
「といっても子供向けだからね、ぼくたちには幼稚すぎるかも―――セナ?」
アルミリアに差し出された本を受け取ったセナは、何か思うところがあるのか、じっと表紙を見つめていた。
「私……これ、知ってます。読んだこと、ないはずなのに……」
セナの頬を一筋の涙が伝う。
本当に不意に出てしまった涙だったようで、セナは「あれ?」と首を傾げながら涙を拭った。
「それにしても珍しい。剣星アルトリウスの伝説は、王国の成り立ちに深く関わっているからこそ、誰もが子供の頃、一度は読む物語なのだが……」
「あー、えっと、私、記憶ないんです。五年前から先の記憶が。だからこの世界のことにはあまり詳しくなくて」
記憶喪失……確か、セナが育ての母に拾われたのは五年前、灰都の火の後だ。
あの惨劇は人々の心に深く刻まれている。その渦中にいたのなら、トラウマで自らの記憶を封じてしまったとしても何ら不思議じゃない。
それにしても、そんな重要なこと、よくサラッと言えるものだ。セナは特に気にしていない様子で人差し指で頬を掻きながら笑った。
「それで……その本と今回の課題に、一体何の関係が?」
「星詠みに関係する課題内容なら、まず真っ先にこの本がヒントになると思ってね」
「……なるほど! 確かにそうですね! ありがとうございます、アルミリア!!」
セナはアルミリアの両手を掴み、瞳を輝かせて満面の笑みを浮かべた。
ここ一か月で、セナとアルミリアは随分と打ち解けた。
そもそもセナは誰とでも仲良くなれるような性格だし、そういう才能がある。アルミリアも、特にセナを嫌っているわけじゃないから、二人が親友と呼べるような関係になるのは時間の問題だ。
少しモヤモヤするけど、それはまぁいい。
「あ、アステリオ、少し……離れてはくれないだろうか……」
「すみません、何か気に障ることでも……」
「いや、違うんだ、違う、君は何も悪くない」
アルミリアはセナの手を振り解き、肩で顔を覆ってセナから顔を逸らす。
一つだけ、アルミリアについて分かったことがある。
「むり……顔が、目が、眩しすぎる……っ、直視できない……」
彼女は……アルミリア・グランヴィルは、セナの大ファンらしい。
いや、大ファンというのは少し違うかもしれない。ぼくも彼女の状態を表現する言葉がないからそういうことにしている。
先生曰く、アルミリアから見たセナを「推し」こういうのを「限界オタク」というらしい。意味は分からないけど、知ってしまえばアルミリアのイメージが大きく揺らぐことになりそうなので、深く聞くのはやめた。
何はともあれ、アルミリアはセナの少し距離感のおかしい友人への対応に度々赤面している。
礼儀正しく容姿端麗、成績優秀で生徒の憧れの王子様。
この一か月で、ぼくから見たアルミリアのイメージは見事に崩壊した。
ぼくが彼女のファンじゃなくて本当によかった。
「……こほん。それで、その本をヒントにするなら、星詠み探しは迷宮探索ってことになるわけだけど」
「迷宮の奥深く。プラネスタの大迷宮とは明記されていないが、探してみる価値はあると思う」
「つまりはダンジョン探索ってことですね!?」
何故そこで目を輝かせるのかは分からないけど、確かにアルミリアの言う通り、迷宮を探ってみるのもありかもしれない。
奥深く、というのが本当に最深部ともなれば話は別なのだけど。
「私、今すっごくワクワクしてます!」
「アステリオと共に迷宮に潜るのは初めてだね、心が躍るよ」
「そう、それじゃ頑張ってね」
ぼくは行かないけど。
そもそも、「星詠みを見つけろ」なんて課題を熟すのは勇者を目指す者だけ。特に勇者の称号に興味のないぼくには無縁の話だ。
と、思っていたのだけど―――
「え?」
「はい?」
「……は?」
二人から返ってきたのは予想外の反応だった。
「イヴも行きますよね?」
「君も来るだろう?」
「いやいやいやいや、待ってよ二人とも、なんでぼくが行く前提なのさ!」
「イヴも来ると思っていました」
「友人を見捨てるとは、見損なったよグレイシア……」
「なんでぼくが選別の課題に協力する必要があるのさ!!」
そもそも、ぼくには勇者を目指すだけの資格がない。
だから残念だけど、ぼくは二人に協力する立場にいないわけで。
「イヴは……来ないんですか……?」
「興味ない」
うるうると今にも泣きそうな視線をセナに向けられる。
そんな顔しても、無理なものは無理だ。
「来ないんですか……?」
「うるさい、行くわけないだろ」
セナの頬を涙が伝う。
いやいや、泣かれてもぼくは参加しないからな。君たち二人で勝手に―――
「イヴは……私のこと、嫌いなんですか……?」
「あーあ、泣かせた」
「だぁぁぁあああああもう! うるさいな! 勝手に行けよ勝手に!!」
もう知るか!! 誰が何と言おうと、ぼくは絶対に参加しないからな!!
立ち上がって昼食のトレイを片付け、怒りのままに食堂を後にする。
ぼくにはもう……勇者なんてどうでもいい。
◇ ◇ ◇
正直、ちょっと言いすぎたと思う。
だから一言謝ろうとしたら、二人はもう大迷宮に向かってしまったらしい。胸のモヤモヤが晴れないまま、ぼくは学院の大書庫で時間を潰していた。
王国最大規模の蔵書量を誇る大書庫では、過去の伝承や伝説に関する書物も多数保管されている。その中でも、「禁書」に分類された本は、師匠……アリシア・イグナがまだ焔の魔女になる以前に記したもの。
彼女の娘であり、弟子ということもあって、ぼくはリツ先生から特別に閲覧許可を得ているので、大書庫の奥、禁書庫にはよく入り浸っている。
薄暗く鬱屈とした禁書庫の中、ぼくは一冊の本に手を伸ばした。
タイトルは、剣星アルトリウスの真実―――世に出回ることのなかった、勇者伝説の裏側である。
師匠は、アリシア・イグナは、千年前から生きている旧時代の魔法使いだ。
何でも冒険の最中に呪いを受けたらしく、十七歳時点で肉体の老化と成長が止まり、不老不死になってしまったのだとか。
彼女はよく「私は勇者と旅をした」「魔王を倒し世界を救った」「世界中を冒険した」と口癖のように語っていた。まるで吟遊詩人のように自らの冒険譚を面白おかしく物語る師匠の姿は、今も鮮明に思い出せる。
ハッキリ言って、勇者選別の課題は無理難題だ。
「星詠みを見つけなさい」
ぼくだけは、その課題の攻略が不可能に近いことを知っている。
だってそうだ……何せ、剣星アルトリウス伝説で語られる「星詠み」とは、今や世界の脅威となった焔の魔女、アリシア・イグナなのだから。
―――いやいや、何でぼくも一緒になって調べているんだ。協力する気はないって言っただろうに。
「……何してんだろ、ぼく」
セナたちにこの真実を教えるべきか、ぼくは悩んでいた。
禁書庫にやってきたのも、今一度真実を確認するためで、協力はしないと口で言ったものの、せめて、課題の攻略が不可能だと知らせるくらいは……なんて。
「剣星アルトリウスの真実。ふむふむなるほど、禁書庫にはこんな本もあるんすね」
「うわっ!?」
自分だけが閲覧を許可されている禁書庫で誰かの声が聞こえるとは思わず、ぼくは驚きのあまり本を空中に放り投げ、床に積まれた本に足を引っかけて転んだ。
薄暗い空間に埃が舞う。ランタンを向けると、ちょうどぼくの背後に赤い髪の少女が立っていた。
「クロエ!? なんでここにいるの?」
「いやぁーすみません。星詠みについて、イヴ先輩なら何か知ってるかなと思ってこっそり後をつけちゃいました」
頭の後ろに片手を置いてわざとらしい笑みを浮かべたクロエは、ぼくの落とした本を拾い上げて返してくれた。
禁書庫の閲覧前は細心の注意を払って誰にも見られないようにしているけど、クロエはぼくの警戒網を軽々とすり抜けてくる。まったく恐ろしい後輩だ。
「にしても大書庫の禁書庫って結構ありますね。これ全部アリシア・イグナが書いたものなんすか?」
「そうだね。一部別な著者の禁書もあるけど、ほとんどは師匠が書いたものかな」
「はへぇ……あの事件まではすごい人だったんすね」
クロエは純粋に感心しているようだった。
ここにあるものは、アリシア・イグナの危険思想が広まるとされて禁書指定された魔導書や魔術理論などばかりだ。五年前の事件以降、あまり授業で取り扱うことはなくなったらしいけど、今の王国の魔術の基礎は、そのほとんどがアリシアの手で構築されたと言っても過言じゃない。
師匠は大体百年置きに王国の魔術に革命をもたらしてきた。だからそんな彼女の魔術理論が山盛りのこの部屋は、真剣に魔術を極めんとする者にとっては宝の山とも言える。
「そういえば、今日はセナ先輩は一緒じゃないんすね。喧嘩でもしたんすか?」
「なんでぼくとセナが常日頃から一緒にいるみたいな言い方……いや、確かにいつも一緒だから当然か」
「今やお二人は有名人っすからね。テレジアを倒したセナ先輩と、魔女の弟子のイヴ先輩。あたしらの学年では付き合ってる疑惑が出るほどっす」
「なんで……セナもぼくも女の子なんだけど」
「そりゃイヴ先輩が一部の下級生に男の人だと認識されてるからっすねぇ。怖い噂だらけなんだから、仕方ないっちゃ仕方ないっすけども」
待って、それは初めて聞いた。
「それに、どっかのバカが口癖のように『イヴ先輩かっこいい!』なんて言ってるから、余計誤解されているようで」
クロエの呆れたようなため息からして、その勘違いの元凶はおそらくシオンだ。
とはいえ、ぼくが男だと思われてるのは心外だ。むしろぼくより背の高いセナの方が余程……いや、それも流石に無理があるか。セナは髪が長いし、顔も小さくて整ってるし、何より出るとこ出てるし。
その点ぼくは背は低いし髪も短い、前髪で右目が隠れて顔があまり見えないし、全体的に平たいし、一人称「ぼく」だし。男と勘違いされるのもまぁ、理解はできる。納得はしたくないけど。
「最近はミリ先輩ともよく一緒にいるもんだから、『イヴ・グレイシアは学院の女子人気高いイケメン女子二人を侍らせているクズ野郎』なんて噂も―――」
「いくら何でも話を盛りすぎじゃない!?」
というかセナにもファンいるんだ!? いるだろうなぁ、テレジアとの決闘は噂になってるし何より男女共に分け隔てなく接するからとにかく人に好かれる。ぼくとは正反対だ、羨ましい限りだよ。
「セナ先輩は勘違い男子量産してる罪深いオンナっすからね。あたしらの学年の男子も常々言ってますよ。『あの先輩、オレのこと好きかもしれない』って」
「ま、まぁ、セナが孤立することなく過ごせてるならぼくは嬉しいんだけどさ……」
「イヴ先輩も度々話題に上がりますよ。『あの先輩殺す!』って」
「殺意を向けられるようなことした覚えないんだけどなぁ……」
こうしてクロエから話を聞く限り、彼女の学年ではシオンの影響もあってぼくの悪い噂はそれほど流れていないようだった。
一部……本当に理解し難い噂はあるようだけど、それはまぁ、追々解消するとして。
「今日シオンは一緒じゃないの?」
「あいつは禁書庫にビビって外で待ってます。イヴ先輩に聞きたいことあるみたいなんで、戻ったら話聞いてやってください」
「なら早めに戻らないとね。こんな暗いとこで長話してもあれだし」
「はいっす」
禁書庫の中にある物は持ち出し禁止なので、剣星アルトリウスの真実を本棚に戻す。
振り返ると、禁書庫の入口でクロエがひらひらと手を振っていた。
後輩を待たせるのもあれなので、足早に禁書庫を後にする。
その時、鎖を巻かれた一冊の本が視界に入ったけど、特に気にすることなく、ぼくは書庫の扉を閉めた。
大書庫はいつもより人気が少ないように感じる。
そりゃ、全生徒の半数は勇者選別の課題を解くのに必死になっているから、当然と言えば当然か。軽く他の生徒の会話を聞く限り、ほとんどが剣星アルトリウスの伝説からヒントを得て大迷宮に潜っているらしい。
書庫の中にはいくつかの読書スペースが設けられていて、三階の窓際がぼくのお気に入りの席だ。旧文明の言語で書かれた本を何冊か借りて足を運ぶと、長い紫色の髪を後ろで一つに束ねた少女、シオンがこちらに向け手を振っていた。
「お疲れ様です、イヴ先輩! 今日は、セナ先輩たちと一緒じゃないんですね」
「セナもアルミリアも大迷宮に潜ってるよ。シオンは行かなくてよかったの?」
「それが聞いてくださいよイヴ先輩。私は迷宮に潜るべきだと思うんですけど、クロエが『潜るだけ無駄』とか言うんですよ!?」
不満そうに頬を膨らましたシオンに指を差され、クロエはそっぽを向いて口笛を吹く。確かに潜るだけ無駄だけど……多分、クロエにも何か考えがあるのだろう。
「クロエも何か思うところがあるんじゃないかな。勇者候補への課題が、迷宮に潜るだけの簡単なものとは思えないし」
「そりゃあボクも、星詠みが学院許可領域の十層までにいるとは思いませんけど、でも流石に、今回のは逆張りだと思うんです!!」
「逆張りっつーか、少し考えたら分かるっしょ。浅い階層にいないなら体力の無駄、きっとこの課題には別な意味があるんすよ」
二人のプチ口論に苦笑いを浮かべながら、ぼくは窓際の席、シオンの前に腰をかける。それに続いて、クロエがぼくの隣に座った。
「それで、ぼくに聞きたいことがあったんだっけ?」
「はい! ぶっちゃけイヴ先輩は今回の課題、どう思ってるんですか?」
「どうって……」
選別に興味のないぼくが考えるだけ無駄だと思っていたから、どうと聞かれても彼女の望んでいる答えは返せそうにない。
シオンはぼくを買い被りすぎた。今だって、きっと何か突破口になりそうな意見を求めて、目を輝かせている。
「《星詠み》はおそらく、そのままの意味の《星詠み》じゃない、と思う」
「ほら、イヴ先輩もそう言ってる」
「クロエは黙ってて! それで、イヴ先輩の考える《星詠み》は一体何ですか!?」
「……シオンは、どう思ってるの?」
正直なところ、ぼくにはこの課題が理解できない。ぼくが知る星詠みは、後にも先にも勇者を導いた魔法使いであり、師匠アリシア・イグナただ一人だ。だから、別な意味があるとしても、ぼくにはそれを見つけられない。
それに、ぼくに聞くだけじゃなくて自分の意見をはっきりと持つことも大切だ。
そう自分に言い聞かせて、ぼくはひとまずシオンの直感を聞いてみることにした。
「ズバリ、イヴ先輩です!!」
「はい?」
「ばっかじゃねーの……」
自信満々なシオンの回答に、ぼくは困惑し、クロエは呆れてため息をつく。
「星詠みは勇者を導く魔法使いなんですよね。ボクの知る魔法使いはイヴ先輩だけ。それならきっとこの課題は、『勇者を導く新たな星詠みを見つけろ』ってことなんです!!」
「馬鹿も休み休み言えよなぁ……」
「バカじゃないもん! 一周回って天才だし!! ほら、イヴ先輩もボクの満点回答に感心して―――」
「……ぼくは、違うよ」
諭すように、諦めるように、ぼくは静かにそれを否定した。
ぼくなんかが、勇者を導く星詠みであるはずがない。そんな資格、どこにもない。
あっては……いけない。
「だから残念だったね、シオン。その答えは零点だ」
「はい……すみません……」
どこか委縮して余所余所しくなったシオンは、小さく呟き肩をすぼめた。
「えっと……ぼく、何かやっちゃった?」
「いえ、違うんです。その、イヴ先輩が少し、寂しそうで……」
「あれっす。こいつイヴ先輩のトラウマ刺激しちゃったんじゃないかって気にしてるんすよ」
「あー……なんだ、そんなことなら、ぼくは全然気にしてないから」
シオンが安心するように、できるだけ穏やかな笑みをつくる。
寂しそう……か。本当に、二人にはお見通しなんだなぁ。
太陽はとうに沈み、月明りがカーテンの隙間から差し込み暗がりの室内を照らす。
シオンとクロエが抱えている補習課題の面倒を見ていたら、夜を告げる鐘が鳴ったので学院を出て寮の部屋に戻ることにした。
どうやらセナはまだ戻っていないようで、久しぶりの一人は、少し寂しい。
「置いていったんだ……これ」
セナの机には彼女の金色の剣が立てかけられていた。
課題の攻略に一分一秒を争う迷宮内では、引き抜けない剣は荷物になると判断したのだろうか。
迷宮内にも、階層によって昼夜の概念が存在する。セナとアルミリアの二人も今は探索をせず休息し、朝になってから外に出ようとしているに違いない。まったく、時間も忘れて潜るなんて、セナらしいと言えばらしいか。
シャワーを浴びて濡れた髪をタオルで拭きながらベッドに身を投げると、抗い難い眠気がぼくを襲った。
今日は会話のし過ぎで少し疲れた。もともとずっと一人だったから、他人との会話には必要以上に体力を使ってしまう。
瞼を閉じれば、意識はすぐに暗闇の中へと落ちていく。
明日は……ひとまず、セナに謝ろう。それから……えっと……なんだっけ。
悪夢のせいで目が覚めた。
いつものように、同じ夢を見る。
あの日、ぼくの人生を変えた灰都の火の記憶。リーナとの別れ、その瞬間。
セナと出会い、少しは未来に進めていると思ったけど、ぼくの心はまだ、過去に囚われたままだった。
「……流石に帰ってきてないか」
セナはまだ帰ってきていないようだった。
ベッドは特に使われた形跡がないし、何より、セナはぼくより圧倒的に朝に弱い。ぼくより早く起きて先に学院に向かっているなんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。
まぁいいか、そのうち帰ってくるでしょ。
制服に着替え、上着を羽織って外に出た。
胸の奥がやけに疼くけど……気のせいだと思いたい。