マリオネットメイデン<下>
「しまった! 遅かったか」
悠は呻いた。
小さな民家を見上げ、流星は身震いした。
夕日に照らされた家は、何のへんてつも無いように見える。
しかし、家全体から放たれる気配は、流星を恐怖させるのに充分だった。
怒り、憎しみ、哀しみ……負の感情全てが、この家に巻き付いているように思えた。
「悠、説明してくれ! 一体何が起きてるんだ?」
「……西野紗矢は、天性の巫女だったんだよ。それも、超ド級のね」
「巫女?」
「そう」
悠は乱暴に、問題の民家の門を開けた。
「巫女とは、いわば占い師のようなものなの。人の生き筋を辿り、未来を視る。たいがいは修行で身に付けるその力を、生まれつきもっている人間がたまにいる」
「それが、紗矢さん?」
「そう。それに巫女は、自然をも操る。ほっとくととても危険なの」
悠は刀を抜いた。
玄関の扉に向かって振り下ろすが、びくともしない。
「創造師の力まで持ってたの? 想定外だよ……」
「そうぞうし?」
「脳内のイメージを具現化させる力を持った術師だよ。多分、この家の中は、西野紗矢が創り出した亜空間になってる。いや」
悠は難しい顔をした。
「彼女自身の意識ではない、ね」
「は……?」
「とはいえ、これじゃ埒があかない。朱崋、頼むよ」
「はい」
朱崋は前にすっと出た。
さっきまでいなかったのに! と流星は目を剥く。
「な、何を……!?」
「あぁ、流星は知らなかったね。朱崋の正体」
悠は思い出したように言った。
「まぁ、見てたらわかるよ。朱崋が何者なのか」
悠が言い終わらない内に、流星は解ってしまった。
いきなり現れた銀の毛に覆われた、獣耳と九本の尾で。
「……!? あ、あれって狐!?」
「そう。それも妖狐の中で最も力がある天狐なんだよ」
「妖狐って……妖魔じゃ!」
流星は身を固めた。
朱崋が妖魔だなんて、知らなかった……
後ずさっていると、悠に刀の腹で思いっきり殴られた。
「あだ! 何す……うわ! 悠、刀危ねぇ! 頭に当たるって!!」
「流星でも、朱崋を侮辱するのは許さないよ」
「は、はぁ? 俺別に侮辱なんて」
刀を目前に突き付けられ、流星はそれ以上の言葉を封じられた。
「朱崋が妖魔であるだけで身を引いた。それが侮辱と言ってるの」
「っ……」
流星は言い返せなかった。
悠の言葉は間違っていない。むしろ、事実だったからだ。
ドガァ!!
破壊音がそこら中に響き渡る。
音源に目をやると、朱崋の尾が、扉を跡形もなく壊したところだった。
「悠様、お急ぎください。どうやら中で、何かが起こっているようです」
「解ってる」
悠は刀を引いた。
「行くよ、流星」
「あ、待てよ!」
家の中は闇の空間になっている。その中に迷いなく突き進む悠を追おうとしてふと、流星は朱崋と目が合った。
謝りたかった。謝ればよかった。
なのに流星は、目を逸らしてしまった。
妖魔に対する恐怖と……そして憎悪で。
「……お気を付けください」
無機質な朱崋の声が、流星の胸を締め付けた。
どれだけ走ろうと、闇、闇、闇――
一体何分たったろうか。一時間かもしれない。それとも数秒?
ガッガッガッガッ……
音が聞こえてきた。何かを叩く音だ。
「この音、何だ……?」
「遅かったか」
悠の口から、歯を喰い縛る音が聞こえた。
ガッガッガッガッガッガッガッガッ!!
一際大きな音を最後に、それは止まった。
「……来たね」
音源には、一人の少年がいた。
目も髪も服も真っ黒で、唯一肌だけが抜けるように白い。
この暗い空間で、本来なら同調するはずの格好の少年は、独特の存在感があるためかすぐ目に止まった。
彼は、何かに跨がっている。
人だ。服装からして女性だろう。
流星はその女性の顔を見て、言葉を失った。
最早それは、原形を留めていなかった。
頭部はところどころへこみ、顔は見ただけで骨が折れてることが解った。
鼻は歪み、目の下は青アザができてる。額は頭と同じようにへこんでいた。
今気付いたが、少年は全身に返り血を浴びていた。手には、血まみれの鉄棒が握られている。
「あ、これ?」
流星の視線に気付いた少年は、女性を見下ろした。
「もう死んでるよ。百回以上頭殴ったから、骨も脳もグチャグチャだろうね。ハハッ」
「なっ……!」
あっさり殺したことを宣言し、楽しそうに笑ってのける少年の神経が、流星には信じられなかった。
「い、一体おまえは何者なんだよ」
「んー?」
少年は幼さの残る顔を少ししかめ、立ち上がった。
「俺の名前はツバサ。それ以外に、何かあるの?」
「あるに決まって……!」
「待って、流星」
悠は流星を手で制した。
「君じゃ向こうは、はぐらかすだけだよ。私が行く」
悠は一歩踏み出して、ツバサと名乗った少年に向かい合った。
「君は、西野紗矢の別人格だね」
悠の言葉に、流星は目を見開き、ツバサはニヤッと笑った。
見た目は悠と同い年か、少し下に見える。
細面の整った顔には、無邪気さと一緒に殺意が垣間見えた。
「そうだよ。俺は、紗矢の心の奥底にある破壊衝動から生まれた存在だ」
「西野紗矢は、君のことを知ってるの?」
「まぁね。俺の存在は誰かを傷付けかねないから封じ込められてたけど」
ツバサはつい、と肩をすくめた。
「恨んでは、いないみたいだね」
悠は意外そうに言った。
「俺、紗矢を困らせることはしたくないしね。話し相手になってくれたし、恨んじゃいないよ」
ツバサは前髪をかき上げた。
「今回のことがなきゃ、俺は一生表に出ることは無かったろう。でも、このババアが」
忌々しげな目で、ツバサは死体を軽く蹴った。
「紗矢の父親を殺しやがった。紗矢の心は大荒れ。で、俺が出てきて代わりに仇討ちしたわけさ」
ツバサの口調は軽いが、内容はかなり暗い。
……待て。
「何で、紗矢さんの父親を、その女が殺さなきゃならなかったんだ?」
流星が訊くと、ツバサは片眉を上げた。
「この女は、紗矢を自分だけの人形にしたかったんだよ。そのために娘がなついてた夫を殺したのさ」
「……何だって?」
流星は思わず訊き返した。
夫を殺したって?
つまり、死んでいる女性は……
「マ、マジかよ……そんなこと」
「事実だと思うよ。彼の言うことは」
悠が言った。
「朱崋に頼んで情報を集めた。西野竜介、四十九歳。三週間前に事故で死亡。ひき逃げだった。で、裏の情報屋の話じゃ、ひき逃げ犯は、その妻らしい。目撃者もいる」
こんなことを冗談で言う悠じゃない。
ということは、本当に……
とんでもない事実を知った流星は、目の前が不安定に揺れた気がした。
「せっかく紗矢が今まで我慢して怒りを抑えてたのに。まぁ、最近は抑えきれずに力がダダ洩れしてたけど」
「それが、ポルターガイストの正体だね」
悠のセリフに、流星は顔を上げた。
「ポルターガイスト?」
「依頼だよ。原因を調べてくれって、そこで死んでる西野澄加に頼まれてたの。妖気も霊気も感じなかったからまさかと思ってたけど、やっぱりね」
悠は眉間にしわを寄せた。
「ここまで彼女の力が強力だとは思わなかったけど。まさか、亜空間まで創っちゃうなんて」
「俺もびっくりだよ。あいつが、何も無いとこから何かを生み出すことは知ってたけど」
とぼけた表情をみせるツバサに、悠は厳しい声を放った。
「西野紗矢はどこ?」
「……知りたい?」
ツバサの手から、鉄棒が落ちた。
「だったらさぁ」
代わりに握られていたのは、巨大な剣だった。
黒い刀身が、光も無いのに煌めく。
「俺に殺されなよぉ!」
ガギィィィッ
「……っ!」
「俺さぁ、あんたのこと殺したくって殺したくってたまんないんだよねぇ」
悠の刀に大剣を止められ、だが嬉しそうに笑うツバサ。
鍔迫り合いになりながら、彼は続ける。
「だって俺、破壊衝動から生まれたし? 一人殺したくらいじゃ足りないんだよぉ!!」
ツバサは大剣を引いた。しかし数秒もしない内に、再び体重を乗せて振り下ろす。悠は一歩下がってそれを避け、右足を旋回させた。
霞むような速さで放たれた蹴りは、ツバサの側頭部にヒットする。
少年の軽い身体は、いともたやすくぶっ飛ばされた。
「私を殺す? 無理に決まってるでしょ」
悠は走り出した。ツバサはまだ、起き上がっていない。
「君ごときじゃ、私に触れることすら叶わないよ」
悠はツバサに向けて刀を突き出した。
ツバサはごろごろと地面を転げてそれを避ける。
ツバサは右手をついて跳ね起きた。同時に地面を蹴る。
滑るようにして走り、ツバサは凶悪な笑みを浮かべた。
「やっぱいいよ、あんた!」
再び鍔迫り合いになりながら、ツバサは叫んだ。
「あんたは絶対強いと思ってた。やっぱ殺し合いはこうでなくっちゃな!」
「殺し合い? 何を言っているの」
悠は身を沈めた。
よろめいたツバサの足に足払いをかけ、剣を持った手を踏みつける。
刀を喉元に突き付け、ツバサの動きを完全に封じた。
「ただ暴れるだけの獣と、私は殺し合いはしないよ」
悠は唇に妖艶な微笑を浮かべた。
「狩人が獲物と殺し合いを演じる? しないでしょ。私は、君みたいな闇から生まれたものを狩るハンターなんだから」
刀の切っ先が、ツバサの喉元に近付く。
「弱い奴には興味無いよ。消える?」
「いっ……」
ツバサは顔を歪めた。
「嫌だ! まだ、まだ消えるわけにはいかないんだ!!」
ツバサは必死な顔で叫んだ。
「紗矢はもう頼れる奴がいないんだ! 俺が、あいつを支えきゃならないんだっ。あいつが強くなれるまで……!!」
「強くなれるまで?」
悠はきょとんとした。
「紗矢は形はどうあれ、母親に守られ続けた。だからあいつは、強くなりたくてもなれなかった。やっと、やっと紗矢は自由なれたんだ。あいつが強くなれるまで、俺が支えなきゃいけないんだ!」
さっきまで殺気をまとっていたツバサは、今はただ必死に叫ぶ少年だった。
流星はこの変わりように、ただ驚くしかない。
「悪いけど」
悠は冷たくツバサを見下ろした。
「私は闇を滅する人間だ。闇の言葉に耳を貸す気は無いよ」
ツバサは絶望したような顔をした。
しかし、すぐ諦めたように、目を閉じる。
「バイバイ」
刃が風切り音を上げて、ツバサの頭めがけて振り下ろされた。
刀が何かを突き刺さる音が響く。
「……やっぱりやめた」
「は?」
「へ?」
ツバサと流星は、同時に間抜けな声を上げた。
刀はツバサの顔の真横に突き刺さっている。
「考えたら君、妖魔じゃないし、狩ったって意味無いし。それに」
悠は刀を引いた。
「君と西野紗矢は、救われない」
「俺と……紗矢……?」
ツバサは目を見開いた。
「君達は二人で一つ、なんでしょ? ただ一つの身体にある、二つの意思じゃない。だから、どっちも失っちゃいけない」
「……っ」
ツバサの顔に、驚きが広がった。
「何で……解って……」
「解るよ」
悠は悲哀の表情を浮かべて、刀の柄に唇を押し当てた。
「私は、君達と似てるから」
「……そうだったね」
ツバサは長々と息を吐いた。
「紗矢は、ここにはいない」
ツバサがぽつりと言った。
「外だ。この亜空間は俺が創った」
「君も創れるの?」
悠が尋ねると、ツバサはこくんと頷いた。
「うん。紗矢ができることは、俺もできるんだ。今、この空間を消すよ。だから」
ツバサは立ち上がって、悠に懇願した。
「紗矢を、あいつを頼むよ。俺じゃ、直接あいつを守れないから」
「……解った」
悠が頷くと、ツバサはほっとしたように、顔を弛緩させた。
グニャンッ……
空間が歪んむ。
まばたきをしてる間に、流星達は小さなリビングに立ち尽くしていた。
「変わった!?」
「いや、これが元の部屋だよ」
悠は足元を見つめた。
ツバサの姿は無い。フローリングの床には、女性の死体と紗矢が横たわっていた。
「……うぅっ」
紗矢が呻き声を上げて起き上がった。
「君達……」
紗矢は悠と流星を見て目を見張り、次いで死体を見て口元を覆った。
しかし、しばらくして顔を上げる。
「……ツバサが、お母さんを殺したんだね」
意外なほど落ち着いた声で、紗矢は尋ねた。
悠が頷くのを見て、長々と息を吐く。
「哀しむべきなのに……母が死んで、気が楽になった。酷薄な娘だな」
自嘲めいた笑いを浮かべ、紗矢は立ち上がった。
「警察に行くべきかな」
「信じると思う? もう一人の自分が母を殺したって」
「……それもそうか。でも」
紗矢は、強い意思を秘めた目を閉じた。
「罪は償わなければならない。ツバサの罪は、あたしの罪だから」
紗矢の決意に、流星ははっとした。
この人は、もう充分強い。
家族を失い、もう一人の自分が罪を犯したのに、その現実を受け入れている。
普通の人間なら、自分の運命を嘆き、己の無力を呪うのに。
俺のように……
紗矢のまっすぐな瞳を見つめ、悠は口を開いた。
「……だったら、退魔師になるといい」
悠の声に、紗矢は目を開けた。
「今回、貴女の母親が死んだのは、貴女の力のせいでもある。その力を、今度は壊すためじゃなく、守るために使えばいい。退魔師としてなら、それができる」
紗矢は、真っ直ぐ悠を見つめた。しかし数秒もしない内に、顎を引く。
「それで罪が償えるなら、やろう」
「……決まりだね。知り合いを紹介する。そこで退魔師の修業をするといいよ」
悠はミニスカートのポケットから、携帯を取り出した。
西野宅を出た流星は、朱崋と向き合った。
悠と紗矢は何やら話していて、まだ出て来ない。
「……朱崋、その」
流星は言葉を探りながらうつむいた。
何を言えばいいのか、まったく見当がつかない。
口を開閉させていると、朱崋が手を握ってきた。
「しゅ……」
「私に悪かったとお思いなら」
獣耳も尾も無い朱崋は、静かに流星を見つめた。
「悠様の信頼を失わぬようになさいませ」
「え?」
「私は気にしておりません。ですが、悠様のお心が離れぬよう、今後はお気をつけください」
「そ、それって、どういうことだ?」
「貴方が悠様を想い続けてくだされば、いずれ解るでしょう」
朱崋は手を離した。
この時の流星には彼女の言葉の真意が、まだ分からなかった。
―――
「椿悠の圧勝か」
熾堕は楽しげに笑った。
「椿悠の力を計ろうかと思ったが……なかなかどうしてうまくいかない。桐生家の姫持ち二人の力はすぐ解ったんだが」
「彼女はおそらく、力の三割も出していないわ」
手の平に乗った黒い蛾を見つめながら、月読は呟いた。
「私には解る。同じ姫持ちだから」
「ふぅん」
熾堕は片眉を上げた。
二人がいるのは、西野宅からさほど離れていない民家の二階の窓際だった。
しかし、使われた形跡は無く、床にはほこりが積もっている。
それは当然で、実際使われていないのだ。
随分前にこの家は、空き家になっているのである。
「訊いていいかしら?」
熾堕が目を向けると、月読は尋ねた。
「あの母親をけしかけたのは、貴方?」
「まさか」
熾堕は首を横に振った。
「椿悠のことは教えたが、夫を殺せとは命令してない」
「……ならいいんだけど」
月読は目線を窓の外に戻した。
「まぁ、それはともかく。そろそろあの方がしびれを切らす頃だ。戻らないと」
「……」
「不満そうだな」
熾堕は苦笑した。
「だがしょうがないだろう。期限が迫ってる。ようやく始まるんだ」
窓から離れ、熾堕は銀糸の髪を後ろに払った。
「我ら妖偽教団の一大イベント、人柱狩りがな」