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第11話『君とはじめる物語』

 胸の中心を貫いたユスティアが引き抜かれ、師匠はその場で膝から崩れ落ちる。

 左手に握られていた黒い剣は魔力の残滓となって崩壊し、後からも残らず消滅。

 真紅に染まったユスティアの血を払い、セナがひとつ息を吐く。

 それを境に、緊張が解けて全身から力が抜けていきそうになった。


「っとと……お疲れさまでした、イヴ」

「勝った……んだよね……」


 ふらりと倒れたぼくを、セナが受け止め軽く持ち上げる。

 魔力はもう殆ど残っていない。船に酔った時のように視界が揺れる。


「イヴせんぱいっ!!」

「おわっ!?」

「先輩が最強すぎてボクもう更に大好きになっちゃいました!!」

「あぁ、うん、ありがとう……?」


 セナに支えられながら立ち上がったぼくは、勢いよくシオンに抱き着かれて再び地面に倒れ込んだ。

 ごめんシオン、重い、めちゃくちゃ重い。


「お疲れ様、イヴ。さ、私の手を」

「ありがとう、アルミリア」


 差し出されたアルミリアの手を取って、もう一回立ち上がる。

 顔を上げれば、燃え広がっていた黒い炎はすっかりと消滅していて、空に満ちていた黒い雲は、切れ間から青空を覗かせていた。


「ま、何はともあれ一件落着ってとこっすかね。先輩、怪我はないっすか?」

「全身傷だらけ。でもみんなに比べればこのくらい大したことないよ」

「ならよかったっす」


 師匠との魔法戦でボロボロのぼくを見て、心配そうにするクロエ。

 頬を掻きながら返すと、彼女はニカッと笑い返してくれた。

 テレジアは……何故かじっと黙っていた。


「イヴ・グレイシア」

「は、はいっ」


 いつものように恨み言を吐かれるかと身構えていたけど、どうやら今のテレジアにそんな気力は残っていないようで、ただこちらを睨みつけるばかり。一体何が不満なのかと直接訪ねてみようと思ったけど、ぼくよりも先に彼女が声を発する。


「……一つ、撤回します。あなたは卑怯者ではない。それだけですわ」


 そう言い残して、テレジアはその場を去―――れなかった。


「うい~、お疲れぇ、お前ら。無事全員生きてるなぁ」


 いつものように気だるげな先生が、髪を掻いて欠伸をしながらやってくる。

 白を基調とした王国魔導師の礼装とは真逆の、黒のコートを羽織りながら。

 それは先生が、かつて教師になる前の正装だという。先生は今も、大切な仕事の時はそれを持ち出すようにしているから、彼は今、いつもの大雑把なリツ先生ではなかった。


 先生の到着を待っていたと言わんばかりに、仰向けに倒れ伏していた師匠が上体を起こす。

 胸の中心を星剣で貫かれた師匠の身体は、ゆっくりと回復を始めていた。不老不死とはいえ心臓を潰せば死ぬ、そんなことはないらしい。


「やぁ、キミも会いにきてくれたのかい、リツ」

「テメェにトドメ刺しに来ただけだ、アリシア。二度と顔は見たくなかったよ」


 先生は腰のホルスターから一丁の拳銃を引き抜いて、銃口を師匠に向けた。

 魔導金属製の弾丸が六発装填されたリボルバー拳銃。先生の、仕事道具。

 先生は師匠の命を絶ちに来たのだと一瞬で理解した。だからぼくは、先生と師匠の間に割り込んで、拳銃に手を置いた。


「待って先生、何をする気なの?」

「トドメ刺しに来たつったろ。退け、お前も撃つぞ」

「ならその銃貸して、ぼくがやる」

「正気かお前、どういう意味か分かってんのか?」

「分かってるよ。分かってるからこそ、これはぼくが片付けるべき問題なんだ」


 先生はしばらく考え、一つため息をついた後、弾丸に自らの魔力を込めてハンマーを起こし、ぼくが差し出した手の上に置いた。

 冷たい金属の感触が手に伝わる。初めて握る拳銃がひどく重く感じた。


「……どうして、こんなことしたの」


 ぼくは師匠の傍に近寄って、銃口を向けずに尋ねた。

 ぼくには、師匠が世界を滅ぼそうとしたなんて到底思えなかった。恨んだことはあった、憎んだこともあった、だけど師匠はぼくを助けてくれた頃から何一つ変わらない、そう思えた。


「新しい勇者を作りたかった。灰都の火で失ってしまった、レイリーナに代わるユスティアの担い手を育てたかった。そのために、私は世界の試練となることにした」


 淡々と、師匠が語り始めた。

 王都を焼いた焔の魔女の行動理由を、ぼくたちは静かに聞くことにした。


「灰都の火は、私が意図して熾したものじゃない。あの日、私は六人の勇者と共に式典の裏で骸の魔女と対峙していた。彼女が操る不死アンデッドの軍勢を退けるために魔法を使った。その時の暴走が、国を焼いてしまった。私はその時から国の敵になってしまった」


 骸の魔女―――初めて聞く魔女の名前が、師匠の口から語られた。


「レイリーナは、私の求めていた理想の勇者だった。イヴと共に彼女の遺体を見つけた私は、せめて灰にならないようにと、イヴをリツに預け、街の外へと向かった。その時、私は魔法でも起こすことのできない奇跡に出会ってしまったんだ」


 師匠は微笑みながらセナに視線を向けた。

 小さな可能性が脳裏を過る。だけどそれは、ぼくがその都度首を振って否定して、考えないようにしていたものだった。


「レイリーナの遺体が、意識を取り戻した。だが、人格が大きく変化していて、記憶も残されていないようだった。

 私はその子に、『セナ・アステリオ』と名付けた。古代魔法の言葉で『希望の星』という意味だ」

「ちょっと、待ってよ……」


 脳みそを直接、鈍器で横殴りにされたような衝撃に襲われた。

 ずっと違和感はあった。白い髪、黄金の瞳、容姿だけなら他人の空似で片付くかもしれないけど、セナにはユスティアがあった。リーナの時とは異なり鞘に納められていたから最初は気付かなかったけど、それでも、どこか似た雰囲気をぼくは感じていた。

 そりゃ似ているよ。だって、同一人物なんだから。


「セナは、何故か勇者にとても拘っていた。だから私はこの五年間、セナを新たな勇者にするために行動していた。

 まず戦う術を与えた。セナは魔術が使える身体ではなかったから、剣の扱いを教えた。私がアルトリウスから直接学んだ実戦的なものだ。五年間の旅で、彼女は大きく成長した」


 師匠は、罪を償うつもりだった。

 だから自らが世界の敵となることで、新たな勇者を生み出そうとしていた。

 焔の魔女をいつか打ち倒す、最高の勇者を育てていた。セナの意志はどうだったのかは分からない。だけど多分、セナは師匠が望む勇者に近付いていたんだろう。


「いつか私を討たせようと心に決めていた。だから私がセナの魔王になることにした。彼女と別れ、様々な試練を与え、そして……今日、セナは私の望む勇者になった」


 様々な試練……今思えば、セナと最初に出会った日の魔人も、転移事故もこのために仕組まれたものに思える。名も知らない無辜の民を守り、名と人となりを知る友の盾となり、世界を救う。セナが歩む英雄譚の第一歩には確かに相応しい始まり方だ。

 だけど……解せない。分からない。


「そんなこと、セナが望んでると思うの?」

「望んでるわけないじゃないですか!!」


 師匠の両肩を掴み、セナは大粒の涙を目に浮かべながら泣き叫んだ。


「確かに、お母さんが焔の魔女であることを隠していたのは腹が立ちましたし、恨みましたし、憎みました。だけど……それでも私にとっては、この世界にやってきて右も左も分からなかった私を導いてくれたたった一人の恩人なんです!」


 肩を掴む手に力を込めながら、セナが俯く。

 セナにも受け止めきれない真実だったと思う。いきなり自分の身体が誰かのものだと言われても納得はできないだろうし、セナの性格なら、きっと本当の持ち主への申し訳なさで潰れてしまいそうだ。


「なのに、それなのに、子が親を失うのがどれだけつらいかあなたは分からない! 分からないからそんなことが言えるんです!! ふざけないでください。あんな想い、もう二度としたくなかった!!」


 ズキリと、心が痛む。

 分かるよ、セナ。つらいよね。全身が引き裂かれてしまいそうな苦しみと、生きることすらできなさそうな喪失感、思い描いていた未来が潰えるあの感覚は、誰だって何度も経験したくないことだ。

 だけどぼくたちは、それを乗り越えなければいけないんだ。


「……ごめんね、セナ」

「なんで、謝るんですか……」

「私は自分の目的のためにキミの人生を捻じ曲げた悪い魔女だ。だから最期に一言、キミに謝りたくてね」

「お母さんのそんな弱い姿見たくありません。悪い魔女なら、悪いまま最後まで貫いてください」


 セナは涙を拭って、師匠に真っ直ぐな視線を向けた。


「最後まで、私の魔王でいてください」


 勇者に泣き顔はいらない。

 セナのその表情は、その程度の試練軽く乗り越えてやるとでも言いたげな決意を感じられた。


「……ははっ、そうだね、私は悪い魔女で、キミの魔王だ」

「セナ、そろそろ」

「はい、分かりました。イヴ、あとはお願いします」


 深く頭を下げて、セナは皆を連れてその場を離れる。

 残ったのはぼくだけになった。

 ぼくは右手に握った拳銃の銃口を師匠に向ける。

 彼女がセナ・アステリオという勇者のための魔王なら、最後には倒されなければいけない。

 それに、師匠は国を焼いた大罪人だ。ここで見逃すわけにはいかないから、これは仕方がない。

 そう……仕方ないんだ。


「手が震えているよ、イヴ」

「うるさい」

「私は人間じゃない。不老不死の魔女、化け物だ。魔物を討伐するのはキミたち魔導師の使命。だから、何も躊躇うことはない」

「うるさいっ!」

「力を抜いて、しっかりと狙うんだ。キミの前にいるのは、国を焼いた魔女だよ」


 師匠は銃身を掴んで、自分の額に銃口を当てる。

 どれだけ力を入れても狙いを逸らすことができない。しっかりと固定された銃身がカタカタと震えるだけで、師匠はぼくを真っ直ぐ睨み「早くしてくれ」と催促する。

 分かっているよ。ここで師匠を倒すことで、ぼくの罪は償われる。国を焼いた魔女の娘が、その魔女を倒したとなれば、ぼくへの偏見は一気に解消されるはずだ。

 だけど……親殺しをそんな簡単に行えるほど、ぼくは人の心を捨てていない。


「最後に一つだけ聞かせて」

「いいよ」

「骸の魔女って、何なの」

「……骸の魔女は、千年前、勇者パーティーを崩壊させた魔女。私たちが倒すことのできなかった本当の悪しき魔女であり、キミたち、新たな勇者が倒すべき真の敵」

「分かった、必ず倒すよ。だから師匠はちょっと休んでて」

「言われなくてもそうするよ」


 ぼくは涙を拭って、出来る限りの笑みを師匠に向けた。

 多分それはとても歪だったと思う。ぐしゃぐしゃに腫れた目と歪んだ口元が、とてもじゃないけど笑顔には見えなかったと思う。

 だけどせめて、最期は笑顔で。泣きじゃくる弟子に介錯されるのは、師匠も不本意じゃないだろうから。


「……今までありがとう、お母さん」


 ただの一度も、師匠を母と呼んだことはなかった。

 ぼくにとってアリシア・イグナは魔法の師匠だ。育ての親と娘という関係ではあったけど、ぼくは一度だって師匠を母親と見ることができなかった。

 この、最期の瞬間以外は。

 撃鉄が下ろされ、銃声が辺りに轟いた。

 師匠は穏やかな笑みを浮かべたまま、永久に覚めることのない眠りについた。



 ◇ ◇ ◇



「ばっかじゃないのあんた!!」


 翌日の朝、リツ先生の執務室に、カナメさんの怒号が響き渡る。

 彼の書類仕事を手伝うために集中していたぼくは、その声に驚いて少し飛び跳ねた。


「学生をディメナ・レガリアと戦わせるなんて何考えてんの!? 大人でしょ! 教師でしょ! あんたが命張って守るべき学生を危険にさらして、それでも教師かこのバカリツ!!」

「いたいっ、いたいってカナちゃん殴るのやめて。でも誰も死ななかった、そうだろ? 結果オーライだよ」

「結果オーライって言葉大好きねあんた……ったく、これもあんたとアリシア・イグナが仕組んだことなわけ?」

「さて、どうだろうね?」


 呆れてため息をついたカナメさんに、リツ先生は不敵に笑って返す。

 リツ先生に振り回されるカナメさんの構図はいつものことだ。とはいえ、カナメさんの説教内容はどこをどう切り取っても首を縦に振るしかない至極真っ当なもので、先生のダメな大人感が強調されるだけだ。


「……でもあんた、あんな街中でユスティアの光を見せてよかったの?」

「そりゃよくねぇな。『勇者レイリーナの再来』なんて号外も出てるわけだし、少なくとも、リヒテンベルクとアストライアはよく思わねぇだろうよ」


 プラネスタを救った黄金の光。

 それは灰都の火にて死亡した勇者レイリーナの再来であると、今朝中心街で号外が配られていいた。そのせいで、街中はセナの噂でいっぱい、学院にやってくるのもちょっと苦労したくらいだ。


「いくら学生は学院の庇護下にあるとは言っても限界はあるわ。セナ・アステリオはきっと複数の勢力に狙われる。今度は殺されるかもしれない」

「うーん……いっそ飛び級で卒業とか」

「ダメ」

「じゃあ特務魔導師の称号を―――」

「もっとダメに決まってるでしょ!! 学生をなんだと思ってんの!?」

「分かってる分かってる、その辺は考えてっから、心配しないでよ。子供を守んのは大人の役目だろ?」

「あんたが言うと説得力皆無ね……ほんと、あんたとアリシア・イグナには振り回されてばかりだわ」


 リツ先生の後先考えていないような軽薄な言動に呆れ、カナメさんはため息をついた。


「とにかく、これからもっと忙しくなるんだから、あの子たちが学生でいるうちはあんたが守ること。特に、イヴをこき使うのはやめなさい!!」

「だってさ、イヴ」

「なんでそこでぼくに話振るわけ!?」

「あら、いたの? ごめんなさい、書類の山に隠れて見えなかった」


 普通なら嫌味に聞こえるこの言葉も、この状況なら仕方のないことだ。

 執務机に山積みにされた書類の向こうにぼくはいて、リツ先生とカナメさんは応接スペースで楽しく(?)談話中。カナメさんのいる角度からぼくは絶対に見えないから、これは嫌味なんかじゃない。


「ってイヴ、あなた、顔怪我してるじゃない。ちゃんと治癒魔術使わなきゃダメよ、可愛い顔が台無し。女の子なんだから大切にしなさい」

「どうせ傷痕は残らないよ。それに、ぼくより怪我ひどい人いっぱいいるから」

「そういう問題じゃない……まぁいいわ。今はあなたを説教する気力残ってないし、何より、あなたはこの街を救ってくれた功労者ですもの」

「ぼくは何もしてないよ。ただ、セナたちが頑張ってくれたおかげ」

「そういうことにしといてあげる。まったく、焔の魔女討伐の功績を手放すなんて何考えてるのよ。栄光よ? あなたが昔言っていた、最高の勇者に近付けるのよ?」


 最高の勇者……確かに、昔は目指していた。

 だけど、リーナを失ってしまった今、ぼくが勇者を目指す理由はない。

 それに、親殺しの称号なんていらないし、偏見だって残ったままでいい。

 それでも確かに、ちょっとずつ状況は良くなっているから。


「いらない。ぼく勇者に興味ないし」


 清々しいぼくの返事に、カナメさんは呆れたような笑みを浮かべる。「仕方ないわね」とでも言いたげだった。


「それじゃ先生、ぼくこの後用事あるから、あと頑張ってね」

「はぁ!? ちょっおま、俺に書類仕事押し付けんな!!」

「半分やってあげたでしょ。それに、ぼくをこき使うなってカナメさんに言われたばっかりじゃん」

「こんのクソガキぃ……」


 先生が歯を食いしばり苦笑いを浮かべている隙に、足早に執務室を立ち去る。

 ディメナ・レガリアの撃破、焔の魔女の討伐から一日。街の被害のこともあり、一週間ほど学院は休講になった。幸い、学生寮には何の被害もなかったから、学院生は寮で待機するか、街の復興を自主的に手伝っている。

 負傷した学生は治療院にて魔術による治療を受けた後、絶対安静で待機。

 ディメナ・レガリアと直接戦った皆は、今日は寮から出ることができず、談話室で退屈そうにしているだろう。

 セナはというと……王国魔導師団の本部に呼び出されていた。


「お待たせしました、イヴ」

「お疲れ、セナ。どうだった? やっぱり説教受けた?」

「いえ、ただ普通に話をしただけです。でも、やっぱり目上の人との会話は疲れますね」


 本部の外でセナと合流して、寮への道を二人並んで歩く。

 直接呼び出されるなんて、学生が危険を冒して戦ったことを咎められるのかと思ったけど、そうではなさそうだった。


「正式に、星剣の勇者の称号を与えられると言われました」

「おめでとう。これでセナの目指す勇者に一歩近付いたかな?」

「いえ、断りました」

「はぁ!?」


 今なんて言ったこいつ! 断った!? 勇者の称号を? どうして!!


「私、もう一つ夢ができたんです」


 軽やかなステップで数歩前を行き、振り返ったセナは笑いながら言った。


「イヴと最高の勇者になる、それが私のもう一つの夢です!」

「……なんだよ、それ」


 二人で最高の勇者になろう。

 それは小さかった頃、リーナと二人で交わした約束だった。

 結局、ぼくは勇者になることを諦めて、リーナは一人で最高の勇者を目指した。

 約束を破ってしまったのは、ぼくの後悔の一つだ。


「私一人ではきっと勝てなかった。私にはイヴが必要なんです。イヴを置いて、勇者になることなんて私にはできません」

「それは違うよ、セナはもう立派な勇者だ。だから、ぼくに気を遣わなくていいよ」


 リーナと二人で交わした約束。

 ぼくに気を遣って、同じ約束を交わす必要なんてない。それをセナに分かってもらいたかったけど、セナはぼくの数歩先を歩きながら、空を見上げて突然こんなことを言い出した。


「私、イヴが好きです」

「はい?」

「イヴと出会ったから今の私がいる。イヴがいなければ、私はきっとどこかで心折れて立ち止まっていました。あなたがいたから、私はここまで来ることができたんです」


 セナの好意は純粋なものだ。邪な気持ちはどこにもない、彼女はただ真っ直ぐに気持ちを口にした。


「だからお願いします、イヴ。これからも、未熟な私を導いてください」


 セナは振り返って、深々と頭を下げた。

 君が未熟なら、ぼくは一体何だというのか。そう突っ込んでやりたかったけど、あまりに真剣な表情なので茶化すこともできなかった。


「私と一緒に、最高の勇者を目指してください」

「……君の期待には応えられないかもしれない」

「それでも構いません。私はイヴと一緒にいたいんです」


 直球過ぎるセナの視線が恥ずかしくて目を背けた。

 複雑だった。セナはリーナであって、リーナじゃない。頭では理解しているけど、気持ちの整理がまだ追いついていない。

 ぼくが一緒にいたかった子。

 ぼくが好きだった子。

 ずっと背中を追いかけて、決して届かなかったぼくの目標。

 どうするべきか、分からなかった。だけど師匠と交わした約束もあったし、何よりぼくもセナが好きで、一緒にいたかった。

 この先彼女はきっと、今よりもっとすごい功績を積み上げて世界を救う英雄になるのだろう。その時せめて、ぼくも隣にいたいというのは我儘だろうか。


「分かった。改めてよろしく、セナ」

「……はいっ!」


 差し出されたぼくの手を、セナは喜んで握り返してくれた。

 分かっている、これはきっとぼくの罪悪感と後悔によるものだ。

 手放してしまったからこそ、次こそはと淡い期待を抱いている。

 ぼくが守るなんて大層なことは口が裂けても言えないけど、繋いだこの手をもう離さないと決めたから。

 未熟でも無謀でも、資格がなくてもそれでも、ぼくはセナと一緒にいる。一緒にいたい。それが今の、ぼくの望みだ。

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