第17話『望まぬ決闘』
「―――始めッ!!」
審判の合図で、ぼくたちは互いに距離を置く。
魔導術師同士の戦闘は基本的に遠距離を主体とした魔術戦だ。距離を詰めるメリットなんて、回避不可のゼロ距離砲撃が可能になるくらいだから、わざわざ近付くことはない。
テレジアは開幕から【炎天の星弓】を呼び出し、四体のムスペルを召喚して牽制程度の炎の矢をこちらに放ってくる。
防げない数じゃないし、そもそも躱せばいいから、ぼくは大きく横に動いて矢を避ける。
「逃がしませんわっ!!」
「うわっ!?」
移動するぼくの腕に、地面から生えた炎の鎖が絡みつき、バランスを崩す。
転ぶ前に鎖を凍らせて破壊、【身体強化】をかけながら片手を地面について空中で一回転し、着地。
着地の瞬間を突いて、テレジアは無数の矢でぼくを包囲する。
けど、これへの対処は簡単。半球状の氷を形成して矢を防ぎ、砕ける氷の隙間から【撃ち抜く氷槍】で牽制、これ以上の追撃を止める。
「そんなものじゃない……あの時のあなたは、そんなものじゃなかった!!」
「何を期待してるのか知らないけど……っ!!」
息つく暇もないテレジアの猛攻に、防戦一方。一瞬の隙を見つけて氷槍を放つけど、それも炎の矢で相殺される。
相性が悪いもあるけど、よりによって師匠と同じ炎なんだもんなぁ……どうしても調子が狂う。
「アリシア・イグナとの戦いで見せたあなたの実力! それを今ここで私にも見せなさいっ!!」
「使えるわけないだろっ!!」
「私には分不相応だと……!!」
「あんな呪われた力、使ってたまるか!!」
だけど、魔法がなければぼくとテレジアの技量は同レベル。
いいや、少しだけ彼女の方が上だから、この状況もいつか打開される。
魔導師が最も嫌うのは、自らが得意とする魔術を扱えないほどの攻撃の雨にさらされること。大量の魔力による隙のない猛攻は、魔導師を封殺するには手っ取り早い手段だ。
分かってはいたけど、いざやられると確かにしんどい。
「使いなさい! あなたの全力を叩き潰し、私は自らの価値を証明する!!」
「命がかかってるんだろ!? 使えるわけないじゃないか!!」
「なぜ……それを……?」
テレジアの攻勢が止まる。いや、それだけじゃない、彼女が従えるムスペルも動きを止めて、完全にぼくは自由になった。
「昨日、君たちの会話を聞いた。君が何を背負っているのかはぼくには分からない。だけど、君がいくら憎くても、君を犠牲にして勝とうなんて思えない」
「……甘いですわね」
テレジアの炎が勢いを増した。
ぼくを包囲するように出現したムスペルが、ゼロ距離でぼくへ魔術を放つ。
豪炎が氷の盾を溶かしていく。そこに追撃するテレジアの射撃。蛇のようにうねる矢の軌道が、ぼくの氷を躱しながら飛来する。
「がっ!?」
腹部への直撃。幸い無茶な軌道で威力はだいぶ低減されていたけど、それでも軽く悶えるくらいには痛い。
「甘い、甘いですわイヴ・グレイシア。私が死ぬから何なのです。あなたが気にすることではありませんわ」
「気にするよ……! 気にしない方がおかしいよ!!」
「……私はあなたが嫌いなのです。許せない、今すぐにでも殺してやりたい。こんなにも私はあなたを憎んでいるのに、あなたは何とも思っていないと!!」
激高したテレジアが、五本の矢を同時に番え放射状に射出する。
その全てが変則的な軌道でぼくに襲いかかる。咄嗟に氷の盾を展開して三本を相殺、だけど残る二本がぼくの右肩に同時に突き刺さった。
「ッ……!」
「焔の魔女討伐の功績をアステリオさんに譲ったそうですね」
「それがどうかしたの……」
「あの人の教えを受けていながら、あの人から本を受け継いでおきながら、あなたは結局、勇者の陰に隠れているだけではありませんか!!」
「うる……さいっ!!」
お返しにぼくも氷の槍を五本放つ。
全てを炎の壁で受け止められ、唯一壊れず耐えた一本がテレジアの左肩を穿つ。
「くッ……このっ!!」
無数に飛翔する炎と氷が衝突して魔力の残滓となって消滅する。たまに打ち消しきれなかった攻撃が掠り、ぼくたち二人に傷を刻む。
「大体、ぼくは君の言うことがちっとも分からないんだよ! 結局君はぼくにどうして欲しいのさ!!」
「腹が立つのです、あなたの存在が!!」
テレジアの放った攻撃が、ぼくの左頬を掠める。
でもなんだかようやく、彼女の本音を聞けた気がした。
「あなたは力を持ちながら、どうしてそこまで弱くいられるのですか!!」
激高したテレジアが、八体のムスペルを召喚する。
一斉に放たれる炎の槍がぼくを襲う。氷の盾で対処してもすぐに貫通されて、片手だけで防ぐのが難しい。
「選ばれたのに、認められたのに、どうして!!」
テレジアが両手で魔術を発動する。
ぼくを包囲する炎の槍と、ムスペルの召喚維持、更には足元から噴き上がる炎の《多重詠唱》には流石に対応できず、氷の盾が音を立てて砕け散る。
「私がどれだけ手を伸ばしても手に入らなかった力を持ちながら、どうしてそこまで弱者の、被害者のふりができるのです!!」
反撃はできず、ただテレジアの攻撃を凌ぐだけ。移動しながら炎を躱し、直撃は氷の盾で防ぐばかり。状況は誰の目から見てもテレジア優勢だった。
「君に……ぼくの何が分かるんだよっ!!」
「分かりますわ……ずっと見てきたのですから。私がどれだけ願おうと許されなかった、アリシア様の弟子になったあの時から!!」
「だから、あなたを打ち倒して私は私の価値を証明してみせる!!」
「そんなこと言われても……っ!!」
一瞬、いつもより魔力の出力を上げて襲い来る炎を全て凍らせる。
テレジアがぼくを気に入らないのは分かった。テレジアが師匠に憧れていたのも分かった。テレジアがぼくに嫉妬しているのも分かった。
「だからといって、君を死なせてまで本気を出す理由がぼくにはない!!」
「たかが決闘ごときで大袈裟な。それに、あなたの全力を私が叩き潰せばいいだけのこと!!」
「それが無理だって言っているんだ!!」
「なら……力づくであなたの本気を引きずり出すまで……っ!!」
テレジアのムスペルが巨大な炎の矢へと姿を変える。
彼女はそれを一つに纏めた。
それは矢というよりも、最早槍だ。テレジアは炎の槍を大弓で番え、ぼくを狙う。
「本を使いなさい、イヴ・グレイシア。でなければあなた、本当に死にますわよ」
はったりでも脅しでもなんでもない、純粋な警告―――
あの一撃を受ければひとたまりもないし、ぼくの魔術ではあれを受けきることはできないと生存本能が訴えてくる。必殺にして絶死の一矢、それを防ぐには、魔法以外で手段がない。
「撃ち抜きなさい、炎天の星弓ッ!!」
テレジアの炎が弓を離れ、ぼくに向けて放たれる。地面すら焼き溶かす高温の炎を前に、ぼくが取れる方法なんて―――
「【氷王の覚醒】ッ!!」
触れるもの全てを凍てつかせる絶対零度の吹雪をぶつける以外になかった。
テレジアの放った炎の槍は吹雪にさらされて勢いが弱まり、消滅する。
視界が揺らぐ。【星紡ぐ物語】を挟まない魔法の発動は大幅に魔力を消耗するから、出来れば使いたくなかったけど、仕方がない。
「使いましたわね、魔法をッ!!」
テレジアが地面を蹴ってぼくに肉薄する。
極端に相手の接近を嫌っていた彼女が自分から近付くなんて、予想外の行動に反応が遅れた。
剣のように細長く形成した炎がテレジアの右手に握られる。ぼくは身体の前方へ氷の盾を展開して、彼女の斬撃を防ぐ―――はずだった。
「がぁっ!?」
何故か、ぼくは背中を切りつけられた。
「白兵戦など野蛮だと思っていましたが、案外虚を突くには向いていますわね」
「なんで……防いだはずじゃ……」
「私の炎はうねり、死角から敵を穿つ。お忘れでして?」
テレジアが右手に持つ炎の剣は大きくうねり、蛇のようにとぐろを巻いていた。
そうだった……セナとの戦いでぼくは何を見ていたんだ。
テレジアの戦術は徹底して死角からの攻撃だった。それはおそらく、セナに負けて白兵戦スタイルを確立した今でも変わらない。
才能に驕ることなく努力を続ける天才が如何に厄介か、嫌というほど思い知らされた。
「本気でぶつかりなさい。でなければ、死にますわよ」
「またそれか……いい加減うんざりだよっ!!」
距離を取って三発の【撃ち抜く氷槍】で牽制、テレジアは剣を鞭のようにしならせて氷の槍を全て粉砕。
やっぱり炎に対して氷だと相性が悪い。だったら―――
「【飛来する石塊】ッ!!」
ぼくとテレジアの激突で砕けたステージの破片を浮かせて、テレジアに向け射出。
テレジアは炎の壁でその破片を受け止めた。
触れた瞬間、溶岩となって足元に落ちていく。
でも、これで一瞬視界が塞がった。
「《多重詠唱》【拘束する鉄鎖】!!」
炎の壁が消える瞬間に飛来した四つの鉄の鎖がテレジアの四肢に絡みつく。
身動きの取れなくなったテレジアは、ムスペルを召喚してぼくの接近を警戒するけど、ぼくは白兵戦は苦手だ、相手が動けないからって、馬鹿正直に突っ込んだりしない。
「【連鎖する麻痺】!!」
「がぁぁっ!?」
鉄の鎖を伝って、テレジアの四肢に電撃を飛ばす。
王国の魔導師が相手を拘束する際に使う魔術。魔物だって痺れる電流だ、いくらテレジアといえど麻痺は避けられない。
「【燃え盛る火球】!!」
ぼくの頭と同じ程度の大きさの火球を作り、身動きの取れないテレジアに放り投げる。
腕の動きは封じた。テレジア並の実力者でも、魔術を使う際には照準のために腕や指が必須。【解呪】は不可。これなら―――
勝って……ぼくは、どうするんだ。
「調子に……乗るな―――ッ!!」
鉄の鎖が崩壊する。
火球を回避し再度肉薄したテレジアは、炎の剣をぼくに向けて振り上げる。
死角から攻撃されるなら対処は可能だ。ぼくは背中と正面、二か所に氷の盾を展開。炎の刃はぼくには届かない。
そして―――近付いてきたなら、やることは一つ。
「【吹き荒れる暴風】!!」
回避不可のゼロ距離砲撃。
建物すらも倒壊させる暴風の直撃にテレジアは後方へ大きく吹き飛び演習場の壁面に激突。
これで大人しくなってくれればいいんだけど―――
「まだ……まだ、ですわ……っ」
口の端から流れる血を親指で拭って、テレジアは笑う。
まだ……終わらない。テレジアのその赤い瞳に宿る炎は消えていなかった。
テレジアの右手に、巨大な炎の槍が握られていた。
魔法を使わなければ防げない絶死の一矢、また、あれが来る。
「撃ち抜きなさい、炎天の星弓ッ!!」
大弓から放たれた炎の槍が地面を溶かし、低い位置から突き上げるように飛来する。
また魔法を使えば、きっと反動で動けない隙をついて接近される。でも、あれを防がなければ死ぬ―――回避はできない、魔術による防御も不可、魔法を使えば肉薄され終わり、完全に詰みだ。
どうせ詰みなら、せめて死ぬのだけは回避しないと。
「【氷王の覚醒】―――ッ!!」
残る魔力のほとんどを使って吹雪を起こし、テレジアの炎の槍を相殺する。
魔法を使った反動で心臓が脈を打ち、視界が揺らぐ。それでも、次に来る攻撃だけは防がないと。
「テレジア……?」
だけどどれだけ待っても、テレジアからの追撃は来なかった。
揺らぐ視界が元に戻る。その先には、魔力切れで壁に背を預けて気絶するテレジアがいた。
「そこまで! 勝者、イヴ・グレイシア!!」
クラウス先生が決闘の終わりを宣言。観客からのブーイングはなく、ただ純粋な歓声が聞こえてきた。
「テレジア……っ!!」
ぼくは気を失っているテレジアに駆け寄って、安否を確認する。
命がけって言ってたし、まさか死んでないよな……そんなこと、ないよね。
「私の負け……ですわね」
「強かったよ、テレジア」
「お世辞は結構ですわ。肩を、貸してくださる?」
ぼくが屈むと、テレジアは負傷していない右腕をぼくの肩にかけてゆっくりと立ち上がる。
近くで見ることがなかったから気付かなかったけど、腕、長いな……それに、背も高い。セナと同じくらいかな。
「か細い身体ですわね。こんなちんちくりんに負けたのですか、私は」
「うっさい、ぼくの勝ちだ、文句は言うなよ」
「分かっていますわ。スクロールは使っていませんが、一つだけ、あなたの望みに応えて差し上げます。なんでも仰ってください」
「急にどうしたんだよ」
「私にもプライドがあるのです。負けは負けですから」
「じゃあ、昨日の夜の話、詳しく聞かせて」
昨日の夜、テレジアがアンネとイリーナとの会話で言っていたこと。
命がかかっている。一体それがどういう意味なのか、ぼくはテレジアに尋ねてみた。
「やはり聞いていたのですね」
テレジアは恥ずかしそうに目を背け、ため息を一つ。
負ければ死ぬ、母親との契約、彼女が何を背負っているのか
「……私は―――」
「あら、負けちゃったの?」
テレジアの言葉は、ここにいるはずのない人間の声に遮られた。
誰もがその一点を見つめる。演習場の中心、上空から舞い降りてきたその人物に、ぼくたちは言葉を失っていた。
「残念ね。あなたならば、その魔女の娘を殺せると期待していたのだけど」
燃えるような赤い髪、炎のような橙色の瞳、純白の外套に身を包み、その右手にはテレジアと同じ大弓を携えたその女性は、本来、死んだはずの人間だった。
「お母様……っ」
テレジアの思わず漏れ出たような小さな声が、疑念を確信へと変える。
「よ、ヨヨヨ、ヨハンナ・リヒテンベルクっ!?」
尻餅をつき、指を差すクラウス先生が、その名前を口にして確信を強固にする。
灰都の火にて死んだはずの先代弓の勇者、ヨハンナ・リヒテンベルクがそこにいた。
「負けちゃったの、そう、負けちゃったのね。残念だわ、本当に残念、とっても心苦しいけど、敗者に価値はない。ごめんなさいねテレジア、あなた、死んでくれる?」
ヨハンナは燃えるような装飾で象られた漆黒の大弓に矢を番え、テレジアに向けて放つ。
黒い炎を纏った一矢がテレジアに飛来する。防御が間に合わない。テレジアも魔力切れで身体が動かなくて避けることすらできない。
だけど―――
「させませんっ!!」
甲高い金属音と共に白い閃光が、ぼくたちとヨハンナの間に割り込んだ。
「あら?」
「誰だか知りませんが、余計なことしないでください」
切り裂かれた矢の半分が、足元に落下する。
黄金の剣を、ユスティアを引き抜いたセナがぼくたちを庇うように立ち、ヨハンナへ切っ先を向けた。
「あら、あなたは生きていたのね、レイリーナ。嬉しいわぁ。さ、共に魔女を討ちま―――」
「マジカルパンチっ!!」
肉薄したセナの魔力を帯びた拳がヨハンナの顔面に命中。首を一回転させて圧し折る。
「ひどいじゃないレイリーナ。死んだらどうするの?」
普通の人間なら死んでる一撃。
だけどヨハンナは平然としながら折れた首を回して元に戻した。
冗談じゃない。首の骨が折れれば人は死ぬ。それなのに、どうして……。
「私はレイリーナじゃありません、セナ・アステリオです。それと、私の友達を魔女と呼ばないでください。私、今すっごく怒ってます」
「そう、残念ね。でも大丈夫よ、あなたもすぐ仲間に加えてあげる」
とても強い魔力が熾る。
それはこの前対峙した師匠の本気にも匹敵するほどの強大な魔力。
先代の勇者、その化け物の片鱗。いや、片鱗なんて言葉で片付けられないほどの力の一端を前に、無理だ、あれは勝てないと確信する。
だけどセナが持つ黄金の剣―――ユスティアは違った。
強大な魔力に呼応するように、剣が纏う金色の輝きが強さを増していた。
ヨハンナは剣の輝きを一目見て、一つ息を吐く。
「今日のところはやめておきましょうか」
「……逃げるんですか」
「えぇ、そうよ。ユスティアと無策でやり合うほど私も馬鹿じゃないの。それに、可愛い娘のことはいつでも迎えに来れるから」
ヨハンナの魔力と、ユスティアの輝きが落ち着く。
いつの間にか彼女の手から大弓が姿を消していた。
ヨハンナはにやりと不敵に笑った後、こちらに……テレジアに手を振ってこう言った。
「またね、テレジア。そのうち迎えに来るわ。それまで―――精々怯えていなさい」




