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第27話『アストライアの闇』

 気を失ったシオンを医務室に運んで、ベッドに寝かせる。

 シオンの額には汗が滲んで、悪夢でも見ているかのようにひどく魘されていた。

 念のため応急処置として、精神の安定を促す魔術をシオンに施すけど、気休め程度の効力しかない。結局、精神的な面は本人の意志が強く影響されるから、魔術じゃどうにもならなかった。


「すみません先輩、あたしがもう少し早く気付いていれば」


 一緒に来てくれたクロエは、シオンから距離を置いて壁に寄りかかる。

 彼女はレイラのことを知っているようだった。そればかりじゃない、ぼくと同じようにレイラを警戒していた。その理由は多分ぼくとは違うものだけど、少なくともシオンに関係があることだ。


「シオンがこうなったこと、心当たりあるんだね」

「はい。あたしはこいつの一番の友達っすから」

「話してくれる? クロエが何を感じていたのか」

「……うっす」


 クロエは壁にもたれたまま天井を見つめ、一つ息を吐く。

 そしてゆっくりと、シオンが抱える深い闇を少しだけ話してくれた。


「……似てたんすよ、シオンの姉に」

「それは、レイラが?」

「そうっす。名前も一緒でしたし」

「レイラ・アストライア―――」


 先生と調査をした魔力災害事故の資料で読んだことがある。

 三年前、事故で死亡したアストライア家の後継者候補の一人。シオンの四歳上の姉であり、当時学院の五年生だったと書かれていた。

 死者……また、死者の関わる事件。

 編入生としてやってきたレイラ・ユスティティアがレイラ・アストライアだとする根拠は、クロエが「似ている」と証言したこと、シオンが取り乱したこと、そして容姿、それ以外にはない。だから確実に同じ人間だとは言い切れない。もしかすると、本当にただ似ていて、同じ名前なだけの別人の可能性だってある。

 だけど、ヨハンナの一件を経験しているぼくからすれば、無関係とは思えなかった。


「でも、レイラはシオンのこと知らないみたいだったよ?」

「そうなんすよねぇ。わざわざシオンの名前を強調したけど、眉一つ動かさなかったんす」

「となれば、考えられる可能性は大きく分けて二つだだね」

「記憶喪失のレイラ・アストライア本人か、似ているだけの別人かってことっすね」


 もし骸の魔女が関わっているとしたら、蘇生されて別人のふりをしているという可能性も捨てきれないが、クロエを巻き込むわけにはいかないからあえて「三つ」とは言わなかった。


「何にせよ、シオンにとっては最悪な展開っすね……」

「どうして? 死んだはずの姉が生きてたとしたら喜ぶんじゃないの?」

「レイラ・アストライアは確実に死んでます。遺体も発見されて、埋葬されてるんすよ」

「……そっか」


 ますます、骸の魔女が怪しくなってきた。

 いやでも、それでも死んだはずの人間が生きていたのなら喜んでいいと思う。なのにクロエは、シオンにとって最悪な展開と例えていた。どうして……ぼくだったら、お姉ちゃんが生きてぼくの前に現れたら嬉しいのに。


「シオンは、三年前の事故から救出される以前のある期間の記憶を失ってます。それは先輩も知ってますよね?」


 こくりと頷く。


「じゃあ、その期間何が行われていたかご存じっすか?」

「何が、行われていたか……?」


 なんだか違和感を覚える聞き方だった。

 アストライア領での魔力災害に事件性はない、まったくの偶然。後継者たちはそれに巻き込まれてしまっただけのこと。ぼくと先生が調査した限りで判明した情報はそれだけだ。

 なのにクロエの態度はまるで「魔力災害が人為的に引き起こされたもの」だとでも言っているようにも感じられた。

 それを裏付けるように、クロエは一つ息を吐きぼくの目を真っ直ぐ見てこう言った。


「殺し合いっすよ、先輩」

「殺し……合い……?」


 一瞬、聞き間違いかと思った。

 だけどそれは違うと、クロエの深い緑色の瞳がぼくに告げていた。

 殺し合い―――それは少なくとも、普通の学生として暮らしている皆も、先生の仕事を手伝って少し王国の黒い面を知っているぼくだったとしても、聞き慣れない別世界の言葉だった。


「あたしも詳しいことは知りません。でも、アストライア家が後継者同士で殺し合いをさせていたのは事実っす」

「……証拠は?」

「当時のシオンと話したあたし自身の記憶」


 クロエは自分の胸に手を当てて、ぼくの目を見ながらそう言った。

 根拠はない、証拠は誰も読むことのできない記憶だけ。クロエは戦闘、策略、あらゆる面で優秀だ。ここでぼくを騙したところで得られるメリットはない。


「わかった」


 だからぼくは、クロエの言葉を信じることにした。


「アストライア家は、先代の斧の勇者を輩出した名家っす。だけど【灰都の火】で勇者は全滅、貴族連中は今代勇者のポスト争いで必死なのはご存じっすね?」

「うん。彼らにとって勇者の輩出は、権力を維持するために必要ってことくらいは」


 正直、ぼくには政治の世界は分からない。

 この国の貴族の権力争いは、どれだけ優れた魔導師を輩出できたかを基準に行われる。全ての魔導師の中で最も優れた称号である「勇者」は、誰もが求め誰もが夢見る栄光の象徴であり憧れの対象。権力とは無関係な、幼き日のぼくのような子供ならばそうだろう。

 だけど、彼ら名家……貴族にとって勇者とは、自らの権力を絶対的なものにするための武器であり、道具であり、鎧だ。勇者を輩出できる家こそが力を持つ、勇者こそが絶対である、そんな頭の凝り固まった権力闘争大好きな老人らとぼくら一般国民では、勇者という称号への渇望が文字通り数段階異なる。

 勇者輩出経験のある名家のうち、テレジアのリヒテンベルク家とアルミリアのグランヴィル家は頭一つ抜けている。ミストリア王国が建ってから千年、その二つの家は一代の欠落もなく勇者を輩出し続けてきた。だからこそ、今代の候補であるテレジアとアルミリアへ圧し掛かる責任は想像できないほど重いのだけど、それはまた別な話。


「灰都の火で王族が全員死んで、今国の運営を行っているのは先代勇者を輩出した家によって構成された【六星賢ろくせいけん】っす。もちろん、今代の勇者が決まれば六星賢は入れ替わる。アストライア家は、なんとしてもその席を手放したくなかったんすよ」


 そう、彼ら貴族の間で勇者が求められている理由は、その【六星賢】が主なものだ。

 国王、つまり王国の絶対的権力者が不在の現状、国の運営は六星賢が行っている。

 勇者を輩出することは、六星賢の席の維持を意味する。だからこそ、権力を欲する上層階級の人々にとって勇者の輩出は最優先事項なのだ。


「だからって、後継者である子供たちに殺し合いをさせる理由がわからないよ。むしろ数多く弾を撃って、その中の誰かが勇者になる可能性の方が高いんじゃないの?」

「それは所謂、蟲毒ってやつだ」


 ぼくの頭をポンと軽く叩きながら疑問に答えたのは、いつの間にか医務室に来ていたリツ先生だった。


「その昔、最強の毒を作ろうとした呪術……魔術師がいた。そいつは毒を持つ虫や動物を片っ端から壺の中に詰め込んで、そいつらに共食いをさせたんだ」

「どうして?」

「あらゆる毒を制する毒こそが、最強の毒だってこと。クロエが言うアストライアの殺し合いも、そういう意図があったんだろうな。ただ優れているだけの魔導師じゃ勇者にはなれない。競い合わせ、殺し合わせて最強の魔導師を作り上げる。大方、連中が考えてたのはそんなところだろう」

「でも、シオンは当時学生でした。学院に通っている間は外部からの干渉を一切受けない。生徒は学院の庇護下のはずっす」


 クロエはリツ先生に食って掛かるように言った。

 強い眼差しには怒りや憤りといった感情がありありと見て取れる。そりゃそうだ、当時既に学院の生徒だったシオンが巻き込まれたということは、「学院がシオンを守ってくれなかった」ということだから。


「シオンは騙されたんだ。母親が死んだと書かれた手紙が届いて、自分から休学申請を出してそれが受理された。こっちは学院側にしっかりと記録が残っている」

「……そうっすか」

「調査に俺が駆り出されてるってことは結構闇の深い案件だとは思っていたが……まさか三年経って影に葬られた闇が暴かれるとはなぁ。クロエ、どうしてそれを今まで黙っていた?」

「言ったら信じたんすか? あたしはイヴ先輩だから話したんすよ」

「……そうだな。俺もお前の立場だったらずっと黙ってる」


 クロエの言うことは、なんとなくぼくにも分かる。

 彼女は入学以前からシオンと仲が良かった。おそらくは、クロエの父がアストライア家からの仕事を受け持っており、ふとした拍子に出会ったのだろう。

 守ってくれると信じていた学院が大切な親友を守らなかった。シオンは一連の記憶を失って、アストライア家の闇を暴いてくれる人はいない。そりゃあもう、疑心暗鬼になるしかない。


「そんで、先生は何しに来たんすか?」

「食堂で生徒が一人倒れたって言うから、様子を見に来ただけだ。まぁでも、お前たちに任せておけば大丈夫そうだし、俺は仕事に戻るかねぇ」

「忙しいのにすんませんっした」

「気にすんな。可愛い教え子が困ってたら駆けつけるのも、教師の務めってやつよ」


 軽く手を振って、リツ先生は医務室を後にする。

 クロエはというと、まだ何か納得できていないようだった。


「すみませんイヴ先輩、やっぱりあたし、レイラを問い詰めてきます」

「えぇっ!?」

「大丈夫っす、シオンのことを知っているか調べるだけなんで。もし嘘をつかれるようなら、決闘の命令権で強引に聞き出します」

「……なるべく、穏便にね」

「うっす!」


 元気よく返事をして、クロエも医務室を去っていった。

 仕方ない。ぼくはシオンが目覚めるのを待つことにしよう。

 そう思ってベッドに眠るシオンに視線を向けた瞬間、ピクリと瞼が動いた。


「……ここは……?」

「起きた?」


 どうやら目を覚ましたらしいシオンに声をかけると、彼女はゆっくりと身体を起こす。

 そしてぼくの姿を見るなり、どこか安堵したように僅かに微笑んだ。


「……イヴ先輩、ボクは……」

「突然気を失ったから連れてきたんだ。気分はどう?」

「最悪です、ゲロ吐きそう。先輩がキスしてくれたら治ります」

「茶化すな」

「いてっ」


 いつもの軽口を叩くシオンの頭に軽いチョップを落とす。

 だけどそれが強がりであると、シオンの肩が不安に震えていた。


「身体の調子はどう? 頭とか痛くない?」

「全然大丈夫です。と言いたいところなんですけど……」


 シオンは顔を伏せて、布団をぎゅっと握り締める。

 どこか身体に不調があると大変だ。だけど、どうにもそうではなさそうだった。


「少しだけ思い出したんです。三年前のあの日のこと」

「よかったら、話してくれないかな?」

「……すみません。まだ、気持ちの整理ができなくて」


 シオンは首を横に振った。

 それもそうか。もしクロエの言っていることが本当なら、シオンが思い出した記憶はアストライア家の闇そのものだ。シオンは、きっと今にも心が張り裂けてしまいそうなほどぐちゃぐちゃなのを堪えているんだ。


「分かった。整理ができたらでいいから、ゆっくり話してくれないかな」


 ぼくは穏やかに笑って、そっとシオンの頭に手を乗せる。シオンはそんなぼくの顔をまじまじと見て、やがて小さく頷いてくれた。

 シオンが何を思い出したかぼくには知る術がない。だけど、家族を失った記憶というのは残酷に自分を苛めるものだ。ぼくがそうであったように、シオンもきっと今苦しんでいるのだろう。


「大丈夫だよ、シオン」


 そんな薄っぺらい言葉をかけることしかできない無力な自分が腹立たしくて仕方がなかった。


「それじゃあ、ぼくは午後の授業があるから。終わったら迎えに来るね」

「あ、ありがとうございます、先輩……」


 午後の授業開始の予鈴が鳴る。戻らないとセナたちが心配するだろうから、ぼくはシオンを医務室に置いて教室に戻ることにした。

 去り際、シオンが何かを言いたそうだったことだけが気がかりだ。

 もうすぐ午後の授業が始まるということもあって、廊下は少しだけ騒がしかった。

 駆け足で教室に向かう生徒たちに追い抜かれる形で、歩いて廊下を進む。

 シオンのこと、アストライア家の黒い噂のことばかりを考えて、授業に集中できる気がしなかった。いっそこのまま休んだっていいんじゃないか、どうせぼくにはこの学院の授業を受ける意味なんてないわけだし。


「どこへ行かれるのですか?」

「そっちは教室じゃねぇぜ」


 サボりを決心して図書館に向かおうとした時、二人の生徒に声をかけられる。

 一人は深い青の短髪に黄色の瞳と黒縁の眼鏡をかけた細身の少年。一人は薄紫の髪に赤い瞳で口調が荒い少女。どちらも、学院の中じゃ見たことがない顔だった。今朝方クロエが言っていた、三人の編入生のうちの二人―――といったところだろうか。


「……誰」

「姉さんがお世話になったと聞きまして」

「あんたがイヴ・グレイシアだな?」


 ぼくの名前は知られている。こんな場所で接触を図るとするならおそらくはシオンの、アストライア家の関係者。最悪戦闘になる場合も想定して、右手はフリーに、いつでも魔力を熾せる準備を―――


「おっと、物騒なモンチラつかせんのはやめてくれよ。アタシらは今あんたと事を構えるつもりはねェんだからサ」


 少女はぼくが警戒した瞬間、一瞬で距離を詰めてぼくの喉元に爪を突き立てた。

 ガントレット型の魔道具、いや、魔導兵装と言った方がいいかもしれない。魔力によって形成された鋭利な爪がぼくの首を捉えて、あと一ミリでも動けば突き刺さる位置にある。


「物騒なのはどっちかな……それに、人違いかもしれないよ」

「いいや、その髪、右目の魔眼、くっせェ魔女の血と死の臭い。あんたがイヴ・グレイシアだ、間違いねェ、アタシのこの目がそう言ってる」

「ノエル……すぐ噛みつくのは君の悪い癖です。先輩が困っているでしょう、下がりなさい」

「チッ……」


 眼鏡の少年にノエルと呼ばれた少女は、一度舌打ちをしてぼくの首に突き立てた爪を引っ込める。

 速かった。多分、セナやクロエよりもずっと速い。今向こうがやる気になれば、ぼくの首なんて一瞬で捻じ切られる。


「愚妹が失礼しました、僕はアルバ・エウノミアと申します。こっちはノエル・エイレーネ。姉が、レイラがお世話になったと聞き、ご挨拶をと思いまして」


 アルバと、そう名乗った少年は、礼儀正しい所作で深々と一礼し、謝罪する。

 アルバ、ノエル―――どちらも、アストライア領の魔力災害で命を落としたシオンの弟と妹の名前と同じだ。レイラも含めて、偶然とは思えない。


「それでは、これからもレイラのこと、よろしくお願いしますね」

「……待って、本当にそれだけ?」

「他に何が?」

「わざわざ授業開始ギリギリに、それだけ……?」

「はい。あぁ、そうでした―――」


 アルバは、タンッと一歩踏み込むと、ぼくの隣に瞬時に移動する。

 そして、耳元に口を近付け、確かにこう言った。


「シオン姉さんのことも、よろしくお願いしますね」

「えっ……」


 ぼくが聞き返す時には、二人はぼくの前から姿を消していた。

 午後の授業開始の鐘が鳴る。ぼくは―――遅刻が確定してしまった。

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