死神の花園<中>
この女子高では、生徒が数人行方不明になっているのだという。
妖魔が関わっているなら狩る。事件性があるなら高野次郎に情報を提供するつもりだ。
ちなみに、有料である。
いざという時のための変装だったが、目立たないとは存外楽なものだ。
かつらが少しむれるが、我慢できなくもない。何にしろ、注目されない方が気も楽だ。緩めるとはまた別の話だが。
悠は一つ頷き、辺りを見渡した。
全寮制で現在夏期講習中。全員参加であるためか、人の姿は多い。
何のための夏休みなんだろうと思ったりしたが、自分には関係無いことだ。
さて、どう探そうか――悠は廊下を歩きながら思案する。
妖気があればたどりやすいが、隠されてでもされたら――
「きゃあ!」
と。突然短い悲鳴とどたどたという騒がしい音が後ろから聞こえてきた。
振り返ると、ここの女子生徒であろう少女が散らばった紙の中でうずくまっていた。
薄茶色の髪をセロミングにした、少しつり目気味の少女だ。足を滑らせたらしく、腰をさすって顔をしかめている。
悠は音の正体を確認した後、再び前へ歩き出した。
「って無視すんなやあぁぁぁ!」
後方からの大声に、悠は眉をひそめまた振り返った。辺りを見回した後、自分を指す。
「私のこと?」
「当たり前でしょ! 何その古典的な反応!」
「古典的なこけ方をした君に言われたくないな」
悠はふんと鼻で笑った。
「う、うるさいわね! ていうか、集めんの手伝いなさいよっ」
「……」
できればここの生徒との接触はさけたいのだか。しかし、情報が欲しいのも事実である。
結局悠は、その少女を手伝うことにした。
「えっと……初めましてよね?」
「そうだよ」
「何年? 名前は?」
「……一年。椿悠」
前半嘘で後半本当である。そもそも悠は、高校に入れる年齢ではない。
椿悠。現在十四歳。
「ふぅん。私三年。名前は」
ずっと怒ったような表情だった少女は、笑いながら名乗った。
「華鳳院早音」
悠は紙を拾い上げる手を止めた。
「華鳳院……!?」
「そう。天下の華鳳院財閥の令嬢なの、あたし。っても分家の子供だけどね」
ふふん、と得意げになる少女――早音。しかし悠は、胸中に苦々しいものを感じずにはいられなかった。
「だから、私のことわうやまいなさい! 歳上だしねっ」
「却下」
「早っ!?」
「黙ってくれる?」
悠は集めた紙を早音に押し付け、立ち上がった。
「な、何?」
「私、金持ちも高慢な人間も嫌いなの。ましてや華鳳院なんて……」
悠は感情を押し殺した声で言い放った。
「あいつを嫌ってる奴が当主の家なんて、誰が好くか」
「あ、あいつって……」
「答える義理は無い。じゃあね」
悠はさっさとその場を離れた。
気分が悪い。まさかこんなところで流星の親戚に出くわすとは。
全く、何で厄日だ。
しかも家柄がいいから、歳上だから、うやまえだと?
だから金持ちは嫌いだ。金で自分の格が決まると思っている、そんな奴らは大嫌いだ。職業が政治家なら、最悪である。
「……やっぱり流星みたいなのはそうそういないよね」
だからこそ、好きになったのだが。
悠はため息をついて、ふと足を止めた。
先程から妙な気配を感じる。こちらをうかがうような、観察するような――
「……ふぅん」
悠は一つ唸った後、再び歩き出した。
歩調は変わらない。身体にも、変に力を入れたりしない。相手に自分が気付いたことを悟られぬよう、細心の注意を払う。
気付かれるのが少し早かった。やはりあの少女と接触したのはまずかったか。しかしこの尾行法は――
なるほど、事件性はあった。どうやら妖魔の仕業ではないらしい。
そして、おそらく複数犯。
「……さっきから古典的で嫌になるけど」
悠は足を止め、振り返った。
後方の廊下には、誰もいないように見える。教室の扉が並んでいるだけだ。
「いい加減出てきたら? こっちは逃げも隠れもしないから、そっちも逃げも隠れもしないでもらおう」
返答無し。悠はかつらの上から頭をかいた。
「私が外の人間だって解ってるでしょ。なら私が何のために来たのかも解ってるはずだ」
やはり返答無し。どうやらいないふりを決めたらしい。
なめられたものだ。
「面倒なこと、させないでほしいな」
悠はすたすたと歩き出した。
今来た道を、早足で。
「別に教室に隠れてるとは思っちゃいないさ。ただ」
壁にくっついた柱の一つの前で立ち止まると、拳が飛んできた。
「妙に出っ張ってるこの柱は男じゃ無理だが……小柄な女なら隠れることができる」
悠はその拳を受け止め、相手の胸ぐらを掴んだ。
「ただ単に追いかけてきたって設定にすればよかったのに」
投げ飛ばされ、床に叩き付けられた彼女は、顔を歪めて睨み付けてきた。
悠は薄い笑みを唇に浮かべ、彼女を見下ろす。冷たい目をしているのは、自覚していた。
「やぁ、さっきぶりだね。華鳳院早音――だっけ?」
「……」
相手――華鳳院早音は、ぎり、と歯を食い縛った。
「君は、ここの生徒がいなくなっていることと何か関係あるのかな?」
「そんなこと……言うわけないでしょ!?」
「そう」
悠は早音を抑えつつ、肩をすくめた。
彼女は、自分が関係あるとバラしたも同然の言葉を言ったことに気付いているだろうか。戦い方はそれなりに経験があるようだが、こういうことは習っていないらしい。
「一体何が目的なの?」
「……」
「質問を変えようか。一体誰に命令されてるの?」
「……」
「ふん、黙るだけの能力はあるか」
悠は早音の腕をひねり上げた。
「いた、痛いっ」
「私は同性だろうと手加減しない主義だ。さすがに折る気は無いが、脱臼ぐらいはご愛嬌だよ」
「それ絶対使い方間違ってるわよ!」
「へぇ、ツッコむだけの余裕はまだあるんだ。じゃ、もう少し強くしても平気だね」
ぎりぎりと、本当に脱臼しかねない力で腕をひねると、下から悲鳴が上がった。
「やめ、やめてぇ!」
「なら教えてくれる? まず、君に私をつけるよう命令したのは誰?」
「言う、言うから! 命令したのは、し、『使徒』の……」
早音の口から驚きの言葉を聞くと同時に、悠はスカートの下に隠した小刀を一本抜いた。
「えっ……」
「動かないで――ね!」
悠は小刀を振り、飛んできたそれを弾いた。それは高い金属音を立てて床に転がる。
目だけをそちらに向けると、それは投擲用のナイフだった。
「私を殺す――だけでなく、口封じまでしにかかったか」
「え……」
「頭上げないで」
身体を上げかけた早音の頭を抑え、悠は投げられたそのナイフを拾い上げた。
同時に風を斬るひゅん、という音を耳にし、その方向にそのナイフを投げた。その後、すぐに立ち上がる。
ついでに早音も起き上がらせ、彼女を引っ張って走った。
「い、いきなり何!?」
「黙って走る!」
戸惑う早音を怒鳴り付け、悠は廊下の角まで疾走した。後ろで金属のぶつかり合う音が聞こえたので、第二撃も防げたらしい。
角をまがり、そこで急停止すると、早音はいきなり叫び出した。
「どうして私が貴女と一緒に逃げなきゃいけないの? 狙われてるのは貴女! そして私は敵!!」
「君は自分の発言を忘れたの?」
悠は冷ややかに早音を睨んだ。眼鏡越しでもそれは解ったらしく、早音は言葉を途切れさせる。
「君は自分の上司の正体を明かそうとした。そんな人間を放っておくほど彼らは甘くなったという、ただそれだけのことだよ」
「そ、そんな……」
早音は青い顔で座り込んだ。こんなところで座り込まれると困るのだが。
ここは敵地のまっただ中だ。こんなところでぐずぐずしているのは、非常にまずい。
どうする? 放っておくか? こんな荷物を抱えていたら、やるべきこともできない――
――そんなわけにはいかないか。
悠はため息をつく。ここで彼女を放っておくわけにはいかない。
様々な意味で、ここで彼女を確保しておく必要がある。
「……選んで」
「……選ぶ? 選ぶって、何を?」
早音は顔を上げ、震える声を出した。
「私と一緒に来るか、むざむざ殺されるか」
「何それ……」
「それ以外に道は無いよ。仏の顔は三度どころか一度も無い可能性が高いんだから。だとしたら、逃げる以外に道は無い」
悠はもう一方の小刀をホルダーから抜いた。両の小刀を逆手に持ち、すぐにでも動けるよう自然体になる。
「どうする? 強制はしないし、もしかしたら運よくまた利用してもらえるかもね」
「……」
「逃げるか否か、全ては、君次第だよ」
我ながら消極的なセリフだったが、それ以外に取るべき道は今のところ無い。
数秒の沈黙。焦っているせいか体感的には数十分もたった気がするが、それは気のせいだろう。
即断即決――とはいかなかったが。
「……い、一緒に、行く」
早音は頷き返した。悠はふん、と鼻を鳴らす。
「さっさと言えばいいんだよ。早く立って。すぐ移動する。――と」
悠は歩き出そうとして、はたと気付いた。
「もうこれはいらないか。全く。何のために変装したのか解らないよ……」
悠はぶつぶつ言いながら、かつらと眼鏡を取った。早音がなぜか息を飲んだが、そんなことを気にしている場合ではない。
悠は小刀を構え、唇を歪ませた。
「守られたいなら、私から離れるなよ」
「……え?」
立ち上がった早音は、何を言っているのか解らないというような顔をした。
「ど、どういう――」
「解らない? 敵が来たって言ってるんだよ。もう囲まれてるだろうね――」
悠は視線を廊下の先に向けた。姿は見えないが、おそらくもうそろそろ見えてくるはずだ。
「話は移動中にでも聞くよ。じゃ、行こうか」
「行くって……どこに?」
顔をひきつらせる早音を、悠は見つめた。
「敵の中心に行くんだよ。私の仕事外になってるけど、気が変わった。私自身の手で潰す」
最初は情報を引き出してさっさと引き上げるつもりだったが、『使徒』とやらが関わっているなら話は別だ。
奴らがもし妖魔と関わりを持っているなら――容赦をする必要は無いだろう。
退魔師は妖魔を狩る存在だ。そしてそれにくみする人間も、狩り対象だ。
妖偽教団と同じように。
「さて……案内してもらえる? まずどっちに行けばいい?」
「えっと……まず下に降りなきゃ。地下にアジトみたいなのがあるから」
「じゃ、階段のところまで行かなきゃね」
悠はすたすたと歩き出した。
「ちょ、ちょっと! 囲まれてるんでしょ? 不用心に歩き回って大丈夫なの!?」
「君は何を言ってるの?」
悠は唇を歪めた。本当に、馬鹿馬鹿しい質問だ。
「人間を相手取るぐらい、退魔師にとっては造作もないことだよ」