死神の花園<下>
狂い出したのは一年前だった。
教師達に隠れ、この学園の生徒の数人がある宗教にのめり込み始めた。
あくまで数人。そのことを知る生徒達も特に何も言わなかったし、何も思わなかった。
しかし、ある日状況は一変する。
その宗教を信仰する者達が、学園を支配し始めたのだ。
閉鎖的な学園だけに、すぐ支配は広まった。今や、上級生から下級生まで彼女達の言いなりだった。
当然反抗する生徒もいたが、全員彼女達に黙らされてしまった。その上、自分達の支配下にいる生徒達を武装させ始めたのである。
銃やナイフ、格闘技まで教え込ませた生徒達を兵とし、とうとう教師達まで無力化させてしまった。その支配は恐怖でなり立っており、逆らう者はいなくなってしまったのだった。
この学園の実質的支配者である彼女達は、こう名乗った。
『使徒』、と。
「ふぅん。そういうことか」
早音からことの経緯を聞き、悠は一つ頷いた。
地下へと降りる階段を進む真っ最中であり、声はひそめられている。声が響きやすい構造のようで、小さな声でも反響した。
「なるほど。君が戦闘技術を身に付けている理由も、これで解ったよ。しかし使徒、ね。その宗教のことも気になるし」
悠が視線を向けると、早音は口を開いた。
「その宗教について、詳しいことは私も知らない。教えてくれないの。信者は別だろうけど。でも、確か……一神教だと思う」
「一神教か。ただの宗教じゃないだろうね。何だがマシンガン引っ張り出してきそうな雰囲気だけど」
「マシンガンじゃなくて、ライフルやボーガンなら使ってるわよ」
「……どうでもいい情報ありがとう」
投擲ナイフを使っている時点でかなり怪しかったが、まるで傭兵部隊じゃないか。大型銃や手榴弾が出てきても、さすがにもう驚けない。
「……ところで、逆らった人間はどうなったの?」
「……」
早音は黙り込んだ。うつむき、口を閉ざしている。
「じゃ、別の質問。どうして私が侵入者だって解ったの?」
「私自身は……知らなかった」
早音は途切れがちにそう言った。
「使徒の一人に、貴女を捕まえるよう言われて……まさかあんなに強いなんて……」
「実力と経験の差が出たね」
悠は肩をすくめた。
「対人戦闘で私は引けを取るつもりは無いよ。私の戦法は、対化物用だから」
「……貴女、何と戦ってんのよ」
早音はあきれ顔になった。
「……ん、あれ? 地下に続く扉」
「え?」
早音の顔が、悠の指差す方向に向く。
階段の奥にあったのは、黒い扉だった。何の装飾もされていない、シンプルな扉。
「うーんと……多分」
「頼りないな」
「しょうがないじゃない。私、ここまで来たこと無いし」
信者じゃないもの、と、若干震える声を出す早音。顔を上げ、懇願してきた。
「ね、もう引き上げようよ。奴らは、使徒は、ただの人間じゃない」
「あ、そう。自分で言うのもなんだけど、私も普通の人間じゃないよ」
悠はまた肩をすくめ、すたすたと扉に近付いた。
扉の材質は、どうやら鉄のようだ。鍵は――無い。
ただの不用心か、あるいは――
「……ふん」
悠は鼻を鳴らし、扉を開けた。小刀はだらりと下げられたままである。
そして部屋に入った瞬間――
銃口と銃声が、悠の視覚と聴覚を覆った。
―――
流星は病院内で出歩いていた。
喉が渇いたので自動販売機のところまで行っていたのである。早くも歩けるまでに回復していた。おそらく、多少走っても平気だろう。
そしてコーラの缶を手にしながら、流星は病室に戻ろうとした。
戻ろうとした――のだが。
「駄目じゃないですか。病室抜け出して」
思わぬところで足止めを喰らった。担当の看護師に見付かったのである。
「いくら抜糸も、もうすんだとはいえ、昨日死にかけたんですからね」
「う……」
流星は言葉に詰まった。
確かにもう大丈夫とはいえ、その言葉は事実だ。傷自体は、明日になれば跡も残らないだろうが。
「お願いですから勝手な行動は――」
看護師の言葉が、不自然に途切れた。表情が固まり、怒った顔のまま動かなくなる。
流星は首を傾げたが、急に倒れてきた彼女を慌てて支えることになった。
一体どうしたのかと目を見開いていると――
「君が華鳳院君かい?」
と。そう声をかけられ、流星は顔を上げた。
「……誰」
目の前――看護師の背後に当たる場所。そこに、白衣を着た男が立っていた。
前髪を後ろになで付けた、狐目の男だ。
見知らぬ男に流星は目を瞬かせたが、彼の手を見、絶句する。
彼の手。全体が血で真っ赤に染まっていた。血は手首までいたり、そでを濡らしている。
それが、看護師の背中から流れている血と同じだと気付くのに、そう時間はかからなかった。
「っ……! てめっ」
「君、邪魔らしいよ」
男は血にまみれた右手を上げた。
手の先――爪先が鋭く伸びている。
まるで獣のように――否。
これは獣の爪というより――刃だ。人間をたやすく斬る刃。
あんなのに貫手でもされたら――!
「だから、死ね」
男は笑顔でそう言って、流星の顔めがけて刃の爪を振り下ろした。
―――
前方を覆う銃口。それが複数のライフルだと気付いたのは、反射的に跳躍した後だった。
銃弾が誰もいない床をうがったのと同時に、ライフルを構える少女達の群れの中に降り立つ。少女達に動揺が走った。
「物騒な物持ってるね」
悠は両手の小刀を振るった。小刀はライフルの銃身を真っ二つに斬り、使い物にならなくする。
「けど、こうしたら何もできなくなるよね」
「なっ……!」
武器を失った少女は呆然とする。他の者達も、驚きからか固まってしまった。
その隙を逃さず、悠は小刀で次々とライフルを次々と斬っていく。
一分もしない内に、少女達の足元には半ばで絶ち斬られた銃身が転がった。
「私はここの主に会いに来た」
悠は小刀を下げ、少女達を睨み付けた。
「邪魔だよ」
「ひっ……」
少女の一人が小さな悲鳴を上げたのと同時に、群れがざっと退いた。そこでようやく、部屋の全貌をしることになる。
壁も床も天井も、何もかもが黒い部屋。明かりと言えば、一番奥にある数十本あるロウソクぐらいだ。
そしてロウソクの手前には。
「君が、元凶か」
「……元凶とは酷い言い方ね」
少女が五人、並んで立っていた。
容姿はばらばらだが、雰囲気は同じだ。
同じように――不気味な雰囲気だ。
「本業じゃないんだけど――とりあえず、君達の愚行を止めに来た」
「愚行とは失礼な。我々は神に仕える使徒よ」
「あいにく無神論なものでね」
悠は笑みを浮かべて肩をすくめた。
「それに、イケニエを求める邪神なんて、信じられないよ」
「何……!?」
「この部屋、血の臭いがする。職業柄、そういう臭いに敏感なものでね」
「……さすがと言うべきかしら。椿悠」
「へぇ、私の名前を知ってるんだ。光栄だね」
そう言いつつも、悠は内心で驚いていた。
どうして自分の名前を知ってるんだろう。この口振りは、先程知ったというていではないが――
「どうやら、侵入者だと気付いたんではなく、私だと見抜て攻撃してきたんだね」
「その通り」
真ん中にいる少女がにっこり微笑んだ。
「私はここのリーダー。名は加利亜と言います」
「あ、そう。ところで殺人者さん」
悠は笑みを深めた。
「君達には特別な力があると聞いたんだけど、その力って何?」
加利亜は一瞬ひるむような動作をしたが、すぐ微笑を取り戻し、両手を前に出した。
「私の力は光を操る力。光はね、その一つ一つは弱いけれど、集束すると高い殺傷力を持つ。いわば私は人間レーザー砲よ。ほらこんな風に!」
けれど。
それが放たれることは無かった。
「口上が長い」
悠は一言の下、小刀の柄で加利亜の頭をぶっ叩いた。
加利亜は床にふらりと倒れ込み、そのまま動かなくなる。ちゃんと気絶したようだ。
「喋り過ぎて自滅する奴は今までいっぱいいたよ。今のだって喋り過ぎて、接近する私に気付かなかったし」
悠はやれやれとばかりに首を振った。
「能力だけに頼ってる奴はとても弱い。君達もそれを理解した方がいいよ」
悠は降伏しろという意味でそれを言ったのだが――どうやら理解してくれなかったらしい。
残った『使徒』は悠を取り囲み、加利亜と同じことをしたのだ。
何の能力かは知らないが、しかし。
「遅い」
悠はため息をついて足を旋回させた。
まとめて前の二人を蹴り飛ばし、間を置かず後ろの一人の腹に肘鉄を喰らわせる。残った一人は膝蹴りで気絶させた。
彼女達は、結局能力を出すことが無いまま倒されてしまった。
「うん、こんなものか。下っ端は鍛えても、自分達は鍛えなかったわけか。まぁいい」
悠は動かなくなった五人の少女達を一瞥した後、動けなくなった集団の少女達に目をやった。
「警察、呼んでくれる?」
―――
そこら中で光る赤いサイレンに顔をしかめつつ、悠は高野次郎の元に移動した。
「高野刑事」
「椿か」
次郎は校門の前に停めたパトカーから背中を離した。
「今回の首謀者、例の使徒って奴らかもしれないんだってな」
「うん。けど、多分彼女達は末端だ」
悠は門から次々と出てくる少女達を見た。
「世界中の寺院や教会を潰し、なおかつ世界中の追跡を逃れられる連中なんだ。今回の件、それまでのことを鑑みるに、どうも生ぬるいんだよ」
少女であることを考えても、彼女達のやり方は無駄が多過ぎた。
いちいちあげつらうことはしないが、しかし素人にもほどがある。
それにあの五人の能力――結局見ることは無かったが(興味も無いし)、どこでそんな特殊能力を得たというのだろう。
先天的なものか、後天的なものか。
後天的なものだとすれば、誰から与えられたものなのか。
末端とはいえ、彼女達から訊くべきことは多そうだ。他にも釈然としないこともあるし――
だが。
彼女達はすぐに口をきけなくなってしまう――
「っ……!?」
悠と次郎は、突然上がった悲鳴に身体を硬直させた。
「今の声は……」
悠は眉をひそめたが、すぐに何が起きたから理解した。
少女が、校門の倒れ伏している。その数、五人。
「まさか!」
悠は呻いて彼女達に駆け寄った。がすでに手遅れであることを悟る。
彼女達は、頭を貫かれていた。すでに脈は止まっているだろう。
これは――狙撃によるものか!
悠は辺りを見渡した。ここを狙撃可能な場所は――
――見付けた。
悠はだっと走り出した。目指すのは――
―――
使われていないビルの屋上に、二人の男女がいた。
どちらも黒いコートを着ている。夕暮れ時とはいえ、夏の暑さは当然残っているのに、だ。
しかも男の姿は異様だった。
顔の一部に黒い鱗のような羽根が生えているのだ。手の甲にまで至っている。その奇妙な手には、狙撃銃が構えられていた。
「当たった?」
女の質問に、男は顎を引いた。
「ばっちり。距離とかあったから不安やったんやけど……この銃の精度がよくて助かったわ」
「貴方の腕もあると思うけどね」
女はおかしそうに笑んだ。
「さて、すぐに引き上げましょう。でないと、あのお嬢ちゃんが来ちゃうわ」
「……あの娘が来んの、想定外やったなぁ」
銃を下ろし、ため息をついた。
「まさかあの学園の上層部が動くの、あんなに早いなんてな」
「あら、元はと言えばあの娘達がドジを踏んだからいけないのよ。使徒の候補生として不的確だったわ」
女は肩をすくめ、ウェーブがかった黒髪を後ろに払った。
「やっぱり駄目ね、この国の子供は。ゆる過ぎる」
「……俺も日本人だけど」
「貴方は例外よ。でも……そうか、あぁ……そうだわ、あの娘も……」
女はすぅ、と微笑した。何か、いいことを思いついたと言わんばかりに。
「……シスター?」
男はいぶかしげな顔をした。こちらは嫌な予感がする、という表情だ。
「何か……面倒なこと考えてません?」
「面倒なこと? 何を言うの、すばらしい考えだわ」
女はふふ、と含み笑いをもらした。
「一度は諦めたけど、彼女なら――彼女の心の闇なら、私は付け込める」
「……やっぱめんどくせぇ」
男は顔を歪めた。
やがて足音が聞こえてくる。おそらくは、かの少女の足音だ。
さっきまで逃げる算段をしていた二人の男女は、彼女が来るのを静かに待つ――
―――
いきなり後ろに引っ張られる感覚に、流星は目を見開いた。
……同時に首が締まり、息が止まった。
「ぐぇっ。息、しまっ……」
「失礼しました」
すぐ後ろから聞こえた、聞き覚えのある声。首を巡らせると、薄赤い瞳とかち合った。
「し、げほっ、朱崋……」
「緊急でしたので、えりを掴ませていただきました」
言われて今気付いた。朱崋は首根っこを引っ掴んでいる。
「た、助かったからいいけど……でも」
流星は血まみれの手をかかげる男を見やった。
「誰だよ、あいつ……」
「それは私のセリフです。どちら様ですか?」
朱崋も知らないらしい。しかし、男の方は自分を知っているようだ。
――いや、それよりも男に貫かれたあの看護師を助けないと……!
「ん、んー、避けられたか」
だが、男はその間を与えない。間を置かず、つらつらと言葉を重ねる。
「まぁいい。今殺さなければならないんだ。避けられたら――追撃するだけだ」
男の爪が更に伸びた。いや違う。伸びただけではない。
右手そのものが、硬質な何かで覆われた――!
「華鳳院流星……僕はおまえを殺すよ。全ては神の御ために」
ぎらつく目で、男は動く。




