第30話『鉱山都市エルザス』
―――後をつけられている。
十メートルほど後方に一人、屋根の上からこっちを監視しているのが二人。
宿を出てから誰かに見られていると思ったら、意外と近くにいたものだ。手練れの衛兵じゃないし、魔導師でもない。おそらくは、懸賞金目当ての命知らずだろう、対処は容易い。
人目を避けるために大通りを抜けて、入り組んだ路地へと入る。狙い通り、屋根の上の一人が回り込むように移動し、奥に進んだところで上から飛び降りて、道の先を塞いできた。
「おい。あんた、氷の魔女だろ?」
ぼくの正面に立った少女が行く手を阻み、後をつけていた二人と共に三方向から囲まれる。
氷の魔女―――至極シンプルなその異名は、ぼくの手配書に記されたものだ。
理由は多分、五日前に追手を撃退する時氷を使って攻撃したからだろう。魔女の娘、魔女の娘と呼ばれ続けては来たけど、ぼく自身が魔女と呼ばれるのはもうしばらく先のことだと思っていたから、意外だった。
「急いでいるんだ、通してくれないかな」
「通せって言われて通すほどお人好しに見えるか?」
少女は歪な笑みを浮かべて、最大限ぼくを威圧してくる。
白い髪に赤い目、まだ幼さの残る顔立ちからして、歳はぼくより同じか少し下だろう。着ている服からして、街の北端にある貧民街の生まれだろうか。プラネスタでは見たことがないほどみすぼらしい格好は生きてきた世界がぼくとは違うのだと理解させるには十分だった。
……いや、ぼくも師匠に拾われなければ、彼女と同じような道を辿っていたかもしれない。
「動くなよ。このナイフと後ろの奴が持つクロスボウのボルトには毒が塗ってある。動いたら撃つからな」
「親切に教えてくれるんだ、意外と優しいんだね」
「何言ってんだお前、馬鹿なのか?」
「馬鹿は、この程度の包囲でぼくを捕まえられると思っている君の方だよ」
「あぁ?」
「【撃ち抜く氷槍】」
クロスボウを持った後方の二人のうち、大柄な少年に威力を限りなく下げた氷槍を放つ。
顔面に氷の塊が直撃して怯んだところを、【拘束する鉄鎖】で両腕を拘束、クロスボウを手放させる。
もう一人の小柄な少年は自分より遥かに体格の大きな少年が一撃で無力化されたことに驚愕して反応が遅れているから、その隙に目の前の少女を対処する。
「てめぇ……このっ!」
毒が塗っているらしきナイフをぼくに向けて振り回す。だけど、学院でセナの剣を散々見てきたのだから、今更素人のナイフには当たらない。
「【飛来する石塊】」
「がっ!?」
額に向けて放たれた小石が命中し、少女は怯んで尻餅をついた。
最後、残された小柄な少年はぼくに一矢報いようとクロスボウを放つ。
けど、それは氷の盾で相殺。【連鎖する麻痺】に直撃し、痺れて沈黙。
三人で包囲していたにもかかわらず五秒ほどで制圧され、少女は信じられないといった顔でぼくを見上げた。
「懸賞金目的か知らないけど、喧嘩を売る相手はきちんと見定めた方がいいよ」
「な、なんだよそれ……あたしと変わらねぇガキじゃねぇかお前……っ」
「そうだね、ガキだ。だけどぼくは魔女だ。これに懲りたら二度と魔女に関わるな」
そう強く言い放って、三人を横目に路地を後にする。
シオンを連れて街を出て、もう三週間が経とうとしていた。
ここはアストライア領、鉱山都市エルザス。
街の様子を見るに、アストライア家は本格的にシオンの捜索を始めたらしい。多数の衛兵が配置されて、シオン・アストライア誘拐の罪でぼくの手配書が張り巡らされていた。
氷の魔女―――そう名付けられた新たな魔女がエルザスに出没するという噂と共に、懸賞金目的でぼくを追う者の数も増した。さっきの少女のような、一獲千金を狙う世間知らずにまで追われて、ぼくの心は正直辟易していた。
路地を抜けた先にある小さな酒場が、ぼくたちの当面の潜伏先だ。
なんでも店主のミランダさんは昔リツ先生と一緒に特務で働いていたらしく、先生の頼みでぼくたちを匿ってくれていた。なんだかんだ言って、ぼくは先生に助けられてばかりだ。
「ただいま戻り―――」
「おかえりなさいませ、ご主人様っ!」
「……は?」
酒場に戻ったぼくを出迎えたのは、いつも以上に盛り上がる客たちとメイド服姿のシオンという、あまりに奇妙な光景だった。
それも本当に給仕目的のメイド服ならともかく、何故か異様にスカートが短い。
「何その格好。っていうか何してんの?」
「お店のお手伝いですっ! お世話になっている分、売り上げに貢献しないとじゃないですか」
「だからって、なんでメイド?」
「リツの故郷にはそういう店があるんだと。前に女の子のバイトがいた時リツに勧められたのを思い出してねぇ。せっかくだから効果のほどを試してみるかと思ったんだが、こりゃ絶大だね!!」
杖を突いて右足の義足を引き摺りながら奥の厨房から出てきた金髪の女性―――ミランダさんは、繁盛する店内を見渡し大きく口を開けてガハハと豪快に笑った。何から突っ込めばいいのやら。
「ミランダさん。シオンとぼくは今逃亡中ってこと分かってますか? こんな目立つところにシオンを出したらマズいでしょ!?」
「問題ねぇさ、客は全員酒に酔ってる。それに、シオンがどうしてもって言うもんでな」
「大丈夫です。お店じゃ、シオンじゃなくてライカって名乗ってますから!!」
「そういう問題じゃなくて、君は今ぼくに誘拐されてるって扱いなの分かってる!? 君の顔を知る人が来たら一瞬でバレるでしょ!!」
「ごめんなさい……ボクも、力になりたくて……」
「え、ちょっ、ごめん、言いすぎた」
ぼくら二人の居場所バレの危険性を説教していると、シオンはしょぼんと肩を落とした。
彼女にはここ数日の間外出を禁止して無茶を強いていたから、ぼくは気まずくなって言葉を詰まらせる。
アストライア領での情報収集において、多くの人で賑わう酒場は都合が良い。だけどその分大勢に顔が割れる危険性があって、ぼくは手配中の身なわけで、だからこそ、細心の注意を払わなければいけないのだけど……思いの外、ミランダさんの店―――星影の樽の客層は、そのほとんどが常連で構成されていて、ぼくらの事情を何となく察しているけど踏み込んでこない優しい人たちばかりだった。
だからまぁ……それほど警戒することは、ないだろうけど……。
「先輩、ダメ……ですか?」
「うっ……分かったよ。怪しい客にはぼくが魔法で記憶操作すればいいだけだし」
「やった! ありがとうございます、先輩っ!!」
うるうると瞳を揺らし、上目遣いでこちらを見つめてくるシオンに根負けして、ぼくは首を縦に振った。
正直、リスクはある。だけどぼくたちの事情を知って匿ってくれているミランダさんに少しでも恩返ししたいのはぼくも一緒だし、何より、手配されているのはぼく一人であって、シオン・アストライア自体はただ「誘拐された」という情報が出ているだけ。容姿まで割れているわけではないから、バレる可能性は意外と少ない。
「そうと決まれば先輩も着ましょう! この服すっごく可愛いですよ!!」
「いや、ぼくはいいから!!」
「ダメ……ですか?」
「そんな顔しても着ないからね……」
「せんぱぁい……」
くっ、上目遣いで見つめられても、ぼくは絶対に―――
「わぁー! とっても似合ってます! すっごく可愛いですよ!!」
「こりゃうちの売り上げ記録更新しちまうんじゃねぇかい!?」
「くそぉ……なんでこんなことにぃ……」
鏡に映るメイド服姿のぼくは、随分と屈辱的な表情をしていたんだと思う。
フリルがついて無駄にヒラヒラと軽いスカートが鬱陶しい。背が低いし、シオンと比べてスタイルも良くないから、こじんまりとしていて普段より余計幼く見える。
それに―――
「なんでこの服はこんなに胸元が開いていて胸が強調されるようなデザインになってんだよぉ、膨らみなんてあるわけないだろぉ……」
「先輩、女の子なのにそれ言ってて悲しくなりません?」
「うるさい。どうせぼくは万年幼児体型だよ……」
傍から見ればメイド見習い……といったところだろうか。何も知らない人から見れば、シオンの方が余程先輩に見える。
背はぼくより高くてセナより少し低いくらいだし、胸も……小ぶりながら確かな膨らみがある。去年に比べてたった一年での成長の幅が広く、おそらくこの一年でまた更に伸びるのだる、羨ましい限りだ。
それに比べてぼくは……ハハッ、乾いた笑いが出てくるよ、ちくしょう。
ため息をつきながら酒場に戻ると、盛大な歓声がぼくを出迎えた。
何故か皆、一様にぼくを見て喜びの声を上げている。なんなんだ、本当に。
「今日は一段と可愛いよフィリアちゃーん!!」
「いやぁ、一日の疲れが吹っ飛ぶぜ!!」
「フィリアちゃーん、こっち注文ー!!」
「は、はーい。ただいま」
流石にイヴ・グレイシアという名前は使えないから星影の樽で給仕の手伝いをする時はフィリアと名乗るようにしているとはいえ……その名前で褒められるのは少し複雑な気分だ。
プラネスタを出て初めて気付いたことだけど、この国はプラネスタの中と外で技術のレベルが大きく異なる。プラネスタで暮らしているとよく見かける魔動機も、こっちでは高価で貴重なものという認識らしい。
エルザスは鉱山都市ということもあって、酒場の客層は一日の仕事を終えた鉱山労働者がほとんどを占めている。魔力によって動作する機械、魔動機の開発は日々進められているが、未だに鉱石等の採掘は人力が行っているのが現状だ。
魔術も、魔法に比べれば幅広く普及しているとはいえ、学院の外に出れば使える人は少ない。だから、どうしても体力仕事の鉱山労働は筋肉質で屈強な男性ばかり。そんな彼らからすれば、この店で給仕をする若い女の子というだけで喜んでしまうものなのだろう。
先生曰く、あぁいうのを「ロリコン」というらしい。意味は知りたくない、絶対ひどい意味だ、分かっている、分かりたくないけど。
「ライカちゃん、エール一つ!」
「はーい!」
「ライカちゃん、オレ串焼き三つね!」
「了解でーす!」
「ライカちゃん、スープおかわり!!」
「今行きまーす!!」
シオンの方をちらりと見てみると、複数の客からの同時の注文を見事に捌き、もうすっかり酒場の雰囲気に馴染んでいた。整った容姿と人懐っこい性格はお店の客には大人気のようで、右へ左へ引っ張りだこだ。
まぁ、それはぼくも変わらないのだけど。
「そういやここ最近、氷の魔女ってのが噂になってるらしいぜ。なんでも出会った人間を氷漬けにしちまうんだってよ。フィリアちゃんも夜道を歩く時は注意してくれよ?」
「そ、そうなんですねぇ……」
「オレの聞いた話じゃ、氷の魔女はナイスバディのイイ女らしいぜ」
「何言ってんだオメェ、氷の魔女は白髪の背骨が曲がったババアだって話だろ?」
「そもそも女じゃなくて男のガキだって噂も聞くけどな」
「そりゃもう魔女じゃねぇだろ」
「「「「ガハハ!!」」」」
そりゃあ、酒場なんだから最近街を騒がせている氷の魔女の話題は出るだろうと思っていたけど、噂に尾ひれがついてとんでもないことになっている気がする。唯一幸いなのが、未だに氷の魔女を背の低い女の子だと語る人がいないことだろうか。
それと、別にぼくは誰も氷漬けにしていない。あまりにしつこく追ってくるから足元を凍らせただけなのに……ひどい言われようだ。
とそこに、酒場の空気がガラッと変わる一言が投じられた。
「俺さ……昨日の夜見たんだよ、氷の魔女が衛兵をボコボコにするのを」
……え?
おかしい、昨日の夜ぼくは何もしていない。衛兵にだって遭遇していないし、第一ずっとこの店にいた。それなのに、ぼく以外に魔女がいる?
「その話、詳しく聞かせて」
「うおっ、どうしたフィリアちゃん、やけに食いつくな」
「お願いデレクさん、その話聞かせて。今度お礼するから」
常連の一人、デレクさんの目を真っ直ぐ見て、真剣に頼み込む。
もしぼく以外に魔女として暴れてる何者かがいるなら早急に対処しなければならない。アストライア家を潰すと決めた以上、あまり問題を起こして警戒されるわけにもいかないわけだし。
「昨日この店に来る前によ、物音がしたんで大通りからちょこっと路地を覗いたら、赤い髪の子供が、衛兵に馬乗りになって顔を殴り続けてたんだ。怖くなって逃げ出しちまったから顔までは見てなかったんだけどよ。小柄で細かったから、多分ガキだったと思うぜ。フィリアちゃんも、夜道を歩く時は気をつけてな」
小柄で細身、赤い髪の子供……思い当たる節がないわけではないけど、まさかね。
「ありがとうデレクさん」
「おぅ、間近でいいもん見せてもらったしな。似合ってるぜ」
「そういうのはぼくじゃなくてシオ―――ライカに言ってあげて」
「フィリアー!! ちょっと手ぇ貸してくれ!!」
「今行きまーす!」
厨房のミランダさんに呼ばれて、この場をシオンに任せ店の奥へ。
労働者でにぎわう酒場なんて、森の奥、王都、学院と閉鎖された空間で生活してきたぼくには無縁の存在だと思っていたし、何より、そんなものがあることなんて知らなかった。
セナは師匠と旅をしていた時、こんなおかしな光景を毎日のように見ていたのだろうか。
とまぁ、そんなおかしな光景だろうと、三週間も続けていれば日常になっていく。
その代わりに、セナたちと過ごした日々が徐々に記憶から薄れていくのが怖かった。忘れてしまいたくなかった。だけど忘れたくないと意識すればするほど、ふとした拍子に自分さえ分からなくなる。
生きている意味とか、この世界における自分の役割とか、そんな、どうでもよくてくだらないものを追い求めるようになって、それでもこの温かな空気を受け入れつつある自分が嫌だった。
夜が更けて、あれだけ騒がしかった店内にも静寂が訪れる。
食器を洗って片付けて、店内の掃除を終える頃には時計の針は天辺を回っていた。
「……疲れた」
間借りしている二階の部屋に戻ってくるなり、ぼくはソファに倒れ伏した。
今日は一段と疲れた気がする。シオンのおかげでお店の売り上げは過去最高記録を更新したけど、外部に噂が漏れないか心配だ。
「お疲れ様です、先輩」
「シオンはそれほど疲れてなさそうだね」
「そりゃボクはそれなりに鍛えてますから! で、疲れてるところ申し訳ないんですけど、髪、お願いします」
「はいはい、おいで」
起き上がってソファに座り直すと、空いたスペースにシオンが腰をかける。
お風呂上りで、彼女の僅かに赤みがかった紫色の髪がしっとりと濡れている。ぼくはシオンからタオルを受け取り、彼女の髪を優しく拭いていく。
寝癖を直すのに時間がかかるくせ毛なぼくと違って、シオンは真っ直ぐでサラサラとした引っ掛かりのない髪質だ。まったく羨ましい。
「んっ……先輩、ちょっとくすぐったい」
「あ、ごめん、痛かった?」
「いえ、むしろ気持ち良いです」
「……そう」
ぼくに髪を触られるのが心地よいのか、シオンが目を細めて気持ち良さそうにしている。ただ、時折変な声を出すのだけは勘弁して欲しい。
ある程度髪に残った水分を拭き取ったら、次は魔法で乾かしていく。
シオンがぼくに風呂上りの髪の手入れを任せるのはこれが大きな理由だ。想像次第で応用の効く魔法でなければ、髪にちょうど良い温風を当てることなんてできない。
「先輩……お姉ちゃんって呼んでいいですか?」
「どうしたのさ急に」
「いやぁ、なんだかこうしていると、先輩がお姉ちゃんみたいだなって。もしかして妹がいたんですか?」
「残念、ぼくは下の子だったよ」
「えっうそぉ!? 面倒見良いから絶対お姉ちゃんだと思ってました!!」
そんなことないでしょうが、まったく。
でもそうか、姉か……こうしてみると、シオンが妹みたいに思えてくる。
人懐っこくて、健気で一途で、ぼくのことを慕ってくれる大切な後輩。確かに、妹みたいなものだよね。
「あ、じゃあもしかして先輩がお店で使っているフィリアって名前は……」
「うん、ぼくのお姉ちゃんの名前」
「先輩のお姉ちゃんかぁ……きっとすっごく綺麗な人なんだろうな。ボク、会ってみたいです!」
「あー……ごめん。お姉ちゃん、ぼくが五歳の時に死んじゃってるんだ……」
「ご、ごめんなさい先輩……余計なこと言いました」
「ううん、気にしないで。十年も前のことじゃん」
髪も乾いたところで、ぼくはシオンの両肩に優しく手を置いた。
……だめだ、過去を思い出すとやっぱり苦しい。
「先輩っ、ちょっ、何して……っ」
シオンのお腹に両手を回して、強く抱き締める。
突然背中に顔を埋めたぼくに、シオンは驚いて困惑していた。
「ごめん……ちょっとだけこのままでいさせて」
「……ごめんなさい先輩、きっと、つらい過去を思い出させてしまったんですね」
ぼくはシオンの背中に顔を埋めたまま、こくりと頷いた。
やっぱりだめだ、どれだけ乗り越えたつもりでいても、過去は、死者との思い出は、ずっとぼくの心を苦しめる。
「シオンはさ……ぼくについてきたこと、後悔してない……?」
しばらくシオンに抱き着いてある程度心が落ち着いてきた辺りで、ずっと気になっていたことを聞いてみた。
いくらシオンを守るためとはいえ、学院を抜け出してぼくが連れ出してしまったのは事実だ。返答次第では、やっぱりシオンだけでも学院に帰して、先生のもとで保護してもらうことも―――
「後悔してませんよ。むしろ独り占めできてラッキーだと思ってます。だって、先輩のこんな弱った姿は貴重ですから」
「……おいこら」
本当に強い子だ。
シオンは力のない自分が、弱い自分が嫌だと言うけど、誰かの弱さを受け入れることのできる器が、シオンの本当の強さなんだと思う。
ぼくはそんな強さに甘えて、彼女を守ったつもりでいながら、彼女に守られていたんだ。不甲斐ないな……でも、ぼくのこんな弱さも、シオンは受け入れてくれるんだろうな。