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第12話『里帰り』

 車窓から見えるプラネスタがどんどんと遠ざかっていく。

 大陸の半分を占める王国の広大な国土の中で、都市から都市を繋ぐ魔導列車は移動の要だ。

 ぼくも乗車するのはこれが三回目ほど。四人がけボックス席の反対側に座るセナは景色に夢中で、窓に顔を張りつけていた。

 とはいっても、広大な平原の中央に位置するプラネスタを出発してまだ数分、代わり映えのしない景色が続くばかりで、何が面白いのがさっぱり分からない。


「イヴ、見てください! 街の外壁があんなに遠くにあります!!」

「あーはいはい、そうだねぇ」


 適当に返事をして、両手で抱えた小さな壺に視線を落とす。


「もうすぐでゆっくりできるからね、師匠」


 これは師匠の、アリシア・イグナの骨が詰められた骨壷だ。

 師匠は国を焼いた大罪人なので、表立って墓を作り、埋葬することはできない。だからせめて人目のつかない森の奥、ぼくの故郷に彼女のお墓を作らせて欲しいとリツ先生にお願いしたところ、「勝手にしろ」と言われた。

 なので、勝手にすることにした。

 こうして列車乗っているのは軽い里帰りのようなもの。何故かセナがついてきたけど、暇なのかな、暇なんだろうな。


「今から行くイヴの故郷って、どんなところなんですか?」

「一年中雪が降っててめちゃくちゃ寒い」

「シベリアみたいなものですね。あ、防寒着忘れました」

「知らずに着いてきたのか……てかシベリアって何」


 だと思って、セナの分も用意して正解だった。

 大きな鞄の中から黒いコートを取り出して渡すと、セナは笑顔でそれを受け取る。


「すんすん、なんかちょっと臭います」

「ぼくのじゃサイズ合わないだろうから、先生の借りてきた」

「あぁ……道理で。イヴ、臭いを消す魔法とかありますか?」

「そんなくだらないことで魔法に頼らないで」

「じゃあ別にいらないです、寒さくらい我慢します」


 セナは先生のコートを畳んでぼくに突き返した。リツ先生、ドンマイ。

 とはいえ確かにちょっと臭う。洗濯しても消しきれない血なまぐささは、先生が教師になる前に染み付いたものだろう。


「じゃあ、サイズがちょっと小さいかもしれないけど、ぼくの使いなよ」

「イヴはどうするんですか?」

「寒いのには慣れっこだから。子供の頃はシャツ一枚で過ごしてたくらいだし」

「なら一緒に着ましょう! 二人羽織ってやつです!!」

「逆に暑苦しいよね!?」


 ため息をひとつ吐いて、自分のコートをセナに渡す。寒いのには慣れっことは言ったけど、ぼくだって寒さには慣れたくなかった。


「すんすん……イヴの匂いがします」

「そりゃぼくが普段着てるやつだし」


 つか嗅ぐなよ、恥ずかしいだろ。


「私、この匂い好きです」

「……やっぱり没収」

「ダメです! これは私のものです!!」

「ぼくのものなんだけど!?」


 セナはぼくのコートに顔を埋めながら大事そうに抱える。どれだけ引っ張っても奪い取れる気がしないので仕方ない、諦めよう。

 列車はプラネスタを離れ、北の山脈に向けて加速する。

 久しぶりの里帰りは、いつもと違って少し騒がしくなりそうだった。



 ◇ ◇ ◇



 ミストリア王国北西、セントリアル大森林。

 危険度の高い魔物が生息している禁域の更に奥には、かつて魔法使いの里が存在していた。


 雪が積もった枯れた森を、セナと二人で歩く。

 しばらく進めば不自然なほど何も無い空間が姿を見せる。ぼくが空中に手を翳すと、隠蔽魔術が解除されて人の気配がない廃れた集落が目の前に現れる。


「ここが、イヴの故郷……」

「もう住んでる人はいないけどね」

「どうしてですか?」

「……魔物の襲撃で崩壊したんだ。ぼくはたった一人生き残って、後から来た師匠に拾われた」

「すみません、つらいことを思い出させてしまって」

「ううん、大丈夫。特に思い入れも……いや少しだけあったかなぁ」


 里の入口から更に奥へ進み、一際大きな住居の残骸の前で足を止める。


「ここがぼくの家」

「木が腐らずそのままで、崩れたばかりに見えます」

「師匠の魔法で、建物自体の時間を止めているんだ。これ以上腐らないし、崩れない。だからこの辺はあの日のままなんだよ。ついてきて」


 セナを連れて、建物の裏手に向かう。

 そこにあったのは、あの日と変わらない地下への階段と、小さく積まれた墓石代わりの小石。


「……イヴ、この階段は地下倉庫か何かですか?」

「ぼくの部屋」

「えっ……」


 セナは両手で口を押えて目を見開いた。

 そりゃ驚くよね。初めから皆が地下で暮らしているならともかく、ぼく一人、まるで人々の目から隠すように地下にいたとなれば、どんな境遇にあったのか想像は容易だ。心優しいセナには衝撃だろう。

 ぼくは右の前髪を手で掻き分け、ピンで留めて右目をセナに見せる。

 彼女の目には、ぼくの両目が左右異なる色に見えているだろう。


「イヴ、その目は……?」

「魔法が使える人特有の目、皆は魔眼って呼んでた」


 魔眼……それは、魔法の才能を持つ者の特徴。

 宝石のように、夜空に煌めく無数の星々のように小さな輝きを瞳の中に幾つも内包したそれは、他者には異様なものに見える。


「本当は両目がこうなるんだけどね、ぼくは片目だけだった。だからだろうね、異物扱いを受けて、ずっと地下で暮らしてた」

「そんな……ひどい……」


 ひどいかな。うん、確かにひどいね。


「皆恐れてたんだ。自分たちとは違う存在が平穏を乱してしまうのが。だから見ないようにして地下に閉じ込めた。その気持ちは何となく理解できるんだ」

「でもそれは、分かろうとしなかっただけです。理解を放棄して排除するなんて、そんなのイヴがあんまりですよ」

「だけど恨んだところで死人は生き返らないし、憎む相手ももういないじゃん。だから割り切るしかないんだよ、こういうのは」


 近くの街で買ったスコップを使って、セナがその辺の土を掘り起こす。

 白かった雪が土と混ざって僅かに黒く染まる。大体三十センチほどの深さの穴を掘った後、師匠の骨壷を穴の中にそっと置いた。


「ところでずっと疑問だったんですけど、この国ってどうしてお墓は西洋風なのに火葬するのでしょうか」

「セイヨウフウ……ってのは分からないけど、大きな街ならともかく、こういう場所だと土葬したら魔物が死体を掘り起こして大変なことになるからね」

「なるほど……確かにその通りですね。よし、穴埋め完了です!」


 掘った穴に土を被せ終えたセナは、額の汗を拭いながら白い息を吐く。

 ぼくはその間にその辺から手頃な大きさの石を持ってきて、白く染まり始めた土に突き刺す。


「うーん……このままだとちょっと不格好ですよね」

「しっかりした墓石は用意できなかったからね。それに、あまり表立ってお墓を残すこともできないし、仕方ないんだ」


 そもそも、墓を用意すること自体他者に咎められてもおかしくない。

 誰の目にもつかないこの場所だからこそ、無許可で作ってヨシと言われたのだから、多少不格好なのは妥協するしかない。


「……たとえ国を焼いた大罪人でも、あの人は私のお母さんです」


 セナは師匠の墓の前で屈んで、両手を合わせて目を瞑った。

 どこの作法なんだろう。よく分からないけど、ぼくも隣に立って同じようにしてみる。


「お母さん。私、絶対にお母さんの望む勇者になります」


 誰が聞くわけでもないその誓いの言葉は、師匠に届いただろうか。

 死後の世界なんてものが存在するかは分からない。存在したとしても、多くの無辜の民を殺した師匠の魂が救われることはもうないのだろう。だとしても、いつかぼくたちがこの命を終えて再会するその日まで、胸を張って立派に生きたといえるだけの人生を二人で歩んでいきたい、そう思えた。


「……師匠はさ。家族を魔物に殺されて一人ぼっちだったぼくを拾ってくれたんだ」

「その頃からお母さんは優しかったんですね」

「優しかった……まぁ、そうだね、子供を『半端者』と罵って地下に閉じ込めることを仕方のないことだと受け入れる両親よりは余程マシ。でもぼくは、一度だって師匠を親と思うことはできなかった」


 今でも、目を瞑ればあの日の光景が瞼の裏に浮かぶ。

 白い雪を染める赤い血に塗れた家族の身体、一面の氷の世界、それを溶かし歩く一人の女性。師匠は一人生き残ったぼくに手を差し伸べて、「おいで」と優しく語りかけてくれた。


「ぼくにとって師匠は、生きる術を与えてくれた恩人だったから。両親から『使っちゃダメだ』と念を押されていた魔法を制御する方法を教えてくれて、ぼくに力をくれた。でも師匠は、親として見るにはあまりにダメダメだったよ。一人じゃ洗濯も掃除もできないし、とにかくズボラ。いつもリツ先生に叱られてて、ぼくは呆れてため息をついてばかりだった」


 でも今思えば、それも演技だったのかもしれない。

 ぼくはあの人のことを、何一つ知らなかったんだから。


「リツ先生って……イヴとどういう関係なんですか?」

「どうって……セナからはどう見える?」

「うーん……元カレ?」

「意味は分からないけどすっごく不名誉な気がする」

「ごめんなさいふざけました。そうですね、安直に行くなら兄弟子ってところでしょうか」

「同じ師匠を持つ者って考えると、そうなるのかな」


 でも、リツ先生はぼくと違って魔法が使えない。師匠から一体何を教わっていたのだろう。

 まぁいいか、考えたところであの人は答え合わせをさせてくれないだろうし。


「実はまだ、師匠に教わってないこと沢山あるんだ。だから、次会えたら一度ぶん殴って、教えてもらおうと、思ってたんだけど……」


 寒さのせいか、声が震えてきた。

 いいや違う、頬を伝う涙が、「これは寒さのせいじゃない」と言っている。

 今も、あの時の光景を思い出す。

 先生の拳銃の重さ、金属の冷たさ、指をかけた引き金の重み、強烈な火薬の臭い。

 そして、穏やかに笑う師匠の最期の顔。


「終わらせてしまったんだ、ぼくが、この手で……」


 ぼくの人生には、大切な誰かの死がずっと隣を歩いてきた。

 故郷の家族、リーナ、そして師匠。ぼくがずっと一緒にいたいと願う人ほど簡単にぼくの両手から零れ落ちていく。


「ごめんね……師匠。ごめんね……」


 あぁ、やってしまった。

 泣かないようにしようと気を付けていたのに、溢れる涙がそれを許さない。

 そうだよ、ぼくが死なせてしまったんだ。この手で、殺してしまったんだ。

 こみ上げる吐き気をなんとか堪えて、一つ息を吐く。


「どうして……大切な人ほどいなくなっちゃうんだろう」


 その小さな呟きが聞かれていて、ぼくはセナに強く抱き締められた。


「大丈夫です、イヴ。私はどこに行きません、ずっとあなたの傍にいます」

「……うん、ありがと、セナ。あと近い、離れて」

「ひどい! 私すごく良いこと言った気がするんですけど!!」

「なんかセリフが安っぽい」

「本心なのにぃ……」


 肩を落とすセナがなんだか面白くて、思わず笑みがこぼれる。

 おかげさまで涙も止まって、心も落ち着いた。

 立ち上がって、師匠の墓と向き合う。


「へくちっ」

「そろそろ戻ろうか」

「ずびび、はい、すみません……」


 あまりの寒さにセナが鼻水を垂らし始めたので、ぼくたちはここを立ち去ることにした。

 次に来るのがいつになるかは分からないけど、その時も元気で「すごいことを成し遂げた」と大手を振って報告できるように頑張ろう。



 そう、思っていたのだけど―――

 帰り際、ぼくたちは一人の女性と擦れ違った。


「こんにちは!」

「うわっ、びっくりしたぁ。元気だねぇ、帰り道も魔物に気を付けて」

「はい、ありがとうございます!!」


 こんなところで珍しいなと思ってセナが挨拶するのをただ見ていたけど、冷静に考えてみれば、なんでこんな場所に人がいるんだ。


「あ、ちょっとまっ―――」


 振り返って呼び止めようとすると、彼女は姿を消していた。

 降り積もる雪に刻まれた足跡もなかった。

 まるでそこに「最初からいなかった」ような違和感。それに、一瞬だけ見えた、自分によく似た顔。

 どこかで見たかと思い記憶を辿れば、案外すぐに答えが見つかった。

 ―――お姉ちゃんだ。


「……イヴ?」

「なんで……お姉ちゃんが、ここに……」

「え、お姉ちゃん?」


 そんなわけがない。

 だってお姉ちゃんは……ぼくの姉、フィリア・グレイシアは十年前、魔物に襲われて死んだはず。ぼくと師匠で遺体を埋葬したし、燃えて骨になったのをこの目で確認した。

 なんで……どうして……。


「気のせい……だよね」


 そうだ、気のせいだ。だって死人がこんなところにいるわけない。ぼくもセナも幻覚を見ていたにすぎない。というか、他人の挨拶したセナの姿すら、ぼくが見ていた幻覚なのかもしれない。

 そうだよ、疲れているんだ。ここずっと疲れっぱなしだったから、気付かないうちに疲労が溜まって存在しない幻覚が見えてしまっただけなんだ。

 きっとそうだ……そうに違いない。


「イヴ、大丈夫ですか?」

「あぁ、うん、大丈夫、へーきへーき」


 ゆっくりと深呼吸して、平常心を取り戻す。

 もう一度振り返る。ぼくたちのもの以外に足跡はない。

 うん、そうだ、大丈夫だ、ただ疲れていただけだ。




 思考が回らなかった。

 車窓から見える景色は山の中を越えて、プラネスタがある平原に戻ってくる。

 セナは来た時と同じように感嘆の声を漏らしながら窓の外に夢中になっていた。

 あれは一体なんだったんだろう。

 いるはずのない死者との再会。死者の蘇生なんて魔法ですら不可能な奇跡だ。実際目の前に死体から蘇ったセナがいるとはいえ、そんなレアケースがそうポンポン見つかるわけない。


「ごめんセナ、少し寝る……」

「分かりました、街に着いたら起こします」

「うん……よろしく」


 考えても答えは出ないし、連日の魔力切れで疲れも溜まっていたから、重い瞼に逆らえず目を閉じる。

 もうほとんど気絶に近いほど、意識は急に深く沈んでいった。


「おやすみなさい、イヴ」


 頭の中に直接響くようなセナの声。

 額に柔らかくて温かいものが当たる感触がしたけど、よく覚えてない。

 ぼくは抗い難い眠気に身を任せ、意識を闇の中に閉ざした。

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