第35話『地下へ』
状況は大きく変わった。
ぼく一人ではどうにもならなかった現状がを、セナが切り開いてくれた。
いける。これなら、きっとシオンを助けられる。そう確信するには十分すぎる。
それだけ、ぼくはセナを信頼していたし、セナなら期待に応えてくれると思っていた。
―――期待以上だった。
「はぁぁぁぁああああああああああっ!!」
「何だこいつ、何だこの剣! 魔力が散らされる……どうなってんだオイ!!」
戦闘開始から数十秒、セナの猛攻に防戦一方となっていたノエルは、ユスティアと打ち合うたびに自分のペースを崩されていた。
セナはそんなことお構いなしと、湧き上がる怒りに心を燃やし、それでも思考は冷静に、連撃の間に挟まれるノエルの反撃を的確に交わしながら自分の流れに持ち込んでいく。
魔術戦だろうと近接戦だろうと、人間を相手にした戦いに勝つために重要なのは、冷静な状況判断能力と自らの得意とする攻撃を一方的に相手に押し付けるという意志。ノエルが得意とするであろう雷魔術の速度と鋭利な爪による一撃必殺を封じられてしまえば、このままズルズルとセナのペースに乗せられるだけだ。
「せいっ! はぁぁっ!! やぁぁぁああああああああっ!!」
相手の魔術すら切り払うほど洗練された剣技を持つセナの斬撃は、一撃一撃が並大抵の魔物を軽々殺す威力を持っている。真正面から馬鹿正直に受けているだけでは、そのうち押し切られるのが目に見えている。
それはノエルも薄々感じていたのだろう。彼女は前方に七本の雷撃を同時展開してセナの意識を一瞬逸らし、その隙に間合いから大きく離脱する。
「テメェは後回しだ、剣星。まずはクソ魔女、テメェから殺してやる……ッ!!」
「しまった!!」
それだけでは済まない。ノエルが次に狙ったのは、この場で唯一自分のスピードに対応することのできないぼくの命。右手が潰れて繊細な魔力操作のできないぼくに、彼女の攻撃を防ぐことは不可能だ。
爪が目の前に突き立てられる。やられる……迫る死にせめてもの反撃として左手を向けた。
瞬間、ノエルの後方で彼女に裏をかかれたはずのセナが、僅かに笑った。
上空から飛来する光の楔がノエルの身体に打ち込まれ、彼女の足を止めた。
爪はぼくの目の前で静止して、一ミリすら動くことができなくなる。
「クソ……ッ!!」
「撃ち抜きなさい【炎天の星弓】ッ!!」
続けて、天空から放たれた炎の矢がノエルの身体を貫いた。
炎の矢は小規模な爆発を伴い煌々と燃え盛る。
光の楔、炎の矢、その声には聞き覚えがあった。ぼくが天井の穴から青空を見上げると、建物の中へと飛び込んでくる大きな赤い影が一つ。全身が炎によって形成された精霊【フェネクス】の背から飛び降りた二つの人影は、どちらもぼくを庇うように立ち、弓と槍、二つの武器を構えた。
「すまないイヴ、遅くなった」
「真打登場、というものですわ」
「テレジア……アルミリア……っ!!」
思いもよらない増援に、ぼくは涙を堪えることができなかった。
ずっと一人で戦わなきゃいけないと思っていた。でも違った。ぼくは、ぼくには、共に戦ってくれる皆がいるんだ。
「おいおいおいおいおいおいおいおい……アタシの心臓ぶち抜くか普通……死んだらどうすんだよ、オイ……」
揺らめく炎の中から姿を現したノエルの身体には、ぽっかりと穴が開いていた。
心臓がない。それでも身体が動き、言葉を発する。ぼくとテレジアは、あれが何であるかを知っている。
「やはり、ヨハンナの時と同じですわね」
「死者を蘇らせるだけではなく、死の概念を肉体から取り除く魔法……これが骸の魔女の力か」
厄介そうに舌打ちをするテレジアの隣で、これだけの光景を目にしてアルミリアは冷静に分析と考察をしていた。肝が据わっている。だけどそういうところが、アルミリアの強さの所以なのだろう。
「あの状態では何をしても死にませんわ。以前も、結局リツ先生がトドメを刺してくださるまで私たちにはどうすることもできなかった……」
「それなら、私たちがやるべきことは足止めだ、倒す必要なんてない。セナ、イヴとレイラを連れて先に行ってくれ。この二人は私とテレジアで相手をする」
「でも、それだと二人が……!」
「心配ありませんわ。それに、情報が確かならカイル・アストライア対策にあなたは必要不可欠。だから行ってください、セナ」
「……ありがとうございます!!」
セナがぼくたち二人の手を引いて奥へと駆け出す。
だけど、アルバが大人しくそれを通すわけもなく、ぼくたちの前に雷撃を放って牽制する。
「行かせない……カイル兄様のところへは、絶対に」
「シオンを救うためだ、三人の邪魔はさせないよ」
ぼくたちに向けて放たれた三発の雷撃を、アルミリアの黄金の槍が防いだ。
アルバはひどく動揺し、歯をキリキリと鳴らしてアルミリアを睨みつける。
「剣星になれなかった失敗作が……っ!!」
「挑発のつもりだとしたらすまない。生憎、私は既にその称号への拘りを捨てたんだ。それは、セナのものだからね」
アルミリアは槍の穂先を向けて、アルバの挑発を軽く受け流す。
その表情には自信が、紺碧の瞳には余裕が現れていた。
アルミリア・グランヴィル―――名家、グランヴィル家の後継者。
テレジアと並ぶ実力者だと学院では噂されているが、ぼくはまだ彼女の本気を見たことがない。
いや、ぼくだけじゃない。この場にいる誰もが、アルミリアの全力を知らない。
だけど、どうしてか彼女たちが負けるとは思えなかった。
◇ ◇ ◇
アルバとノエルの相手を二人に任せて、ぼくたちは先へと進む。
レイラの案内で地下に続く階段を駆け下りた先にあったのは、巨大な地下空間だった。
無機質な白い廊下が延々と続く地下施設を進む。敵の中枢だというのに、やけに招かれているような気がして気味が悪かった。
「ここまで入り込んで迎撃されないなんて……なんだかおかしいです」
「むしろ、誘導されているような……」
セナとレイラも大方ぼくと同じような違和感を覚えているようだった。
敵の監視網を潜り抜けて、侵入した先にあった奇妙なくらい何も起きない空間。
ここまでの道程で感じていた不気味な感覚が強くなる。まるでこの先に何かが待ち受けているようで……そう考えた途端、レイラが突然足を止めた。
「ここです……シオンちゃんがいるとしたら、父の研究室しかありません」
「ここって……言われてもさぁ……」
「……いえ、電子錠がここにあります」
レイラが示しているのはただの白い壁だ。扉なんてどこにもなかった。首を傾げるぼくと違い、セナは壁から飛び出した小さな箱に触れる。
セナと代わったレイラが、デンシジョウ……と呼ばれた箱を操作する。
しばらくして、壁が引き戸のようにスライドして通路が姿を現した。
「この先です」
レイラの案内で先へ。
さっきとはまた違い、黒一色で不気味な雰囲気の通路。足元すら見えない暗闇を僅かな明かりで照らしながら先に進むと、開けた空間が姿を現す。
その部屋にあったのは、鉱山の先で見たものと同じガラス製の容器と、それに繋がれた無数の管だった。中には人のような形をした何かが浮かんでいて、思わず吐き気を催した。
いや……人だ。辛うじて人の顔が僅かに見えた。その顔はぼくがよく知る人のものだった。
「なに、これ……」
「アリシア・イグナの複製、その失敗作だ」
ぼくの疑問に答えたのは、カイル・アストライアの声だった。
彼は部屋の奥からゆっくりと姿を現すと、その氷晶の瞳でぼくたちを睨みつける。
周囲のマナがひりついていた。僅かだけど、冷たい魔力が漂っている。ここは既に、カイルの魔術が及ぶ領域。一撃を受ければそこから身体が凍りついていく必殺の魔術、対抗策は思いつかない。さて、どうしたものか―――
「はぁぁぁぁあああああああああああっ!!」
カイルの魔術への対応策を思案していたぼくの隣を、白い影が駆け抜ける。
飛び出したセナの剣がカイルの頭上から振り下ろされた。カイルはその一撃を氷の魔術で防ぎ、続けて繰り出されたセナの蹴りも片腕で簡単に受け流す。
「シオンを返してください!」
「断る」
「なら力づくで取り返しますッ!!」
セナの剣は止まらない。防御を一撃で砕き、カイルを数歩後退させる。
カイルは魔術で氷の剣を生成して、セナの剣を受け止めた。
鍔迫り合いの最中、至近距離から放たれた電撃がセナに直撃。それでもセナは怯まずに攻撃を続ける。幾度もその身体に雷撃を打ち込まれても、セナの身体を氷の結晶が侵すことはなかった。カイルはそれを不審がって、セナから距離をとった。
「魔力が分散されている……その剣の力か」
「あなたの強力な魔術は私に効きません。シオンはどこですか」
「この奥だ。だが、ここは通さない」
「分かりました……なら、私も全力で当たります」
セナが剣を構え直し、カイルもまた戦闘態勢に入る。
緊迫した空気の中、先に動いたのはカイルだった。カイルは多重に雷撃の術式を展開してセナを包囲、セナの機動力を封じようとする。
けど、そんなもので止まるセナじゃない。
雷撃が放たれる瞬間、セナの姿が消えて術式が全て切り裂かれた。
カイルの背後に回り込んだセナは、そのまま黄金の剣を振り下ろす。
それが身体に触れる寸前に、カイルは氷の魔術で壁を生み出しそれを防いだ。
セナは剣の勢いを殺さずにそのまま空中で一回転して距離を取ると、再びカイルに向かって駆け出す。
「どうしてなんですか……どうして、シオンを苦しめるんですか!!」
セナの振るった剣が、カイルの氷の剣を弾き飛ばす。
「答えてください、カイル・アストライア!!」
「弱者は星盾を持つべきではない。星神器は力ある者のためにある」
「そんな理由で……?」
「それがアストライアの、父の選択だ。我らはそれに従う、それだけだ」
「シオンが不出来だとしても、アストライア家が望んだ勇者ではなかったとしても、人の命を簡単に奪っていい理由にはなりませんっ!!」
セナの言葉は正論であり綺麗事だ。だけど、その綺麗事が通じない相手に正論は意味を成さない。セナの剣がカイルを捉えないのと同じように、セナの言葉はカイルに届かない。
「イヴ、レイラ、先に行ってシオンを助けてください」
「セナ……」
「本当は私も行きたいのですが、この人を止められるのは私だけ。だから……シオンをお願いします」
セナを置いて先に進むか、それともここで彼女を援護するかぼくは迷っていた。
どちらにせよ今のぼくは戦力にならない。ならここでセナがカイルを倒すのを待って共に奥に向かえば、この奥で待ち構えているだろう彼らの『父』との衝突にある程度の戦力を維持したまま臨むことができる。
だけど、どうにもセナはそう思わないらしい。
切羽詰まった彼女の表情を見て、ぼくも嫌な予感が脳裏を過った。
そうだ、立ち止まっている暇なんてない。一刻も早くシオンを助けないと、手遅れになる可能性だってあるんだ。
「……お願い、セナ」
「はい!!」
ぼくはこの場をセナに任せ、レイラと共に奥の扉に向かった。
「させるか」
「イヴに手出しはさせませんっ!!」
ぼくたちを足止めしようとカイルが雷撃を放つ。でもそれは、ユスティアの斬撃に阻まれて届くことはなかった。
部屋の奥へと走る。例のデンシジョウと魔導金属製の扉が行く手を塞ぐ。
「わたしに任せてください」
レイラが壁に触れて、魔力を流し込む。デンシジョウによる施錠は解除されて、扉が重々しい音を立てて開いた。
更に地下へと続く階段が姿を見せる。階段の先は暗くてよく見えないけど、奥から嫌な空気を感じた。
「……今行くよ、シオン」
この先にシオンがいると信じて、ぼくたちは地下への階段を降り、暗闇の中へと飛び込んだ―――
どれだけ下っただろう。上から聞こえていたセナとカイルの戦闘の音はもう聞こえなくなっていて、冷たい空気が辺りに漂っている。
全身が震える。これは悪寒だ。この先から感じる異質な空気感を前に、身体が恐怖を堪え切れていない。
やがて、階段を下りた先にまたもや魔導金属製の扉を発見した。
「この先です。イヴちゃん、魔法の準備を」
「分かった……」
レイラに言われて、ぼくは左手に意識を集中させる。
何が出てきてもすぐに対応できるように、一瞬で魔法を放てるように、前方に掌を向けながら待機。
レイラの魔力でロックが解除され、最後の扉が開く。
その先に待ち構えていたのは、異様な空間だった。
空間一帯に張り巡らされた複数の魔法陣や魔術式の数々。複雑かつ大規模なそれは、この空間全体で行われる儀式の範囲を示すものだった。
各術式からは魔力を運ぶ管が伸びていて、それが部屋の中央に集束している。
回路の先、この異質な空間の中心ともいうべき場所に、シオンがいた。
「シオン……っ!!」
大声でシオンの名前を呼ぶ。だけど、返事はない。
その代わりに、彼女が横たわる祭壇の隣に立っていた白衣の男が振り返って、ぼくたちを見た。
「待っていたよ氷の魔女。わざわざ貴重なサンプル提供のためにご足労いただき感謝する」
ぼくを氷の魔女と呼ぶその男は、声の低い黒髪の青年だった。
丈の長い白衣を身に纏い、無機質な人形のような仮面で顔を隠した彼は、仮面の隙間から覗く赤い眼光を煌めかせ、視線をぼくたちに向ける。
異質な存在だった。それと同時に、彼がシオンを苦しめる元凶なのだと直感で理解し、確信した。
「イヴちゃん……お願い、撃って」
「……レイラ?」
「お願い撃って! あいつを殺して!!」
男の姿を見た瞬間、レイラの顔がひどく青ざめ、声が震える。
恐怖と怒りが入り混じったような表情を浮かべたレイラは、何度も浅い呼吸を繰り返して取り乱す。その反応にぼくが疑問を抱くよりも先に、男が動いた。
「おかえり、レイラ。君が僕の指示に従わず魔女の側についたこと、僕はとても悲しい。あぁ、悲しい。君をここで処分することになるとは―――」
「下がってレイラっ!!」
前、右、左、三方向から同時に光の槍が飛来する。
ぼくはレイラを庇って前に出て、氷の盾で槍を受け止め、レイラへの攻撃を防ぐ。
「今のを防ぐのか、流石はリツの教え子」
「先生は何も関係ないでしょ。で、あなたは一体誰?」
「おっと、そういえば自己紹介がまだだったね」
青年はぼくたちの目の前でその仮面を外して、こう名乗った。
「僕はシノブ・リングレイル。アストライア家の、実質的な支配者だ」
シノブと、そう名乗った彼の名前の衝撃に、ぼくは驚きのあまり目を見開いた。
リングレイル―――それは、リツ先生やカナメさんと同じ名前。仮面の中にあった素顔も、リツ先生にどこか似た雰囲気を感じた。間違いない。彼は、シノブ・リングレイルは、先生の同郷だ。
いや、同郷だからなんだっていうんだ。そんなことどうでもいい、今ぼくがやるべきなのは、シオンを助けることだろ。
「シオンを返して」
「それは無理だ。これには星盾ゴーティスの覚醒と使役のためのトリガーになってもらう必要がある」
「覚醒と使役……」
「骸の魔女という名前に聞き覚えは?」
「……ある。カイル、ノエル、アルバは皆骸の魔女の魔法で復活したんでしょ。それとゴーティスの覚醒と使役に何の関係があるのさ」
レイラの前でする話ではなかったかと思ってレイラの様子を窺うと、どうやら彼女は自分が何者であるかを既に理解しているようだった。自分が骸の魔女の魔法で復活した死者であると知りながら、それでもレイラはシオンを助けようと行動していたんだ。
「星神器は未だ解明されていないこの世界の神秘だ。僕はアストライア家と協力して、その力を自在に制御し操るための研究を続けていた。アストライア家は勇者の称号が欲しい。僕は星神器が欲しい。互いの利害が一致し、研究を重ね、遂にこれが星盾ゴーティスを手にするに至った」
「……で、シオンからそれを取り上げるんだ」
「これは……いや、これらは全てそのために用意したものだからね」
「……これ、これって、シオンはお前の道具じゃない、一人の人間だ。そんなことをして、心は痛まないの!?」
「いいや、これは人間ではない。何故なら―――」
シノブは仮面をつけ直し、両手を大きく広げてこう続けた。
「これば僕が、星神器を手に入れるためだけに生み出した人工生命だ」
シノブが語る重大な真実は、シオンに課せられたどの運命よりも残酷なものだった。




