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HUNTER  作者: 沙伊
92/137

      憑き人<中>




 鉄製のドアを開けると、一人の男がいた。

 人が三人も入ればぎゅうぎゅう詰めになりそうなせまい部屋だ。固そうな一人用ベッドと鉄格子付きの小さな窓しか目につくものが無い。

 だから、ベッドに座ったその男がいるだけで、その部屋のスペースはほとんど無くなってしまっていた。

 おちくぼんだ目の男だった。ほとんど寝ていないのが、目の下にはクマがある。この部屋においては目立つものの存在感は無く、幸薄そうだった。

 とりあえず、顔の上半分(・・・)での印象はそうだった。

 男の顔の下半分は見えなかった。マスクによって隠れているのだ。

 犬が口に付けられる拘束具のようだ。しかし、人間に付けているのは初めて見た。

 上体は腕をクロスさせて動かないようにする拘束用の服を着せられ、更にその上から三本の革ベルトが巻き付いていた。人の力では動くこともできないだろう。

 悠はその状態を見て、入りかけた足を止めた。

 どうやら想像以上に酷い状態らしい。腕だけでなく口までとは。このままだと足まで拘束具を付けられかねない。

(流星を連れてこなかったのは、やはり正解だったか)

 悠は一瞬瞬巡した後、部屋に足を踏み入れた。

 男はドアの音にも気付かなかったのが微動だにしなかったが、悠が「ねぇ」と声をかけると、暗い目をこちらに向けた。

「あ、あぁ……」

 どうやらマスク付きでも一応喋れるようで、くぐもった声を上げた。

「た、助けてくれ……助けてくれ助けてくれ助けてくれ……!」

 男――川本康彦はベッドから立ち上がり、悲鳴のような声を上げた。

「俺は殺したくなかった! せ、正当防衛なんだ! あ、あいつらがいきなり襲ってきて、それで……それで……」

 川本の声が弱まった。どうやら今頃悠が子供であることに気付いたようで、呆然とこちらを見下ろしてきた。

「何で……子供が」

「ここになぜいるかは後々(のちのち)解る。それより川本さん、貴方に幾つか質問がある」

 悠は有無を言わせず質問を始めた。

「貴方、最近どこかにでかけなかった? 旅行とか、遠出とか」

「旅行……?」

 川本の眉間にしわが寄った。

「い、1ヶ月前、滋賀に……」

「滋賀……」

 てっきり、恐山とかそういう場所に行ったかと思ったのだが、どうやら違うらしかった。

「どうして行ったの?」

 次の質問に、川本はうつむいた。

「どうして……子供にそんなこと……」

「答えなきゃ、いつまでも殺人衝動から逃れられないよ」

 悠がそう言ったとたん、川本の表情が変わった。

「……どういうことだ?」

「私には貴方の罪を軽くはできないし、貴方を裁く権限も無い。けれど、その精神をむしばむもの(・・)を狩ることができる」

「俺の精神をむしばむもの……?」

 川本は目を見開いた。

「何だそれは……それが無くなったら、もう人を殺したい気持ちが無くなるのか?」

「さぁね。それは貴方の話次第。信じないなら話さないのもよし、一分(いちぶ)の希望にすがるのもよしだ。選択権は貴方にある」

 悠が微笑を浮かべると、川本の顔から一瞬疑いの色が消える。そこに畳みかけるように、悠は言葉を重ねた。

「私と契約して。全て話してくれるなら殺人衝動を狩り取ってあげる。強要はしないよ、あくまで選ぶのは貴方だ」

「……」

 川本は無言で悠を見返した。迷っているのが、見てるだけで解った。

「契約するか否か、全ては、貴方次第だよ」

 悠が得意のセリフを言うと、川本は無言で頷いた。


   ―――


「――というわけで、旅行は家族と別れたことによる傷心旅行だったみたいだよ」

 悠が話をしめくくると、刀弥は電話ごしで『そうか』と返した。

『で、道中墓みたいなのに触れて帰ったと。それが原因か』

「多分ね。ずっと悪霊かと思ってたけど、もしかしたら鬼のたぐいかも。もしそうなら、今からでも間に合う」

 悠はそう言った後、前方に立つ兄に目をやった。

「で……刀兄」

『ん?』

「何で恭兄がここにいるかな」

 悠の言葉に、ここにいるもう一人の兄――恭弥(キョウヤ)は困ったような顔をした。

『恭弥は式神やその他それ関係の術は使い慣れてるけど、結界術は慣れてないからな。経験値つませようと思って』

「その言い分は正しいけど……椿家当主としてどうなの?」

『まだ代行だ』

 こまかいところを気にする兄だった。というか、いつまで代行が肩書きなんだろう。

『あ、そうだ』

 別に話を変えるつもりでは無いのだろうが、刀弥は全く関係無いことを言い出した。

『おまえ、やっと流星とくっついたんだってな。まったく、いつまであの状態なのかと思ったぜ。二年後は結婚か?』

「気が早いよ」

 悠はため息をついた。おそらく、最後のは冗談だ。

 ……冗談、だと思う。

『とりあえず、今回の件は二人で頑張れよ。兄兼当主代行は自分の仕事があるんでな』

「はいはい、頑張りますよ」

 悠がそう返すと、刀弥は軽く笑ったようで、その後通話を切った。

「……妖偽教団のことが片付いてから、刀兄いつもの調子取り戻してきたよね」

「一番の心労が無くなったからな」

 恭弥は微笑を浮かべた。

「恭兄はいいの? 明日から夏期講習じゃない。もしかしたら真夜中になるかもよ」

「多少夜更かししても平気だ。問題は、結界の強度か。略式なら何度かやったことがあるが、本格的なのは知識のみだからな……」

 恭弥は悩ましげにため息をついた。それに対し、悠は肩をすくめる。

「ぶっつけ本番になるかな、やっぱり。しかたがないことだけどね。最大の問題は川本か」

「悠の予想が当たれば、その人は後天性の鬼童子ということになるな」

 後天性の鬼童子。兄の言葉は、悠も思うところが無いでもなかった。流星が――好きな人が、先天性の鬼童子だからか。

 もっとも彼の場合、『鬼』を取り除いてあげることはできないけれど。

「あぁ、そうだ」

 と。恭弥がこちらを向いて微笑んだ。

「よかったな。流星と付き合えて」

「……うん。やっと両想い。とりあえずちょっとした仕返しに、毎日くっついてやってる」

「あはは」

 恭弥はさわやかに笑い、歩き出した。

「さて……そろそろ行くか」

「うん」

 悠は表情を引き締め、壁に立てかけておいた刀を手に取った。



 恭弥が張った結界は、形は燐のものと似ている。

 しかし、その力は比較にならないほど強い。本業の燐より、少なく見積もっても数倍の強度はあるだろう。

「恭兄、結界張るの初めてだったよね」

 一応確認を取ると、兄は頷き、その後首を傾げた。

「なぜそんなことを訊くんだ?」

 ……天然無自覚天才なだけか。

 悠は一人納得し(そんなことで納得できるのは悠ぐらいだろうが)、「何でも無い」とだけ答えた。

 結界内には、すでに川本がいた。拘束具を付けられたまま立ち尽くしており、うつむいて微動だにしない。

「あれじゃまるで……」

 恭弥は言葉を途切れさせた。

 先に続く言葉は解る。それを途切らせた理由も。

 それは言う必要の無い言葉であり、また言うべきでない言葉だ。

 悠は無言のまま、結界内に足を踏み入れた。川本の傍まで寄ると、彼は顔を上げてすがり付くような目で見つめてくる。

「大丈夫。少し怖い目を見るかもしれないけど、それも僅かな時間だよ」

 そう言うと、川本の小さな瞳が揺れた。不安と安堵がせめぎ合っているのかもしれない。

 改めて彼と向かい合うと、やはり普通の悪霊の気配は感じない。悪霊に普通も何も無いだろうが。

 特異な気配――妖魔に近い気配だ。それも、狐憑きとは違う、もっと邪悪な気配。

 やはり――鬼か。

 悠はため息をついて経を唱え始めた。

 一分ほどで、変化が現れ始める。川本はマスクで隠れた口から苦悶の声を上げ、身体を前に折りまげたのだ。

うまく鬼を引き出せれば、川本は無事でいられるはずだ。その後、結界内で具現化した鬼を斬れるはず――


『こざかしい真似をするな、女童』


 地鳴りのような声が鼓膜を震わせた。

 悠は思わず声を上げかけたが、こらえて経を唱え続ける。

 しかし今の声は、もしかして鬼だろうか。川本の声ではない。彼はまだ呻き続けている――

「う、っえ……」

 ――違う。これは呻き声じゃない。

 まるで何かを吐き出すのをこらえているような声だ。

 ……まさか。

 悠は経を唱えたまま、川本のマスクを取った。

 はたして――思った通りだった。

 川本の口から、何かが飛び出していた。五本の、先のとがった赤い触手――いや違う、これは指だ。黒く鋭い爪を持った、人外の指だ。

 読みが甘かった、と悠は悟る。

 取り憑かれた、なんてものじゃない。

 彼は鬼に寄生(・・)されていた――!

 やがて手が現れる――手から、太い腕まで川本の口から現れた。

 川本はえずきながら涙を流している。生理的なものか恐怖からなのかは解らないが、その涙は口から伝うだ液と混じって床に落ちていた。

『俺を狩ろうとは、愚か愚か。今度はおまえの身体を乗っ取ろうか?』

 とうとう肩まで現れて、次に頭が姿を見せた。

 岩石を寄せ集めて作ったような顔面に、人のそれより一回り大きい頭。額には、黒いねじれた角がある。

 川本の口は、もはや顎が外れているのではないかと思われた。しかしなお、その異形は彼の口からはい上がってくる。

 胸、胴、腰、脚――どれも、人間の何倍もある大きさだった。

「かっ、はっ」

 それ(・・)を全部吐き出したのち、川本は膝を着いてせき込んだ。顎は外れてないようだが、しかしせきは悲鳴まじりで、膝をひきずりながらあとずさった。

「……まだ随分グロい登場方法だね」

 悠は経を唱えるのをやめた。唱えても、もう意味が無いだろう。

「私に寄生する? 無理なことを。私は別に何様でもないけど、おまえは一体何様のつもり?」

『生意気な餓鬼め……人の身のくせして偉そうなことを言う』

 それは――否、鬼は、にいぃ、と唇を歪めた。

『まぁいい。力は五割回復した。あとは人を喰ろうて取り戻す』

「彼に寄生していたのは、心の闇を吸い取るためか」

 悠は二メートルはありそうな鬼を見上げ、少し距離を取った。あまり近くにいると刀を抜けない。

『あぁ。ちょうど濃い闇を抱えていたようなのでな、人を殺させて更に高めたのよ』

 鬼は舌なめずりした。

『上質な闇ほど回復力は増す。もう少ししてから腹を喰い破ってやろうかと思っていたが――しかし』

 黄色い目がこちらを映す。悠ははっとして『剣姫(ツルギヒメ)』の柄に手をやった。

 が、それより早く。それより速く。

『我が名は酒呑童子! 女童、おまえの肉で俺は更に力を取り戻す!』

 鬼は、悠に飛びかかった。


   ―――


「流星、おまえ何読んでんだ?」

 部活仲間の声に、流星は顔を上げた。

 夜。空手部員達は合宿一日目の練習を終え、宿泊先の民宿にいた。

 お世辞にも綺麗とは言えない宿だが、二年三年はいつも合宿で来ているので慣れてしまっている。

 ……一年は文句たらたららしいが。

 そして二年の部屋として割り当てられた一室で、自分用にしいたふとんの上に座った流星は、一人読書にいそしんでいる。

 周りは馬鹿話で盛り上がっているのに、だ。

「何って……これ」

 流星が彼に差し出したのは、歴史の教科書だった。

「げえぇ!? 勉強してるし! 気持ち悪っ」

「シャーペン投げんぞ」

 流星は膝近くに置いたペンケースに手を伸ばした。部活仲間は後ずさる。

「……冗談だよ」

 流星は彼を睨み上げた。

「別にいいだろ。俺が勉強しても。どっちにしろ部活無かったら補習組だったろうし、いつしてても同じだ」

 実は流星、ぎりぎりの成績なのである。悠に呼び出されまくったせいで授業を受けていないのもあるが、もとより勉強は得意ではない。

 今まではその点はあきらめ気味で、やる気も何もかき立てられたことは無かった。

 無かった、のだが。

「どういう心境の変化だよ……気味悪い」

「おまえ俺にどういう印象を……まぁいいか」

 流星はため息をついた。

 ついこの間までのことを考えれば、そう思われてもしょうがないかもしれない。

「ちょっと頑張らなきゃいけなくなってさ、とりあえず勉強からってことで」

「何だよ。他にやることあんのか?」

「まぁ、一応な。家でちょいちょい」

 それが、悠に見られたくないものだったりする。

「で、何でまた」

「それは……」

 流星はうつむいた。

 正直言いたくない。恋人とつり合いたいからなんて、死んでも言いたくない。むしろ言ったら、恥ずかしさで死ねる。

「まぁいいや。そういや最近、おまえ雰囲気変わったなー」

 その言葉に、流星は首を傾げた。

「そうか?」

「そうそう。あと部活中無敵状態だったけど、どうした?」

「企業秘密だ」

 化物相手に戦ってきたから――とは言えない。

「教えろよー」

「うっせぇな。教えねぇっての……」

 流星は再度部活仲間を睨み付けようとして――やめた。

 ()が、聞こえたから。

 まるで爆発するような音。それが遠くから聞こえてくる(・・・・・・)

「今、変な音しなかったか?」

「え? いや」

 他は誰も聞こえなかったらしい。周りの面々の表情に変化は無い。

 気のせいだろうか。いや、違う。確かに聞こえた。

 流星は立ち上がり、窓に近付いた。二階にある部屋のため、見晴らしはそれなりにいい。

 顔を窓から出し、辺りを見渡す。少しして、思った通りのものを見付けた。

 すなわち――黒煙。

 黒煙は、それほど遠くない森から上がっていた。かと言って、音が流れてくるには距離がある。

 ましてや、窓を閉めて騒いでいた部活仲間達に、先程の爆発音が聞こえるはずもない。耳のいい流星だからこそ聞こえたのだ。

 しかし、あの煙は一体何だ?

 嫌な予感がする。あの辺りは無人だったろうか。

 流星は窓から離れ、自分のスポーツバッグをあさった。一番底から小刀――『煌炎(コウエン)』を取り出し、部屋を飛び出す。

「り、流星、どこに……」

「おまえら部屋……いや、部屋じゃなくていい、とにかく民宿から出るな!」

 流星は部屋の中にいる面々にそう怒鳴ると、廊下を走り出した。





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