3グレースとマーキス②
*sideマーキス*
この日は、奇しくも、母の命日だった。
いつものように、朝から墓参りをして、その墓前に一つ、報告をした。報告というか、決意表明。グレースに思いを伝えようと、ようやく心を決めたのだった。
しかし、帰ってきたら、グレースはいなかった。一緒に昼食を食べに行く予定だったのだが。
話を聞けば、マーキスの義理の母親であるメチャエーヒト侯爵夫人から、急な呼び出しを受けたのだという。
虫が知らせたとでも言うのか。何となく、嫌な予感がして、マーキスは侯爵の屋敷へと赴いた。
メイドを捕まえ、グレースの居場所を尋ねる。
「グレース様なら奥様と、応接間に」
すぐさま駆け込むつもりだったが、メイドに引き止められた。
「あの、先ほど、オーヒトヨッシー伯爵がお見えになられまして」
「伯爵が?」
「グレース様をぜひとも紹介して欲しいと、奥様にお頼みになられたようです」
「紹介?」
メイドが言うのに、マーキスは眉をひそめた。
それは、つまり、グレースを妻に望んでいるということか。
伯爵といえば、義母と同年代。息子と娘は、グレースより年上だったはずだ。
「伯爵様が、グレース様を指名なさったみたいですね。グレース様じゃないと駄目だと」
伯爵は、そんなにもグレースに執着があるのか?
知らず知らずのうち、マーキスは拳を握りしめていた。
こうして、マーキスは応接間へと踏み込んだのだった。
「あら、マーキス。どうしたの? 何か急用?」
振り向いたグレースに目もくれず、マーキスは真っ先に伯爵の元へ向かう。
「ご無沙汰しております。伯爵」
マーキスは律儀に挨拶をしてから、義母のベアトリスに向き直った。
「義母上。これは一体、どう言うおつもりですか」
「グレースを紹介してくれって、伯爵に頼まれたのよ」
「だからって、お嬢様と伯爵では、父と娘、いや、祖父と孫娘ほど、年齢が離れているではありませんか」
「そうね」
「そうねって……失礼ですが、伯爵は三年前に奥様を亡くされて、つまりは後妻ですよね? お嬢様は初婚なんですよ!?」
グレースが「マーキス」と、困惑したような声で呼ぶ。しかし続く言葉は、
「まぁ! 後妻の何がいけないのかしら?」
ベアトリスの反論に、かき消されてしまった。
「伯爵はお人柄もよく、人望もおありで、素晴らしい方よ?」
「それは存じています。しかし、お嬢様の結婚相手には、ふさわしくありません!」
「マーキス!」
その一喝にそろりと目をやれば、グレースがギロリと、こちらを睨みつけていた。彼女のこの一睨みで、これまで何度、危ない場面を乗り切れたことか。
しかし、これは……まずい。
マーキスは瞬時に悟った。
この目は、マジでブチ切れる五秒前。
渋々、マーキスは引き下がる。それと入れ替わるように、
「伯爵様。大変、失礼いたしました」
グレースが伯爵に詫びた。それに伯爵は、にこにこと首を振る。
「あの、お嬢様」
「これは仕事の話」
「仕、事?」
ポカンと聞き返したマーキスに、「そうだよ」と、うなずいたのは伯爵だった。
「ゴッポが愛したというジャポーネのウキヨーエを、私もぜひにこの目で見たくてね。ジャポーネのことなら、このグレース嬢を頼るのが一番だと聞いたんだよ。それで、夫人に無理を言って、グレース嬢を紹介してもらったという次第だ」
「え?」
本当なのかと、義母へと目を向ければ。彼女は口元を手で覆いながらも、明らかに笑っていた。義母は、自分が勘違いしていることを、初めから分かっていたのだ。
「まぁ、私もあと三十歳、若ければ、彼女にアタックしていたんだけどねぇ」
伯爵のおおらかな笑い声に、マーキスはほっと胸をなでおろしたのだった。
*Sideグレース*
グレースは、ちらりと左側を見た。
侯爵邸を出てから、マーキスはずっと黙り込んでいる。今も、何やら深刻そうな顔をしていた。商談中に問題が発生し、破談寸前まで行ってしまったかのような。
そんな彼を見て、グレースは顔を引き締める。
ちょっとでも油断すれば、にやけてしまいそうだった。
年上の彼は、いつも落ち着いていて、的確なアドバイスをくれる。とても頼りになる存在。
それが……。
先ほどの彼の様子を思い出し、思わず、グレースの頬はゆるんでいた。
わたしと伯爵の縁談だと思って?
あんなに慌てて?
『お嬢様の結婚相手には、ふさわしくありません!』
こんなふうに言ってくれたのは……。
少しくらい、期待してもいいのだろうか。
「あの、お嬢様。先ほどは、すみませんでした。とんだ勘違いを」
「気にしてないわ」
グレースは答えてから、クスリと笑う。
「実をいえば、私も勘違いしてしまったの」
「え?」
「夫人から紹介したい人がいるって言われて、それで、つい」
あたふたと『縁談なら間に合っています!』なんて言ってしまい、夫人に大笑いされたのだった。
グレースとマーキス、二人揃って同じ勘違いをしていたわけだ。
「ねぇ、マーキス」
グレースは、くるり、彼へと振り向き、足を止めた。
「あなたは、わたしにふさわしい結婚相手って、どんな人だと思うの?」
いたずら心に聞いてみた。
「それは……」
そこまで言ったっきり、マーキスは黙り込んだ。今の質問は、さすがに、意地が悪かっただろうか。グレースは思い直して、今度は自分から口を開いた。
「わたしは、いつでも側にいてくれる人がいい。頼りがいがあって、間違いは指摘してくれて、ダメな時は叱ってくれる。それで、意外とケンカっ早くて、たまにとんだ勘違いをする人が好き」
グレースは、マーキスを見つめ、微笑んだ。
「でもね、いくら私を守るためでも、怪我はしてほしくない」
「お嬢様が、怪我をするよりましです」
「ダメ。今度、ガラの悪い連中に囲まれた時は、全力で逃げる。いい?」
「よくありません」
「どうして!?」
口を尖らさせたグレースだったが。
「お嬢様よりも、俺の方がお嬢様を大切に思っているからです」
マーキスの言葉に、目をぱちくりとさせる。
「先ほどの質問の答ですが、俺よりもお嬢様を大切にする方でなければ、お嬢様の結婚相手としては認められません」
マーキスがグレースに微笑んだ。
真正面からの言葉に、グレースの胸がドキンとはねた。勝手に顔は熱くなり、心臓がスピードを上げる。
半年前のあの日と同じ。
でも、あの時とは、まったく違う。
この人が好き。誰よりも。
「今日の昼食は『チョットイーカフェ』で、よかったですか?」
そこは、二人ともに、お気に入りの店だった。
「もちろん」
どぎまぎしながら、うなずいたグレースの手を、マーキスが掴む。
「ほら、走りますよ。お嬢様が大好きな肉詰めキャベツは、すぐになくなってしまいますから」
グレースは、走り出したマーキスの手をぎゅっと握りしめた。
─ 完 ─