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第18話『炎姫の憧れ』

 テレジア・リヒテンベルクは、一言で例えるなら天才だ。

 複数の魔術を同時に扱う卓越したセンスと、あらゆる魔術に対応するだけの膨大な知識量。生まれ持ったカリスマ性と、将来を約束された運命に恵まれた、星の神に愛された人間とでも言うべきだろうか。

 正直もし、彼女が魔法を扱えたのなら多分ぼくの姉を、フィリア・グレイシアを軽く超えてしまうだろう。ぼくが天才と認める二人の相違点は、魔法が使えるか使えないか、それだけだ。

 魔法が使えるからといって優れているわけでも、魔法が使えないから劣っているわけでもない。ぼくは二人を等しく天才だと認識しているし、羨ましいとも思っている。だって二人は、ぼくにないものを持っているから。


「……テレジア、気分はどう?」

「寝起きにあなたの顔を最初に見るなんて最悪な気分ですわ、吐き気がします」


 自室のベッドで目を覚ましたテレジアは、食事を持ってきたぼくの顔を見るなりいつものように憎まれ口を叩いた。平常運転だとぼくの伝えようとしているんだろうけど、びっしょりと汗で濡れた額が強がりだと言っていた。


わたくしは一体どれだけ眠っていたのですか……」


 魔力切れから回復したテレジアは、窓の外に浮かぶ満月を眺めながらぼくに尋ねた。


「残念だけどまだ半日も経ってないよ。魔力切れは回復した?」

「あの程度切れた内に入りませんわ。あなたの方こそ、大丈夫なのですか?」

「万全……って言いたいところだけど、もしここにヨハンナが攻めてきたら確実に負ける。それでも念のため君の護衛の許可をアンネとイリーナから貰ったけど、もしもの時はぼくのことなんて気にせず全力で逃げてね」

「ハッ、あなたに命を張って守られるくらいなら死んだ方がマシですわ」


 テレジアはぼくに守られるくらいなら死を選ぶらしい。そりゃ確かに癪かもしれないけど、ちょっと悔しい。

 ヨハンナ・リヒテンベルクが学院に来訪して、テレジアの命を狙ってまだ数時間しか経過していない。常に魔力探知をかけて警戒しつつ、扉の外にはセナに待機してもらっているけど今襲来されたら回復した魔力量からして手も足も出ない。だから、「お願いします来ないでください」と祈るしかない。


「その……申し訳、ございませんでした」

「……へ?」


 ぼくと向き合い、丁寧に頭を下げたテレジアに驚き、ぼくは素っ頓狂な声をこぼす。

 だって、あのテレジア・リヒテンベルクだ。ぼくの噂をでっち上げ、ぼくを孤立させて学院から排除しようとした……端的に言えばいじめっ子。それがぼくを頭に下げるのが意外だった。


「感情が高ぶり歯止めが効かなかったとはいえ、あなたの顔に傷を負わせてしまった。拳を振るうなんて、魔導師らしからぬ野蛮な行為です。それだけは、謝罪しておきたかったのです」

「あ、あぁ……うん、いや、別に痕も残ってないし、気にしてないけど……」

「あなたが気にせずとも私が気にするのですっ!」

「わかった! わかったから!!」


 テレジアが珍しくあまりの勢いで迫るものだからぼくは少し気圧される。

 とはいっても、今更謝られても、どういう風の吹き回しなのかと警戒するだけだ。何か裏があるものかと勘繰るけど……どうにも違和感が拭いきれない。


「……ひとつ、聞いてもいい?」

「くだらない質問ならぶっ飛ばしますわよ」

「ヨハンナ・リヒテンベルクが生きてること、どうして隠してたの?」


 思い切って今最大の疑問を尋ねてみる。

 ヨハンナ・リヒテンベルクは、【灰都の火】にて他五名の勇者と共に命を落とした。それは紛れもない事実であり、真実として報道されている。少なくとも、皆の認識は彼女を既に死んだものとして扱っているはずだ。

 それなのに……どうして生きているのか。死んだはずの人間が蘇るケースはセナという実例がすぐ傍にいるからこそ可能性として僅かに存在している。

 とはいえ、それはただの可能性だ。それにヨハンナが生きているなら、何故国は死んだと偽ったのか、テレジアが全てを知っているわけじゃないだろうけど、少なくとも彼女はぼく以上に現状に詳しい。


「生きていた……というのは間違いですわ」

「えっ?」

「お母様は……いいえ、あの女は既に死人(しびと)。死にながら生きる哀れな屍です」


 だけどテレジアからの回答は、想像の斜め上を行くものだった。


「学院が休みの期間、私はリヒテンベルクの領地に一度戻りました。そこであの女と、ヨハンナ・リヒテンベルクと再会したのです」


 テレジアは俯き、布団をギュッと握りしめた。

 両手が震えている。彼女も怖いんだ、死んだはずの人間がそこにいることが。


「お母様はもう、私の知るお母様ではなかった。自らを陥れた焔の魔女を憎み、魔女という存在そのものへの復讐の炎を燃え滾らせる鬼へと成り果ててしまった」

「自分を殺した相手への復讐……ってことなのかな」

「おそらくは。私はお母様から、あなたの排除を命じられました。排除……といえば聞こえはいいですが、端的に言えば、決闘のどさくさに紛れて殺害を命じられたと思ってもらって構いません」


 ヨハンナがぼくを恨む理由―――そんなの、師匠以外に有り得ない。

 師匠への復讐心の対象はぼくに移り変わったけど、学院の学生に自ら手を下すことはできない。だからテレジアを使って間接的にぼくを殺そうとした……そんなところだろうか。

 そりゃ暴走する。だって、既に復讐対象である師匠は死んでいるのだから。

 恨まれるようなことをした覚えはないけど、恨む気持ち自体は理解できなくもない。やり場のない復讐心を抱いたことはぼくにだってあるから。


「でもぼくは殺せなかった。だから実行犯である君を消すついでに、自ら裁きを下しに来た」


 わざわざ大勢に見せびらかすよう登場したのは、ぼくの尊厳を踏み躙るためでもあるのだろう。異端者の処刑は大衆の面前で……なんていうのは、昔からよくある話。「異物はこうなる」と民衆の恐怖を煽り異質な存在の排除へと意識を誘導する。昼間のあれの真意はそんなところか。


「あれは、そこまで考えていませんわ。ただ自らの復讐のため憎悪を燃やし続けているだけです」

「実の母親をあれ呼ばわりって……」

「事実ですもの。あなたも自分の母を殺したでしょう」

「……言い方、もう少しどうにかならない?」

「引導を渡した、とでも言うべきでしょうか」

「まぁいいや、それで」


 少しばかり、言葉に棘があるような気がした。

 それもそうだ。テレジアはこんなにも母親に恐怖し動揺しているというのに、ぼくは自分の育ての母を、師匠をこの手で撃ってから一週間。テレジアの言動からして、彼女は師匠に憧れていた。ぼくに対する感情は複雑なものだろう。


「……何故、焔の魔女討伐の功績をアステリオさんに譲ったのですか」


 テレジアは窓の外を眺めながら、決闘中に零した疑問を呟くようにぼくに尋ねた。


「親殺しにはなりたくなかった。それだけ」

「ハッ……我儘ですわね。国を救った英雄に意思の自由などありませんのに」

「そうだね、これはぼくの我儘だ。だけどぼくは英雄になんてなりたくないんだよ」

「……過去のあなたは違っていたようですが」

「どうしてそれを……」

「知っていますわ。あなたを見ていたのですから、ずっと」


 テレジアはぼくの目を真っ直ぐ見つめて、確かにそう言った。


「イヴ・グレイシア。私は、あなたが羨ましかったのです」

「……はい!?」


 意味が分からなかった。

 羨ましい? 誰が? ぼくが!?

 信じられない、信じられるか。だけどぼくを見るテレジアのその目には見覚えがあった。

 ぼくがリーナやお姉ちゃんに向けていたものと同じだったから。


「あの方は、アリシア・イグナは私の目標でした。同じ炎魔術を扱う者として、いつか教えを受けたかった……直接弟子にしてくださいと懇願したこともありました。ですが駄目でした」


 テレジアは俯いて、悔しさに布団を握り締めながら歯を食いしばっていた。


「母とアリシア様は友人同士でした。だから思い切って、どうしてと聞いてみたのです。アリシア様は言いました。『魔法』を使う才能が私にはないと、はっきり」


 ズキリと、胸の奥が疼いた。

 魔法を使う才能がない。テレジアが突きつけられたその言葉は、子供の頃のぼくをずっと蝕んだ呪いの言葉だった。だからだろうか、同情してしまった。


「そんな時、あなたの噂が流れた。アリシア・イグナの弟子、イヴ・グレイシア。名家の生まれでもないあなたがアリシア様に認められたのが悔しかった」

「だから事ある毎にぼくを目の敵にするの……?」

「醜い嫉妬ですわ。だけどそれ以上に私が許せなかったのは、学院に入学したあなたの態度です」

「ぼくの態度……」


 学院に通うことになった頃は何も考えていたかった。

 ぼくはアリシアの弟子だから、魔女の娘だから、罰を受けるのが当然のことだと思ってどんな噂が広まろうと否定すらしなかった。

 否定するのも疲れるし、何より、ぼくが許されることを望んでいなかったから。


「魔女の娘と蔑まれ、異端者と罵られ、それでもあなたは向き合おうとしなかった、何も見ようとしなかった。力があるのなら汚名を拭うことだってできたはずです。それなのに、あなたは逃げるばかりだった」


 率先してぼくの噂を広めていた君が何を言うのか。

 いや……思い返してみれば、テレジアがぼくをひどく敵視するようになったのは二年前からだ。それ以前、ぼくを取り巻く怨嗟の感情の渦の中に彼女はいなかった。ぼくを恨む人間、憎む人間、彼らはテレジアが学院で力をつけてぼくに絡むようになった頃から大人しくなっていた。

 だって、テレジア・リヒテンベルクという自分以上の恨みの代弁者がいるのだから。


「……どうして逃げるのですか。アリシア様が認めるだけの力を持つあなたが、何故逃げ隠れし、怯える必要があるのですか。最初は純粋な憧れでした……ですが、段々とこの感情は醜く染まっていった」


 憧れから嫉妬へ。妬みから恨みへ。

 テレジアがぼくを憎む理由は案外単純だった。単純だったからこそ、すごく、親近感が湧いた。

 憧れというのは、簡単に反転してしまう弱い感情だ。

 多分ぼくも、あのままリーナが生きていたら彼女に嫉妬して、突き放していたんじゃないかと思う。


「私はただあなたに―――あなたに、憧れていたのでしょうね。あぁやだ、ほんとやだ、どうして私があなたなんかに、反吐が出ますわ」


 寝癖のついた赤い髪をガシガシと掻くと、テレジアはいつもの調子で恨み言を吐く。

 だけど、彼女の言葉にはもう棘はなかった。

 テレジアはぼくに真っ直ぐ向き直ると、また深々と頭を下げた。


「イヴ・グレイシア……その、申し訳ございませんでした。私があなたにしたことは、決して許されることではありません。ですが、謝る機会があるうちに、この場で一度謝罪させてください」


 それは多分、テレジアの本心からの言葉だ。

 謝られても許さない、そう言えるほどぼくの性格は腐りきっていなかった。

 だってテレジアがぼくを恨む理由は、少なからずぼくにも理解できるものだから。


「イヴでいいよ。言いづらいでしょ、グレイシアって」

「友達面するのはやめてください。私とあなたは友人でも何でもないのですから」


 ベッドに横になり、テレジアは頭から布団を被って小さく呟いた。


「少し眠りますわ。あなたも私なんかに構わず、魔力の回復に専念しなさい」

「でも護衛が」

「不要です。自分の身は自分で守ります。それに、あなたに怪我をされると私が困ります」

「……分かったよ。魔力探知は維持しておくから、何かあったらすぐ呼んでね」

「……ありがとうございました、イヴ」


 テレジアは布団を被ってぼくと反対側に身体を向け、こくりと無言で頷いた。

 ぼくは部屋のカーテンを閉めて一応外から中の様子を見れないようにし、テレジアの部屋を後にする。

 去り際の彼女の呟きは、聞こえなかったことにした方がよさそうだ。

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