第45話『勇者の末裔』
勇者、剣星アルトリウス―――
それは、王国の成り立ちに深く関わる男の名前。
星剣ユスティアを振るい、六人の勇者と魔法使い・星詠みと共に魔王を打ち倒した伝説の勇者。
しかしながら、彼の生きた時代を記した文献は少ない。歴史の生き証人であった星詠み―――焔の魔女も新たな時代の勇者によって討たれてしまったことで、アルトリウスの存在は御伽噺、空想上の産物である可能性の方が高いとされている。
彼の存在を証明するただ一つのピースは、千年の封印から解き放たれた星剣ユスティアのみ。だが残念なことに、今のユスティアの性能は、一振りで山を穿ち、海を裂いたという伝承には遠く及ばない。
やはりアルトリウスは存在しない。そう結論付けた方が良いだろうと、日々彼について議論を重ねていた学者たちは言っていた。
「話は中でしましょう。ついでに、少し休憩してお茶でも淹れましょうか」
「は、はい……」
庭でアリスに剣を教えていたセナを呼び戻して屋敷の中へ。
屋敷の中でアルミリアと合流して、ぼくたちは応接室に通された。
しばらく待っていると、人数分の紅茶を持ってカナメさんがやってきた。
応接室のソファに、ぼくを挟んでセナとアルミリア、その反対側に、カナメさんが座る。流石にアリスに聞かせる話ではないから、彼女は自室で待機してもらうことになった。
「さて……それじゃ、まずは事の発端から話していくわね」
カナメさんはソファに浅く腰かけて、机に肘を突き深刻そうな表情で語り始めた。
「ちょうどあなたたちがアストライア領にいた頃、グランヴィル領に突如遺跡が出現したの。おそらくは、魔術的な隠蔽処置が施されていたと考えて良さそうね。それが何らかの拍子で解除されてしまった……というのが、私たち特務の見解よ」
「それがどうして、アルトリウスの墓所になるんですか?」
セナが素朴な疑問を口にする。遺跡が出現したからといって、それをアルトリウスの墓所と結論付けるのはあまりに根拠がなさすぎる。だけどおそらく、特務には確信するだけの証拠があるのだろう。カナメさんは一つ息を吐いて、ぼくたちの目を真っ直ぐ見てこう返した。
「墓所……というのも正確には違うわ。だけど、その遺跡には、確かにアルトリウスがいたのよ」
「アルトリウスが……いた?」
ぼくは思わずカナメさんに聞き返した。
千年前に死んだ人間が遺跡の中で観測されるなんてありえない。だって、死者は蘇らない、それがぼくたちの常識で―――いや、最近、その常識はよく覆されていたっけ。
「今日に至るまで、遺跡には三回に分けて調査隊が派遣されたわ。だけど、そのどれもが失敗した。生還したのは三回目に派遣された隊のうち、たった一人だけだったの」
それは旧文明の遺跡調査の初期段階ではよくある話だ。
実際にぼくも、先生に強引に連れ出された時に目の前で調査隊のメンバーを失うことは何度かあった。
旧文明の遺跡には、先生曰く初見殺しトラップがいくつも用意されていることがあるとのこと。だから、言っちゃ悪いが、調査隊が三回壊滅した程度で、それをアルトリウスの墓所だと結論付ける理由にはならない。
となれば、問題なのは「アルトリウスがいた」というにわかに信じがたい話だ。
「彼の証言によると、調査隊は一体の魔物によって全滅したらしいわ。その魔物は漆黒の甲冑を纏い遺跡内を徘徊しているアンデッドだそうよ。でも一つ、他の騎士型アンデッドとは異なる点があった、そう―――」
そう言って、カナメさんはセナを指差した。
セナも困惑して、「え、私?」と自分を指差しているけど、正確には、その指の先にあるのはセナじゃない。セナが腰に携えている、黄金の剣だ。
「その騎士は、星剣ユスティアを持っていたそうよ」
「いや、待ってよカナメさん! ユスティアを持っているって、じゃあ、セナの持ってるこれは何なの!? ユスティアでしょ!! そんな、それじゃまるで―――」
「ユスティアは二本ある。君の推測は正しいよ、イヴ」
続くアルミリアの一言が、ぼくの疑念を確信に変えた。
だけどぼくの中にもう一つ疑問が生まれた。もう一本のユスティア、どうしてアルミリアがそれを知っているのだろう。
「カナメさん、間違いありません。その遺跡はアルトリウスの墓所です」
「いやいやいやいや、どうしてそんなことが言えるのさ!! なんで? 生き残ったその人が勘違いした可能性はないの!?」
「これは、アンデッドに全滅させられる前に調査隊が撮影した写真よ。彼―――ケインは錯乱していたからその証言を最初は疑ったけど、これを見たら、確信するしかなかったのよ」
そんなぼくに対して、カナメさんは一枚の写真を差し出してきた。
そこに写っていたのは、一体の騎士型の魔物。黒の甲冑で全身を覆った長身のアンデッド。それが右手に持っているのは―――
「セナ、ちょっとごめん」
「えっちょ、イヴ!?」
ぼくはセナの腰の鞘に手を伸ばし、ユスティアを引き抜いた。
写真に写る黄金の剣と何度も交互に見比べる。でも、見比べるたびに否定できないほど瓜二つだということが分かって、諦めて顔を伏せた。
「でも、アルトリウスと決まったわけじゃ……」
「アルトリウス、レイリーナ、そしてセナ。ユスティアに認められた人間は、この国の歴史上に三人しか存在しない。そして何より、もう一本のユスティアは歴史に残されてすらいない。だから今のところ、この騎士をアルトリウスではないと否定する根拠の方が少ないのよ」
カナメさんの意見は尤もだ。この写真と、一体のアンデッドに調査隊が全滅させられたという証言からして、アルトリウスである可能性の方が今のところ高い。
だってこれじゃ、まるで……
「ところで、アルミリアはどうしてユスティアが二本存在すると知っていたんですか?」
ぼくの危惧を遮るように、セナが疑問を口にした。
アルミリアは一瞬目を伏せて、何かを決意したように小さく頷くと、立ち上がってぼくたちに深々と頭を下げる。
「まず、先に謝らせて欲しい。隠していてすまなかった。そして、どうか驚かずに聞いて欲しい」
顔を上げたアルミリアは、ぼくたちの目を真っ直ぐ見てこう言った。
「私は、アルトリウスの末裔だ」
「えっ」「はぁ?」
明かされた真実が衝撃的すぎて、ぼくとセナは同時に驚きの声を上げた。
「勇者アルトリウス。彼の本当の名前は、アルトリウス・グランヴィル。千年前に実在した、世界を救うべく星剣に選ばれた青年であり、英雄になるしかなかった男だ。グランヴィル家には、アルトリウスに纏わる資料が多数残されているが、その殆どが秘匿され、グランヴィル家の独占状態にある。私がユスティアの力に詳しかったのもそのためだ。だから、すまなかった……」
アルミリアは再度頭を下げて、謝罪の言葉を口にした。
彼女が語る勇者の真実はぼくたちの理解を遥かに超えていた。
でもそれと同時に、奇妙だったことが納得できた。
たとえば、暴走したシオンを救うために、ユスティアの力が使えると彼女が告げた瞬間だ。ユスティアの力の全てを把握していたのなら、それが可能だと瞬時に判断できたとしても不思議じゃない。
「グランヴィル家だけは、ユスティアが二振り存在することを知っている。一振りはセナが持つ《フィクタ》。そしてもう一振りが、アルトリウスの死後、遺体と共に墓所に封じられた《トゥリア》だ。グランヴィル家は、たった一つの目的のため、二振りのユスティアを求め続けてきた」
「何のために……?」
「……アルトリウスの悲願を達成するため」
アルミリアは自分の胸に手を当てて、深く息を吸って、ゆっくりと吐いた。
そして目を開けてぼくを見ると、自嘲気味な笑みを見せた。
「すまないイヴ、私は骸の魔女の存在を知っていたんだ。だってグランヴィル家は、骸の魔女を倒すためだけに勇者を輩出し続けてきたのだから」
裏切られた……とは思えなかった。
正直、アルミリアはきっと、ぼくよりも重いものを抱えているんじゃないかって何となく思っていたから。だから、今更何を言われても、彼女を責める気にはならない。
「隠し事はこれで全部?」
「……私の知る情報は、これだけだ」
「分かった。話してくれてありがとう、アルミリア」
「私を責めないのかい?」
「どうして?」
「もし私がもっと早い段階で骸の魔女の存在を明かしていれば、君とセナはアリシア・イグナを―――」
手にかけることはなかったのに。そう続けようとしたアルミリアの言葉は、セナが肩に手を置いたことで遮られた。
「お母さんはあの場で死ぬつもりでした。だから、アルミリアが自分を責めることはありませんし、私たちもアルミリアを責めません。骸の魔女の存在が裏にあることを知っていても、焔の魔女は王都を焼いた大罪人です。だから……だから私は、あの日お母さんを討ったことを後悔していません」
身体の後ろで握られたセナの片方の拳がプルプルと震えていた。
セナのその言葉が強がりであることをぼくは知っている。セナは確かに強い子だ。それでも、行く宛のなかった自分を拾って、育てて、導いてくれた親同然の恩人を手にかけて、後悔しないでいられるはずがない。
でも、せっかくここでセナが強がってアルミリアを許そうとしているのだから、それを指摘するのは野暮というものだろう。
「えー、こほん。話を戻していいかしら?」
「あ、ごめんなさい。続けてください」
自分一人だけ蚊帳の外で、カナメさんはわざとらしく咳払いをした。
ぼくたちはソファに座り直し、カナメさんの話の続きを聞くことにする。
「もし本当にその騎士型アンデッドが持つ剣がもう一振りのユスティアなら、この遺跡の調査は不可能に近いわ。何せ、あの伝説の星剣と勇者が相手なのよ? 流石のアリシアでもあれには勝てないでしょ?」
その通りだ、とぼくは心の中で答えて頷いた。
「でもグランヴィル家はもう一振りのユスティアが欲しい。そこで、私たち特務―――じゃなくて、魔導師殺しに白羽の矢が立ったってわけ」
「……こんなこと言いたくないけどさ、流石にリツ先生でもアルトリウスには勝てないでしょ」
「その通り。私も無理だって言ったわよ。でも……相手は六星賢。国の運営を担う絶対権力。権力の犬である私は、それに逆らうことができないってわけ」
「でも、カナメさんが逆らえなくても、リツ先生は拒否できるよね?」
「……イヴ、あの男が一生遊んで暮らせるだけの金が手に入る仕事があるって聞いて、受けないと思う?」
「あー……そうだね、リツ先生はなら受けるかも」
カナメさんは呆れてため息をついて、右の掌をこっちに向けてきた。
「なにそれ?」
「グランヴィル家は、魔導師殺しをこれで動かすつもりなのよ」
「……これ?」
と言われても、掌を見せているだけだ。指を開いて、パーにして、それでリツ先生が動くと思えないけど……あ、一生遊んで暮らせるお金。
「五百万、ゴルデ?」
「ノンノン」
「五千万?」
「ノーよ」
「……五億?」
「正解!!」
「五百億円!?」
隣に座るセナが大声を上げた。
またエンって……だから違うってば。と笑って片付けられれば良かったのだけど、何故かその反応に、カナメさんは一瞬険しい表情を浮かべた。
「五億って、何を考えてんの? そんなの、一体どこから……」
「悲しいことに、うちにはそれを払えるだけのお金があるんだよ、イヴ」
「貴族ってこわぁ……」
財力の次元が違いすぎる。
リツ先生はよく、仕事を受ける時にぼくに「札束で殴られた」と語る時があった。この国のお金は金貨や銀貨などの硬貨だというのに、札束と表現をするのはよく分からなかったけど、これがいわゆる、札束で殴られるという感覚なのだろうか。
「ご、五百億……ふえぇ……」
あまりの金額に、セナはソファに倒れ込んで白目を剥いて気を失っていた。
正直ぼくも、どうして冷静でいられるのだろうと我ながら疑問に思う。多分、それがぼくのお金になるわけではないからだろう。
「で、あの大量の本は一体何なの?」
「調査資料よ。流石のリツでも何もなしで対策なんて出来ないでしょう? だから、弱点でも載ってないかと思って、グランヴィル家に資料の提供をお願いしたの」
「な、なるほど……」
旧魔法文明の後期に使われた言語で書かれているということは、カナメさんはそれをまともに読むことができない。となれば翻訳を誰かに依頼するのだろうけど……多分、彼女の態度からしてあれを読まされるのはぼくだ。
ほら今も、「頼んだわね、イヴ」とでも言いたげな視線をぼくに送っている。
「そういうことだから、あれの翻訳をお願いできないかしら?」
「やっぱりそうなるよね……学者に頼むより安上がりだもんね」
「分かってるじゃない。私もリツには死んで欲しくないし、何より、あいつが行くならイヴなら行くでしょ? 私はリツよりもイヴに死んで欲しくないのよ」
「だろうねぇ……先生ならそうする。分かったよ、少しずつ読み進めてみる」
正直、アルトリウスの弱点になりそうなものが載っていそうにはないけど、カナメさんの頼みだし、何より自分が生き残るためだから仕方がない。
「一冊二百で引き受けるよ」
それでも無償で引き受けるわけにはいかないから、左手の指を二本立ててカナメさんに報酬を要求する。
一冊二百ゴルデ、それでも百冊近くあるから、全部翻訳すれば結構な報酬がもらえるわけで。それでも、学者に頼むよりは安上がりだ。
「助かるわイヴ! じゃ、今日から早速始めてくれる? グランヴィル家も早めに調査しろってうるさいのよ」
「分かったよ。一日十冊、全部持ち歩くのは無理だから、毎朝寄って回収していくね」
「ありがとう! やっぱり持つべきものは優秀な妹弟子よね!!」
笑顔でそう言って、カナメさんは強くぼくを抱き締めた。
毎度のこといいように使われている気がしなくもないけど、まぁ、子供の頃はずっと頼っていたカナメさんに頼られるのは悪い気はしなかった。
休憩を終えてアリスと合流し、セナの剣術教室が始まったのを横目に、ぼくは適当に二冊資料を持ってきて魔法で浮かせて目を通す。
二冊同時、これがぼくの限界だ。師匠なら十冊同時に目を通して内容を理解する簡単だと言っていたけど、あの人はどういう頭の使い方をしているのだろう。いや、そもそもあの人は千年生き続けた歴史の生き証人だったのだから、そもそも頭の基本構造がぼくたちとは異なるんだろうな。
「手伝おうか?」
「いや、大丈夫。このくらいは余裕」
「そうか……隣、いいかな?」
「どうぞ」
ぼくの隣に腰を下ろしたアルミリアは、ぼくの作業をただじっと見つめていた。
こんなものを見続けても何も面白いことなんかないだろうに、不思議なものだ。
「グランヴィル家はさ、どうしてユスティアを二振り欲しがるんだろうね」
「……父曰く、世界の滅びを防ぐためと聞いている」
「世界の滅び……」
「ユスティアはアルトリウスが星神から賜った救世の剣だ。だから、それが目覚めたということは、何か意味があるんじゃないかと私は考える」
意味……か。考えたこともなかったな。
確かにアルミリアの言う通り、ユスティアは勇者アルトリウスが魔王を倒し、世界を救うために振るった剣だ。もし千年、その担い手現れなかった理由が、たとえばユスティア自身が世界の滅びを察知して覚醒する剣だから、だとしたら……確かに、骸の魔女が大きく動き出したこの瞬間こそ、ユスティアが危惧していた世界の滅びの始まりなのかもしれない。
「イヴは……もし本当にリツ先生に頼まれたら墓所に行くのかい?」
「まぁ行くだろうね。ぼくが行かずに先生に死なれたらきっと後悔するだろうし」
「怖くは……ないのかい?」
アルミリアの指先が震えていた。
怖いか怖くないかで言えば、正直めちゃくちゃ怖い。あの徘徊する騎士型アンデッドが本当に勇者アルトリウスで、それが振るう剣がもう一振りの星剣ユスティアだったとしたら、勝ち目があるかすら怪しい。
だけど……ぼくには、師匠から託されたものがあるから。
「ぼくもさ、骸の魔女を倒したいんだよ。あいつのせいで不幸になった人たちが沢山いる。あいつが余計なことをしなければ、テレジアも、シオンも苦しむことはなかった。でもなんとなく予感しているんだ。今のままじゃ、骸の魔女は倒せないって……」
「だから、二振り目のユスティアを求めると……」
「ぼくの推測でしかないけどね。でも勇者アルトリウスは魔王を倒すために二振りの勇者を使った。だから、もしかすると世界を救うためには、ユスティアが二本必要なのかもしれない」
「イヴは……強いな」
アルミリアは俯きながら小さくそう呟いた。
別にぼくは強くなんかない。もし本当に強いのなら、何一つ失うことなくここまでやって来れたはずだ。でもそれは後悔だからここで言うのは違う気がして、ぼくはただ黙っていた。
やがて、アルミリアは何かを決意したのか「よし」と頷くと、ぼくの目を真っ直ぐ見つめた。
作業しながら聞くようなものじゃないと思って、一旦手を止める。
「イヴ……もし、墓所に行くことがあるのなら、私も連れて行ってくれ」
「どうして?」
「私が、アルトリウスを超えるため」
アルミリアは震える声で確かにそう言った。
「私はずっと、セナに劣等感を抱いていた。何故私ではなく彼女なのだと嫉妬していた。認められなかった、許せなかった。だがそれでも、最近ようやく、どうしてセナが星剣に認められ、私の元にやってきたのが星槍だったのか、何となく理解したんだ」
アルミリア・グランヴィルは、グランヴィル家がユスティアを取り戻すために育て上げた最高傑作。そう、テレジアは言っていた。結局、ユスティアはリーナのもとに行ってしまって、リーナが死んで、ユスティアは行方不明になって、セナと共に戻ってきた。アルミリアからすれば、どうしてあの子がと嫉妬するのは当然だ。
それでもセナを貶めようとしなかったのが、アルミリアの強さなんだろう。
強くても、届かないものはある。アルミリアは今にも泣きそうなほど震えた声でそう続け、諦めたように穏やかな笑みをぼくに向けた。
「私は、私が生まれた意味を……取り戻したいんだ」
それは、ぼくが今まで見てきたアルミリアの中でも一番弱々しい笑みだった。




