第48話『星剣ユスティアの真実』
信じられなかった。
信じたくなかった。
だって師匠が、ぼくがこの手で終わらせた。先生の魔力が込められた弾丸で肉体に宿る魔力を完全に破壊したから、骸の魔女でも蘇生は不可能だ。
他人の空似? それとも、またクローン?
いいや、違う……ぼくの右目は、心は、彼女を確かにアリシア・イグナだと認識している。
「私の名はアリシア・イグナ。魔王との戦いに勇者を導いた大魔法使い、星詠み」
もしかすると別人か、そんなぼくの疑問を打ち砕くように少女が名乗った。
間違いない、彼女はアリシア・イグナ。焔の魔女その人だ。
「ししょう……っ」
もう一度会うことができたのが嬉しくて、いつの間にか涙がこぼれていた。
感動の再会……にしては突然すぎたけど、それでもぼくは―――
「待てイヴ、彼女の目を」
「目……?」
アルミリアに言われて、涙を拭って師匠の、アリシアの目を見る。
彼女は真っ直ぐぼくらを見ている。最初はそう思った、でも、違った。
その視線の先にぼくたちはいなかった。彼女からは、ぼくたちが見えていないんだ。
「この魔法が起動したということは、私は既に死亡しているだろう。墓所に訪れたキミたちには、私が書き記した星紡ぐ物語か、星神器か、星剣ユスティアがあるはずだ。この魔法は、その条件に当てはまる者以外には適用されない。これは記録だ。私は確かにキミたちの目の前にいるかもしれないが、私からキミたちを認識することはできない。私の言葉は、過去からの伝言とでも捉えて欲しい」
師匠はぐるりと入口側を見渡して、やがてやってくる勇者たちへの言葉を紡ぐ。
分かってはいた。師匠はぼくがこの手で殺したんだ。だから、これはきっと何か夢のようなものなんだと分かっていた。それでも、いざ師匠本人の口から語られるのは少し心苦しいものがある。
「キミたちが抱える疑問に一つ一つ答えていくとしよう。まず初めに、ここは勇者アルトリウスが眠る地、墓所で間違いはない。実際にほら、こうして、ここに彼は眠っている」
祭壇……のようなものに見えたそれは、大きな棺だった。
アリシアは穏やかな笑みを浮かべながら棺にそっと触れて、愛おしそうに表面を撫でた。そのたった一つの所作だけで、彼女にとってアルトリウスがどれだけ大切な人だったか伝わってくる。
「しかし、彼は未だに死ぬことを許されていない。ユスティアと共に世界を救う、魔王を打ち倒すことを星神に強いられた彼は、魔王の討伐を果たすまで死ぬことができない。では彼は何故眠り続けるのか、キミたちは疑問だろう。そうだなぁ、強いて言うのなら、彼は疲れてしまったんだ」
悲哀、憂い、後悔、怒り、様々な感情が入り混じった複雑な表情で、アリシアは小さくそう語った。
グランヴィル家の資料の中に、アルトリウスの死については詳しく記載されていなかった。ただ彼は、戦いの中で眠りについたと、たったそれだけで、何故死んだのか、どうやって死んだのか、彼の死に関する情報は一つもなかった。
あるはずがない。だって、彼はまだ死を迎えていないのだから。
「魔王とは一体何か。それは、私たち魔法使い、魔族の中に生まれる優れた力を持った異質な存在。それらを恐れた人々が勝手に想像し、創造してしまった空想の産物、恐怖そのものの象徴だ。アルトリウスの生きた時代ではそうだった。君たちの時代では、魔王は既に倒されたものとして扱われているだろう。だがそれは違う、魔王は死なない、新たな魔王が生まれ続ける。私もおそらく、その一人としてキミたちに討たれたのだろう」
アリシアはこの時から自分が焔の魔女として勇者に討たれることを計画していた。
一体、彼女は何を想ってこの千年を生きてきたのだろう。どうして、討たれることを覚悟していながら、それでも人々に尽くしてきたのだろう。
ぼくには分からなかった。まだ人並み程度の時間しか生きていないぼくには、師匠の考えることなんてこれっぽっちも分からない。
「彼は魔王ですら救おうとしていた。人々と魔族が共に手を取り合える、そんな未来を願っていた。だが現実は違う、たとえ異種族との戦いが終わりを迎えようと、人々は闘争を求め、戦い、殺し、殺され、緩やかに滅びに向かっていく。世界を救った英雄アルトリウスは新たな戦いの火種となり、いつしか屍の山を築いていた。誰も彼を理解しようとしない、誰も彼と分かり合おうとしなかった。彼はひどく嘆いた。自分が救おうとしていたものは救えず、守りたかったものは誰一人守れなかった。失意の中で彼は強く、眠ることを望んだ。二度と覚めることのない眠りを迎え、英雄としての役目を終えたがっていた。この墓所は、そんな彼が世界から隔絶されて眠り続けるための場所だ」
そう強く語るアリシアの瞳には涙が浮かべられていた。
それと同時に、人々への恨み、憎しみといったどす黒い感情がその瞳の奥から感じられる。それでも彼女が人々の敵であろうとしなかったのは、新たな魔王にならなかったのは、アルトリウスがそれを望まなかったからだろう。
「私の予想が確かなら、キミたちは今、骸の魔女の脅威に晒されているだろう。死者を蘇らせる禁忌の秘術を駆使して人々の心を惑わす悪魔。キミたちは、それを倒すための手段を求めてこの墓所を訪れた、そうであることを願っている」
「……そうだ」
こちらの声は聞こえていないというのに、アルミリアはアリシアの声にそう返した。
「私はまず、彼の生家であるグランヴィル家に頼み、トゥリアとフィクタ、二振りのユスティアの情報を未来永劫秘匿し続けてもらうことにした。ユスティアは王家に保管され、新たな勇者の選定に使われるフィクタのみ、それが君たちにとっての今までの常識だっただろう」
「全部、お母さんの掌の上だったんですね……」
「トゥリアの存在を秘匿した理由は、トゥリアがアルトリウスの封印に欠かせないものだったからだ」
アリシアは棺の中に眠るアルトリウス、その心臓部に突き立てられたもう一振りのユスティアに触れて、真実を語り始めた。
「キミたちは、星剣ユスティアについてどれだけ知っているだろうか。恐らくは何も知らない。ただ勇者の剣であり、なんかめっちゃ光る剣だなぁ、くらいの認識でしかないのかもしれない」
言われてみれば、ぼくたちはユスティアについて何も知らない。
千年前、世界を救った勇者の剣であり、千年間誰も使い手のいなかった伝説の星剣というだけの認識だ。それが持つ力が一体どのようなものなのか、詳細を知る者はこの場に誰一人いないだろう。
いや……アルミリアなら、ぼくたちより多少詳しいだろうか。
「ユスティアは、世界をあるべき姿に戻す正義の剣だ」
「世界を、あるべき姿に……」
「ユスティアの持つ力の本質は肯定と否定。事象を意のままに書き換え、事象を打ち消し切り払う。それがキミたちのもつ、星神器の始祖、星剣ユスティアが本来持ち得る力だ。難しい話だと思うが、要は、世界の全てを支配できると捉えてくれればいい」
ユスティアの力の本質。それはぼくたちが想像できる範疇を超えていた。
ただの剣一本が、世界の全てを支配するだなんてありえない。だって、セナのユスティアはそれらしい力を何も持っていない。
「しかしアルトリウスはある時、ユスティアを二つに割いた。事象を書き換える肯定の力をトゥリアに、事象を切り払う否定の力をフィクタに。今キミたちが持っているのは、王家が保管しているフィクタだろう。トゥリアの場合は……私が想定する未来には、何一つ辿り着けなかったのだろうね。だから、私はキミたちが持つそれを、フィクタだと仮定して話を進めよう」
アリシアの言葉を聞いて、今までユスティアに感じていた違和感が解消された。
思い返せばユスティアが強く光り輝いた時、切り裂けないものはなかった。ユスティアの輝きの前ではどんな魔法も、魔術も無力化される。魔力が分散するあの現象の理由が事象を打ち消し否定するユスティア・フィクタの力の一端だとするのなら合点がいく。
「最初に言ったように、アルトリウスの肉体は死ぬことができない。未来永劫、現れ続ける魔王を打ち倒すための正義の化身になることを望まれた彼は、戦い続ける自身の未来を恐れ、自らの身体をトゥリアの事象改変能力を利用して封印した。だがしかし、それには大きな欠点があった。アルトリウスの肉体を封印している間、トゥリアは私のような少女の力でも容易に引き抜けてしまう。この剣が彼の身体を離れたその時、アルトリウスは正義の化身として復活する。そこに彼の自由意志はない、彼の魂は既に死んでいる。彼は蘇り、平和を求めて戦うためにこの墓所に侵入した人間を殺してしまうだろう」
アリシアの危惧の通りになってしまった。
アルトリウスの封印は何者かによって解かれ、墓所に侵入した調査隊を全滅させた。記録に残っているあの亡霊は、魂の死んだアルトリウス。それで、間違いはないのだろう。
「だから私は、この墓所の封印を強固なものにした。解除条件は大きく分けて四つ」
アリシアは親指を折り、指を四本立てて続ける。
「私の死、三つ以上の星神器の覚醒。星剣ユスティア・フィクタの目覚め。そして……私の後継者たる、星詠みとユスティアの持ち主が出会うこと。この四つの条件が達成された時、この墓所の封印は解除されるようになっている……いや、解除されてしまうんだ。キミたちが骸の魔女の討滅を望むのなら、トゥリアは必要になるからね」
「だから……この墓所が発見されたのがあの日だったのか」
アルミリアがふと呟いた。
でも、ぼくたちが達成した条件は三つだけだ。アリシアの死、ユスティアの覚醒、星詠みとユスティアの担い手の接触。でもぼくたちはまだ、星弓と星盾の二つしか星神器を覚醒させていない。
可能性があるとするのなら、星斧か星槍のどちらかが既に覚醒しているのか、もしくは、ぼくたちのまだ知らない、星槌か星杖に選ばれた誰かが、覚醒させたか。
何にせよ、師匠が設定した通りに墓所はその封印を解き、人々の前に現れた。
それはつまりこれから先、ユスティア・トゥリアが必要になるということだ。
「しかしキミたちは同時にこう思うはずだ。『トゥリアはアルトリウスの封印に必要なのに、どうやってここからトゥリアを持ち出すのか』と。その答えは単純だ」
アリシアは再びアルトリウスの棺を撫で、ぼくたちの方を真っ直ぐ見てこう言った。
「アルトリウスを―――殺して欲しい」
深々と頭を下げるアリシアの声は、微かに震えていた。
「アルトリウスは現在、トゥリアの事象改変能力によって『死』の概念を与えられた状態にある。仮死状態と言えば分かりやすいだろう。ユスティア・トゥリアが引き抜かれない限り、彼の肉体は死んだ状態を維持し続ける」
「でも、引き抜かれてしまったら……」
「トゥリアが引き抜かれた瞬間、アルトリウスは蘇る。彼の魂は既に死んでしまったから、おそらくは戦い続ける意志が彼の肉体を動かすだけだろう。だから……アルトリウスを眠らせてやって欲しい」
死なない相手をどう殺すか。その方法をぼくたちは知っている。
だけど、おそらくアリシアが想定しているのは先生のようなイレギュラーじゃない。
「ユスティア・フィクタなら、それが可能だ」
セナの腰に携えられた黄金の剣、ユスティア・フィクタに視線を向ける。
事象を切り払う否定の剣。確かにこれならそれが可能かもしれない。そう、『勇者アルトリウス』という概念をユスティアで否定すれば、彼を殺すことは可能だ。
ぼくたちはユスティアの使い方を知らなかった。力の本質を理解していなかったから、今までその一端しか使うことができなかった。でも、その力が否定の力であることを知った今なら―――
「……アルトリウスを、この世界から消せと言うんですか?」
ユスティアの力を理解したからこそ、それを握るセナの手が小刻みに震えていた。
「フィクタの否定の力は、アルトリウスという存在そのものをなかったことにできる。彼の名も、成した偉業も残した功績も、その全てを消し去ることが可能だ。私にはできなかった……だから私は、アルトリウスという希望を必要としない未来のキミたちにこの願いを託す。どうか、彼の苦悩を終わらせてやって欲しい」
アリシアは再び深々と頭を下げて振り返り、また、アルトリウスの棺の傍に座り込んだ。
「……本当にそれでいいんですか!!」
セナが声を上げた。その黄金の瞳には、大粒の涙が浮かべられていた。
「そんなことしたら、あなたと彼が歩んできたこれまでの道が、過去が、思い出が、何もかも消えちゃうんですよ……!!」
「セナ……」
セナの叫びに、アリシアは何も答えない。声が届くこともないのだから当然だ。
アルトリウスは存在する限り、世界を平和にするための正義の人形であろうとする。魂が死んでも、肉体が死ぬことを許されない限り彼の尊厳は星神によって踏み躙られ続ける。アリシアはもう、そんな彼を見たくなかったんだ。
「どうして何も言わないんですか……答えてください、アリシア!!」
「セナ、ぼくたちの声は届いていない、最初に言っていたじゃないか」
「でも……っ、私は、わたしは……っ、ぁぁぁああああああああああああ!!」
セナはついに、感情を抑えきれずにその場で泣き崩れてしまった。
震える彼女の身体をアルミリアが優しく抱き留めて、頭を撫でる。
だけど、そのアルミリアの手も、同じように震えていた。
床に亀裂が走る。天井が音を立てて崩れ始める。
アリシアの、師匠の魔法が、終わりを告げる。
世界が歪んで、アリシアの背中が崩れ落ちた瓦礫の先に消えていく。
足場が崩れて、ぼくたちは奈落の底に落ちていった。
次に目を覚ました時、ぼくたちは師匠の魔法の影響下から抜け出していた。
目の前に聳える両開きの扉は、アルトリウスの棺があったあの空間のものだ。ぼくたちは、その手前まで転移してしまったらしい。
「うっ……あぁっ、あぁぁぁぁぁっ……」
隣ではセナが声を上げて泣き崩れ、その身体をアルミリアが受け止めている。
だけど、元に戻ったと言うのに、アルミリアも立ち上がろうとしなかった。ただ顔を伏せて、下を見るばかり。セナの身体を支えるのその手が、小刻みに震えていた。
「……もし、アルトリウスの存在を消したら、私はどうなるのだろうか」
アルミリアがふと、小さな声で呟いた。
「グランヴィル家は、アルトリウスの血を引いた末裔だ。ユスティアの力でアルトリウスをこの世界から消滅させたら、私たちの存在はどうなるのだろうか……」
「どうなるって……」
「私たちにとってアルトリウスは始祖だ! その存在が消えてしまえば……なかったことになってしまえば、私たちの存在すらも消えてしまう。そんな気がして、ならないんだ……」
アルミリアの声は震えていた。
彼女の持つ恐怖への回答は、ぼくの中にはなかった。ユスティアの力が何をもたらすのかは分からない。見たことがないのだから、何が起きるかなんてぼくたちが知るはずがない。
だけどアルミリアの推測が正しいのなら。
アルトリウス・グランヴィルという存在をなかったことにしてしまったら、その子孫である彼女はルーツを失ってしまう。たった一人、されど一人、アルトリウスという存在が消えることで、その血を引くグランヴィル家が消滅する可能性があるのは確かだ。
「アルミリア、それは……」
「分かっている。これはただの私の妄想だ。だが、もし本当にそうなってしまうのなら、私は……」
それでも、ユスティア・フィクタでアルトリウスを殺せるのか。
アルミリアだけじゃない、アルトリウスの血を引く全ての人間をこの世界を消す覚悟をぼくたちに強いるなんて……そんなの、あまりにも酷じゃないか。
「……イヴ。私は、どうすればいいんだ……?」
アルミリアが、助けを求める顔をぼくに向ける。
綺麗な瑠璃色の瞳から涙が一筋滴り落ちた。いつも正しかった、自信に満ち溢れていた、それでいて自分を誇ることはなく、ただ気高き皆の標であり続けたアルミリアが泣いていた。彼女の涙が落ちる瞬間を、ぼくは初めて見た。




