第29話『ぼくがシオンの味方になる』
「えっ?」
「はい?」
「……そうだね、それがいい」
突然のぼくの提案に、セナとテレジアは驚きの声を上げ、アルミリアは全てを察したように小さく頷いた。
「何を考えているのですか!? 学生の身分を一時的に捨てれば、学院の保護を受けることができなくなります。シオンを守る上で、学院の中ほど安全な場所はないはずですわ」
「テレジアの言う通りです! プラネスタの外に出たら、誰も守ってくれないんですよ!?」
「そうだよ。身を隠すならかえってそっちの方がやりやすいからね」
学院は信用できない。それがぼくの出した結論だった。
「アルバとノエル、そしてレイラ。三人の裏にアストライア家が関わっているのだとしたら、学院の上層部は既に私たちの敵と言っていい。シオンの身の安全を第一に考えるのなら、むしろ学院には近付かない方がいいだろう」
アルミリアはぼくの考えを代弁しながら、自分たちが今、どのような状況に置かれているかを簡潔に説明する。彼女の言葉にレイラが強く頷いているから、裏にアストライア家がいるのはほぼ確定した。
「レイラ。君がここに来た理由はシオンの奪還、そうだね?」
「……はい」
レイラはぼくたちの顔を順番に見て、少し躊躇いながら頷いた。
「わたしの名前はレイラ・ユスティティアではありません。レイラ・アストライア、それがわたしの本当の名前なんだそうです……」
「その言い方をするということは、記憶喪失は嘘ではないのですね?」
「はい。わたしは他の兄妹よりも劣った個体なので、失われた記憶を取り戻すことができませんでした」
自分を個体と称する辺り、アストライア家が後継者候補の子供たちに何をしたのか容易に想像ができた。
彼女たちを一言で例えるなら、「実験動物」というのが相応しいだろうか。
アストライア家にとって子供は、勇者という称号を手に入れ、権力を維持するための道具でしかない。小刻みに震えるレイラの手と声から、そんな背景が伝わってきた。
「アストライア家がシオンを取り戻そうとする理由は一体何ですか?」
「……選別のやり直しです」
その言葉の意味を大体察していたぼくとテレジア、アルミリアの三人は各々の怒りを顔に浮かび上がらせていた。
選別―――それはきっとおそらく、クロエの話にあった三年前の殺し合いのことだ。そのやり直しだなんて、そんなの、残酷すぎる。
ぼくたちの反応を見て、セナも言葉の意味を理解したのだろう。握られた右の拳が小刻みに震えていた。
「シオンは勇者に相応しくない。それが、アストライア家の結論でした」
「だから、選別をやり直すと……」
「はい。シオンは運良く生き残ってしまっただけに過ぎない。もう一度選別を行って、次こそ勇者に相応しい後継者を選定すると―――」
「納得できません……っ!!」
声を荒げ、セナが激昂する。それでも、レイラは冷静に言葉をつづけた。
「わたしも納得できません。それが家の命令でも、シオンちゃんを犠牲には……」
「ならどうして……」
「逆らえないのですわ。それが異常だと分かっていても」
「なんで……」
「誰もが君のように、親に恵まれたわけじゃないってことさ」
テレジアとアルミリアの二人が目を伏せた。
テレジアの母、ヨハンナ・リヒテンベルクは復活後魔女への復讐に囚われ、そのためにテレジアを利用しようとした。アルミリアだって、千年続いたグランヴィル家の力を維持しなければならないという重圧の中で日々を過ごしている。
この学院に通う生徒のほとんどは、生まれてから自由に育つことなんてできないのだ。
「……なら、どうすればいいんですか」
「アストライア家を壊す」
ぼくの発言に、その場の誰もが言葉を失った。
アストライア家を壊す。それはつまり、現六星賢への反逆を意味する。
だけどシオンを救うにはこれしかないんだ。間違っているのが世界ではなく自分なら、自分を殺すか、世界を壊すか、それだけなのだから。
「アストライア家が存在する限りシオンが狙われ続けるなら、アストライア家自体を潰してしまえばいいんだよ」
「しかしイヴ、いくら何でもそれは……」
「あなた、それがどういう意味なのか理解していますの?」
「……分かってるよ。覚悟もできてる」
嘘だ、覚悟なんてできるわけない。
どうしてぼくが……そんな弱音が脳裏を過る。
だってそうだろう。ぼくだって可能ならこんなこと言いたくない。
でも、シオンのことを見捨てられるわけないじゃないか。
「アルミリア、テレジア、後のことは―――」
「待ってください!!」
勝手に話を終わらせようとしたぼくの言葉をセナが遮り、黄金の瞳でぼくを見た。
「説明してください。イヴは、何をしようとしているんですか……?」
「それは……」
「六星賢であるアストライア家は、国家運営の要の一つだ。その重要度は私のグランヴィル家や、テレジアのリヒテンベルク家と同程度。イヴは、それを潰すと言っているんだよ」
セナから視線を逸らし説明を躊躇ったぼくの代わりに、アルミリアが口を開く。
そう、六星賢の一つ、アストライア家への敵対。それが意味するのは、言ってしまえば灰都の火にて王族を皆殺しにした焔の魔女、アリシア・イグナの再来だ。
「じゃあイヴは、シオンのために国家の敵になるって言うんですか!?」
「そういうことに、なるかな……」
「納得できません。アストライア家が悪いのなら、それをリツ先生経由で特務に伝えて―――」
「残念だけど、六星賢の息がかかった特務はきっと動かない」
「なら……っ、もっと他の、イヴが苦しまなくて済む方法が……っ」
「そんなものはないよ、セナ」
ぼくはセナの淡い希望を粉々に打ち砕くように低く強く言い放った。
ぼくたちに出来ることは二つのうち、どちらか一つ。
シオンを犠牲に普通の生活を送るか、シオンを守るために世界の敵になるか。
シオンを知らない多くの学生は、学院生一人が知らず知らずのうちに消えていた程度の認識だろう。どうせ世界が滅ぶかもしれないとか、そんな大袈裟な問題ではないのだから。
だけどぼくにとっては違う。ぼくはシオンを知ってしまった。彼女を見捨てることなんて、ぼくにはできない。
だから仕方がないんだ。これがぼくにとっての最善なのだから。
「ぼくは、シオンを守るためにアストライア家を滅ぼす」
未だ躊躇っている、後悔している自分に言い聞かせるように小さく告げた。
「嫌です……なんでイヴが……っ」
「なら、君はシオンを犠牲にできるの?」
「それは……無理です。だけど、だからってイヴが……」
セナはきっと、ぼくよりも優れた最善を探そうとしているのだろう。
でも、どれだけ探しても出てこないよ。アストライア家の刺客であるアルバとノエルからシオンを守ったところで、今度はまた別な手段に出てくる。捌き続けてジリ貧になっても終わりなんてやって来ない。
だから、大本を叩くしかないんだ。
「だったら、その役目は私がやります! 私が、アストライア家を壊します!!」
「……君には、最高の勇者になる使命があるでしょ?」
「でも……っ」
「もし本当に悪い魔女になっちゃったら、ぼくを討ってよ」
大粒の涙を流し泣きじゃくるセナの肩に手を置いて、ぼくは優しく笑いかけた。
友達を討たせるなんて残酷な選択だと思う。でも、もしぼくが魔女に、王国の敵になったのだとしたら、最期はセナに討たれたい、それが最後の願いかな。
「私はもう、イヴに剣を向けたくないです……」
「ダメだよセナ。勇者になるなら悪い魔女は倒さなきゃ」
「だったら……勇者なんてなりたくない!!」
セナならそう言うと思った。
ヨハンナに認識を操られていたとはいえ、セナにはぼくと敵対した記憶がある。
出来ることなら二度とセナの敵にはなりたくなかったけど、駄目なんだ。ぼくは、それ以外の方法を知らない、思いつかない。
「テレジアも何とか言ってください! あなただってこんなの嫌でしょう!?」
「黙りなさい、セナ・アステリオ!!」
テレジアはセナの胸倉を強引に掴み持ち上げ、壁に叩きつけた。
「イヴの選択を、決意を、覚悟を……あなたは否定するのですか」
「だってそれはイヴが望んだことじゃ……」
「私たちの取れる選択肢は二つです。シオンを見捨てるか、シオンを守るためにアストライアを敵に回すか。あなたにシオンを見捨てられますか……?」
「……でも、その代わりにイヴが犠牲になるなんて、納得できません」
「あなたの納得なんてどうでもいいですわ。私はイヴを尊重する、それだけです」
胸倉から手を離され、セナは床に膝を抱えて座り込んだ。
この世界は理不尽なことだらけだと、セナも心の底では理解している。
それでもセナは不条理に抗ってきた、理不尽を打ち砕いてきた。それを成すだけの力がセナには、ユスティアにはあったから。でも今回ばかりはどうすることもできない。どれだけ力があろうと、国を相手にするのは不可能だ。
「……じゃあ、後は頼んだよ、みんな」
ぼくはそれだけ言い残して、三人のもとから離れた。
色々と話したいことはあったけど、今は何よりシオンの安全確保が最優先だ。
◇ ◇ ◇
医務室に足を運ぶと、ベッドに横になっていたシオンが上体を起こしてぼくを迎えた。
その隣の椅子ではクロエが本を読みながら暇を持て余している。
ひとまず、アルバとノエルはここには来ていないようだ。ぼくは安堵のため息をついて、シオンのもとに歩み寄る。
「イヴ先輩。なんか、すごく顔怖いです」
「そう? ごめん、ちょっとさっきまで忙しかったから」
「……アストライア家の刺客に襲われたんすね?」
「勘が鋭いなぁ、クロエは」
流石にクロエには隠せないみたい。きっと彼女のことだから、ぼくが考えていることも見抜いているのだろう。
「ごめん、クロエ。ちょっとシオンと二人にしてくれないかな」
「うっす。んじゃ、先帰ってますわ」
クロエは読んでいた本を閉じ、立ち上がってシオンに手を振りながら医務室を出て言った。
扉が閉まり静寂が訪れると、急に重圧を感じたようにぼくの胸が苦しくなる。
これからぼくが告げるのは、シオンにとって残酷すぎる現実だ。でもシオンを守るためには伝えなきゃならない、それがぼくの役目だから。
「シオン……アストライア家は、君を連れ戻して選別をやり直すつもりなんだ」
「……でしょうね。ボクは失敗作ですから」
シオンの表情に翳りが見え、ぼくは咄嗟に目を逸らしてしまう。
その反応だけで、シオンがアストライア家からどういう扱いを受けていたのか容易に伝わってくる。望まれなかった生き残り。想定では、シオン以外の誰かが生き残るはずだった。アルバとノエルの実力を見れば、シオンが二人に届いていないことは明らかだ。
「このまま戻れば君は殺される。それでも……」
「いいですよ」
「……は?」
ぼくの覚悟していたものとは違う言葉が、シオンの口からは発せられていた。
恐る恐る視線をシオンに戻すと、彼女は優しく微笑んでいた。その微笑みがあまりに綺麗すぎて、思わず見惚れてしまいそうになるほど。
「ボクはアストライア家に戻ります。これ以上、先輩に迷惑をかけるわけにもいきませんから」
「迷惑って……」
「ボクたちのような子供じゃどうすることもできないことくらい、馬鹿なボクでも分かります」
シオンは困ったように笑いながら、視線をぼくの方に向けた。
あぁ、そうか、シオンも昔のぼくと同じなんだ。自分が誰にも望まれていないことを理解しているから、運命を受け入れる用意ができているんだ。
すごく……腹が立った。許せなかった。シオンが殺されるという事実も、それに何もできないことも。
いいや、一つだけできることはある。確かに覚悟できていたつもりだったけど、儚げなシオンの笑顔を見て決心した。
「シオン、ぼくと一緒に逃げよう」
シオンの手を取って、ぼくは彼女にそう告げた。
ぼくの行動が予想外だったのかシオンは目を丸くしていた。だけどすぐに首を横に振って否定の意を示す。
「ダメです。そんなことをしたら、先輩に迷惑が……」
「迷惑なんていくらでもかけていいんだよ」
「でも……っ」
「大丈夫、君はぼくが守るから」
「先輩が、ボクを?」
シオンが確かめるように言葉を紡ぎ、ぼくはそれに頷いて答えた。
「ありがとうございます、先輩……」
彼女は嬉しそうに微笑んで、ぼくの手を握り返す。
もう逃げることなんてできない。ぼくはこの子の笑顔を守るために、世界を敵に回すんだ。
シオンの手をしっかりと握って医務室を出る。
空は日没を迎えて、窓の外は薄暗い。学院内にはもう生徒は残っていないと思っていたのに、扉の外には一人の少女が待機していた。
「答えは決まったんすか?」
「アストライア家を潰すよ」
「まぁ、先輩ならそうするとは思ったっすけど」
クロエは全部お見通しと言わんばかりに、ぼくの選択を笑って喜んだ。
「シオンはそれでいいんすか?」
「……うん。先輩がボクを守ってくれるって言ったから」
「なら、このバカ二人にあたしが何言っても無駄っすね」
クロエは廊下の壁に寄りかかって、呆れたようなため息をつく。
バカ二人か……そうだね、確かにその通りだ。
でも、あの子でもきっとぼくと同じバカになったと思うから。ぼくはこの選択を絶対に後悔しない。
「クロエ、シオンを送ってあげて。ぼくはこの後、先生に伝えなきゃいけないことがあるから」
「ついでに準備させておくっす。街の外に出るなら七時の列車が直近っすね」
「分かった、よろしくね」
シオンをクロエに預けて、ぼくはリツ先生の執務室に向かう。
足取りは少し重い。だけど、不思議と目線は前を向いていた。
一応念のため先生にだけは報告しておこうと思って、執務室の扉をノックする。
いつもは既に帰宅している時間だったけど、先生はまるで読んでいたかのように「入れ」と短く反応した。
「先生に、大切な話があって」
「おぅ、言ってみろ」
緊張でバクバクと煩く鼓動する胸に手を当てて、一つ息を吐く。
先生の瞳を真っ直ぐ見て、ぼくは自分の決意を伝えた。
「ぼく、学院辞めます」
「アストライア家から逃げるためか?」
「ううん、アストライア家を壊すため」
「……マジかお前」
ぼくの言葉があまりに予想から外れていたのだろう。先生はため息を一つついて、右手で眉間を押さえて天井を仰いだ。
「正気か? アストライア家を敵に回したらお前、アリシアと同じになるぞ」
「覚悟の上だよ。アストライア家を潰さなきゃ、シオンは救えない」
「だからってなぁ……」
先生は毅然としたぼくの態度に呆れて、髪をガシガシと掻き毟る。
それが間違った選択であると、ぼくよりもずっと大人な先生には分かっているだろう。
先生には迷惑をかけてばかりだった。元はと言えば、リツ先生とカナメさんはぼくを守るために学院に入れてくれた。ぼくの選択は二人の想いを無下にすることと同じだ。
だけど先生が、バカなぼくを叱ることはなかった。
「ごめんな、守ってやれなくて」
それは、先生の口から初めて聞いた弱気な言葉だった。
いつもふざけていて、何かとすぐ調子に乗って、面倒臭がりで子供っぽくて、全然教師っぽくなかったけど、先生は絶対に弱音だけは吐かなかった。
なのに……どうして……なんでだよ……なんで、いつもだったらデコピンしてるくせに、頭叩いてるくせに。
「なんで、謝るのさ……っ」
「俺はお前を守ってやれなかった。お前が苦しまない、苦労しないように導いてやれなかった」
「先生は悪くないよ。ぼくが、悪い子だっただけで……」
「お前は他の奴らとは違う、俺の妹みたいなもんだからさ、ちょっとだけ特別扱いさせてくれ」
先生は椅子から立ち上がって、ぼくの頭にポンと手を置いてこう言った。
「何もしてやれなかったけど、お前の兄貴分でいられて本当に良かった」
あぁ、これが今生の別れになるかもしれないんだ。
もう一生、顔を見ることも、声を聞くことだってできないかもしれないんだ。
涙なんて見せたらダメだって分かっているのに、涙が止まらなかった。
「ぼくも……っ、リツさんに、先生に、出会えてよかった……」
堪え切れない涙をぼろぼろと零しながら、ぼくは先生に笑いかけた。
先生もぼくと同じことを想ってくれていたのかな。いつもみたいに悪戯な笑みじゃなくて、満面の笑みを返してくれた。
「だから、お前が正しいと思うことをしてこい」
「……うん」
「ただし、俺にだけは殺されんじゃねぇぞ?」
「ばーか、先生にだけは殺されてやんないよっ」
「生意気言いやがって、このやろっ」
「いてっ」
リツ先生はぼくの額を軽く小突いて、頭をわしゃわしゃと撫で回した。
その手の温もりに名残惜しさを感じつつも、ぼくは先生から離れて執務室の扉に手をかけた。
「イヴ」
扉を開いたところで呼び止められ、振り返って先生の目を見る。
「いってこい」
笑顔で送り出されて、また涙が込み上げてくる。でももう泣くわけにはいかないから、ぐっと涙を堪えて笑ってみせた。
「いってきます!!」
―――列車の車窓に映る外の景色は、ただだだっ広い平原が広がるばかり。
プラネスタを取り囲う外壁はもう随分遠くにあった。できることなら、もう一度あの街に笑顔で戻りたいけど……それはきっと不可能だ。
ぼくの隣で小さな寝息を立てながらシオンは眠っている。
アストライア家を潰すのはぼくの勝手な我儘だ。シオンは自分の運命を受け入れていたというのに、それでもぼくについてきてくれた。シオンは……ぼくを許してくれるだろうか。
いや、許されなくていい。この瞬間からぼくは、師匠の背中を追いかけるのだから。
世界から恨まれ、世界に憎まれ、世界を壊し、勇者に討たれる悪い魔女。
ぼくが辿る旅というのは、救いのない残酷なものなのだから。




