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第15話『勇者になった君と、君の隣に立てなかったぼく』

 ぼくが師匠に拾われて王都に来てから、一年が経とうとしていた。

 七歳になったぼくは、この一年で師匠から沢山の魔法を教わった。

 といっても魔法には魔術のように下位、中位、上位とその威力や規模、消費魔力ごとに区分けされているわけじゃないから、名前が定められているわけじゃない。師匠からの指導はどちらかというと、魔法の使い方よりは魔法の生み出し方に近かった。


 一年が経つ頃にはリーナとも随分打ち解けて、ぼくたちは親友になっていた。

 いつもの監視塔を下りて一緒に街を歩いて買い物することもあったし、互いに誕生日プレゼントを贈り合うこともあった。

 だけどリーナは、自分のことについて何も話そうとはしなかった。

 ぼくも過去のことを聞かれるのは嫌だったから、それもお互い様だと思って気にならなかったし、リーナもそれを受け入れているようだった。

 互いのことを何も知らないぼくたちは、果たして本当に親友と呼べるのだろうか。


「イヴ、ちょっとこっちに」

「えっ? ちょ、リーナ!?」


 街を歩いている最中、ふとリーナが足を止めた。

 ぼくの手を引いて路地裏へと入っていくリーナは、上着のフードを深く被り直して顔を隠し、路地に積まれた木箱に姿を隠す。


「リーナ、どうしたの?」

「しっ……ちょっと、声を抑えて」


 リーナは人差し指をぼくの唇に当てて口を塞ぐ。

 彼女の視線の先を一緒に見てみると、何やら慌ただしい様子の衛兵が何人かメインストリートを行き交っていた。


「衛兵、どうしてこんなところに……」

「見つかるとまずいの?」

「えぇ……ごめんなさいイヴ、今日は遊べないみたい」

「大丈夫、任せて」


 リーナが何やら深刻そうだったので、ぼくは魔法を使うことにした。

 可視化された魔力がリーナを包み込み、その姿を変えていく。

 認識阻害の変装魔法。対象の姿を別人に変える魔法で、この一年、ぼくはこれを使って何度も窮地を潜り抜けてきた。残念ながら、師匠には通用しなかったけど、それはつまり師匠以外には通用するってこと。

 周囲に魔力が霧散する頃には、リーナの姿は姉の、フィリアのものに変化していた。

 自分の記憶に強く残っている人物の姿が反映されるとはいえ、動く姉の姿を見るのは少し心臓に悪い。でも、リーナを助けるためだ、ここは我慢。


「イヴ、これは何をしたの?」

「他人から見たリーナの姿を変えたんだ。今のリーナは別人に見えるはずだよ」

「ほんと!? やっぱり魔法ってすごいわね!!」

「声は変えられないからあまり大声出さないでね」


 今度はぼくがリーナの手を引いて大通りに戻る。

 変装の魔法は問題なく効果を発揮しているようで、たとえフードを外して衛兵の傍を通り過ぎたとしても、彼らがリーナに気付くことはなかった。


「見つかったか?」

「いいや……そっちは?」

「こっちもだ。急がなくては、あの方の身に何かあれば大問題だ」


 衛兵たちの会話を軽く聞くと、なんだか大変そうだった。

 それと同時に、リーナがただの女の子じゃないことがなんとなく分かった。

 ぼくとは、住んでいる世界が違うんだ。

 だけど不安そうにぼくの袖をぎゅっと握るリーナはまるで少し前のぼくみたいで、ぼくが守らなきゃって気持ちにさせる。今のリーナは姉の姿だから少し複雑だったけど、なんだかいつも違って新鮮な体験だった。

 とその時、地面が大きく揺れた。

 前方から人々が雪崩のように押し寄せてくる。ぼくはリーナに手を引かれ狭い路地に入り込んで、人の波に押し流されるのをギリギリで回避した。

 耳を劈く悲鳴と、奇妙な地鳴り。世界に漂うマナが大きく乱れて、警鐘を鳴らす。


「サイクロプスだ!!」


 街に存在するはずのない魔物の名前に、逃げ惑う人々は更に混乱する。

 建物の壁を伝って屋根に上り、人々が押し寄せてくる方向を見ると、巨人が暴れていた。

 大人よりもはるかに大きく筋肉質な身体を持つ、一つ目の怪物。その手に持つ巨大な棍棒を振り回して、辺りの建物を破壊している。


「どうしてあんなのが……」

「闘技場から逃げ出したんだわ。何年かに一度あることだって、お父様が言ってた」

「マズいよリーナ、ぼくたちも逃げないと」

「イヴは逃げなさい。闘技場の個体は魔力に強い耐性がある。だからあれはしばらく続くわ」


 暴れる巨人を前にして、リーナは笑っていた。


「リーナはどうするの?」

「もちろん、あれを倒す。きっとこれは、私の試練よ」


 建物の屋根を伝いながら、リーナは人の流れに逆い、巨人に近付いていく。

 少し離れれば、変装魔法も効果を失う。一瞬だけ映った姉の姿は、既にリーナの背中に戻っていた。


「待ってよ、リーナ!!」


 リーナはぼくの、大切な友達だ。

 友達を置いて逃げ出すことなんてできなくて、ぼくもリーナの背中を追った。



 棍棒の一撃を受けた衛兵が、弾き飛ばされて壁に激突する。

 その場にいた衛兵では、一つ目の巨人に対応することはできず、街の被害は拡大するばかりだった。

 ぼくたちは少し距離を置いて、路地から様子を窺っていた。

 正直、里を襲った魔物に比べれば大したことはない。だけどぼくは一年ぶりの実戦に脚が震えていた。


「イヴもついてくることなかったのに」

「君が心配だったんだよ。一人であんなのと戦おうなんて何考えてんのさ」

「大丈夫よ。勝機はあるし、私はもう頭の中であいつを五回叩きのめしているわ」


 片手をめいっぱいに広げ、妙に自信ありげなリーナに呆れてため息を一つ。

 かくいうリーナも焦ってはいるようで、額に汗が滲んでいた。

 それもそうだ。リーナもまだ七歳の子供、いくら何でも魔物を相手にするには早すぎる。一撃を受ければ、身体が潰れて死―――そんな恐怖を感じずにいられる子供なんて、感情が死んでいる人間だけだ。


「さーて……イヴはそこで指を咥えて見てなさいっ!!」


 サイクロプスが背中を向けた瞬間を狙って、リーナが飛び出した。

 速い。身体強化の魔術でも使っているのか、リーナは普通の全力疾走を遥かに超える速度で一人の衛兵に近付き、彼の腰の剣を引き抜く。


「レイリーナ様!?」

「これ、借りるわっ」


 一言断りを入れて、リーナはサイクロプスに向け突進。

 振り下ろされる棍棒を軽やかなステップで回避し、踵を切りつける。

 が―――失敗。リーナの剣閃は見事に空を切って、「あれっ?」という素っ頓狂な声が張り詰めた空気に吸い込まれるようにして消える。


「やっぱりイメージ通りにはいかないわね」


 けど、それで立ち止まる彼女じゃない。サイクロプスの反撃を避けるため、リーナは懐に飛び込んだ。リーチの長い棍棒を振り回すのなら、あえて近付いた方がかえって安全、という魂胆らしい。

 実際、全長四、五メートルはあるサイクロプスからすれば、リーナは周辺を飛び回る蝶のようなものだ。大振りの棍棒では、高速で移動し、死角から的確に攻撃してくるリーナを捉えることはできない。


「やっ! はぁっ!! せぇぇぇええええええいッ!!」


 膝裏に一発、踵に一発、足先に一発。だけど子供の膂力で振るわれる剣の威力なんて大したことなくて、薄皮一枚切れるか程度。

 リーナは何度も、何度も、針で刺すような攻撃をサイクロプスに与えていた。

 自分がどれだけ弱くても、どれだけちっぽけでも、それでもリーナは決して諦めなかった。

 でも……彼女が人である以上、溜まった疲労は牙を剥く。


「しまっ!?」


 刃の角度が甘く、リーナの剣はついにサイクロプスの肌に弾かれた。

 体勢を大きく崩したリーナに、巨大な棍棒が振り上げられる。

 その時ぼくの脳裏に浮かんだのは姉の死の光景だった。

 大切なものを、これ以上失いたくない。気付けばぼくは飛び出して、単眼の巨人に右手を向けていた。

 お姉ちゃんの時は魔法がなかった。だからぼくは誰も守れなくて、失ってしまった。

 でも、今は違う。ぼくには、大切なものを守れるだけの力がある。魔法がある。

 失ってなるものか。リーナはぼくの、初めてできた友達なんだからっ!!


「イヴっ!?」


 氷の槍が、炎の矢が、風の刃が、土の塊が。

 リーナに見せた数々の魔法が、サイクロプスに向けて飛翔する。

 氷の槍は両膝を穿ち、炎の矢は単眼を射抜き、風の刃は踵を切り裂き、土の塊は上から圧し掛かる。


「オォォォオオオオオオオオオオオオオッ!!」


 声にならない叫び声を上げて片膝を突いた単眼の巨人は、最後の足掻きでリーナに棍棒を振り下ろす。

 だけどもう既に目は潰した。棍棒の軌道は―――リーナの脇に逸れる。

 衝撃波がリーナの白い髪を巻き上げる。黄金の瞳に光が灯り、剣が同じ輝きを放つ。

 リーナは地面に接触した棍棒に乗り、腕を駆け上がって跳躍する。


「はぁぁぁぁあああああああああああああああああっ!!」


 リーナの剣が、巨人の頭部を貫いた。

 真っ赤な血を噴き上げて、巨体が地面に倒れ伏す。

 ひょいと軽やかにサイクロプスの身体から飛び降りたリーナは、剣についた血を払って一つ息を吐いた。


「すごいじゃないイヴ! あなたがそんなに強いなんて、私びっくりしちゃったわ!!」

「……余計なことして、ごめん」

「余計なこと? いいえ違う、イヴが助けてくれなきゃ私死んでたわ。ありがとう、イヴは私の命の恩人ね!!」


 リーナに強く抱き締められて、ぼくは少し遅れてリーナを守れたんだと実感した。

 お姉ちゃんは守れなかったけど、お姉ちゃんがくれた力で、大切な友達を守れたんだ。


 なんて、一件落着で話が片付くはずがなくて。

 ぼくたちはすぐに、衛兵に取り囲まれた。

 なんでだろう。いや、原因は分かってる。多分、叱られるんだろうな。

 そう思っていたのに、衛兵たちの反応はむしろ真逆だった。


「レイリーナ様、よくぞご無事で」


 衛兵を取りまとめていた隊長らしき金髪の男性が、リーナの前で片膝をついて跪く。

 それに続くようにして、ぼくたちを取り囲んでいた衛兵も同じように屈んだ。

 住む世界が違うとは思っていたけど……もしかしてリーナって、本当にすごく偉い人なの。


「逃げるわよ」

「えっ、ちょっ!?」


 リーナはぼくの手を引いて、狭いの路地の中へと入っていく。

 大人の身体では狭すぎて、子供の全力疾走には追いつけない。反応の遅れた衛兵たちがみるみるうちに遠ざかっていくのが僅かに見えた。

 追手を撒いていつもの監視塔に戻ってくる頃には、空はすっかり夕焼けに染まっていた。


「んーっ、ここまで来れば安全ね」

「リーナ……あし、速いよ……」

「勇者になるんだもの、このくらいは当然よ」

「それは……本気で言ってたんだ……」

「本気よ。でなきゃあの魔物からも逃げていたでしょうし」

「どうして、そんなに勇者になりたいの?」


 リーナの話を聞いてから、ずっと疑問だったことを尋ねてみた。

 彼女が勇者に憧れる理由は何なんだろう。ただ壮大な冒険がしたいからとか、そんな単純な理由じゃない気がする。


「……私ね、お姫様なの」

「へ?」

「レイリーナ・ノクス・シルヴァリオ、それが私の本当の名前。私、この国の王女なのよ」


 リーナは少しだけ申し訳なさそうにそう言って、頬を掻きながら恥ずかしそうに笑った。

 住む世界が違うとは思っていたけど、そんな生温い話じゃなかった。

 ぼくとリーナは、決して交わることのない運命を互いに歩むはずの存在だった。

 それが何の因果出会ってしまい、友達になるに至ったなんて、随分と都合の良い物語だ。


「でも私、王女としての自分が嫌なのよ。どうせ王様になるのは継承権を持つお兄様だし、私は王族として欠陥品なの。自分を対象とした魔術以外が使えないのよ。ずっとお屋敷の中で守られて過ごしてきた」


 どうしてか、他人事のようには思えなかった。

 ぼくも魔法を使えない欠陥品として閉じ込められていた時期があったから、俯くリーナが何を考えているのか、なんとなく分かった気がした。


「だから、王女をやめる方法を探していたの」

「それが……勇者なの?」

「そう。最高の勇者になって、私がこの国を守るの。守られるだけじゃない、誰かを守れる、そんな自分になりたいのよ、私は」


 リーナはすごいな……ぼくと同じ歳なのに、もう立派な将来の目標があって。

 ただ何もせず生きているだけのぼくとは違う。自分が世界にどう影響を与えるか、子供なのにそこまで考えられるのは少ない。


「……今日のことで思い知った。私は、多分一人じゃ勇者になれないんだわ」

「そんなことないよ。リーナはきっと、最高の勇者になれるよ」

「サイクロプスに殺されそうになっていた私が最高の勇者なんてとんだ笑い話ね。でも一つだけ分かったことがある」


 リーナはぼくに右手を差し出して、自信に満ちた目をぼくに向けてこう言った。


「イヴ、私と一緒に勇者になりましょう!!」

「……はぁ!?」


 あまりにも急だったから、ぼくは声を上げて驚いた。いつになく大きな声だったと思う。


「私一人じゃあのサイクロプスには勝てなかった。私には、イヴが必要なのよ」

「いやいやいやいや、何言ってんの!? ぼくにはそんな、無理だよ!!」

「あら、どうして?」

「そんなのだって、ぼくにはこの国に、この世界に思い入れがない。守ろうなんて、思えない」

「じゃあもし、ここに世界を滅ぼす邪竜が現れて私を殺すってなったらあなたはどうする?」

「守る! リーナはぼくの大切な友達だ。だから、絶対に失いたくない!!」

「……なんだか私が言わせたのに恥ずかしいわね」


 頬を赤く染めて、リーナは俯いた。

 なんだろう、その反応をされるとこっちまで恥ずかしくなってくる。いや、よく考えてみればぼく、とっても恥ずかしいことを言ってしまったんじゃないだろうか。


「こほん。ならイヴは、私を守る勇者になりましょう」

「リーナを守る勇者……?」

「そう。私は皆を守る勇者になる。その夢はたとえ誰に何を言われても変わらないわ。だからイヴは、そんな私を守ってくれる?」

「……ひどいよリーナ。これじゃ嫌とは言えないじゃないか」

「あら、気付いちゃった?」


 リーナは悪戯な笑みを浮かべて、ぼくの右手を両手で握った。

 そして、互いの右手の小指を絡めて、指切りの形にする。


「二人で、最高の勇者になりましょう!」


 それはぼくが、リーナと交わした最初の約束だった。

 この二年後、九歳の誕生日にリーナは星剣ユスティアに選ばれて本物の勇者になる。

 リーナは……もうぼくに守られる必要もなかった。



 ◇ ◇ ◇



 王都中心街で号外が配られた。

 星剣ユスティアが千年の空白を経て主を定めたという事実は、瞬く間に王国中に広まっていった。

 それ以来、リーナは監視塔に来なくなった。

 どれだけ離れていても、ぼくたちはまだ友達かもしれない。

 だけどぼくは、君の隣に立つ存在から、勇者の背中を追っているだけのちっぽけな存在に変わってしまった。


「最近、あまり元気がないようだね」

「師匠……」


 屋敷の庭でぼーっと空を眺めていたぼくのもとに、師匠がやってきた。

 王都に来て三年。師匠から一通り魔法と、基本的な魔術は学ぶことができたけど、ぼくはまだ勇者に至る道の第一歩すら踏み出せていなかった。


「ねぇ師匠、どうやったら勇者になれるの?」

星神器ノーブルステラに認めてもらえばいいんだよ」


 師匠はそれがとても簡単なことだと言わんばかりに軽く言って見せた。

 それができれば、ぼくはこんなに悩むことはないんだよ。


星神器ノーブルステラは、千年前、勇者アルトリウスと共に魔王を倒した六人の英雄と、アルトリウス本人が所持していたとされる伝説の武器だ。千年間主のいなかった星剣せいけんユスティアを除き、

 星弓せいきゅうアポディリス

 星槍せいそうオルティス

 星盾せいじゅんゴーティス

 星斧せいふガルディアス

 星杖せいじょうリベリアス

 星槌せいついフィルガリス

 この六つのいずれかに、君は選ばれる必要がある」


 そう、それが勇者になるためのたった一つの条件。

 だけどそれが果てなく遠い道のりなのだ。


「特にイヴは、魔術や魔法以外は何の長所もない」

「ぐぇっ」

「大抵の武器は三回振るだけで筋肉痛になるし」

「うげっ」

「弓の扱いも下手くそだ」

「うぐっ」


 事実を連ねられると、改めて自分が才能のない人間だってことを思い知らされる。

 魔法や魔術以外は何をやってもダメダメなぼくに残された最後の可能性は、星杖リベリアス。

 だけど―――


「リベリアスは持ち主の容姿を特に気にする。キミは王都の子供の平均よりは可愛いが、あの子の好みではない」

「そんな理由で拒否されることあるの!?」

「あるさ。彼らにも意思があるのだから、当然だろう?」

「なんか納得できない……」


 とはいえこれで、ぼくが勇者になる望みはほぼ絶たれたといっても過言じゃない。

 分かってはいたけど、いざ現実を突きつけられると心に来るものがあるなぁ。


「ねぇ師匠。他にリーナの隣に立てる方法はないの?」

「ない」

「本当に?」

「ないね。少なくとも今のキミには無理だ」


 師匠にそう言われると、諦めるしかないのかもしれない。

 仕方ないか。だってリーナは、ぼくなんかじゃ届かない場所まで行ってしまったのだから。


「レイリーナは非常に優れた勇者だ。ユスティアが力を貸すのはアルトリウス以来だし、何よりあの若さで既に五体の大型魔獣を倒すなんて前代未聞だ。キミとは生きている次元が違うと言っていい」

「そんなの言われなくても分かってるよ」


 ぼくがどれだけ努力を重ねようと、リーナとの差は開くばかりだ。

 師匠がぼくに渡してきたのは、今朝方中心街で配られていた号外。そこには、「星剣の勇者レイリーナ、邪竜オルディネイアを討伐」と、リーナが南西の交易都市に襲来した大型魔獣を打ち倒したことが報じられていた。

 邪竜オルディネイア―――千年前から伝説に記されていた邪竜で、全長は百五十メートルにも及ぶとされている巨大な竜だ。それを一人で倒してしまうのだから、リーナは本当にすごい。

 サイクロプスに苦戦していたリーナはもういない。それが何だか、とても寂しかった。

 リーナはもう、ぼくに守られる必要なんてないんだ。



 ◇ ◇ ◇



 一年後、運命の日がやってきた。

 星来せいらい暦一〇〇〇年。

 ミストリア王国、建国千年を記念する式典が開催され、王国中から有力貴族が王都に集結するこの日、国の命運は大きく動き、世界は新たな英雄を求めるようになる。

 だけど、未来が見えるわけじゃないぼくはそんなこと知らない。もちろん師匠だって、リーナだって、国王様だって何も知らない。何も知らないけど、この日、本当に全て終わってしまうんだ。


 その日は、師匠が朝から忙しそうにしていた。

 それもそうだ。師匠は王国でもかなりの重要人物。

 魔導師団をまとめる大魔導師という立場にあるため、式典の警備で大忙し。

 リツさんもカナメさんも、一年前から王国魔導師団に所属しているので式典警備。

 ぼくは子供なので、式典が終わるまで屋敷の中にいるか、お祭りムードの中心街で暇を潰すかのどちらか。あまりに退屈だったから、リーナと初めて出会った王都外壁の監視塔に上っていた。


 時が動いたのは、正午を回った辺りだった。


「……なんだろう、あれ」


 王都の外壁から大体五百メートルくらいの遠方から、無数の人影が迫ってくるのが見えた。

 それは……人ではあるけど、既に人ではない魔物。ゾンビやスケルトン、リッチといった複数のアンデッドで構成された大群だった。

 なんでこんなところに魔物が……そう考えている隙に、ぼくの視界の端を小さな影が通り抜けた。

 師匠だ―――飛行魔法を使って空を飛んでいた師匠は、紅い炎の壁で王都の外の化け物たちを一瞬にして一掃する。

 やっぱり師匠は強い。師匠が戦うところはあまり見ることができなかったから、とても珍しい光景だった。それと同時に、あれを継ぐなんて無茶にも程があると強く実感した。


 順調に事が進んだのは、それまでだった。


 突然湧いた黒い雲が、上空に立ち込めて青空を覆い隠す。

 その雲から降り注いだ黒い雨が人々に触れた瞬間、世界は地獄へと一変した。

 人間を包み、燃え盛る黒い炎がいくつも、いくつも燃え上がる。

 悲鳴が聞こえる。監視塔の上にまで届く人々の悲鳴が、ぼくの忘れかけていた記憶を呼び起こす。

 塔の階段を駆け下りて中心街に戻る。

 異様な光景が広がっていた。

 燃え盛る人々、雨に打たれて平気な人々、そして……黒い炎から這い出る巨大な魔物。

 大きな翼を広げ、鋭利な爪を持つ悪魔が咆哮する。

 それに続くようにして、王都の各地から同じような声が聞こえてくる。

 考えている暇はなかった。ぼくは近くに出現した魔物の頭部に氷の槍を放ち、ひとまず雨に濡れても平気な人たちを半球状の氷の壁で囲った。周辺に悪魔が出現したのなら、どこに逃げても結果は同じ、だから一度安全地帯を作って隔離する。


「外は危ないから、一旦ここにいて!!」


 顔を恐怖に歪めた人々が、ぼくの声に何度も頷いた。

 やってやるさ。ぼくにだって、リーナを守れるだけの力があるんだから。



 何体、悪魔を倒しただろう。

 倒しても倒しても無数に湧き出る魔物が、街を蹂躙する。

 魔力もかなり消耗して、歩くだけでもしんどい。ぼくは小柄でスタミナもないから、少し走っただけですぐ息が切れる。

 だけど、ひとまず周囲は片付けた。黒い炎を消せれば、悪魔の出現は止められる。

 助けた人たちを避難させよう。今なら、王都の外に出られるはず―――

 半球状の氷の壁に戻ってきたぼくが見たのは、全滅した人々の遺体の数々だった。

 穴はなかったはずなのに、壁の中に出現した悪魔が人々を殺し、貪っている。

 どうして……なんで……。

 違う、雨に打たれて平気だったんじゃない。ただ、燃えるまで時間があっただけに過ぎなかったんだ。


「あ、あぁ……なん、で……っ」


 身体の力が抜けて、その場に膝を突いた。

 ぼくは……弱い。

 リーナなら多分一点に留めたりせず、皆を連れて王都の外を目指していたはずだ。

 邪魔する魔物は斬りながら、一人一人救いながら、皆を助けていたはずだ。

 でも、ぼくにはそんな力はなかった。ぼくには誰かを守ることは……できない。

 氷の壁を破壊した悪魔が、ぼくの前に立ち塞がる。

 鋭利な爪を大きく振り上げ、ぼくの命を刈り取ろうとする。

 だけど―――それがぼくを捉えることはなかった。


「イヴっ!!」


 黄金の剣が、一撃で悪魔を両断する。

 ぼくの目に飛び込んできたのは、あの子の、リーナの背中だった


「久しぶり。助けに来たわ」


 リーナは振り返って、何も変わらない笑顔をぼくに向ける。

 あぁ……そうか。ぼくはもう、君の背中を追うことすら許されないんだ。

 君に守られるだけの、弱い人間なんだ。



 燃え盛る街を、リーナに手を引かれて必死に走っていた。

 顔を上げれば、王都の外壁に届くほどの巨大な魔物が街を破壊して、翼の生えた魔物が上空から黒い炎を吐き、人々を生きたまま焼き尽くす。

 黒い雨はいつの間にか止んでいて、人々の悲鳴も数を減らしていた。

 逃げ惑う人々、煌々と立ち上る炎、阿鼻叫喚の地獄絵図。そんな残酷な世界から遠ざかろうと、ぼくたちは必死に足を動かす。

 ふと、地面に広がった血だまりで足を滑らせてしまった。


「痛っ!?」

「イヴっ!!」


 盛大に転んだぼくに襲いかかる赤い悪魔を、リーナが星剣の一振りで切り裂く。

 守られてばかりだった。やっぱり、ぼくを助けてくれるのはいつもリーナだった。

 ぼくは彼女に隠れてばかり、だから、いつも彼女の背中を追いかけることしかできない。守るって決めたのに、二人で最高の勇者になろうって約束したのに、それを守れないぼくが不甲斐なかった。


「こっちよ、走って!」


 だけどリーナはそんなぼくに失望することなく、突き放すことなく、手を引っ張って一緒に走る。

 白く透き通った髪が煤に汚れようと、綺麗な肌が泥に塗れようと、リーナはぼくの手を決して離さない。

 強いリーナに憧れていた。ううん、違う、甘えていたんだ。

 ぼくは弱いから、弱くてちっぽけだから。

 だから、君を守ることすらできない。君を追いかけることしかできない。君を裏切ることしかできない。


「イヴ! 危ない……っ!!」


 不意の出来事だった。

 路地を駆け抜け、リーナと、その家族だけが知っている秘密の地下通路へと向かっていた矢先、建物の角に待ち構えていたように魔物が立っていた。

 突然のことで反応が遅れたぼくは、リーナに路地の奥へと突き飛ばされた。

 次の瞬間、彼女の小さな身体が宙を舞っていた。

 石畳に叩きつけられ、ボールのように跳ね転がった身体は壁にぶつかって止まる。

 ぐしゃり―――人体が潰れる、嫌な音がした。

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