第三十三話 死神の花園
広い部屋に、不気味な声が響く。その声に、彼女は押し潰されそうな思いだった。
両手足は縛られ、動くこともままならない。まともに動くのは、せいぜい目玉ぐらいだ。恐怖のあまり悲鳴すら上げられない。身じろぎもできない。
あるいは布か縄なら、何とか抜けられたかもしれない。けれど自分を縛っているのは太い鎖であり、血がにじむぐらい強く縛られていてはどうにもならない。
視線を上げると、自分を取り囲む『同級生』達が目に映る。聖書を開き、ロウソクの明かりを便りに読み上げる姿は異様としか言いようが無かった。
助けを求めても、きっとどうにもならない。彼女達は自分の信じる『神』のために、こんなことをしているのだから。
神。
どうしてそんな不確かな存在を信じていられるんだろう。
「……わけ解んないよ」
最後のあがきとして――助からないことが解っているからこそ、彼女は反抗した。
抵抗した。攻撃した。
糾弾した。
「どうしてこんなことするわけ!? 今までも、こんなことしてきたの!? これからもするつもり!? わっけ解んない!」
助かる可能性があったなら、こんなことは言えなかった。
助からないと解ってるからこそ、救いが望めないからこそ、こうして逆らっているのだ。
非難して、批判して――その先にたどり着くものは変わらない。
「貴女には関係の無いことよ」
同級生の一人がそうそう言った。
同い年とは思えないほど、凍れるほどに冷たい声だった。
昔はもっと優しい娘だったのに――どうして――
「貴女がいけないのよ。貴女が邪教徒だから」
彼女が取り出した銀色のナイフを見て、背筋が縮むような感覚におちいる。
あぁ本当に、どうしてこうなった。
「全ては神の、御ために」
銀色の刃が、視界を覆った。
―――
「……じゃぁ、そいつらが寺の襲撃を」
流星は、自分の声が沈みきっていることを自覚した。
流星の病室。事件の翌日の昼過ぎに、悠の話を聞いていた。
輸血はとうに終え、すでに抜糸もすんでいる。一晩という短い時間で傷口が完全に塞がってたことに、病院側は驚いていた。
それはともかく。
流星が悠から聞いたのは、とんでもない事実だった。
寺の襲撃と昨日の事件。これは、同一犯の可能性が高いらしい。しかも組織的なものだ。
情報元は舜鈴で、彼女の話では、同じような襲撃事件が世界中で起きているそうだ。
主に寺院や宗教関係の建築物――そこにいる僧や神官のたぐいは例外無く皆殺しにされている。
現場に十字架が残されていることからキリスト教徒の仕業かとも思われたが、キリスト教の教会もかなりの数が襲われているようだ。
犯人は今のところ不明。悠はキリスト教の一派、しかもかなりの過激派だと見ている。無論、先程挙げた通り、キリスト教は一切関係無い可能性も大きい。
そしてそいつらが、昨日の信人の状態に関わっているかもしれないのだ。
あの黒い数珠は一昨日襲われた寺の所有物だったらしい。否、所有していたというより封印していたという方が正しいようだ。
あれにはかなり強力な悪霊が憑いていたようで、それを連中が知ったなら、利用しようと考えるだろう。
しかし問題は、なぜ信人だったかということだ。
今までのことを考えると、奴らの目的はただの大量虐殺ではない。なのになぜ、一般人にその数珠を渡し、銃まで与えたのか。
それは解らない。正体や目的が解らない分、妖偽教団より恐ろしかった。
それ以上に恐ろしいのが、それら全て、人間がやったということだ。
妖魔も半妖も関与していない、ただの人間のみの襲撃。
それなのに、どの事件も人智を越えた力が使われている。不気味なことこの上無い。
今のところ退魔師は関係無いが――いつ飛び火してくるか解らない。早急に手を打たねばならないだろう。
そんな風に話を終えた後、悠は流星を見据えた。
「仇討ちとか馬鹿なこと、考えてないよね」
「考えてねぇよ! そりゃ、許せないけど……」
流星は慌てて首を横に振った。
「本当に? 敵を前にした時、一人で突っ走ったりしない?」
悠は流星のベッドに乗り上げ、詰め寄ってきた。
「君は少し感情的なきらいがある。そこは不安要素だね」
「大丈夫だって! 少しぐらい俺を信用しろよ」
「心配なんだよ。昨日のこともあるしね」
悠はじろ、と睨んできた。
「信用してほしかったら、一人で暴走しないでよ」
「解ったって!」
「……ならいいけど」
最終的に膝の上まで乗り上げた悠は、身体を引こうとした。
した、のだが。
「流星ー、見舞いに来たぞー」
よりにもよってそんなタイミングに、部活仲間がやってきた。
入口で、当然彼らは固まる。その顔には信じられないという表情が張り付いていた。
ただでさえ悠という超絶美少女と二人っきりなのに、その彼女が膝に乗り上げている。つまりそれなりに密着している。
少し――いやかなり誤解を招く状態だ。ある意味誤解ではないが。
そのまま一分ほど、気まずい沈黙が流れた。
友人達は沈んでいた。
「流星に彼女……しかも超美人」
「負けた……流星に……色んな意味で……」
「いい加減戻ってこい!」
床に座り込んでいじける友人達に、流星は怒鳴る。ベッドの端に腰を下ろした悠は眉をひそめた。
「何だい、君の友達は。人の病室にしゃがみ込んで……雰囲気がじめじめしてるよ。梅雨はとっくに過ぎてるのにさ」
「そう言うなよ。追い討ちかけてどうする」
「だって邪魔じゃない。お引き取り願いたいものだね」
「……あれ? あいつらの目に涙が」
「気のせいでしょ。全く、うっとうしいね。早くいなくなってくれないかな」
「おまえ、さっきから酷いぞ。何か怒ってんのか?」
「怒ってない」
「ならいいけど……でもあんま、そういうこと言わないでくれ。こいつら俺の友達なんだからさ」
「流星がそう言うんなら……」
『イチャイチャすんなやこらあぁぁぁぁぁぁ!!』
突然の絶叫に、流星と悠はびくりと身体を震わせた。
「何だよ、いきなり叫んで……ここ病室だぞ」
「うるせぇよ!」
友人達は立ち上がり、怒りの形相を浮かべた。……半泣きの顔でもあった。
同年代の男の泣き顔は、こうも気持ち悪いものなのか。
「うらやましいんだよおめぇ! 完璧美人な娘ゲットしやがってっ。いつから付き合ってる!?」
「ついこの間……」
「先に告白したの、私になるのかな」
悠は自分を指差し、首を傾げた。
「流星、私の気持ち気付いてくれないから、好きって連呼したし」
友人達が崩れるように倒れた。
「うわぁ! どうしたー!?」
「精神的に潰えたんじゃない? だって魂が……」
「見えないから! やめろそれ死亡フラグじゃね!?」
「大丈夫。彼らが死んでも誰も困らないから」
「俺が困るわ!!」
流星はとりあえず悠に黙ってもらい、身を乗り出して友人達を見た。
「大丈夫か?」
「別れろ別れろ別れろ別れろ別れろ別れろ別れろ」
「呪いの言葉か! つか別れねぇしっ」
傷は塞がっているものの、こうもツッコミを入れまくってはいい加減疲れてくる。流星は深々とため息をついた。
「とにかく……さっさと復活しろよ」
「そして病室から出ていって」
「おいこら。だからそういうこと言うなって」
流星は額を押さえた。悠は不機嫌そうな顔をして流星に寄りかかる。……とうとう友人達は男泣きしてしまった。
「何なんだよ、おまえら……」
流星は顔をしかめた後、悠を見下ろした。
「やっぱ何かあったろ。どうした?」
「……流星にはどうしてもバレちゃうよね」
悠は唇を緩めた。
「依頼が来たんだよ。ある女子校に潜入しなくちゃいけなくてね」
「……が、どうした? あ、制服がダサいとか?」
「女子心が解ってきたじゃないか。でも外れ」
「? じゃあ、何だよ」
「さっさ話した連中が関わってるかもしれないんだよ」
悠は声をひそめ、身体を離した。
「妖魔が関わっているかどうか、微妙なところでね。行ってみないと解らないけど……」
「悪ぃな、俺手伝えなくて」
流星が申しわけ無くなってうつむくと、悠はくすくす笑った。
「今回は女子校だよ。入院してなくても一緒に入り込めないって」
「それは、確かに……」
どう頑張ったって、自分は女子には見えない。
「今日中にすませられると思うし、大丈夫だよ。朱崋も連れていくしね」
「え? 朱崋も潜入?」
「まさか。これから行くの高校だよ」
どうやら女子高生に変装するつもりらしい。まぁ悠は背が高いし、大人っぽいからそれぐらいの年齢詐称は平気だろう。
朱崋は――どう見ても無理だが。
「制服は可愛いんだよ。改造して普段着にしようと思う」
「仮にも制服だろ、おい」
いくら学生ではないとはいえ、そんなことをしていいのだろうか。
「っと、そろそろ行かなきゃね」
悠はひょいとベッドから降りた。
「あぁ、そうだ。流星ちょっと」
「ん? 何だよ」
悠に手招きされ、流星は上身を乗り出す。
悠は流星の首に両腕を回すと、唇を寄せた。
流星の、首筋に。
「っ……!?」
「じゃあね、流星。また明日」
悠はすぐに身体を離し、軽やかな足取りで病室を出ていった。
流星はしばらく呆然としていたが、しばらくして我に返った。
「……っとにあいつは」
首筋と顔を押さえ、呻く。おそらく、自分は顔どころか全身真っ赤だろう。
「俺を殺す気か……今計ったら熱と血圧やばいかも……」
流星はそこまで口に出して、ふと気付く。
友人達は昨日のことをどう思っているのだろう。あれを見て、自分のことをどう思ったのだろう。
「……なぁ」
流星は顔を上げ、絶句した。
急に静かになったと思ったら、友人達は死人の目で倒れていた。
「も、もしもーし? 皆さーん?」
「もう駄目だ。流星に勝てる気がしねぇ」
「……おい、腐臭漂ってるぞ」
流星はベッドの上で身を引いた。
どうやら悠と付き合うということは、死体の山を築き上げることになるらしかった。……多分。
―――
悠は朱崋から渡された紙袋を手に、病院のトイレに込もっていた。
紙袋の中身――依頼先の高校の制服に着替えるためである。
「こういう時、身長高くてよかったって思うよ」
トイレの個室から出た悠は、鏡で自身の姿を確認した。
黒を基調としたワンピース型の制服だ。そでやスカートに入ったラインは白で、胸元やウエスト周りのリボンも白である。
少し地味なのとスカートが膝丈なのが気に入らないが――他は自分好みだった。
「よくお似合いです、悠様」
朱崋がそっと言った言葉に、悠は首を傾げた。
「そう? そういうの自分じゃ解らないけど。おっと、忘れるところだった」
悠はゴムで自分の髪をまとめ上げた。朱崋から受け取ったかつらと伊達眼鏡を付け、再び確認する。
焦げ茶色のショートカットのかつらに銀縁眼鏡。これだけで、随分印象が変わった。
「別に知り合いがいるわけじゃないし、変装としては上出来でしょ」
目立つものといえばお守りである十字架付きチョーカーだが、あの学校はアクセサリーを許可されているはずだ。大した問題にならないだろう。
「あとは」
悠はスカートをめくり上げ、両太ももにホルダーを装着した。
「これを使うのも久しぶりだね」
悠は朱崋から受け取った退魔武器を眺め、微笑した。
二本の小刀だ。刃渡り十五センチで、刃から鍔から柄から全て銀色だ。両刀として使うには少々不向きな重量だった。
言うほどに、両刀は扱いが簡単ではない。日本刀は元より両手で使う武器だ。片手で使うとなると、相当の腕力がいる。腕力があり、なおかつ剣術の才能と実力が無ければ無理だ。
悠の持った小刀も、少女が使うには重過ぎる。しかし悠は感触を確かめるために軽々と振り回した。
この程度の重量、悠にとっては何てことは無い。
「……うん、大丈夫だね」
ひとしきり振った後、悠はホルダーに小刀を収めた。スカートが長かったのがよかったらしく、すっぽり隠れている。
「『剣姫』を持ち歩けたらよかったんだけど、それはさすがにまずいしね。それじゃ、流星を頼んだよ」
「かしこまりました。お気を付けて」
深々と頭を下げる朱崋に頷きを返し、悠をトイレを後にした。
流星には朱崋を連れていくと言ったが、しかし彼女には護衛に付いてもらう。
狙われているのは、おそらく流星なのだから。