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第19話『捻じ曲げられた世界』

 どうにも胸騒ぎがして、朝早くに目が覚めた。

 こういう時のぼくの予感は大抵嫌な方向に的中する。昨日のこともあってテレジアが心配だけど、少なくとも魔力探知に不審な反応はなかった。だからって安心はできないから、今日も一日注意する必要があるけども。


「おっはよーこざいまーす、イヴ先輩!」

「おはようシオン、今日も早いね」

「いつか先輩を守る盾になりたいので! それじゃ行ってきまーす!!」


 早朝、人気のない寮の談話室で暇を潰していたぼくに一言挨拶して、シオンは日課の走り込みに向かう。

 いつもは彼女が日課を終えて戻ってくる辺りで目が覚めているから、少し新鮮な気分だ。


「先輩おはよっす。珍しいっすね、この時間に起きるなんて」


 シオンが外に出た後、入れ替わるように頭を押さえながらやってきたクロエは、大きな欠伸を一つしてぼくの向かい側に腰をかける。


「ぼくだって早起きしたい日くらいあるよ。シオンなら先に行っちゃったけど……」

「あー……あたしは今日パスっす。なんかめっちゃ頭痛いし身体怠いんで」

「クロエが不調なんて珍しいね?」

「あたしにだって体調崩れる日くらいあるっすよ」


 そうは言うけど、この子が体調不良を訴える日なんて一年に一度あるかないか。「わぁ、珍しいこともあるんだねぇ」と片付けられればいいが……今朝の胸騒ぎが悪い方向へと思考を巡らせてしまう。


「しくったなぁ……今日はイヴ先輩とテレジアの決闘だってのに……」

「……え?」

「え? じゃないっすよ、昨日申し込まれたって話したじゃないっすか」

「いや、それは昨日やった……はず、なんだけど……」


 なんだ……これ。

 おかしい、ぼくとクロエの記憶が食い違っている。

 ぼくの記憶が確かなら、昨日はテレジアと戦って、ヨハンナ・リヒテンベルクに襲撃されて、軽くテレジアと話をして、使った魔力の補充のために眠りについたはずだ。

 今日の日付は星来暦一〇〇五年、牡牛タウラスの月、十四日。ぼくの記憶に間違いはない。そもそも、あれが夢だったとは考えにくいし、まだ全身に僅かな痛みが残っているし、何より、回復しきっていない魔力のせいで倦怠感がある。


「……クロエ、今日は、十四日だよね?」

「何言ってんすか先輩、牡牛タウラス十三日っすよ」


 それなのにクロエは、まるでぼくの記憶が間違っていると言わんばかりに昨日の日付を答えた。

 嘘をついているようには見えない。そもそも、日付を偽ってぼくを騙して、それで得られるメリットは何もない。

 だめだ……クロエ一人と記憶が食い違っていても確信が持てない。

 そこにちょうど良くぼくらの中でも早起きな彼女がやってきた。

 黒い角縁の眼鏡をかけたアルミリアはぼくたちを見つけると近くの席に座る。


「おはよう、二人とも。イヴ、今日は早いね」

「……アルミリア、今日って何日?」

「急にどうしたんだい? 今日は十三日だけど」


 やっぱりだ……ぼくだけが何故か一日先の記憶を持っている。

 ううん、違う、記憶が過去に戻ったのなら、ぼくはまずこの時間ここにいない。過去は不変だ、それは魔術でも、魔法でも変えることのできない絶対のルールだ。人が時間の流れに逆らえないように、過去を改変することは、誰であろうと不可能なのだ。

 だから、これは未来のぼくの記憶が過去の自分に移されたんじゃない。

 ぼく以外が―――昨日の出来事を忘れてしまっているんだ。

 昨日一日の記憶がないから、クロエはぼくとテレジアの決闘が今日だと認識している。前日の記憶が十二日なら、今日の日付は十三日だと考えるのは当然だ。間違っているのはぼくじゃない、皆の記憶だ、そのはずなんだ。

 ぼくがそう結論付けた瞬間、談話室の扉が勢いよく開け放たれ、二人の生徒が入ってきた。


「イヴ・グレイシア! ここにいたか!!」

「テレジア様がお呼びだ、ちょっと来い!!」


 金の短髪と銀の長髪、テレジアの従者であるファリス家の双子、アンネとイリーナはぼくを見つけると、駆け寄って強引に腕を掴む。顔には焦りが見えて、腕を掴む力も加減をしていない。なんだかすごく嫌な予感がした。

 連れて来られたテレジアの部屋は昨日と何ら変わりはない。ベッドの上には上体を起こしたテレジアがいて、彼女はぼくの顔を見た瞬間安堵のため息をついた。


「おはようございます、イヴ・グレイシア。つかぬことを聞きますが、今日の日付を教えくださる?」

「……十四日」

「やはりそうですか……あなたも」


 あなたも―――テレジアは確かにそう言った。

 それはつまり、彼女にも今日の、十三日の記憶があるということだ。


「皆、昨日の出来事を忘れているようなのです。アンネとイリーナに今朝方確認させました。学院生全員ではありませんが、少なくとも覚えているのはわたくしと、あなただけのようですわ」

「そんなことって……」

「信じられないかと思いますが、それが事実で、私たちの身に起きた現実ですわ」


 テレジアが嘘を言っているようには思えなかった。

 そもそもぼくを騙すメリットがないのだから、疑う必要もない。

 ぼくたち二人だけが、皆の知らない一日を経験している。

 それは言ってしまえば、ぼくたちが世界から隔絶されたような奇妙な感覚。

 まるで、ぼくたちだけが間違っているかのような、途轍もない疎外感。

 それでも、世界は、時間は、平常に動いていく。

 ぼくたち二人、間違った記憶を持つ異分子を抱えながら。



 ◇ ◇ ◇



 結局、誰も昨日のことを覚えている人はいなかった。

 生徒はおろか教師すらも、昨日の一連の出来事、ぼくとテレジアの決闘から、ヨハンナ・リヒテンベルクの帰還を知る者は誰もいなかった。

 もしかすると、セナはその変化に囚われていないのかもしれない。

 根拠のない淡い期待を抱いて彼女に尋ねてみたけど、セナが三人目の例外になることはなかった。彼女の記憶も一日前に戻されていた。


 もし、別件でプラネスタの外にいるはずのリツ先生がいたのなら、ぼくは真っ先に彼に相談していただろう。だけど今は違う、彼は不在で、ぼくが頼れる大人は誰もいない。誰に相談できるわけもなく、ぼくは違和感を抱えながら教室の窓際で外を眺めていた。


 昨日と変わったことがあるとするなら、空、だろうか。

 雲一つない青空が一面に広がっていた昨日とは違って、上空に浮かぶのは分厚い雨雲だった。

 雨となれば嫌な予感がするけど、師匠が死んだ以上、黒い雨が降ることはない。

 何も変わらない普通の雨だ。雨は何もかもを流していく。ぼくの不安も、胸の内に抱えるこの孤独感すらも、雨を眺めていると忘れられる。

 なんだか、ぼくもこの異常な世界に慣れているような、ううん、慣れようとしているような気がした。


「今日のイヴ、なんかとても変です」

「えっ、いや、変……かな?」

「変ですよ! 心ここに在らずって言うか、なんだか別人みたいです」


 隣に座るセナの指摘は尤もだろう。今日のぼくは彼女からすればどこか変だ。

 それは仕方のないことだ。人は、何年も不変を貫くこともあれば、たった一日で大きく変化することもある。その些細な違いを見抜いてしまうほどセナの勘は鋭い。だからこそ、彼女のその黄金の瞳には、誰も知らない一日の記憶を有するぼくが、ぼくとは異なる別な人間に見えているに違いない。

 だからと言って、「お前は誰だ!」と突き放されるわけではないから、少し安心する。


「確かに今朝からイヴは少し変だ。熱でもあるのかい?」


 ぼくたちの前に席に座っているアルミリアが振り返り、ぼくの顔をじっと覗き込む。


「……なんでもないよ、ちょっと変な夢を見ただけ」


 もしぼくが「一日、皆よりも未来の記憶を持っている」と相談できれば良かったのだけど、当事者ではない彼女たちからすればぼくの言葉は戯言だ。だからぼくは、平然な振りをして笑った。

 少しずつ、歯車が狂い始めているような気がしてならなかった。


 授業開始の鐘が鳴る。

 教室の扉がゆっくりと開き、授業を担当する教師が姿を現す。

 今日は確か、儀式魔術・応用からのはずだ。担当教師の名前は確か―――


「おはようございます、皆さん。さ、席に着いて。授業を始めましょう」


 教室に姿を現した人物の容姿、そして、皆に着席を促す聞き覚えのある声に、ぼくは思わず立ち上がった。

 ぼくだけじゃない、彼女も……テレジアも同じように席を立ち、驚愕の表情を浮かべている。


「どうされましたか。グレイシアさん、リヒテンベルクさん」

「なんで……お前が、ここにいるんだ……」

「あなたは学院教師として登録されていない。それに、あなたは五年前に死んだはずです!!」


 壇上に立つのは、燃え盛る炎のような赤い長髪を一つに束ねた長身の女性。

 少なくともぼくの記憶が確かなら、彼女は学院の教師じゃない。だから、この場にいるはずがないんだ。それなのに、まるでそれが当然だと言わんばかりに、誰も異常だとは思っていない。


「どういうつもりなんだ! ヨハンナ・リヒテンベルクっ!!」


 五年前、灰都の火にて死んだ先代の勇者であり、テレジアの母。

 昨日、決闘を終えたぼくたちの前に現れ、テレジアと、ぼくの命を狙った存在するはずのない人間、ヨハンナ・リヒテンベルクがそこにいた。


「授業を始めますよ、二人とも。さ、席に着いてくださる?」


 首筋に炎のヘビが絡みつく。

 熱さはない、火傷することもない、締め上げることもないから痛みもない。

 そしてそれは、ぼくの前方に座っているテレジアも同じ状態だった。

 だけど皆、誰もそれが異常だと気付いていない。

 それどころか、授業を妨害する異物だとでも認識しているような怪訝な視線をぼくたちに送っている。

 瞬時に理解した。ぼくたちは既に、ヨハンナの術中にはまっているのだ。


「……テレジア」


 テレジアと頷き合い、アイコンタクトを交わしてから席に座る。

 ぼくたちが大人しくなったことで、ようやく授業が始まった。


 認識阻害の魔術、その応用。範囲は学院全体か、それとも都市全体か。

 範囲内のほぼ全員を対象に記憶操作と認識阻害を施すことで、学院内部という限定的な空間を自分のテリトリーに書き換えている。

 ぼくたちがその対象から外されているのは恐らく偶然じゃない。これは言ってしまえば、ヨハンナ・リヒテンベルクからの宣戦布告。

 認識阻害……いや、認識改変とでも言うべきこの魔術はとても強力だ。

 極端な話、学院の敷地内に限定して「殺人は悪」という誰もが持ち得る普遍的な常識すらも撤廃させることができる。つまりは、今この場でぼくたち二人が殺されようと、誰もそれを異常だと思えない異質な状況を作ることも可能だ。

 なんだよそれ……じわじわと嬲り殺しにするようなやり方じゃないか。


「私の世界はどうかしら?」


 板書をしながら背中を向けたまま、ヨハンナが声を発する。

 だけどそれは、ぼく以外の耳には届いていないようだった。

 いや、正確に言うのなら、聞こえているけど頭が理解を放棄して、ノイズとして処理しているようなものだろうか。


「アリシアの娘、一ついいことを教えてあげる。私の魔術の対象はこの街の人々全員。私に危害を加えようとした瞬間、あなたの隣にいるレイリーナの偽物があなたを斬るわ。私を殺してもこの術式は止まらないし、プラネスタに足を踏み入れた瞬間私の術式の対象になる。だから街の外から助けを呼ぶことなんてできないし、街の外へ逃げることもできない」


 炎のヘビと一緒に、ヨハンナのその言葉がぼくの身体に絡みつく。

 ただの学生と先代の勇者、力の差なんて比べるまでもないし、何より扱う魔術の規模が埒外だ。ふざけてる、街全体に効果を及ぼす魔術なんて、認識の改変を維持するだけでも莫大な魔力が必要だ。訳が分からない、次元が違う。


「だから選ばせてあげる。レイリーナに殺されるか、世界に殺されるか」

「……どういうこと?」

「この街の人間の認識は私が意のままに操れる。あなたが潔く死んでくれるのなら、レイリーナの手で殺してあげるわ。それを拒否するのなら、世界からゆっくりと存在を忘れられていく。誰もあなたを知らない、認識することもできない。じっくりと時間をかけてあなたの心を殺した後で、あなたも私の手で殺してあげる。さ、選んで」


 ヨハンナが突きつける選択肢は、どっちを選んだとしても最悪だ。

 前者はせっかくできた友達に殺されるわけだし、後者はしばらく生きることはできるけど、結果的に死ぬよりもつらい目にあるのは明らかだ。究極の二択……とでも言えばいいだろうか。

 どっちも嫌だなぁ……。


「一つ聞かせて。どうしてテレジアの記憶もそのままなんだ」

「だって、可愛い娘が苦しむ様を見たいじゃない」

「は?」

「あなたが世界から忘れられて死んだ後、テレジアは一人、あなたを覚えていてもらうの。たった一人、されど一人、皆と異なる記憶を持つあの子が、皆と自分の違いに耐えられるか見てみたいじゃない」

「何を……言って……」

「自分の記憶が皆と異なることを知った時、あなたはどうだった?」


 どうって……そりゃあ、自分一人が世界から隔絶されて、まるで、お前だけが間違っていると世界から言われているような疎外感。得体の知れない違和感を誰にも共有できず、一人抱えるしかない孤独感。今だってそうだ、皆と違うというたった一つの要素だけが、ぼくをずっと否定し続けている。


「テレジアにはね、恐怖が足りないの。だからあなたを殺せなかった。肝心なところで手を抜いてしまった。だけど……失敗する道具なんていらないでしょう?」

「だから、恐怖を植え付けると……?」

「あの子は優しい子よ。それに、あなたのことが好きみたい。だから誰も覚えていないたった一人の女の子を、自分のせいで死なせてしまったとずっと後悔させたいの。私に、世界の支配者に逆らったから、あなたを死なせてしまったと―――そうすれば、もう逆らうことはないでしょう?」

「どうかな……テレジアは案外、お前に逆らうかもしれないよ」

「なら同じことを繰り返すわ。あの子が従うまで、心を持たない道具になるまでずっと……そうね、今度はあの子、レイリーナの偽物でも消してしまいましょうか」

「ッ―――!!」


 ヨハンナの操る炎のヘビが、ぼくの隣に座るセナに絡みついた。

 ぼくは身体の内側から湧き上がる怒りを堪え歯を食いしばった。

 この空間はヨハンナが支配する世界だ。ぼくが逆らえば誰かが傷つく。それだけは避けなければならない。

 まだだ、まだ抑えるんだ、イヴ・グレイシア。

 ヨハンナはもう、どす黒い闇に染まり切っている。それは魔女への恨みだろうか、アリシアへの憎しみだろうか、分からない。だけどぼくが魔女の娘であり、魔法使いである以上、彼女はぼくだろうと復讐の対象にするだろう。

 逃げ場なんてない……ぼくは、彼女が提示する二つの選択肢のうち、どちらか片方を選ばなきゃならなかった。


「日没の後、あなたがアリシアを殺した場所に一人で来なさい。そこで答えを聞かせてもらうわ」


 そう告げて、ぼくの身体を拘束する鎖のような無数の炎のヘビを解除したヨハンナは授業を再開した。

 日没……猶予は今日一日、考える時間もなければ、テレジア以外の生徒は全員ヨハンナの魔術の対象者。会話の内容まで伝わるのかは怪しいが、可能性がある以上相談することもできない。

 世界に一人取り残されるって、こういう感覚なのかな……。

 どうすればいいんだろう、考えても考えてもすぐに答えは出てくるはずがなく。

 午前の授業が終わるまで、ぼくはこの異様な光景を眺めていることしかできなかった。

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