第4話『編入生 セナ・アステリオ』
授業開始を告げる鐘が鳴る。
プラネスタ魔導士官学院は、学術都市の名の通り、この街の中心に位置している。
地下に広がる大迷宮、本来その解明のために建設された施設を、魔導師育成の場にしたのが、学院の始まりだ。
才覚を認められ、魔導師を志す子供は十歳から成人を迎えるまでの五年間、この学院の庇護下に置かれる。生徒総数五百名が、王国の未来を担う魔導師となるため。そして、伝説の神器、星神器を受け継ぐ勇者となるために日々研鑽を積み重ねていた。
今日はなんだか少しだけ、教室の空気がひりついている気がする。
後ろにいくにつれて高くなっていく階段状の教室、最後方の席に、ぼくとセナは隣り合って座っていた。ちらほらと視線を感じるけど、それはいつものことだ。
「よーし席つけお前らぁ、本日一発目は俺の授業で幸運だったなぁ」
気だるげな態度で欠伸混じりに教室に入ってきたリツ先生は、乱雑に教壇に資料を置いた後、いつものように髪を掻いた。
「ちょっと前からお前らが噂していた通り、今日から編入生が一人加わる。アステリオ、前来て挨拶」
「は、はいっ!」
セナが立ち上がり、一段一段降りて教室の前に向かう。
学生たちの視線が一斉にセナに集まる。ただそれはどちらかと言うと、皆がぼくに向けているものに似ていた。
「セナ・アステリオです。勇者になるためここに来ました。よろしくお願いします」
深々と一礼。昨日までの噂の盛り上がり様なら、温かく出迎える空気になるはずだけど……返ってきたのは静寂だった。
怒り、恨み、憎しみ、そして妬み。厳しい視線がセナに向けられている。
当然だ……セナは未だ合格の前例がなかった編入試験をほぼ満点で突破した実力者なのに「魔女の娘」と親し気にしていた裏切り者なのだから。
「……あれ?」
教室の反応にはセナも違和感を覚えているようだった。
助けて―――なんて言いたげな視線がぼくに向けられるけど、ぼくはどうにもできないし、これがセナが自ら選んだ道だ。
授業はつつがなく進行した。先生のいい加減な授業も、案外要点が抑えられているから生徒には好印象。ただ和気藹々とした空気は教室にはなくて、常にピリピリしていて気分が悪い。
セナも流石は優等生、ちゃんと授業にはついていけているようで安心したけど、その表情はどこか不満げだった。
授業が終わると、セナは真っ先に皆に声をかけに行った。
だけど誰にも相手にされなかった。魔女の娘と仲良くしているのだから、彼女も同類。世界を焼いた裏切り者と仲良くする気なんて誰にもない。
「こんにちは、お話を―――」「ごめん、魔女の娘の友達とは……」
「お友達に―――」「ひっ!? 来ないで!!」
「皆さんは―――」「あっち行けよ裏切り者!!」
すべて……失敗。何度も声をかけてみたが、皆一様にセナを無視していた。
セナが選んだ道とはいえ、ぼくのせいだから少し申し訳なかった。
「だめです、玉砕です、心が折れそうです……」
午前の授業を終えて昼休み、食堂で昼食を注文し、窓際の席に腰をかけたセナは、座った矢先にがくりと肩を落とす。
ずっと陰から見ていたけど、負けじと何度も挑んでいる姿を見るのは少し心が痛かった。
「セナ、学院ではぼくたち、関わらないようにしようよ」
「えっ」
セナの顔に絶望の色が浮かぶ。
いやそんな世界の終わりみたいな顔されても、これが最善なのだから仕方ない。
セナがぼくと関わらなくなれば、彼女も皆の輪の中に入っていける。そう、きっとそうだ。結局彼女の学院生活を妨害しているのは、ぼくなんだから。
「ぼくと友達だと、君がぼく以外の友達を作れないだろ?」
「それは……そう、なんでしょうけど……でも、それだけ嫌です」
「……一応、方法はなくはないけど」
「教えてください!」
しまった……変にセナの興味を刺激してしまった。
いやでも、ここまで来たら仕方がないか。
「もし生徒の主義主張がぶつかり合って、それでも互いに譲れない信念があるのなら、セナはどうする?」
「うーん……何か勝負事でもします。サイコロを振るか、じゃんけんするか」
「そう、どちらかが優れていると証明しなければならない。一応この学院には、そのための制度が用意されているんだ」
「それはまさか……っ!!」
どうしてそこでセナが目を輝かせるのかは分からないけど、この制度は野蛮でぼくは嫌いだ。だけどセナの強情さはきっとどこかで誰かとぶつかる。その時に、セナが自分の信念を貫き通すためには、この制度のことを知っておいた方がいいだろう。
「「決闘」ですね!?」
ぼくとセナは同時にその言葉を口にした。
「え、知っていたの?」
「いえ、知りません。でもなんとなくそんな気がしたんです」
勘が鋭い……いや、少し考えれば分かるかもしれない。
決闘―――それは今や暇な生徒の娯楽として消費されているこの学院の制度。
「生徒同士の主義主張がぶつかり合い、それでも互いに譲れない信念があり、相手が同意した時のみ、生徒同士での直接対決が許可されているんだ。決闘の勝者は、敗者に一度の決闘に限り一度だけ絶対遵守の命令を下せる」
「それで全員捻じ伏せて強制的に友達になりましょう作戦ってわけですね」
「思考が野蛮極まりないけどね、最終手段はそれかな。相手が同意してくれること前提になるけど」
セナはしばらく俯いてうんうん唸った後、何かを決心したように大きく頷く。
「いや、イヴと友達をやめないと皆と友達になれないのなら、私、イヴ以外の友達はいりません。そんな世界きっと間違ってます!」
「極端すぎるでしょ……」
間違っているのはぼくたちの方だというのに、強情だな。
それに……ぼくと関わっていれば、厄介な相手に目をつけられかねない。
セナの平穏な学院生活のためにも、それだけは避けないと―――
「いいえ、間違っていませんわ」
誰かがぼくたちの会話に割って入ってきた。
「とても優秀な成績を残されていながら既にその栄誉を手放してしまった編入生……あなたですわね?」
高貴な言葉と呼吸するように出てくる皮肉、まさに絵に描いた貴族のような態度でぼくたちに声をかけてきたのは、十数名の取り巻きを引き連れた真っ赤な長髪が特徴的な少女だった。
「……どちら様ですか?」
「貴様! テレジア様を知らないとは無礼な!!」
「選別に出るつもりのくせにテレジア様すら知らないのか!!」
「構いませんわアンネ、イリーナ。世間知らずも可愛らしいではないですか」
テレジア・リヒテンベルク。
旧法王統治時代、剣星アルトリウスと共に戦った弓の勇者の末裔、リヒテンベルク家の後継者。名家の娘であり、文字通りの貴族。ぼくの苦手な人間の一人だ。
首を傾げるセナに噛みついた取り巻き二人のうち、金髪がアンネ・ファリス、銀髪がイリーナ・ファリス。双子であり、リヒテンベルク家に仕える従者。
そして、テレジアが束ねるこの取り巻きが、勇者選別を前に集められた弓の派閥、その一部。派閥争いなんてくだらないとは思うけど、この学院において娯楽として消費されている決闘文化を考えると、争いを求めるのは仕方がないことだとは思う。
「私はテレジア・リヒテンベルク。セナ・アステリオさん、私、あなたに興味がありますの。少々お時間いただいてもよろしくて?」
「私と会話してくれるんですか!?」
セナの瞳に光が宿った。
無視され続けた中、差し伸べられた手。セナにとってテレジアからの接触は、乾いた砂漠に降る恵みの雨のようにも思えただろう。
だけどそれは……いや、ぼくはセナの選択を尊重しよう。
「ここだと騒がしいでしょうから、場所を変えましょう。こちらへついてきてくださる?」
「はい! 分かりました! 行きましょう、イヴ!」
「残念ですが……私が興味を持っているのはあなたお一人です。その魔女はお呼びではありませんわ」
「えっ……で、でも……」
助けを求めるセナの視線がぼくに向けられる。
そうは言われても、ぼくはどうすることもできない。ぼくは首を横に振って、穏やかなに笑った。
「……わかりました」
「では、こちらですわ」
テレジアとその取り巻きに先導される形で、セナは食堂を後にした。
一体、何をするつもりなんだろう。ぼくからセナを引き剥がそうとしているとしたら、セナはきっとそれを良しとしない。だけど、テレジアの派閥の力は強大だ。ぼくは魔法のおかげで敵に回さないように、遠回しな噂や無視で片付いているけど、セナの場合はきっと、あの手この手で学院から排除される、そんな予感がしている。
「気になるのかい?」
「うわっ!? な、なんだ、アルミリアか……」
腕を組んで眉間に皺を寄せ、うんうん唸っていたぼくに声をかけてきたのは金髪の少女、アルミリア・グランヴィル。彼女も旧法王統治時代から続く名家の人間だけど、その性格や態度はテレジアと真逆だ。
同学年の中で唯一彼女だけはその視線から悪意を感じなかった。旧時代の騎士の家系の人間ということもあり、礼儀正しく容姿も優れ背が高く、「王子様」といった印象の彼女にはファンが多い。
そんな彼女がぼくに声をかけるなんて、珍しいこともあるものだ。
アルミリアはぐっと顔を近付け、その青い瞳でぼくの目を真っ直ぐ見てきた。
「そりゃ、気になるけどさぁ……」
「……セナ・アステリオ。彼女は、おそらく何があろうと自分の信念だけは曲げないタイプだ。だから、君が心配することは何一つないと思う」
「それはもう知ってる」
「どうしても気になるなら聞いてみよう。盗み聞きだ」
「え、ちょっ、アルミリア!?」
アルミリアはぼくの手を取り、強引に引っ張って食堂の出口へと歩いていく。
「盗み聞きって、そんな趣味の悪い……」
「君だけ仲間外れは気分が悪いだろう。それに、アステリオのことは私も気になっている。面白いものが見れる、そんな気がする」
「ぼくは、セナに普通の学生として過ごして欲しいんだけど……」
なんだかとても嫌な予感がした。
だからぼくはアルミリアに引っ張られるままに走り出し、セナたちを追った。
東棟二階の空き教室、昼休みのこの時間は特に人気のない場所に、どうやらセナは連れ込まれたようだ。
扉に聞き耳を立ててみると、中から話し声が聞こえる。
「納得できません!!」
強く言い放つセナの声が聞こえた。
「あなた方がイヴを、魔女の娘を忌み嫌っているのはよく分かりました。だけど納得できません。私にはどうしても、イヴが悪い人には思えないんです」
「……この五年間で、十三人の魔導師があの魔女のせいで一生消えない傷を負いました。勘違いなさらないで、《《あれ》》は魔女ですわ」
十三人の学生を危険に晒してしまったのは事実だ。
学院の庇護下にあるとはいえ、不安定な王国の情勢のせいで、プラネスタでは一年に数度大きな事件が起きている。そのたびに、ぼくは魔法を使ってきた。それでも守り切れなかったものは少なくない。身体に、心に傷を負った学生は、皆一様にこう言った。
「あの魔女が全て悪い」
そのたびにぼくは罪を押しつけられて、悪しき魔女の噂が広まっていく。それでも未だに退学処分を受けないから、学生側はぼくを排除する方法がない。
こうして、魔女の娘に恐怖を覚える学生が増え、また噂が広がる。負の連鎖というやつだ。
「……また始まった。君に恨みをぶつけても、死人は帰らないのに」
「仕方ないよ。テレジアは、灰都の火で母親を失っているから……」
ヨハンナ・リヒテンベルクの死。
それは、テレジアがぼくを嫌う最たる理由の一つだろう。
王国最高の六名の魔導師に与えられるもの、それが勇者の称号と《星神器》だ。
テレジアの母親は先代の弓の勇者。灰都の火にて焔の魔女アリシア・イグナに挑み、そして敗れた。彼女にとってぼくの師匠は母親の仇であり、だからこそ、その娘であるぼくを執拗に嫌う。
学院全体で魔女への嫌悪を扇動しているのは間違いなく彼女だ。だけどそれは仕方のないことだと思う。人の恨みはそう簡単に濯げないし、ぼくも許してもらおうなんて考えていない。
「グレイシア、私は君を……」
アルミリアは何か言いたげな目をぼくに向けたけど、結局何も言わずに口を閉ざした。
セナとテレジアの口論はまだ続いている。
「だからそうやって、イヴの周りから人を遠ざけてきたんですか!? 近付く人に陰で悪い噂を流して、陰湿に、イヴをいじめてきたんですか!!」
「いじめだなんて人聞きの悪い。私はただ、人と人が魔術を高め合うこの学院を正しい形にしたいだけですわ。そのためには、魔女は異物ですの」
「だからって……陰口叩いて悪い噂広めて、精神的にイヴをいじめて追い出そうとするのは間違ってます!!」
「いじめではありませんわ。これは制裁、魔女に鉄槌を下す正義の行いです」
「……っ! イヴは……イヴは、魔女なんかじゃありません!!」
セナの声が廊下に響く。その声があまりに大きくて、ぼくとアルミリアは一瞬怯んだ。
「……わかりました。そこまで言うなら私にも考えがあります」
「へぇ……それは一体?」
「テレジア・リヒテンベルク。あなたに決闘を申し込みます。私が勝ったら、私の友達を悪く言ったことを謝ってください」
そしてすぐに、テレジアの冷たく吐き捨てるような声が聞こえた。
「……くだらないですわね」
「な……!?」
「いいでしょう、その決闘受けて立ちます。私が勝利すれば、あなたには今後卒業まで、私の下僕になっていただきます。私にとってあなたに頭を下げるのはそれほどの屈辱ですので。よろしくて?」
「……望むところです」
セナは怯むことなく、自信に満ちた声でそう言った。
ぼくはそんな彼女がとても頼もしく思えて、少し嬉しかった。
大勢が空き教室から出てくる。アルミリアはいつの間にか姿を消していた。
その中、取り巻きに囲まれるテレジアと確かに目が合った。
「イヴ・グレイシア……私はあなたを絶対に許しませんわ」
吐き捨てるように言い、テレジアとその取り巻きは空き教室を後にする。
教室の中に目を向けると、セナは深いため息をついていた。
だいぶ気疲れしたのだろう。テレジア・リヒテンベルク。流石は名家のお嬢様、纏うオーラは本物だ。今学院で最も力を持つ生徒は誰?という問いをすれば、ほぼ全ての生徒がテレジアだと答える。この学院は実質的に、彼女の支配下なのだ。
「イヴぅ……やってしまいました、私、友達を作るどころか敵を作ってしまいました……」
「セナでも怒るんだね。何て言われたの?」
「イヴの陰口です。魔女の娘とか、危険な存在とか、何人も治療院送りにしているとか、死人も出ているとか、そういう、イヴのことを少しでも知っていたら到底信じられない噂ばかり一方的に教えられて、腹が立ちました」
いつものパターンだ。ぼくを学院から排除しようにも決定的な証拠がないから、噂を広めて孤立させ、自らの意思で去るのを待つ汚いやり方。
でも、敵だらけのぼくを庇っても何もメリットはないのに、セナはどうしてここまでしてくれるのだろう。
「それで……本当にやるの?」
「もちろんです。ぎゃふんと言わせて絶対に謝ってもらいます」
セナの瞳は、怒りというよりも決意に似た感情が込められていた。
どうして彼女は、ここまでぼくを気にかけてくれるのだろう。セナの性格ならいくらでも友達はできるはずなのに、何故、ぼくを見放さないのだろう。
分からない、分からないけど、そんなセナの存在が少しだけ嬉しかった。