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第38話『戦いの終わり、訪れる平穏』

 暴走する魔力の奔流がセナを包み込み、光の柱を打ち上げる。

 空中からそれを見ていたぼくはテレジアの背中に掴まり、衝撃波で叩きつけられないように堪えるだけで精一杯で、何が起きたかを完全に把握することはできなかった。


「テレジア! もうちょっと近付いて!!」

「無理ですわ! これ以上高度を下げたら【フェネクス】の制御を失って落下しますわよ!!」

「くっ……セナ、アルミリア、シオン……!!」


 三人の名前を呼んでも、光の先から返事が返ってくることはなかった。

 見ていることしかできなかった自分が歯がゆくて、ぼくは歯を食いしばり、自分の膝に握り拳を打ちつけた。爪が掌の皮を突き破って赤い血が滴り落ちる。鈍い痛みが、目の前の光景が紛れもない現実なのだと思い知らせる。

 切り裂かれた雷神から溢れ出る魔力があまりに多すぎて、三人の魔力を追えない。右目に飛び込んでくる情報量で頭が張り裂けそうだ。それでも、ぼくは穴の底を見続けた。


 衝撃がある程度和らぎ、フェネクスが羽ばたきながら空中でぴたりと静止する。

 その背中から穴の底の様子を窺った。まだマナが暴れていて全容が上手く把握できない。ぼくは一度舌打ちをして、傷だらけの右手で右目を覆ってもう一度穴の底を見る。


「イヴ、何か見えますか?」

「だめ、高度を上げすぎたせいで豆粒にしか見えない。何が起きてるのかさっぱり。高度は下げられないの?」

「あの光の影響で魔力が乱れてフェネクスが維持できません。高度を下げれば空中に投げ出されて死にますわ」

「なら、できるだけ壁に寄って」

「それは可能ですが……一体何をする気ですの?」


 テレジアの問いに、ぼくは無言で笑って返した。

 本当は向こうからアクションがあるまで待つべきだろうけど、どうにもぼくは待つことができない性格らしい。魔力が分散されても形状が維持できるように出来る限りの密度で氷の剣を生成し、岩壁に突き立てる。

 高さにして、百メートルほど。何の対策もせずに落下すれば、地面に叩きつけられて一瞬で肉塊に変り果てる高さ。でもどうしてだろう、なんだか、いける気がした。


「テレジアはあの光の影響が消えるまで待ってて、ぼくは皆の無事を確認してくるから」

「待ちなさいイヴ、あなた、何を考えて―――」

「それじゃ」


 両手で氷の剣の柄を強く握り、深呼吸を一つ。

 心の中で覚悟を決めて、穴の底へ向けて飛び降りた。

 両足を壁に押しつけて、出来得る限り落下の速度を緩める。ぼくの作った氷の剣は岩壁を真っ直ぐ抉りながら欠けることなく一直線に突き進んでいく。

 足裏が痛い右手が痛い全身が痛い……飛び降りたことを若干後悔するけどもう遅い。

 気付けば残り五十メートルほどまで降下していた。だけど、油断大敵とはよく言ったもので―――


 ポキッ


「えっ?」


 身体が空中に投げ出された。ぼくを支えていたはずの氷の剣は根元から綺麗に折れて、ぼくは軽くなった柄をただ両手で必死に握っているだけだった。


「うわぁぁぁぁぁああああああああああああああああああ!?」


 身体が星の重力に従って落下していく。

 高さは約五十メートル、着地の方法次第では軽い怪我程度で済むかもしれないけど、生憎と今のぼくは背中から真っ逆さまに落ちていた。空中では身動きも取れないし、何よりそんな余裕もなかったせいで強く死を覚悟する。

 もし、自分が猫だったら……死の間際にそんなくだらないことを考えていたその時、ぼくの上着を身体を光の杭が貫いて、岩壁に縫い留めた。

 残り、三メートルほど……本当にギリギリで、ほっと胸を撫で下ろす。


「まったく、いくら心配だからと言って、あの高さから落下は流石の私も君の思考回路を疑ってしまうよ、イヴ」

「アルミリアぁ……」


 穴の底には、土埃にまみれたアルミリアが一人立っていて、セナは力を使い果たしたのかぐったりと倒れ伏していた。

 シオンは……ひとまず、暴走は止められたらしい。彼女もセナと同じように意識を失い、仰向けに倒れている。

 アルミリアの手を借りて着地すると、穴の底に広がる壮絶な戦いの後が視界に飛び込んできた。

 シオンの雷撃によって大きく抉れた地面や岩壁、飛び散った赤い血、そして―――砕け散った氷の結晶。その一つ一つの事実が、ようやく戦いが終わったのだとぼくに優しく告げていた。


「……終わったんだね、これで全部」

「あぁ、星盾ゴーティスに封じられていた雷神もセナが倒してくれた。シオンもじきに目を覚ますだろう」


 痛む右腕を押さえながら、ゆっくりとした足取りで氷の結晶のもとへ。

 シオンは救えた、アストライア家もほぼ壊滅状態だ、それでも手放しで喜べるほど、ぼくは人でなしじゃなかった。


「レイラ……ごめん……っ」


 一緒にシオンを助けようとしてくれた彼女を、守ることができなかった。

 砕け散った氷の結晶に、涙が滴り落ちる。

 大粒の涙がぼくの頬を伝って、地面についた手の甲を濡らす。

 駄目だ、涙を堪えることができなかった。レイラとは本当に短い付き合いだったけど、それでも、シオンを助けたい彼女の想いは本物だった。だからこそ、悔しくて、悔しくて堪らない。


「くそっ! くそっ……くそっ!!」


 左手の拳を地面に叩きつける。

 手の皮が裂けて血が滲んだ。僅かに痛みも走った。

 出来ることならやり直したい、時間を巻き戻したい、あの攻撃を受けるその瞬間まで戻って、それで―――


「なんで……どうしてなんだよ……っ!! どうして、何もかもうまくいかないんだよ……っ!!」


 でも、無理だ。ぼくたちに時間を巻き戻す手段なんてない。時の流れに逆らうことと人の死を覆すことは、同程度に不可能なことだと言われているのだから。魔法だろうと、失った時間をやり直すことはできないのだから。

 全てを救ってハッピーエンド。そんな物語は夢の中だけの話。

 分かってはいた。ぼくにそんな力はないって分かってはいたけど……それでもやっぱり、いざ現実を突きつけられると苦しいし、悔しい。


「ハハッ、ハハハハハ!! まさか、全てを救える救世主にでもなったつもりだったのかな!? 所詮君はただの人間、魔女の力を持つだけの矮小な存在だ。誰も彼もを救えるなどという幻想は捨てた方がいい」


 そんなぼくに追い打ちをかけるように、壁に磔にされた男の声が穴の底に響く。

 いつの間にか氷の拘束も解けていて、シノブは自らの身体を修復しながら立ち上がり、ぼくたちに向けて不敵な笑みを浮かべた。


「もう諦めろ、大人しく拘束されるんだ」


 もう戦えないぼくを庇うように立ち、アルミリアが槍の穂先を向ける。

 彼女の紺碧の瞳には、確かな怒りの炎が燃えていた。


「いいや諦めない。まだ終わらない、終わらせてなるものか、あの男をこの手で殺すまで、僕は止まれない……!!」


 復讐にその身を燃やす男は止まらない。ぼくたちにも、止めることはできない。

 彼は骸の魔女の力で復活した死徒だ。ぼくたちの力では死徒を殺せない。

 彼自身にも魔力は殆ど残っていないが、殺せない化け物を相手に攻撃を凌ぐだけでもかなり体力を使う。逃げ場のない穴の底、意識のないセナとシオンを連れて離脱するのは無理だ。


「まずはお前だ氷の魔女……お前が全てを狂わせた、お前の存在の計画の邪魔をした……アリシア・イグナの遺した希望、物語を受け継ぐ者、お前を消して、僕は―――」

「悪いが、そいつは俺が許さねぇ」


 万事休す―――そう思った時、上空から飛来した弾丸が男の胸を貫いた。

 撃ち込まれた弾丸の軌道を追うようにしてフェネクスが降下してくる。その背中から飛び降りた一人の青年は、ぼくたちの前に降り立つと魔力を込めた弾丸を装填し、銃口を最後の敵に向けた。


「リツ……お前ぇぇぇぇえええええええええええ!!」

「ぎゃーぎゃー騒ぐなってうるせぇな。よぉ、久しぶりだな、シノブ」

「またか、またお前は僕の邪魔をするのか!!」

「そりゃするだろうなぁ。今の俺はこいつらの先生で、守る側の人間だ。たっくよぉ、こうなるならあの時入念にお前をぶち殺しておくべきだったぜ」


 リングレイルという共通の名前からして、彼ら二人は旧知の仲だ。

 互いに恨み言をぶつけていても、その言葉の裏には既に崩れ去ってしまった友情の欠片が見え隠れしている。

 だけど、今はそんなこと関係ない。リツ先生は冷静に、冷酷に、そうして冷淡に言い放ち、引き金に指をかける。


「もう諦めろ、俺たち転移者の時代は終わったんだよ」

「いいや終わらない! 僕がここにいる限り、僕たちの時代は終わらない!! なぁリツ、お前は言ったはずだ。この世界の人間はバカばっかりだと、力の使い方もロクに知らない間抜けしかいないと!!」

「そんなこともあったな……でも今は違う。俺たちに出る幕はねぇよ、この物語はあいつらのもんだ」

「ふざけるな……! 僕は諦めないからな! 次こそ、お前を……っ!!」

「だから次なんてねーよばーか」


 一発の銃声が轟き、シノブの額に穴を開けた。

 彼の身体が、リツ先生の魔力に侵食されて崩壊していく。

 破魔の銃弾を受ければ、魔力で死んだ肉体を動かしている彼らは崩壊する。

 ヨハンナの時と、同じ光景だ。

 リツ先生が拳銃を腰のホルスターに戻すと、肉体の崩壊は加速していく。

 彼がこちらに振り返る頃には、シノブ・リングレイルの身体は灰になって消滅していた。


「よし、お仕事完了っと。帰るぞお前ら」


 二人は友人だったと思う。

 親しかった相手を手にかけて、それでも先生は平然としていた。

 ううん、違う。彼は、人を殺すことに躊躇いがないんだ。

 先生の異名の通り、彼は自分の魔力の特性を利用して、多くの魔導師を殺してきた。だから、心が擦り減っているんだ。いつもの間抜けな顔の裏に一体何が隠れているのか、ぼくには想像もできなかった。




 ◇ ◇ ◇




 セナとテレジアに両側から支えられ、満身創痍で星影の樽に帰還する。

 ミランダさんは既に解放されていたようで、クロエと一緒に戻ってきたぼくを温かく出迎えてくれた。

 ぼくが無茶をしたその分、リツ先生がこっ酷く怒鳴られたのはさておき。


 三日経っても、シオンが目を覚ますことはなかった。

 あれからずっと付きっきりで様子を見ているけど、ピクリとも動かない。ただ規則的な呼吸に合わせて胸が僅かに上下するだけで、それ以外は何も反応がなかった。


「イヴ……そろそろ休んでください、私が代わりますから」

「ううん、大丈夫。これはぼくの役目だから……」

「でも、ずっと起きてるじゃないですか。今のイヴ、とってもつらそうです……」


 セナに言われて、部屋の角に置かれていた姿見に映る自分を見る。

 ひどい顔だ。憔悴しきった表情と、目元の大きなクマ。そりゃ、三日も寝ていないのだから当然といえば当然か。


「ならせめてご飯を食べてください。私は丸々としたイヴの方が好きなんです」

「デブになれって?」

「いやそうじゃなくて、こう、もちっとしているっていうか……」

「何それ……あっ―――」


 ぐぅぅ……と低く唸るような音がお腹から聞こえてきた。そういえば何も食べてなかった。少し目を離した隙にシオンが死んでしまうんじゃないかって怖くて、ここを一歩も動けない。まぁ、空腹には慣れているから、それほど気にもならないけど。


「イヴ、ひとまずご飯を食べましょう。ほら、持ってきましたから」


 そう言ってセナがお盆に乗せて手渡してきたのは、拳大ほどのご飯の塊だった。


「……なにこれ」

「おにぎりです! お米の塊なのでエネルギー効率は最高ですよ!!」

「おに……ぎり……? あぁ、なるほど、お米を握るからおにぎりか」

「塩で味付けしてますから、そのまま食べられます。はい、ほら一口でパクっと」

「喉につっかかって死ぬよ!? はぁ……そこまで言うなら、食べるけどさ」


 かなり力を込めて握ったのだろう、おおよそお米の塊とは思えないほど固いそれを手に取って、恐る恐る口に運んで一口噛んだ。

 しょっぱい、でも、美味しい。ただ―――


「少し、固すぎない?」

「丹精込めて握りました! 愛情込めて握ることが大切って聞きましたので!!」

「そういう意味じゃないと思う」


 ぼくはこの料理を知らないけど、おそらく美味しくするためにはもっとこう、お米とお米の間に空気を入れてふわっとさせるべきだ。力任せに握ったらそりゃこうなるよね。


「でも……ありがとう。少し、元気出たよ」

「よかったです」


 ただ、セナなりにぼくを励ましてくれたことは分かる。

 心の中にズケズケと入り込んでくる彼女の性格が、今は少しだけありがたかった。

 最後の一口を呑み込めば、それだけでお腹は一杯になった。

 もう少しだけ、頑張れる気がする。



 四度目の日没を迎えた。

 星影の樽は平常通り営業を再開したらしい。下の階から、皆が騒ぐ音が聞こえてくる。

 となると……セナやアルミリア、クロエが手伝っているのだろうか。みんなぼくよりも可愛いし愛想もあるから、臨時とはいえ大人気なんだろうな。


「……ねぇシオン。そろそろ、起きようよ」


 シオンは一向に目覚める気配がなかった。

 外傷はないのに、目を覚ましてくれない。

 いや、シオンの気持ちは少しだけ分かる。ぼくも、消えてしまいたいと強く思っていた時があったから。きっとシオンはもう戻りたくないんだ。自分が苦しんで、周りが傷ついて、迷惑をかけるくらいなら消えてしまいたい、ぼくがシオンの立場だったらそう考える。

 だからってさ……君に死なれると、ぼくが困るってのに。

 何のために、ぼくはここまで来たのさ。


「君には、沢山迷惑をかけた。ぼくはまだ子供で、間違えてばかりで、正しいやり方なんて知らなくて、だから君にいっぱい苦労させて、君を傷つけて、苦しめて、君が消えてしまいたいって考えるのは分かるよ」


 でも―――


「せめて、君に謝らせて欲しいんだ……ごめんって、ごめんなさいって……」


 あぁ、駄目だ、涙が出てきた。

 ぼくの頬を伝った涙が、シオンの身体にかけられた布団を僅かに濡らす。


「ぼくを守るんだろ? ぼくの盾になるんだろ? それなのに、ぼくを泣かせてどうするんだよ、このばかっ」


 視界が歪む、思考が纏まらない、感情が抑えられない。

 気がつけば、ぼくはシオンの胸に顔を埋めていた。

 なんだかんだ、シオンの存在はぼくの中で大きなものだった。

 魔女の娘だと恐れられていた時も、シオンはぼくを疑うことなく慕ってくれた。

 正直噂とかどうでもいいと射に構えていたつもりだったけど、意外とメンタルに来ていたのかもしれない。だから、シオンの存在はありがたかったっていうか……なんていうか。


「シオン……お願いだから、目を覚ましてよぅ……っ」


 シオンにしがみつき、子供みたいに泣きじゃくった。

 どうしようもなく、ぼくは無力だ。

 何も救えない、誰も助けられない。シオンを救えると自惚れていたあの頃のぼくを、全力でぶん殴ってやりたい。

 でもさ、一言でいいんだ、シオンに謝りたい……。


「……うぐっ」


 今までピクリとも動かなかったシオンの身体が僅かに動き、声が漏れる。

 その翡翠色の瞳がゆっくりと開かれて、ぼくを見た。


「先輩……苦しいです」

「あ、あぁっ……あぁぁぁぁっ……」

「ちょっ、先輩!? なんで泣いて、ってかボク、何をして……」

「しお……んっ、シオン……っ!!」


 みっともなく声を上げて、泣いた。

 目を覚ましたシオンに思わず抱き着けば、彼女は困惑しながらも笑って、ぼくを抱き返す。

 よかった……本当に、よかった……


「あ、えっと……心配かけて、ごめんなさい」

「うぁぁぁぁぁぁああああああああああああああああっ!!」


 感情が抑えられなかった。喜びを我慢することができなかった。

 もう一度シオンの声が聞けたのが嬉しくて、泣き続けるぼくの声が、部屋中に響いていた。

 ありがとう、シオン。

 帰ってきてくれて、ありがとう。

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