第5話『決闘』
午後の授業が終わり、放課後。
いつもはここから居残りで研究を続ける生徒や、大迷宮の探索へと向かう生徒、寮に帰る生徒と大体三つに分かれるのだが、今回ばかりは見逃せないビッグイベントが急遽舞い込んだことで、ほぼ全生徒が大演習場へと集合していた。
テレジア・リヒテンベルクと編入生セナ・アステリオの決闘。
魔術研究の合間に降って湧いた娯楽。学院の中でもトップを争う実力者であるテレジアと、未だ未知数のセナ、二人の激突はこの学院の生徒の興味を大きく刺激し、演習場二階の観客席を埋めていた。
「……隣、いいかな」
一言断りを入れてぼくの隣の席に腰を下ろすアルミリア。
魔女の娘ということもあって、見事に周囲に人はいない、ほぼ貸し切り状態だ。
そのはず……なんだけど。
「イヴ先輩はどっちが勝つと思いますか? 私はもちろんセナ先輩です!!」
「ただ相手はあのテレジア。あたしらはセナ先輩の実力を知らないけど、簡単に勝たせてくれるとは思えないっすね」
左隣にアルミリア、右隣にはシオンとクロエに挟まれて、少し喧しかった。
アルミリアはテレジアとほぼ互角の実力者だし、シオンとクロエは有望な下級生ということもあってちょっと有名だ。そんなのに挟まれるぼくは、傍から見れば異常というか、異質というか。少なくとも、学院内で孤立する魔女の娘という印象とは程遠いと思う。
「で、ミリ先輩はどうお考えで?」
「……順当に魔術の実力による勝負なら、テレジアに勝てる者は一人を除いていない。とはいえこれは決闘、基本的になんでもありの真剣勝負、アステリオにだって十分勝ち筋はある。だが―――」
実際にセナの実力をこの目で見たぼくでも、正直テレジアに勝てるかは怪しい。
彼女の魔術はほとんどが無詠唱によって放たれる。それだけではセナの足を止めることはできないだろうけど、肝心なのはテレジアがどれだけ本気でセナを潰しに来るかだ。
「星神器を持ち出されれば、おそらくアステリオに勝機はないだろうね」
そう、テレジアの切り札、彼女がそれを持ち出せば、セナはきっと勝てない。
「あ、二人が来ました!!」
どっと歓声が上がる。
大演習場の左右から二人の生徒が姿を現す。
ぼくたちから見て右側から先に入場したのは、赤い髪を後ろで束ねたテレジアだ。特にこれといった武装はなし、制服姿でいつも通りの彼女はステージの中央まで歩くと、客席にいるぼくを真っ直ぐ睨んだ。
息を呑む。「あれ」は使わないようだけど、いつになく本気だ。
歓声が大勢のブーイングに変わる。
ぼくたちから見て演習場の左側から姿を現し、早足でステージ中央まで駆け寄ったセナは、腰に一本の剣を携えていた。でもそれは、セナが切り札と言っていたあの剣ではなく、普通の、市販の騎士剣だ。
演習場に設置された拡声の術式が起動する。離れた距離にいる二人の会話も、これで客席まで丸聞こえだ。
「最初に下げていた剣はどうされました?」
「あれは使えないんです。それに、もし使えたとしても、この会場が壊れます」
「へぇ……随分調子に乗っていられるのですね。ですが宣言しましょう。あなたは私に指一本触れることなく敗北しますわ」
テレジアのパーフェクトゲーム宣言に観客のボルテージが高まる。
普通に考えれば、「いやそんな無茶な」となるだろうが、魔導師同士の一騎打ちは主に魔術を用いた遠距離戦闘。近付けない弾幕を張ってしまえば、白兵戦主体のセナのようなスタイルは完全に封殺される。
そこに彼女の魔術の実力が合わされば、その余裕もあながち冗談ではない。
なんて……そう簡単に行くといいけど。
「なら、私も宣言します!」
「いいでしょう、どんな大言壮語を口に―――」
「あなたを一撃で倒します!!」
「……は?」
「「「「はぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああ!?」」」」
あまりの暴挙に、会場全体が驚愕する。
そりゃそうだ。だって、パーフェクトゲームを宣言した相手に対して、一撃ノックアウトを宣言し返すのだから。いくら何でもそりゃ無理だと、客席はブーイングの嵐。正直、距離を置かれていてよかった。この空気に呑まれると、セナの勝ちを確信できなくなってしまう。
「グレイシア、アステリオは虚言癖でもあるのか?」
「いや……ない、と思う。だけど、一撃は流石に……」
本当に、そうだろうか。
ぼくだけが知っている、セナの実力。
本職の魔導師が対処にあたるはずの危険な魔人を前に、一歩も怯むことなく立ち向かう勇敢さ、獣のごとき俊敏性、巨人のような膂力、そして何より……初見殺しを見破る優れた洞察力。
セナは意外とバカだけどアホじゃない。だからこそ、この女はただ真っ直ぐで馬鹿正直なだけなのだと、テレジアは油断する。
もしかすると……本当に、一撃で仕留めてしまうかもしれない。
「契約のスクロールを」
審判役の教師の合図で、二人はポケットから丸められたスクロールを取り出し、交換する。
契約のスクロールは、魔導師が絶対に破れない契約を結ぶ際に使用する魔道具だ。
そこに書かれた内容は絶対遵守。何人たりとも破ることはできない強制力を持つ。そのため、使用には様々な条件をクリアする必要がある。
学院の決闘では特別にこれを使う。こうすることで、決闘勝者に与えられる絶対命令権の有用性が担保されているのだ。
「降参するなら今のうちですわよ。地面に頭を擦り付けて泣いて謝れば、契約は破棄して差し上げますわ」
「降参はしません。それに、負ける気はありませんので」
互いの魔力を登録させて、術式に個人を認識させる。
審判に二人分のスクロールが預けられる。
決着がつくと同時に自動的に敗者のスクロールは燃えて灰になり、勝者の契約が起動する仕組みだ。
二人が、互いを見据えながら後退して距離を置く。
ようやく始まる。セナの勝ちを疑うわけじゃないけど、ぼくは勝てないほど緊張していた。
「これより、テレジア・リヒテンベルク対セナ・アステリオの決闘を始める。両者、構え―――」
テレジアが余裕の表情で右手をセナに向け、セナは片手で剣を持ち、踏み込む構えを取る。
空気が鎮まる。嵐の前の静けさに、観戦していた生徒が息を呑む。
「―――始めッ!!」
審判役の教師の合図で、戦いの火蓋が切って落とされる。
開始と同時に仕掛けたのはセナだ。低い姿勢からステージが割れるほどの勢いで踏み込み、テレジアへと急接近。
魔術の使用に詠唱を必要とする魔導師との戦いなら、これだけで十分決着がつく。
でも、相手は学内トップを争う実力者の一人。
「距離を詰めれば魔術が使えない、それは大きな勘違いですわ」
一瞬、瞬きをした間に、セナを無数の炎の矢が包囲していた。
「さようなら、セナ・アステリオさん」
炎の矢が一斉にセナへと襲い掛かる。
衝撃波と爆炎で何が起きたのか見えなくなった。だけどその直前の光景で、誰もがテレジアの勝利を確信した。
あの包囲から抜け出せる人間など存在しない。無詠唱によって放たれる無数の魔術、決して逃げることのできない炎の檻。それが、テレジア・リヒテンベルクの得意技であり、強者である所以だ。
だけど―――あの程度の初見殺し、躱せないセナじゃない。
衝撃で舞い上がった砂塵と煙が晴れる。誰もが地に伏せるセナを想像したが、現実は違った。
セナは一撃も受けることなくそこに立っていた。僅かに頬に炎の矢を掠めた痕があるだけで、ほぼ無傷であれを凌いだらしい。
「すごい! 避けた!! 避けましたよイヴ先輩!!」
「……いや、避けるよりもっとヤバいっすね」
「自分に直撃する攻撃だけ切り落とした。流石だ、セナ・アステリオ」
無邪気に喜ぶシオンに対して、クロエとアルミリアには何が起きたか見えたらしい。自分に命中する矢だけ切り落とすなんて、そんなの次元が違いすぎる。
「あれを凌ぐとはやりますわね。でも、手札はまだまだありますのよ」
「すべて……ばっちこいです!!」
さっきよりも強く踏み込み、セナが駆ける。まだ肉眼で追えるスピードだけど、見えていたところで対応できる者は少ない。
「また突撃ですか。それはもう見ましたわ」
前後に限定した炎の矢の雨がセナに襲いかかる。左右に安全地帯があるから足を止めて横に飛び回避するけど、それがテレジアの狙いだった。
背後の死角からセナの回避する先に向けて炎の矢が飛来する。回避しようにも、着地と同時に命中する軌道だった。
だからセナは、空中で手先から魔力を放出しながら身を捻り、背後からの矢を切り裂いて着地した。
弾幕と死角からの決定的な一撃に徹底するテレジアのスタイルは、セナのような白兵戦主体の魔導師に効果的だ。接近しようにも術者以上に死角への警戒に意識を割くのはかなり思考リソースを消費する。
「はぁ……はぁ……」
「もう息切れですの? まだまだ勝負は、これからですわよっ!!」
セナが息切れしているのは、疲労からじゃない。
彼女は魔力放出が苦手で、制御ができない。外部に魔力を放出すれば、必要以上に魔力を消費してしまう。今の方法はそう何度も使えない。
再び炎の矢がセナを包囲する。だけど一点だけ弾幕の薄い地点があるが……それは罠だ。
「おわっ!?」
これはぼくの推測だけど、セナは直感に身を任せるタイプだ。だからこそ、こういう罠に弱い。安全地帯を見つけて飛び込んだセナに待っていたのは、足元から上がる巨大な火柱だった。
「えいっ!!」
テレジアの罠に対してセナがとった行動はただ剣を下に振ることだった。
次の瞬間、火柱はセナを包むことなく真っ二つに切り裂かれて消滅する。
あまりにハイレベルな戦いに、観戦していた生徒たちは声が出ないようだった。
「炎の矢だけじゃないんですね」
「当然です、まだまだ手札はありますわ。それに、こういうのもありますのよ!!」
テレジアが右手で地面に触れる。
セナの四方を囲うように魔術式が起動し、炎の蜥蜴が姿を現した。
召喚魔術―――魔力と縁の深い精霊を召喚し使役する魔術。テレジアは炎の中位精霊「サラマンダー」を四体同時に召喚し、セナを包囲していた。
「なっ!?」
「五対一を突破できまして?」
中位精霊の強さは術者の能力に依存するけど、その限界は決まっている。少なくとも、昨日の魔人の方が余程強い。だから四体で包囲されようと、セナには効かない。
右足を軸にその場で一回転したセナは、四方を囲うサラマンダーの核を的確に破壊し、出現と同時に消滅させる。
「なるほど、少しはやるみたいですわね」
「お母さんにいっぱい鍛えてもらいましたから!」
「では……少し本気を出すとしましょうか」
テレジアの周囲に渦巻く炎が現れる。
来る―――ッ!! 僅かな魔力の熾り、そこには微かに魔法の反応があった。
この学院で、魔法はぼく以外に使えない。とすると考えられるのは一つだ。
「アステリオさん、【星神器】を見たことはありまして?」
「のーぶる……すてら?」
「勇者を目指しているのにそんなことも知りませんの? では、特別に見せて差し上げますわ」
星神器―――
かつて、魔王を倒し世界を救った剣星アルトリウスとその仲間が星剣ユスティアと共に星神から賜った六つの武器。それを受け継ぐ者を、人は勇者と呼んでいる。
そう、テレジア・リヒテンベルクが学院最強格である所以の一つが、その星神器だ。
星神の啓示と呼ばれる祝福を受けた者は、勇者になる前から、星神器の力の一端を分け与えられることがある。その一人が、テレジアだ。
「《我が意に傅け》【炎天の星弓】ッ!!」
テレジアがその名を呼ぶと、彼女の周囲を渦巻いていた炎が赤く輝く。
彼女の右手に集束した炎は、その形を細長い大弓へと変化させていき、眩い輝きを放った。
目を開けると、テレジアの手にはが燃え盛る炎を象った紅蓮の意匠が淡く光を放つ一張の大弓が握られていた。
「炎天の星弓……」
「光栄に思いなさい。学院内で私がこれを使った相手はあなたで三人目ですわ」
「そんな……そんなの、そんなのって……ズルいですよ」
「降参してもいいですわよ」
セナは黙ったまま俯いて震えていた。
流石にセナでも勝てないのだろうか。いやいや、ぼくが彼女の勝利を疑うのはよくない。だってセナは、ぼくのために怒って、ぼくのために戦ってくれているのだから。
「かっこいいです!! 星神器っ!!」
「……は?」
うん、違った。子供みたいにはしゃいでるだけだった。
こんな状況でも戦いを楽しめるのは一種の才能だ。いや、命が懸かっていないからこそ、楽しんでいるのかもしれない。
「調子が狂いますわ……でも、余裕でいられるのも今のうちですわよっ!!」
テレジアが大弓を構え、炎の矢を放つ。
先程までの弾幕戦法とは一転、放ったのは一撃だけ。それなのになんだろう、この違和感は。
「せいッ! ……あれ?」
真正面から飛来する炎の矢をセナが切り落とす。だけどその矢は、まるで自分の意志を持っているかのようにセナの剣を回避し、側面から急襲した。
「っと……あぶなかった」
ギリギリ命中する直前に、セナは咄嗟に切り返した刀身で矢を防ぐ。
その顔には僅かに驚愕と、焦りが浮かんでいた。
「まだまだいきますわよ!!」
炎の矢が再び放たれる。三本に増えた意志を持つ矢を凌ぐのはほぼ不可能だ。
「うわっ!? ちょっ、くッ……!」
二本が切り落とされ、残る一本が背後からセナの左肩に命中。
学院の制服は対魔力防護の術式が設定されていて、魔術への耐性が高い。だからあの程度大した威力にはならないはずだけど、その衝撃はセナの体幹を崩すには十分すぎるものだった。
「確実に仕留めますわッ!!」
魔力の高まりと共に、セナの頭上に複数の魔術式が展開される。
降り注ぐのは先程までとは比べ物にならないほど密度を増した矢の雨。セナは自分に命中する矢だけを取捨選択しながら切り落とし、直撃を避ける。
だけど、落としきれなかった矢がセナの身体を掠め、着実にダメージを蓄積させていく。
このままだとジリ貧だ。とはいっても、あの矢の雨を掻い潜る方法なんてない。
「かくなる上は……ッ!!」
セナが移動を始める。多少のダメージを許容しつつ、身体への直撃だけを防ぎながら矢の雨からの離脱を試みる。
でも、テレジアのスタイルなら、その先に待ち受けるのは―――
「そこですわ」
「しまっ―――」
火矢の雨から抜け出したセナを待っていたのは、一本の巨大な炎の槍。
セナはそれをなんとか躱そうとするけど、突然足元が泥濘になって動けない。
まさかと思って観戦する生徒の中にあった魔力反応を追ってみると、外部からの妨害を受けていた。あれは確か……テレジアの取り巻きの一人、名前は思い出せないけど……多分そう。
高速で飛来する槍の直撃を受けて、セナは後方へ吹き飛ばされ、壁面に激突する。
意識を刈り取るには十分な衝撃だった。
「セナ……っ!!」
砂塵と埃、爆炎と煙が舞う先にセナが立っていた。
腹部への直撃は免れたらしいけど、左腕は完全に使い物にならない。テレジアの魔術をまともに食らって折れ、力なく下ろされている。
「……へぇ、腕を犠牲にあれを凌ぐとは流石ですわね」
「どうせすぐ治りますから。それに、まだ一撃入れてません」
「なるほど、治癒魔術は扱えるのですね……ですが、それでどうやって?」
テレジアが不敵に笑う。彼女の視線の先にあったのは、セナが右手に握る剣。
さっきの攻撃を凌いだ影響か、蓄積したダメージによるものか、その刀身は既に折れていた。
根本から砕け、柄と鍔だけになった剣では、テレジアの攻撃を防ぐことも、テレジアに一撃浴びせることもできない。
やっぱりそうだ……ただの剣じゃ、セナの雑な扱いに耐えられない。
「ご心配なく。まだ必殺の鉄拳、マジカルパンチが残っています」
「剣といい拳といい、魔導師に相応しくない白兵戦。野蛮ですわね」
「私、身体強化以外の魔術はからっきしなので」
「では、そのご自慢の身体強化すら封殺して差し上げますわ」
テレジアが指をパチンと鳴らすと、セナの周囲に召喚術式が展開される。
そこから姿を現したのは、サラマンダーじゃない……巨大な炎の体躯を持つ上位精霊、ムスペルだった。僅かにテレジアのアレンジが加えられて大弓を持ち出現した四体のムスペルは、一斉に炎の矢をセナに向け番える。
「まだ上がいるんですか……」
「私、サラマンダーが限界とは言っていませんわ」
ムスペルによる一斉射撃、密度の高い弾幕の中に混じるテレジア本人が放つ意志を持つ矢。剣が折れて切り落とすことのできない今のセナでは、回避に専念するしかなかった。
開始からずっと防戦一方だ。ただでさえ交戦距離のアドバンテージがあるうえに、武器が壊れてしまえば、勝負は決したようなもの。
「逃げているばかりでは私に刃は届きませんわよ!?」
「くッ……! がっ……あぁ!!」
一撃、また一撃と、テレジアの矢がセナを穿つ。
どうしようもない……彼女はこのまま、セナが気を失うまで蹂躙するつもりだ。
自信も、尊厳も、何もかもを踏み躙り打ち砕く。本気のテレジアに勝てる魔導師なんて、この学院にはいない……。
ただでさえ左腕が折れてバランスが崩れているのに、それでもテレジアの弾幕は数を増す。一度に数十本、百本にも匹敵する量が飛来し、セナの体力を着実に削っていく。
「セナ……!」
見ていられなくて目を背けた。
もうやめてくれ。ぼくは心の中で強く願った、祈った。だけど、テレジアの蹂躙は止まらない。セナが二度と立ち上がれないように、心まで圧し折るつもりだ。
決闘は既に、蹂躙に変わっている。
本当に勝敗を決したいだけなら、どちらが優れているか証明したいだけなら、一撃でセナの意識を刈り取ればいい。わざわざジャブを重ねるような真似をしなくても、テレジアにはそれが可能なはずだ。
だけど……今は違う。見せつけるように、セナの心を折るように、自らの絶対的な優位性を証明しようと回りくどい手を使っている。あまりの惨状に、客席から声が消えるほどだ。
「さぁ! もっと見せてくださる!? あなたの実力を! 私を一撃で仕留めると豪語したその自信を!!」
「ぐっ!? あぁっ……!!」
「何をしようと無駄ですわ! 全て、あなたの持ち得る手札全てを掌握し、私が蹂躙する!! 二度と立ち上がれないようにその心を完全に折る!! 私に逆らったことを後悔しろ! 恥を知りなさい! セナ・アステリオ!!」
「くッ……せめて、剣があれば……っ!!」
セナの悲痛な叫びが、拡声魔術に乗せられてぼくの耳に届く。
そうだ……何をしていたんだろう、ぼくは。セナはぼくのために戦ってくれているのに、ぼくは見ているだけなのか……。
違うだろ……ぼくがやるべきことは……違うだろ……っ!!
「イヴ先輩、どこに行くんですか?」
「ちょっとトイレに。それとシオン、クロエ、今から何が起きても、ぼくは無関係だからね」
「わっかりました!」
「……はいっす」
席から立ち上がり、階段を駆け上がる。
ぼくが元居た場所じゃ角度が足りない。セナに確実に届けさせるには、もっと高い位置から……っ!!
幸い、テレジアの蹂躙に夢中で誰もぼくを見ていない。今なら、バレない。
過去にも決闘を妨害されるケースはあった。だけど、互いのスクロールが燃えて契約が無効になるだけで、勝敗が決まるわけじゃない。だから、リスクはほとんどない。
最上階から戦いを見下ろす。セナはもう殆ど限界だ。走り回って逃げつつ回避に専念しているけど、テレジアの意志を持つ矢が確実に体力を削っている。
「……よし」
一度深呼吸をして、集中する。
チャンスは……セナの状況からして一度きり。セナがこちらを一瞬でも視認したタイミングを狙って撃ち込む。
―――目が合った。セナがぼくの思考を察知したのか、こくり頷いた。
掌の先に、魔力で氷を形作る。
なるべく軽く、そして固く、テレジアの炎に耐えられるように、一本の剣をイメージして。
氷が形を変えていく。姿は不格好だけど、せめて長さだけは、セナの剣に合わせる。
タイミングは、再度大きく粉塵が舞った瞬間。
速く、鋭く、誰の目にも見えないように。
セナが足を止めた。
一瞬のうちに炎の矢が彼女を包囲する。
一本、また一本とセナの足元で矢が大きく爆ぜて派手に爆炎を上げた。
今だ―――届けッ!!
舞い上がった煙を貫き、一本の氷が中に撃ち込まれる。
「ようやく諦めましたか。結局、私には届かなかったようですわね」
テレジアが勝利を確信した。
そりゃそうだ、あの状況、剣も盾も魔術もないセナに防ぐ術なんてない。場内の誰もがそう思っていた。
―――青い剣閃が、黒煙を切り裂いた。
「なんですって……!?」
テレジアが驚愕する。
黒煙を切り裂き口元の血を拭ったセナの手に握られていたのは、青白い氷の剣。
テレジアが放ったはずの炎の矢は全て凍り付き、セナの足元に転がっていた。
「……いきます」
強く踏み込んだセナが、一瞬の隙をついてテレジアへ肉薄する。
魔術で包囲すれば、自分にも当たる距離。そこまで接近されてしまえば、遠距離主体の魔導師には何もできない。
「なっ……!?」
テレジアは最後の足掻きで、セナとの間に魔力の障壁を展開した。だけどセナの剣閃は障壁を飴細工のように切り裂き、ガラスのように粉砕させる。
「これで……ッ!!」
障壁によって稼がれた時間を使って、テレジアは今まで見せたことのない最大火力の炎の槍をセナに向けて放つ。
でも―――それも届かない。槍は真っ二つに切り裂かれ、セナの後方で大きく爆ぜる。
「なんで……!!」
残っていたムスペルと同時に放たれた矢の雨がセナを襲うが、それもセナにはもう見切られてしまった。
矢が届くよりも早くムスペルの集団へと接近したセナは、一体の核を拳で貫き、続け様に二体目の核を巨大な炎の体躯ごと切り裂く。
残る二体が反撃に出るが、セナは姿勢を低く構えて一体の両腕を切断。返す刃で核を破壊。最後の一体の核を、逆手に持ち替え貫いた。
「本気じゃなかったって言うんですの!?」
あれだけ苦戦していたムスペルをものの数秒で全て消滅させたセナは、残った本体、テレジアへと狙いを定める。
魔術は、心の平穏が何より大切だ。乱れてしまった心では、正しく魔術を扱えず、その結果は必ずどこかが狂ってしまう。
焦るテレジアには、もう先程のように正確無比な射撃は行えない。ただ、襲い来る恐怖から逃れるように弾幕を張り、逃げるだけだった。
「本気でしたよ、今までずっと」
「ならどうして……防げなかったあれを、一瞬で……っ」
「友達が力をくれたんです。それに応えるのが、私のやるべきことですから」
セナは涼しい顔でにこやかに笑う。
意味が分からない。テレジアの驚愕に見開かれた瞳は、確かにそう言っていた。
魔導師同士の戦いは、先に手札が尽きた方が負ける。
早々に切り札を切って勝負をつけようと焦ったテレジアの手に、もう札は残されていなかった。
「これで……終わりですッ!!」
一閃―――セナの放った斬撃は、テレジアの意識を刈り取った。
テレジアの身体が地面に倒れ伏す。その瞬間、セナの勝利が確定した。
静まり返る観客たち。彼らは皆、信じられないといった様子で目を見開いていた。
「そこまで! 勝者、セナ・アステリオ!!」
審判役の教師が高らかに宣言し、敗者であるテレジアのスクロールが燃え尽きた。
だけど……歓声が上がることはなかった。
「……反則だよね、今の」
誰かが言った。それは、誰もがこの結果に対して抱いている不満だった。
「その氷の剣は一体なんだよ!」
「反則! こんなの反則よ!!」
「俺は見たぞ! あの魔女の娘が手を貸したんだ!!」
「ふざけんな! テレジア様の決闘を邪魔しやがって!!」
ブーイングの嵐が巻き起こる。
仕方のないことだとは思う。ぼくがセナに剣を与えたのは事実だし、それによってテレジアの優勢が傾いたのも確かだ。
だけど……先に妨害したのはそっちじゃないか。
「……やめなさい」
だけどセナへの、そしてぼくへの批判に沸き立つ生徒たちを咎めたのは、他でもないテレジアだった。
立ち上がった彼女は、客席最上階に立つぼくをじっと睨みつけると、ひとつ息を吐く。
「アステリオさんが突然足を止めた理由を私が見抜けないとでも? なんですの、あれは。これは決闘。あなた方にとってはただの娯楽かもしれませんが、当事者には譲れないものがある。彼女が妨害を受けた、それは紛れもない現実ですし、覆しようのない真実です。私は負けた、それが事実ですわ」
テレジアはセナを真っ直ぐ見つめて、「それに」と続ける。
「あのまま勝っても気分が悪かった。次は本気のあなたを叩き潰します」
「私もです。次は、私の全力でぶつかります」
互いを称え、壇上で握手を交わすセナとテレジア。
セナは何かを決心したかのように頷くと、にこやかに笑ってこう言った。
「契約を破棄します。こんな形で終わるのは、私も本意じゃありませんので」
セナがそう一言宣言すると、審判に預けられていたもう一方のスクロールも炎を上げて灰になる。
決闘は無効、契約は破棄、絶対遵守の命令権は、誰にも渡らなかった。
激戦の果て、敗者も勝者も、そこにはいない。
消化不良かもしれないけど、それがセナの望んだ結末だった。
セナは契約破棄宣言の直後、力が抜けたように倒れ込んだ。
「セナ……っ!!」
ぼくは階段を下り、客席に設けられた柵を飛び越え場内へ駆けつける。
気を失ったセナを抱きかかえる。折れた腕も負った傷も例の現象で回復はするけど、それでも心配だった。
「……イヴ・グレイシア」
見下ろされる形で、テレジアに名前を呼ばれる。
何を言われるのか分からなくて、怖かった。セナに剣を与えたことを咎められるのかと思ったけど、テレジアは怒りに満ちた顔でぼくを見た。
「いつまで逃げるつもりですの」
「逃げる……? 何を、言っているの……」
「抗う覚悟もなく、怯えたふりをして力なき者の背に隠れる。卑怯で卑劣なあなたを、私は絶対に許しませんわ」
吐き捨てるようにそう言って、テレジアは会場を去った。
抗う覚悟もなく、怯えたふりをして力なき者の背に隠れる……ぼくは、テレジアが言ったことが何一つ分からなかった。