第36話『ハッピーエンドで終わらない』
シノブが語る重大な真実は、シオンに課せられたどの運命よりも残酷なものだった。
「魔術的に遺伝子操作を行い、星神器に強く適合するよう肉体を調整した人造人間。それが、シオン・アストライアの正体だよ」
「……は?」
「シオンだけではない。カイル、レイラ、アルバ、ノエル、あれらもそう。人工的に生み出された人間だ」
「何を、言って……」
「信じられないと言いたげな顔だね。だがそれは紛れもない真実だ。心は痛まないのか、そう君は言った。答えはこうだ、『道具に抱く情などない』」
「ふ、ふざけ……てる」
あまりの衝撃に言葉が出なかった。
アストライアの子供たちは、全員が魔術的に生み出されたホムンクルス。そんなこと、信じられるはずがない。信じられない、はずなのに……妙に納得してしまった自分がいた。
道具に抱く情はない。だから、平然とその命を犠牲にできるんだ。星神器を手に入れるため殺し合いをさせて、傷つけ、苦しめる。彼にとってそれはただの研究であって、それ以外の意味を持たないんだ。
「ふざけてるよお前っ!! 人の形をしているのに、道具だなんて……!!」
あまりに自分勝手なシノブの物言いに腹が立った。
まるで世界の王様気取りで気色が悪い。こんな人間のために、シオンが犠牲になるなんて許せなかった。
「駄目です、イヴちゃん。何を言っても彼には届きません」
「レイラ……っ」
「相手は、言葉の通じない化け物です」
レイラの言う通りだ。
理解のできない相手に、自分の意見を押しつけたところで何も変わらない。
悲しいけどこの世界は、他者を打ちのめして正しさを証明することしかできない。
「《多重詠唱》・【撃ち抜く氷槍】ッ!!」
怒りと殺意を乗せて氷の槍を放つ。その数、数十本。
繊細な魔力操作はできなかったから、大雑把に魔力の塊をぶつける。精度は落ちるけど、その分威力が増しているから、普通の魔術での防御は不可能だ。
「愚か……実に愚かな選択だね、氷の魔女。君は、僕には勝てない」
パチンと、シノブが指を鳴らす。
その瞬間、彼に迫っていたぼくの魔術が全て霧散した。
解呪……いや、違う。解呪は術式本体を全て視界に捉える必要がある。背中からの攻撃も全て消滅させているから、解呪じゃない。
目の前の光景に戸惑いを隠せなかったぼくの前に、シノブが一瞬で移動する。
「これまでの戦い、見せてもらったよ。実に有意義なデータが収集できた。アリシア・イグナが編纂した【星紡ぐ物語】に記された魔法。それだけじゃない、君とアリシアが扱った魔法の力は全て解析・複製済みだ」
彼の仮面の奥から覗く赤い瞳が、蛇のように見えた。
「イヴちゃんから離れてっ!!」
レイラがぼくからシノブを引き離すために雷撃を放つ。
でもそれは、彼が展開した氷の盾で防がれて散らされた。
何だ、この違和感……あの氷の盾はぼくが良く防御に使う魔法だ。違う人間が使えば、形は大きく変わる。だって、想像を共有することはできないのだから。それなのに、彼の展開した盾は、ぼくが使うものと全く同じだった。
「お前は後だ、そこで寝ていろ失敗作。【炎姫と氷王の邂逅】」
「レイラ……!!」
ぼくに顔を向けたまま、彼は背後から迫るレイラに右手を向けた。
そこから放たれたのは、ぼく以外に知る者がいないはずの、蒼い炎の火球。
レイラはその直撃を受けて吹き飛ばされ、奥の壁に激突する。
「なんで……なんで、それを……」
「僕の固有スキルさ。複製魔法と安直に名付けたバカがいたな」
「固有……スキル……?」
「君たちには決して与えられることのないものだ」
彼が何を言っているのか、ぼくにはさっぱり分からなかった。
だけど、一つだけ確信できることがあった。彼は、ぼくが今まで人前で使ってきた魔法を全て扱うことができる。その、たった一つの確信が、ぼくたちが勝てる可能性を潰した。
「イヴちゃんから……離れてっ!!」
レイラの叫びと同時に、紫電の雷鳴が轟く。
目で追えない速度で接近し、レイラは背後から電撃を叩き込む。
だけど―――
「そこで寝ていろと言ったはずだ。失敗作が出しゃばるなよ」
次の瞬間、シノブの腕がレイラの腹部を貫いていた。
「ぐっ……」
「レイラっ!!」
レイラの腹部から、赤い鮮血が舞い散る。
これがもしセナなら、それでも安心して見ていることができただろう。
ぼくは慣れていたのかもしれない。そうだ、普通の人間は、当然のように傷つくんだ。
「この……っ!!」
「おっと……驚いた、まさか剣を振るとはね」
魔法で氷の剣を生成して切りかかる。
ぼくの持つあらゆる魔法が通用しないのなら、もう近接戦に持ち込むしかない。
こんなことなら、セナから剣を教わっておけばよかった。左手で雑に振られる剣の軌道は、仮面の男を捉えることなく空を切る。
「このっ……このぉぉぉおおおおお!!」
何度も、何度も剣を振った。
出鱈目でも、適当でも、身体の内側からぼくを満たしていくこの本能的な恐怖を取り除くために必死に抗った。
だけど、駄目だった。
シノブの放った雷撃が、ぼくの両肩と両脚を貫く。
壁に縫い留められて、四肢が徐々に凍りついていく。腕が動かないからどうすることもできない。両腕の感覚がない、両脚もない。もう、どうにもならない。
全身が凍りつく、死ぬ―――
「はぁぁぁぁぁあああああああああああああああああ!!」
瞬間、黄金の剣がぼくを包み込む氷の塊を切り裂いた。
ぼくと仮面の男の間に割って入ったセナが、ユスティアの先をシノブに向ける。
全身が傷だらけだった。学院の制服も所々破け、血に染まり、息を切らしながらもセナは仮面の男を強く睨みつける。
「セナ・アステリオ……なるほど、カイルを突破したのか、素晴らしい」
「あなたが親玉ですね。シオンを返してもらいます!!」
セナはユスティアを両手で握り直し、姿勢を低くして構える。
「……いきます」
小さく呟いて、強く踏み込んだ。
床が割れるほどの衝撃と、駆け抜ける黄金の閃光。仮面の男に真正面から突っ込んで、セナは黄金の剣を振り抜く。
だけど、その一閃は氷の盾で防がれて届かなかった。
「星剣ユスティア……その剣の力は未知数だが、大したことはなさそうだ」
「それはどうでしょう……ねっ!!」
氷の盾を打ち砕き、セナが再度接近する。
シノブは仮面の奥の瞳を輝かせて、【炎姫と氷王の邂逅】でセナを迎撃。蒼炎の火球が爆ぜて、爆炎がセナを包み込む。
セナがユスティアを横に振ると、蒼い炎が消失する。全身を焼かれても、セナの身体は修復される。まるでユスティアが、勇者に、ここで斃れることを許さないと言うように。
蒼い炎を掻き分けて接近したセナの回し蹴りがシノブを捉え、彼を僅かに後退させる。すぐさまユスティアを構え直し、突撃。彼に反撃の隙を与えず、連撃を叩き込む。
「はぁぁぁぁあああああああああああああああッ!!」
「チィ……!!」
氷の盾で防がれたセナの斬撃は三撃目で防御を打ち砕き、仮面の男が舌打ちする。
「何が複製魔法ですか……そんなもの、イヴの魔法に比べればずっと弱い、ずっと軽い! 大したことがないのは、あなたですッ!!」
「調子に乗るなよ星剣の勇者……今までのはただの手加減だ。君たちの知らない魔法が僕にはあるのさ……【滅日の閃光】」
声を荒げて、シノブは複数の魔法陣を背後に展開する。
見たことのない形の魔法陣から放たれたのは、赤黒い光線だった。
真っ直ぐ放たれる光線なんて大したことない。セナは軽々しくそれを回避するが、直後、光線が直角に曲がってセナの腹部を貫いた。
「追尾式っ!?」
「ただのビームだと思うなよ……あらゆる再生を阻害する呪いの魔法だ!!」
「……回復しない、どうして……っ」
「君のオートヒールはユスティアの力によるものだ。だが、かの星剣といえど魔王の魔法を癒すだけの力はなかったようだね」
「魔王の、魔法……!?」
ありえない。だって魔王は、千年前に倒された。
いや、違う……そうか、彼はぼくだけじゃない、師匠の魔法も使える。だから、これは師匠がぼくに見せたことのない魔法だ。
セナが床に剣を突いて、膝から崩れ落ちる。それを見て、シノブは仮面越しからも分かるほど勝ち誇った笑みを浮かべた。
「ハハ……ハハハハッ!! 何が星剣ユスティアだ、何が勇者だ!! セナ・アステリオ、君はユスティアの力の一端すら引き出せていない偽物だ。僕の研究材料になる価値はない!!」
「ぐぅぅううっ……!!」
倒れ伏したセナの腹部を蹴り上げて、仮面の男は高らかに笑った。
「セナっ!!」
魔力が凍りついて身体が動かない。声を絞り出すのがやっとで、動こうと思っても言うことを聞かない。このままじゃ、このままじゃセナが危ないっていうのに、それなのに……ぼくは肝心な時に何もできない愚か者だ。
「……まだ、です」
傷口を押さえて、片手でユスティアを構え直しセナが立ち上がる。
「いいや終わりだ!! モブは潔く死ねッ!!」
左手に氷の剣を構えて、シノブはセナに向けて射出する。腹部を貫かれ、セナが後退、膝を突く。
「ぐっ……ぁぁ……っ、ぁぁぁ……」
「君のように悪い人間を一人知っているよ。何の力もないくせに、ただバカみたいに真っ直ぐで場を掻き乱して僕の計画を邪魔した男をさぁ!!」
「ぁぁぁぁぁあああああああっ!?」
倒れ伏したセナの傷口を踵で抉り、彼は早口で捲し立てる。
その言葉には、ここにいない誰かへの恨みの感情が込められていた。
「そのせいで僕はこんな地下に追いやられてひっそりと研究する羽目になったんだ。でもそれも今日で終わりだ、星剣の勇者を殺して、魔女の力を取り込み、星盾ゴーティスを手に入れてしまえば、僕があいつに負ける要素はどこにもなくなる!!」
「ぐっ、あぁぁっ……ぐぅぅぅううううう!!」
「ほら、ほらほらほらほらぁ!! どうしたんだよリツぅ!! 早く助けに来ないと、君の教え子が何人も死んじゃうよぉ!?」
「あぁぁっ、あああああっ!? ぐっ、ぁぁぁああああああ……!!」
セナをいたぶるシノブの右脚に、バチバチと青い雷が走る。
リングレイル……同じ名前を持つ、彼とリツ先生、二人の間に何があったのかをぼくは知らない。だけど、シノブの歪んだ笑みが、セナを通してリツ先生に向ける恨みと憎しみが、彼らの確執を語っている。
だけど……セナは関係ないだろ……!!
左手に出来る限りの魔力を集めて、仮面の男に魔法を放つ。
意識外からの攻撃。それでも彼は、鼻で笑ってぼくの魔法を打ち消した。
「そこで見ていろ氷の魔女。愚かにも僕に逆らった罰だ、まずはお前の大切な友人から消してやるよ!!」
「あぐっ!?」
シノブはセナをいたぶっていた足を止めて、蹲った彼女を氷の剣で何度も貫く。
赤黒い血が飛び散り、皮膚が裂け、肉が穿たれる。それでも飽き足らず、彼は何度も何度も執拗にセナを痛めつける。
想像を絶する激痛のはずだ。それでもセナの意識はまだ続いていて、死んでいるはずの負傷なのに、何か謎の力で死ぬことを許されない。こんな残酷なことがあっていいのか……。
「セナっ!!」
「はぁっ……あぁっ、あっ……ぐぅっ、ぁぁぁあっ……!!」
「これでもまだ死なないのか? あぁ、そうか、君はそうか、そうだったのか。なんだ、だから死んだはずのレイリーナの身体が動いているのか……そうか! 氷の魔女! 君は本当に愚かだよ! こんな簡単なことに気付けないなんて、愚かにも程がある!!」
高笑いを浮かべて狂乱するシノブの赤い瞳が、ぎょろりとぼくに向けられた。
彼の足元では、辛うじて浅い呼吸を繰り返すセナが、傷だらけで横たわっている。呼吸をするたびに口からは赤黒い血がこぼれ、瞳からは生気が失われていた。それでも、彼女は死ぬことを許されない。
「もうやめて……もう、やめてよ!!」
左手に魔力を込める。
―――いや、左手じゃだめだ。
ぼくは右手に巻かれた包帯を解き、砕けた腕を魔力で繋げ、強引に動かす。
右手なら、繊細な魔力操作ができる右手なら、あいつを倒す算段くらいはある。
でもきっとそれが終われば、ぼくの右手は使い物にならなくなるだろう。最悪、一生動かない可能性だってあるわけだ。それでも、あいつを倒すためなら、セナと、レイラと、シオンを助けるためなら右腕くらいくれてやる……!!
「《多重詠唱》・【炎姫と氷王の邂逅】ッ!!」
仮面の男の周囲に複数の魔法陣を形成し、一斉に蒼炎を吐き出す。
彼はさっきと同じように右手の指をパチンと鳴らして、ぼくの魔法を打ち消した。
でも、二度続けて打ち消すことはできない。
「何っ!?」
消された直後に、同じ数の魔法が再度出現、仮面の男を蒼い炎が包み込む。
彼が焼かれている間にセナを救出、傷だらけの身体を魔法で修復する。
治癒の進みが遅いのはあの魔法の影響だろう。でも、やっぱりそうだ、彼の複製はオリジナルよりも威力が劣る。だから、本来治癒を阻害する魔法の効果が、治癒の遅延に置き換わっている。
「ふざけるなよ氷の魔女!!」
「それはこっちのセリフだよっ!!」
シノブが放つ四本の雷撃を氷の盾で防ぎ、反撃に氷の槍を射出。
彼は指を鳴らして自分への直撃を消滅させ、さっきの赤黒い光線を展開する。
受ければ必殺、絶死の一撃。だけどさっきの一発で確信した、魔法本体の魔力の質はぼくの方が上だ。
だから、ぶつかれば必然的にぼくの魔法が勝つ。
氷の剣を操って死の光線を迎撃する。魔法同士が衝突して崩壊し、魔力の残滓が辺りに散らばる。ぼくはその隙に地面を蹴ってシノブに肉薄する。
やることはいつもと同じだ。消滅させられるのなら、ゼロ距離で叩き込むっ!!
「【炎姫と氷王の邂逅】……ッ!!」
右手で仮面に触れて、蒼い炎の火球をゼロ距離で放つ。
命中と同時に爆発し、蒼い爆炎が燃え上がる。衝撃で吹き飛ばされたシノブは、壁に叩きつけられて気を失った。
砕けた仮面が床に散らばる。相手はもう、立ち上がってこない。
「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」
勝った……全身が重い。魔力を大幅に消費したせいで、疲労感が一気に押し寄せてきた。
それでも、足を止めるわけにはいかない。
「イヴちゃん……」
「イヴ……やりましたね」
回復した二人が立ち上がってぼくに駆け寄ってきた。
セナもレイラもボロボロだ。というか、レイラは死んでいてもおかしくない傷だ。
それでも生きているということは、やっぱり、彼女は骸の魔女によって蘇った死者。分かってはいたが、いざ知ると心が痛い。
二人に肩を貸してもらって、支えられて部屋の中央へと向かう。
いくつもの管が繋がれた祭壇の上でシオンは眠っていた。外傷はない、何かしらの魔術を施された形跡も見当たらない。
セナが管を全て切り裂くと、シオンの瞼がピクリと動いた。
「うっ……うぅ……イヴ、先輩……」
「シオン……!!」
「うぇっ!?」
目を覚ましたシオンを強く抱き締める。
シオンは突然のぼくの行動に驚いて、素っ頓狂な声を上げた。
「い、痛いです先輩っ!」
「あ、ご、ごめん……嬉しくて、つい」
「そ、そうですか……えへへ、先輩に想ってもらえて、ボク嬉しいです」
あどけない笑顔に思わずドキッとした。
シオンはぼくの腕から抜け出して、セナとレイラの二人に目を向ける。
「セナ先輩、助けてくれてありがとうございました」
「シオン、無事で良かったです」
「レイラお姉ちゃん……ごめん」
「わたしはシオンのお姉ちゃんだよ。だから守るのは当たり前」
「……うん、ありがとう」
「恥ずかしがり屋なのは三年経っても変わらないんだね」
気まずそうに俯いたシオンを見て、レイラがクスッと笑う。
「シオン、立てる?」
「すみません、身体がうまく動かなくて……難しいです」
「大丈夫です、イヴが背負ってくれますから」
「え? あ、うん……シオン、乗って」
「ありがとうございます。えへへ……」
シオンはぼくの背中に乗ると、首に腕を回して抱き着いた。
彼女の身体は冷たいけど、その奥にある温もりは確かに感じられる。
助けられたんだ。やっと……シオンを救うことができたんだ。
「イヴ、あの人が起きる前にそろそろ離脱しましょう」
「うん、そうだね」
三人、足を引きずりながら歩く。
全員ボロボロで、ぼくたちは顔を見合って笑い合った。
あとは戻るだけだ。アストライア家を潰すのは、もっと、色々と考えてからで―――マズいな、魔力がもう殆ど残っていない。身体がふらついて、視界が大きく揺らぐ。シオンを背負っているから尚更全身が重い。
セナとレイラに支えられながら、地上に続く階段を上る。
最初の一段に足を置いた瞬間、背後で魔力が熾った。
「イヴちゃん、シオンっ!!」
突然突き飛ばされて、シオンはぼくの背中から落ちて床を転がる。
ぼくもバランスを崩して、壁に頭をぶつけた。
何が起きたんだ。痛む頭を押さえながら立ち上がったぼくの目に飛び込んできたのは、衝撃的な一瞬だった。
「お姉ちゃん……?」
「レイラ……!!」
氷の剣が、レイラの心臓を貫いていた。
壁に縫いつけられたレイラは、赤い血をこぼしながらぼくたちに手を伸ばす。
その手が届くことはなかった。
傷口から生じた氷が、レイラを包んでいく。それは一瞬で全身に広がって、彼女を氷の結晶に閉じ込めた。
「レイラ……っ!!」
ぼくがレイラの名前を呼んだ瞬間、氷の結晶は粉々に砕け散った。
神様は、ぼくたちをハッピーエンドで終わらせてはくれなかった。




