第47話『勇者の墓所』
グランヴィル領、リンド平原―――アルトリウスの墓所は、周囲に何もない平原の中央に佇む形で出現していた。確かにこれだけ広大な平原なら、今まで遺跡が見つからなかったというのがおかしな話だ。
建築様式からして、旧法王統治時代よりさらに前、歴史にはあまり記されていない、魔王との戦いがあった直後のもの。これほど昔の遺跡となると、王国に現存しているものはかなり少ない。
調査ということもあって、周辺には調査拠点が設置されていて、十数名の王国魔導師が常駐している。先生に連れられて足を運ぶと、先に現地入りしていたカナメさんがぼくらを出迎えた。
「リツぅ……あんたねぇ……三人も生徒を連れてきて何やってんのよ」
「いやーごめんごめん、こいつらが行きたいって言うからさ」
「だからって……まぁ、イヴを使っている時点で何も言えないわね、分かった」
「理解が早くて助かる」
ぼくが先生と共に来ることは分かっていただろうけど、まさかセナとアルミリアまでついてくるとはカナメさんも思っていなかったのだろう。カナメさんは学生を調査に同行させる先生に怒っていたけど、やがて呆れたようにため息を吐いた。
「それで、調査の進捗の程は?」
「報告の通り。アルトリウスの亡霊にやられて散々よ。だからあんたが呼ばれたんだから、そのくらい分かるでしょ?」
「まぁ分かっちゃいたけどよ……何人死んだ?」
「第一次調査隊が十人全滅、第二次で十五人に増員されたけど、全滅、第三次の二十人のうち、一人が命からがら生還。それを聞くってことは報告書読んでないでしょ?」
「まぁな、その辺はイヴに全部任せたし」
「任されました……」
「あんたねぇ……」
もはや何も言うまい、とカナメさんから再度深いため息が飛び出す。
先生がいい加減なのは今に始まったことじゃないけど、流石のカナメさんもこれには呆れて何も言えない様子だ。
「まぁいいわ。ちょっと待ってなさい」
カナメさんはそう言い残して、調査拠点の中に入っていく。
しばらくして戻ってくると、白のコートを三着、ぼくたちに手渡してきた。
「はいこれ。制服の上から着なさい」
「なんですか、これ?」
「王国魔導師の礼装……高い対魔力防護の術式が編まれている彼らの鎧だよ」
首を傾げるセナの疑問に答えながら、アルミリアは礼装を受け取って袖を通す。
純白の生地に金色のラインが入った、王国の一般魔導師の礼装だ。ぼくたちも、学院を卒業すればこれを着ることになる。それが少し早まったのは、何というか、幸運……だったのかな。
「これ、着なきゃダメですか? その、動きづらいんですが……」
「ダメ。これと学院の制服が合わされば、大抵の魔術は防いでくれるの。あなたたちの命を守るために必要なのよ」
「……分かりました」
セナも渋々受け取って、コートを羽織る。
確かにセナが嫌がる理由も分かる。裾が足の邪魔になるし、袖も色々と干渉して引っかかって何より剣が抜きにくそうだ。
「イヴもほら」
「はい」
ぼくもカナメさんからコートを受け取り、制服の上から袖を通す。
学院生は卒業すればこれを着ることになる。でもぼくは多分、こっちじゃない。
一生に一度、これが最後かもしれないと思うと、少しだけ勿体なく思えた。
「いい、私からあなたたち三人に言えることはたった一つ。必ず生きて戻ってきなさい。それこそ、リツを犠牲したって構わない。絶対に無理はしないこと、約束してくれる?」
「「「はい!」」」
三人同時に返事をする。
それを聞いたカナメさんは満足そうな笑みを浮かべて大きく腕を広げると、ぼくたち三人を抱き締めた。
「カナちゃん、俺は?」
「死ね」
「ぐっは辛辣ぅ……」
そんないつもやり取りを見て思わず笑うと、少しだけ緊張が解れた。
カナメさんは少し名残惜しそうにぼくたちから離れると、ぼくたち三人の目を順番に見て、最後にリツ先生に真剣な眼差しを向けた。
「必ず守りなさいよ」
「もちろん。任せろ」
先生もそれに応えるように、いつものふざけた雰囲気からガラッと変わって仕事モードへ。
そんな先生の態度に、調査がもうすぐ始まるのだとぼくたちは気を引き締めた。
「……よし、行くぞお前ら」
先生の号令に、ぼくたち三人は頷いて返す。
四十四人の死者を出した勇者アルトリウスの墓所、その最終調査が始まった。
◇ ◇ ◇
地下へと続く長い石造りの階段をしばらく下って、暗闇の中を進む。
事前調査の資料によると、墓所は地下に広がる広大な迷宮となっているらしい。魔物の出現やトラップは今のところ観測されていない。ただ、迷宮内を徘徊する漆黒の重装騎士が調査隊を全滅させてしまったので、まだ全容を把握できていない。
先生の先導で階段を下ると、両開きの扉が姿を現した。石造りに見えるが、保護魔法がかけられていて破壊は不可能になっている。巨大な扉なのに、少し力を入れれば簡単に開いてしまうから、おそらくは重量すら魔法で調整されているように見える。
「事前の情報通りだな。いつ奴が出てきても対応できるように準備しておけ」
先生の指示を受け、セナとアルミリアは頷いて各々の武器を取り出す。
ぼくも左手を自由にして、いつでも魔法を使えるようにして待機。
「よし、行くぞ」
先生の掛け声でぼくたちは扉を開き、墓所の中へと足を踏み入れる。
石造り特有の冷たい空気が肌を撫でた。中はかなり広いようで、壁や天井の装飾は崩壊し、床には瓦礫が散乱している。
資料によると、ここから一時間ほど進んだ先でアルトリウスの亡霊と遭遇したらしい。魔物や罠は見つかっていないから、慎重に進もうと一歩踏み出したその時、ぼくたちの足元が突然輝き出した
「なんだこれ……」
「イヴ、マギステラが!」
「イヴの本だけじゃない、私の槍とセナの剣まで……これは一体」
光が石畳の隙間を走り、辺りに広がっていく。先生を除いてぼくたちの足元に展開されるのは、見たこともない魔法陣。トラップ……とも異なる雰囲気のそれに呼応するように、ぼくの右手にあったマギステラ、セナの星剣、アルミリアの星槍が光り輝いていた。
「おいお前ら、大丈―――」
大丈夫か、そう言い切る前に、ぼくたちの前から先生の姿が消えた。
強い光が辺りを包み込む。何も見えないほどの輝きにぼくたちは三人同時に目を瞑った。
光が消えていく。
次の瞬間、ぼくたちの視界に飛び込んできたのは、真新しい墓所の景色だった。
「セナ! アルミリア!」
「私は平気です。アルミリアは?」
「問題ない。だが、先生が……」
辺りをどれだけ見渡しても、先生の姿はどこにもなかった。
それだけじゃない……墓所の様相までがらりと大きく変化している。
さっきまで朽ちていた壁は、まるで石が積まれた直後のように修復されていて、床も一切欠けていない。振り返ると、入口の扉と地上へ続く階段はそこにはなかった。
「なんですか、これ……」
壁、壁、壁……何度見ても、ぼくたちが来た道は石の壁で封じられていた。
耳を当ててみてもその先に空間が広がっている気配はなかった。
「どうやら、私たちは閉じ込められてしまったようだね」
歯を食いしばったアルミリアの頬を汗が伝う。
にわかには信じがたい、信じられない、それでもこの目に飛び込んでくる情報が、それを現実だと語っている。
「トリガーは不明だが、おそらく転移、もしくはそれに類する何らかの術式が発動したと見ていいだろうね。先生が巻き込まれなかったのは……彼の持つ魔力の特性が原因だろう」
顎に手を当てて、アルミリアは冷静に状況を分析し始めた。
何かの術式に巻き込まれたのなら、確かに先生がここにいない……いや、突然消えた理由は彼の持つ破魔の魔力のせいなのは間違いない。とはいえ、先生を失ってしまったら、この先どうすればいいのか。
「こんなの、調査資料にありましたか?」
「ないよ。あったとしたら、第三次調査隊の全滅の時点で判明しているはずだよ」
「じゃあ、これ、私たちが来たからですか……?」
セナの予想は、もしかすると的中しているかもしれない。
先生が消える直前、ぼくたちに共通しているのは星神器か、それに匹敵する星紡ぐ物語を持っているということ。ここがアルトリウスの墓所だと仮定するのなら、この現状の発動条件はおそらく……星剣ユスティアだ。
「何にせよ、私たちはこの場を探索し、帰還する方法を探す必要がある。私たち三人で先に進もう」
「う、うん……分かったよ」
アルミリアの言葉に頷いて、ぼくたちは墓所の探索を開始した。
前衛にアルミリアとセナ、後方支援にぼく。少々人数が不安ではあるけどこうなってしまった以上仕方がない。何が起きるか分からないから、慎重に、周囲のマナの流れによる周辺スキャンも欠かさず、迷宮を進む。
「前方に魔物、スケルトンが五体」
アルミリアが足を止めて槍を構える。
事前調査では魔物が出ないという話を聞いていたがどうやらそれが嘘だったのか、はたまたぼくたちが巻き込まれたあの光の影響なのか、行く手を魔物が塞いでいた。
「私が三体、アルミリアが二体。イヴの魔力はできるだけ温存しましょう」
「了解した。それでいいね、イヴ」
「あ、あぁ、うん……」
何だろう、すごく嫌な予感がする。
心の奥に得体の知れないモヤモヤを抱えながらも、ぼくは二人の戦いを見守った。
魔物といっても、それほど強力な相手ではない。ほとんど一撃で二人に粉砕されて、灰と化して消滅した。
あれからどれほど時間が経っただろう。
墓所の内部は複雑な迷路構造になっていて、すぐに行き止まりに到達する。
事前調査では観測されていなかった魔物やトラップの出現にもその都度対応して、消耗を繰り返す。何より一度倒しても魔物が出現するせいで満足に休息をとることもできず、ぼくたちはひどく疲弊していた。
「これで……百二十体目っ!!」
ユスティアの一撃が、最後の一体のスケルトンを粉砕する。
息も絶え絶えになりながら片膝を突いたセナの額にはびっしりと汗が滲んでいた。
「そろそろ、ぼくも戦おうか?」
「だめです。イヴの魔力は、なるべく温存しないと……」
魔力の温存、たったそれだけのために、ぼくは二人に守られるだけの存在になっていた。
確かに魔力の回復には時間がかかるけど、だからと言って、セナたちばかり消耗していてはいつか破綻する。特に、この墓所の中にいるとされる、黒い重装騎士、アルトリウスの亡霊と遭遇した時、全滅は免れないだろう。
「セナ、君は少し休んでいてくれ。次からは私が前に出よう」
「お願いします……」
ユスティアを鞘に納めて、セナはアルミリアと位置を交代する。
とはいっても、アルミリアも少なからず消耗している。体感、二分に一回は魔物と遭遇しながら、しらみつぶしに迷路の中を突き進む。
魔物が出れば打ち倒し、罠があれば回避して、行き止まりは引き返し、そうして繰り返すこと数時間。アルトリウスの亡霊には、一切辿り着けなかった。
「これ……本当に何なんですか。私たち、どうすれば帰れるんですか……」
二百体目のスケルトンを倒して、少しも落ち着けない小休憩をとる。
汗を拭きながら壁に背を預けて座り込み、携帯食料を齧ったセナの声は、微かに震えていた。
「この迷路、本当に出口があるんでしょうか……」
「大丈夫だセナ、必ず帰れる、以前もそうだったじゃないか」
「でもあの時は、イヴが助けに来てくれたからで……」
以前、セナとアルミリアは、数十人の生徒と共にプラネスタの大迷宮に閉じ込められたことがあった。確かにあの時と状況は似ているかもしれないが、今回の探索は手探りだし、誰かが助けに来てくれることもない。
「弱気になってはいけない。きっと何か、突破法は見つかる」
希望は捨ててはいけない、とアルミリアはセナの肩に手を置いて彼女を説得する。
その手が微かに震えていることをぼくは見逃さなかった。彼女も怖いんだ、怖いけど、それでも自分を奮い立たせているんだ。
ぼくは……そんな二人に守られるだけ。本当にそれでいいのか。魔力の温存なんてそれっぽい理由で、二人に任せていいのだろうか。
あれから、また更に時間が経過した。
流石に二人に任せきりになるわけにもいかないから、今度はぼくが二人に代わって魔物の対処をすることに。一体一体は雑魚でも、意地悪なタイミングでこちらにやって来るのが本当に厄介だ。
「イヴ、また前から来る!!」
「分かってるよっ!!」
前方からやってくる三体のスケルトンを、【撃ち抜く氷槍】で迎撃。頭蓋を破壊された骨の魔物は、灰になって消滅する。
「はぁ……はぁ……っ、全然、気が休まらない」
乱れた息を整えながら、額に滲んだ汗を拭う。
魔力はまだまだ余裕がある。この様子なら、二日続けて連戦になっても問題はない。ただ、歩き続ける体力の方が先に尽きてしまいそうだ。
「大丈夫ですか、イヴ」
「平気。まだまだいける。二人共下がってていいからね」
セナとアルミリアは無言で頷いて、ぼくの後ろに回った。
この調子でいけば、そのうち出口が見つかるはずだ。そんな期待を微かに抱いていたその時、通路の先から足音が聞こえてきた。
「イヴ、交代しよう」
「分かった」
アルミリアと位置を入れ替えて、ぼくは後方へ。
今まで戦ってきたスケルトンのものじゃない、靴を履いているような足音だ。だけどこれは……先生のものじゃない。
「来る」
アルミリアが一言呟いた瞬間、暗闇の中から一体のスケルトンが姿を現した。
ただしその骨の魔物は、今まで蹴散らしてきた連中とは違い、ぼくの身体よりもはるかに大きな大剣を携えていた。
まさか、あれが―――
「アルトリウスの亡霊」
「いや違う、ヤツの剣はユスティアじゃない。でも、只者ではないことは確かだ」
「なら、後ろで休んでいる暇なんてありませんねっ!!」
強く床を蹴って、セナが大剣持ちのスケルトンに飛び込んでいく。
スケルトンは大剣を大きく振り回し、壁を抉りながらセナを迎え撃った。
「はぁっ!!」
ユスティアが光り輝き、大剣を弾き飛ばす。スケルトンは体勢を崩したまま右足を軸に回転し、再びセナへと襲いかかる。
「縫い留めろ星槍ッ!!」
光の杭が大剣を捉え、セナの剣を止めた時のように空中で静止させる。
セナはその隙を狙って背後に回り込み、首元へと剣を振り下ろす。
が―――スケルトンは自分の剣を手放して身体を捻り、回し蹴りをセナの左側から打ち込んだ。
「ぐっ、うぅ……っ!!」
「セナっ!!」
壁に叩きつけられ、セナはそのまま力なく崩れ落ちる。
追い打ちをかけようと腕を振り上げたスケルトンの背後からアルミリアの槍が突き刺さり、これ以上の追撃を食い止める。
「平気です。どうせ治りますから」
立ち上がったセナの左腕は、骨が砕けて大きく拉げていた。
それでも彼女は剣を握り、スケルトンと相対する。
光の杭の拘束から解放された大剣を再び握り、スケルトンはセナを見据えた。
「いきますっ!!」
地面を蹴って、白い閃光が骨の魔物へと飛び込んでいく。
スケルトンは迎撃のために大剣を頭上に掲げ、天井を引き裂きながら振り下ろす。
さっきと同じように、大剣はセナに命中する前に光の杭が空中に固定する。その隙をついて懐に潜り込み、がら空きの胴体に横薙ぎの一閃。
それでもスケルトンは動きを止めない。剣を手放し、自らの骨の身体に斬撃を刻まれても、セナを掴もうと手を伸ばす。
「させないっ!!」
【撃ち抜く氷槍】を頭部に向けて射出する。
砕くほどの威力ではないけど、僅かに意識をこちらに逸らすことはできる。
スケルトンの頭がぼくを向いた瞬間に、セナの二撃目が骨の首を切り落とす。
頭と胴が切り離されて、スケルトンは力なく倒れ伏し、灰となって消滅した。
「……これ、今までの敵と違いました」
「あぁ、もしかすると、最奥に近付いているのかもしれない」
強力な敵が出てきたということは、この先に何かがあるようなそんな予感。
ぼくたちの予想は見事に的中した。同じようなスケルトンを三体ほど倒して進んだ先に、迷路の終端が姿を現す。両開きの石扉。出口……ではないかもしれないが、少なくとも、迷路を抜けたという達成感がぼくたちの中に生まれた。
「開けますよ……」
二人で頷く。
セナはそれを受けて、石扉に手をかけて力を込めた。
ゆっくりと、巨大な石の扉が開いていく。迷路の終端、最奥の先から飛び込んできたのは、今までの迷路とは大きく異なる、どこか神秘的な雰囲気を漂わせた広い空間だった。
大理石の柱が多数立ち並び、両端には壁から飛び出した水が水路を伝って流れていた。
部屋の奥には小さな祭壇が設置されていて、そこに、一本の剣が突き刺さっている。
儀礼用にも見える複雑な黄金の装飾……セナが持つものと瓜二つのそれは、星剣ユスティアだった。
いや……違う、それだけじゃない。
「待っていたよ……君たちを」
ユスティアのすぐ傍に座っていた一人の少女が立ち上がり、こちらに振り返って深く被ったフードを外す。
雪景色を想わせる白い髪。
燃える炎のような赤い瞳。
間違いない、ぼくが見間違えるはずがない。
ユスティアと共にいたのは、ぼくの師匠で、命の恩人で、育ての母親で……ぼくがこの手で最期を看取った、アリシア・イグナが、そこにいた。




