第28話『レイラの裏切り』
「本当にごめんなさい!!」
午後の授業を終えて早々、遅れた理由を問われて正直に答えたぼくは、何故かレイラからの全力の謝罪を受けていた。
「まさかグレイシアさんが授業に遅刻した理由が、あの子たちに引き留められていたからなんて……うぅっ、本当にごめん……」
「いや、いいよ別に、そこまで学院の授業を重要視してるわけじゃないし」
「そういうわけにはいかないですよ! あの二人にはちゃんと言い聞かせておくから、どうか許してぇ……」
「怒ってないから安心して」
「本当に!? 何もされなかった?」
「何も―――されてないよ、うん」
出会って早々殺されかけたことは伏せておいた方が良さそうだ。そんなこと言ったらレイラが卒倒しかねない。
アルバとノエル、そしてレイラ……死んだはずのシオンの姉弟たちと同じ名前。色々と気になるし、引っかかることもあるけど、あまり疑心暗鬼になりすぎるのも失礼だ。
とはいっても……アルバの口からシオンの名前を聞いてしまうと、疑うしかないだろ……。
「ところでイヴ、シオンは大丈夫だったんですか?」
「うん、ひとまずは平気かな。この後迎えに行くよ」
セナにシオンの様子を聞かれたけど、医務室で知った内容は誰にも、セナにも明かすべきじゃない。
「シオンちゃんって……あ、わたしを見て倒れちゃった子ですか……?」
「あぁ……うん、そう」
「レイラが気にする必要はありませんよ」
セナがフォローを入れてくれるけど、レイラからすればシオンの印象は最悪だ。
自分の顔を見て倒れた相手のことなんて、心配するか、嫌いになるかのどちらか。でも、レイラの反応を見るからに、シオンのことを嫌いになったわけではなさそうだ。むしろその逆、倒れたことを気に病んでいるようだった。
「でも……あの怯え方は相当怖い思いをしたんだと思うんです。もしわたしが、シオンちゃんに昔何かひどいことをしたのなら、許してもらえなくてもいい、謝りたい……です」
「そんな話はシオンから聞いていないけど……」
何だか含みがある言い方だった。
自分がシオンに何かをしたことを忘れてしまっているような。
そう、それはまるで―――
「……もしかして―――」
「もしかしてレイラって、過去の記憶がないんですか?」
ぼくが問おうとした瞬間、セナに一言一句同じ疑問で先を越された。
いや、むしろこの質問はセナの方がかえって良いかもしれない。過去の記憶がレイラにないのだとしたら、リーナだった頃の記憶を持たないセナなら共感できる。
「……はい。三年前から先の記憶が、ないんです」
「私も同じなんです! 五年前から先の記憶がぽーんって飛んでて」
「ほんと……?」
「本当ですよ。私、灰都の火の後に王都でお母さんに拾われたんですけど、それ以前の記憶は綺麗サッパリ忘れちゃっているんです。というか、初めからなかったかもしれません」
セナが事情を話すと、レイラは途端に目を輝かせる。
記憶を失う感覚はぼくには分らない。だからここは、セナに任せた方が良さそうだ。
「わたしもなんです。三年前、アルバとノエルと、あともう一人、カイル兄さんと一緒にお母さんに助けられて―――」
自分の境遇を語るレイラの言葉が、ぼくの疑念を確信に変えた。
アルバ、ノエル、レイラ、カイル―――三人だけならただの偶然だったかもしれない。だけど、四人全員が死んだアストライア家の子供と同じ名前だったとしたら? それはもう、確信と言っても構わないのではないだろうか。
「イヴ、眉間に皺が寄っていますわ。可愛い顔が台無しです」
「えっ、あぁ……うん」
あれこれ考えていたぼくの顔を、テレジアが両手で挟み込む。
傍から見れば潰れた饅頭みたいになっていたと思う。
「イヴ、私たちには相談してくれても構わないんだよ」
「……そうだね、アルミリア」
アルミリアには、ぼくが今何を悩んで、何を抱えているのかお見通しのようだ。
二人になら、相談してもいいだろうか。二人は現【六星賢】の名家出身だ。もちろん、二人がどれだけ貴族たちの闇を知っているかは定かじゃないけど、アストライア家の黒い噂は多少なりとも耳にしているはず。それなら、二人には打ち明けるべきだろうか。
「……二人とも、ちょっとこっちに来てくれる?」
ぼくはレイラの対応をセナに任せ、二人を連れて教室を出る。
授業が終われば学院内の学生は一気に数を減らす。さらに教室棟の隅の空き教室なら、誰かに見られることも、聞かれる心配もない。ぼくは二人を人気のない空き教室へと連れてきて、念のため鍵を閉める。
「何やら重々しい空気ですわね」
「実際、それだけイヴの話が重いのだろうね」
「……今から話すことは、誰にも言わないで欲しい。そして、できれば、ぼくに協力して欲しいんだ」
ぼくは二人の目を真っ直ぐ見て、クロエから聞いたこと、ぼくが持ち得る情報の全てを明かした。後継者同士の殺し合い、蟲毒の噂。アストライア領での魔力災害の犠牲者と、編入生の名前の一致。そして―――ヨハンナ・リヒテンベルクの復活と一連の戦い、骸の魔女の存在。
「にわかには、信じ難い話だね……」
「私はイヴを信じますわ。ヨハンナ・リヒテンベルクの復活の裏に死者の蘇生を可能とする骸の魔女の存在があるのなら、レイラ・ユスティティアは非常に怪しい人間です。いいえ、人間かどうかも怪しいでしょう」
「あまり他人を疑いたくはないけど……骸の魔女は警戒するべきだ。死者との思い出は人の心を容易に操る優れた道具。私も、亡き父が今目の前に現れたら父の言葉を信用してしまうだろう」
もし骸の魔女の存在を知らない状態のぼくの前にフィリアお姉ちゃんが現れたら、多分ぼくはきっとお姉ちゃんに従ってしまう。テレジアだってそうだった。骸の魔女は死者を通じて人の心を弄ぶ厄介な相手だ。そのことは、二人も重々承知していると思う。
「骸の魔女によって復活させられた死者……仮に【死徒】と呼ぶことにしよう。レイラが死徒だとしたら、生前の記憶が残っているはずだ。少なくとも、ヨハンナ・リヒテンベルクはそうだったのだろう?」
「あれは記憶と憎悪に囚われた亡者でしたわ。アリシア・イグナへの復讐のために私を利用し、イヴを殺そうとした。ですがそれはヨハンナ自身の意志。死徒だとして、骸の魔女の指示を受けていたかも定かではありません」
「もしレイラが死徒になったのが三年前の事故以降だとしたら、彼女には事故以前の記憶があって然るべきだ。それに、イヴは彼女の遺体を確認した、そうだね?」
「……バラバラの人骨だったけどね」
ぼくの脳裏に、三年前の調査の記憶が蘇る。
魔力災害、霊脈の暴走と巨大な爆発、先生は被害者の捜索にぼくの右目を使った。
人骨に残留した魔力を判断基準として四人の遺体と、生き残ったシオンを発見した。
それがもし、違っていたら……? いや、だとしても何のために死を偽装する必要があるんだ。
分からない……何も、分からない。
「……しかし、本当にレイラが死徒だとすれば、私たちは彼女まで疑わなければならない」
「彼女……?」
「セナ・アステリオですわ」
「なっ―――」
ぼくの疑問に、テレジアが答えた。
それはきっと、セナを信頼しきっているぼくでは思いつくことのできなかった可能性だ。
もしレイラが死徒だとするなら、生前の記憶を持たない死徒がいるとするなら、セナにだってその可能性は含まれる。
いや、セナだけじゃない。その可能性に気付いてしまった以上テレジアも、アルミリアも、クロエもシオンもリツ先生も、自分自身ですら、ボクは信用することができなくなる。
「あくまで可能性の話ですわ。それに私たちが死徒の干渉を受けるようになったのはアリシア・イグナが死んでから。それは偏に、骸の魔女にとっての邪魔者が消えて活動しやすくなったから。アリシアの死以前に死徒が干渉していたとは考えにくいでしょう」
「でも……セナがもし本当に死徒で、骸の魔女の活動範囲を広げるために師匠を殺したって可能性も―――」
「言い出した身であれだけど、その線は一度捨てよう。セナの戦力は私たちにとっての切り札だ。そのセナを敵に回すことだけは避けたい」
「心配ありませんわ。セナ・アステリオが裏切り者なら、私が撃ち抜きます」
テレジアは炎の大弓、星弓アポディリスを取り出し断言する。
マナを知覚できるようになり、時間制限こそあれど無限に魔力を生成できる魔法を手に入れたテレジアなら、本気のセナを相手にしても倒せるかもしれない。いや、あれこれ考えるのは後だ。ぼくはセナを信じたい。
「とすると、イヴはこれからどうするんだい?」
「シオンを守る。もし三人の裏にアストライア家があるとするなら、狙いはおそらくシオンだ」
「では、私はアストライア家を調べてみるとしよう。こんな時ばかり家の力を頼るのはどうかと思うけどね」
「私は汚れ役を買って出ます。レイラ、アルバ、ノエルの三人を監視しますわ」
「うん、ありがとう。でも無茶はしないで」
「イヴに心配していただけるのなら、無茶のし甲斐があるというものです」
テレジアはアポディリスを小さな炎の形に戻し、不敵に笑った。
二人と協力できるのなら頼もしい限りだ。少なくともぼく一人で調べるには限界があった。
それに……もし直接戦闘になれば、ぼくに勝ち目はない。
念のため先生にも報告しようと、ぼくは教室に戻る二人と分かれた。
シオンのことも心配だけど、今はクロエがついているだろうから、ひとまず任せることにする。何はともあれ、まずは先生に協力を―――
「あ、いた! グレイシアさん……!!」
「レイラ?」
廊下を歩くぼくに、息を切らしたレイラが駆け寄ってくる。
今、一人でいるぼくに彼女が接触する理由があるとするなら、それはおそらく―――
「シオンちゃんのことで、伝えておかなきゃいけないことがあって……」
「シオンのこと……?」
おかしい、レイラはシオンのことを知らないはずだ。
いや、それも演技かもしれない。彼女の関係者であるアルバは、シオンのことを「姉さん」と呼んでいた。それはつまり、ぼくの予想が的中したことになる。となれば、彼女はレイラ・アストライア。骸の魔女によって復活した死徒。ここでぼくに接触するのは、宣戦布告……?
「お願いっ! シオンちゃんを守ってあげてください!!」
「……え?」
身構えるぼくを他所に、レイラはぼくの予想の反対の言葉をぼくにかけた。
その表情と言動は、どこか必死さを感じさせるものがあった。
「このままだとシオンちゃんが危ないんです」
「えっと……何か知っているなら、話して欲しいんだけど」
「急がないと手遅れになる……っ、三年前の選別が……またっ」
「三年前の選別? 待って、それってどういう……」
「それは―――あっ」
レイラが何かを言いかけたところで、突然彼女は言葉を失ったように硬直した。
まるで時間が止まったかのように動かない彼女に違和感を覚えて、ぼくの後方に向けられた視線を追いかける。
そこには……今一番遭遇したくない二人が立っていた。
「こんにちは、グレイシア先輩」
「アルバ……アストライア」
「おや、そこまで気付かれていましたか、なら話は早い。僕たちに協力してくれませんか?」
「協力……?」
「えぇ、そうです。シオン・アストライアを連れ戻すために」
アルバがこちらに手を差し出す。
シオンを連れ戻す、確かにこの子はそう言った。レイラの話が本当なら、その先に待っているのはシオン自身が苦しむ未来だ。そんなの……認められるわけないだろ。
「何が目的なの」
「目的? そんなの簡単ですよ。我らの母が、それを望んでいるのです」
確信した―――アルバは、いいや、おそらく彼に従うノエルまでも死徒だ。
レイラはそれを知っていてぼくに警告してくれた。つまりは、レイラは彼らから見た裏切り者。シオンを連れ戻して三年前に失敗してしまった選別をやり直す、大方彼らの目的はそんなところだろう。
なら……ぼくの答えは一つだ。
「シオン姉さんはあなたに心酔していると聞きました。アストライア本家からの言葉は彼女には届かなかった。ですがあなたの言葉なら、きっと聞き入れてくれる」
「そうだね、ぼくが言えば、シオンはきっと従ってくれる。でも―――ぼくがそれを許さない」
魔力を熾す。狙いはアルバの拘束。殺しはしない、気絶させるだけだ。それなら一瞬で―――
「《多重詠唱》・【撃ち抜く氷―――」
「テメェじゃアタシらに勝てねェよ」
首元を掴まれて、ぼくの身体は廊下の壁に叩きつけられた。
今……何が起きた?
分からなかった。見えなかった。アルバの後方にいたはずのノエルがぼくの目の前までやってきて、防御する隙も与えず首を掴みぼくを無力化した。おかしい、ぼくだって王国じゃかなり上の方に位置する実力の魔導師だ。それなのに、そのぼくが姿を追えなかったなんて。
「残念です、交渉決裂のようですね」
「どうすんだアルバ、こいつ殺すかァ?」
「そうですね。妨害されても面倒ですし、それに敬愛する先輩が死んだとなれば、シオン姉さんも大人しく従ってくれるでしょう。壁のシミにでもしてしまいましょうか」
「待ってアルバくん! グレイシアさんは!!」
「やれ、ノエル」
レイラの制止の声も届かず、歓喜に満ちた不敵な笑みを浮かべたノエルが、ぼくの首を掴む右腕に力を込める。
息が苦しい、意識が飛ぶ。身体が、押し潰される……だめだ、これはもう、死ぬ―――
「撃ち抜きなさい! 【炎天の星弓】ッ!!」
窓の外から炎の矢が撃ち込まれ、ノエルに向け飛翔する。
彼女はそれを防ぐためにぼくの首から手を離し、ガントレットの掌で矢を受け止めた。
「チッ……邪魔すんじゃねェ!!」
「はぁぁぁぁあああああああああああっ!!」
「何っ!?」
テレジアの一射の直後、ガラスを突き破って飛び込んできたセナが、壁を蹴ってノエルに斬りかかる。右腕のガントレットでセナの一撃を受け止めたノエルは、ぼくから離れて後退する。
「へェ……剣星かぁ、いいねェ」
「何事ですか!?」
「動くな」
「なっ……」
聞いたこともないくらい低い声のアルミリアが、槍の穂先をアルバの首元に向けていた。
アルバは回避を試みるけど、光の楔が両足を穿ち、それを許さなかった。
「アルミリア・グランヴィル……剣星になることのできなかった失敗作が何を?」
「それはお互い様だろう。アストライアの負け犬が、今更シオンに何の用だい? 返答次第では、今ここで君の首を切り離すことになるが……」
「……ノエル」
アルバの一言でセナの猛攻を凌いでいたノエルが急に軌道を変え、アルミリアに襲いかかる。
アルミリアは槍の柄で爪の一撃を防いだ。けど、後退したことでアルバを拘束する光の楔は消えてしまった。
「まぁいいでしょう、今は退散することにします。ですが、シオン姉さんは必ず連れ戻す。あなた方が何をしようと無駄なことですよ」
ぼくたちへの宣戦布告を言い残し、アルバとノエルは割れた窓から飛び降り、姿を消した。
「大丈夫ですか、イヴ」
「うん。ありがとう、セナ」
差し出されたセナの手をとり立ち上がる。
大丈夫とは言うけど、ぼくの自信はズタズタに引き裂かれていた。
とはいえ、落ち込んでいる暇なんて一瞬もない。今優先するべきはシオンの保護だ。
「……皆、聞いて欲しいことがあるんだ」
皆の視線が一斉にぼくに集まる。
真剣な話というのは、ぼくの声のトーンから伝わっているだろう。
「ぼくはシオンを連れて、しばらくプラネスタを離れようと思う」
それはぼくにとって、おそらく人生で最も大きな決断の一つだった。
 




