第三十話 まねごと<上>
彼女は憧れだった。
誰よりも綺麗な顔、誰よりも綺麗な声、誰よりも綺麗な瞳。
漆黒の髪と瞳は人の目を惹くし、その声はどんな歌より耳に心地よかった。
そんな彼女の傍にいることが、自分の唯一の自慢だった。
彼女と似ても似つかない自分が彼女の友達であることが、何より嬉しかった。
自分にとってはただ一人の友達。しかし、彼女にとっては自分は『ただ一人』ではなかった。
でもそれはしかたがないと思っていた。彼女のような存在には、多くの人が集まるのが当然なのだ。
自分はその多くの人の一人でいい――そう思っていた。
けれど。
「来ないって……?」
彼女の言葉に、思わず足を止めた。
「諸事情でね……もう学校には来れない。いづらいって言うべきかな。いや、いるべきでないのか。とにかく、もう来ない」
「でも……だって……」
「悪いけどね。多分、もう会えないかもしれない。同窓会とかあるんだったら、そりゃ行くよ。けど、学業に打ち込める状況じゃなくてね」
「でも、義務教育……」
「一応カリキュラムは全て終えてるんだ。個人的にね。ただ事務的に行ってただけ――」
それ以上は聞こえなかった。聞きたくなかった。
彼女がいなくなったら、私は何を自慢に生きていけばいいのだろうか。
彼女以外の傍にいる気など無いのに。
彼女が私にとっての一番なのに。
彼女の傍が、私のいるべき場所なのに。
どうして、どうして、どうして。
私は、彼女が好きなのに。
―――
事務所の下にあるアンティークショップは、悠が片手間にやっている店である。
ようは趣味だ。副職であるが、十割がた趣味と悠は答えることにしている。
そしてその趣味の店に、燐が来ていた。
客としてではなく、友人として。
「同窓会?」
悠は首を傾げ、燐を見返した。
「あぁ、そういえば来てたね……そんなのが」
「行く気無いんですか?」
燐の質問に、悠は首を横に振った。
「行くつもりだけど、忘れてた。最近いそがしくてね」
にしても、と悠は燐を軽く睨んだ。
「どうしてわざわざ店に来るの?」
「悠に会いたかったんです」
「……」
「そんな冷たい目で見ないでください。傷付きます……」
オーバーリアクションで心情を表す燐に、悠はため息をついた。
「まぁ今に始まったことじゃないけどね。同窓会明日だっけ?」
「はい、小学校で。懐かしいです……猛が行けないのが残念だなぁ」
「あぁ、そっか。猛は橘家復興のために頑張ってるんだよね」
妖偽教団との戦いで潰された家を復興するため、日影達は現在全国を駆け巡っていた。
資金繰りや新たな退魔師、戦いの中で失われた書物の復元など、やることは多い。椿家は、もっぱらそのサポートに回っている。
確か現在は、京都を拠点に置いて行動していたはずである。
「猛、無事に中学卒業できるかな」
「義務教育ですから、卒業はできるでしょうけど……高校は諦めるほか無いですね」
「小卒もしてない私が言うことじゃないけど、大丈夫なの、勉強」
「学歴はともかく頭脳は大卒レベルの君が言いますか」
燐は微妙な表情を浮かべた。
「まぁいいですけど……とりあえず、同窓会は来るんですね」
「うん」
「そうですか。じゃ、また明日」
燐はそう言って、店の外に足を向けた。
「……ねぇ」
悠はふと、燐を引き止めた。振り返る燐に、何となく尋ねる。
「君、キリスト教徒だっけ」
「そうですけど……それが何か?」
「……いや、何でも無い」
悠が首を振ると、燐はきょとんとした表情をしつつも店を出ていった。
「……まさかね」
悠は自嘲めいた笑みを浮かべた。
いくら燐がキリスト教徒だから――あれだからといって、疑うなんて。
なんて、馬鹿らしい。
悠がため息をついていると、店に誰かが入ってきた。
「……流星」
「悠、何で店の方に出てるんだ?」
珍しく私服の流星に、悠はぎゅっと抱き付いた。
「え、ななななななな何だよ!?」
「落ち着きたい気分なの」
「俺が落ち着かねぇ!」
流星は顔を真っ赤にしてわめく割に、いっこうに剥がしにはかからなかった。
拒否してこないのは彼の優しさであり、想いのあらわれである。
悠はまたため息をつきたくなった。
両想いなのに、どうしてこいつは気付かないのだろうか。あの戦いのどさくさにまぎれて告白もしたのに。
流星のことだから、気のせいなどと思っているのかもかもしれない。
充分ありえる。もう一度言うべきだろうか。いや、一度じゃ駄目だ。この男にはもったいぶったりしても意味無いだろう。
いっそ、ストレートに言い続けた方がいい。
「流星」
「あ?」
「好き」
「は!?」
どうやら全身――というか全体が固まってしまったらしい。流星は悠を見下ろしたまま動かなくなってしまった。
「返事もらえるまで言い続けるから、覚悟してね」
悠は笑みを見せ、二階の事務所に上がっていった。
これからの流星の反応が楽しみだ、などと、小悪魔的なことを考える悠だった。
―――
小学校の思い出など、悠にはほとんど無い。
ただ流れていくだけだったように思う。時間の流れに沿ったまま、何も考えず何も感じず。
思い出そうとしてもクラスメイトの顔はおぼろげで、覚えている人間は片手で数えられるぐらいしかいない。
その数少ない人間の中の一人に、悠が気になっている者がいた。
自分と知り合うまでいじめられていたという彼女は、元気だろうか。
連絡しようにも電話番号も何も知らず、家の場所も解らない。
名簿を調べても、引っ越したのか電話番号も住所も、今は使われていなかった。
だからこそ、今回の小学校同窓会に来たのだが――
「……よくよく考えたら、あの娘が来るわけ無いか」
小学校の門を前にして、悠はため息をついた。
三年前と変わらない、紺色に塗られた鉄の門。花が植えられた花壇、少し古びた白い壁――
変わらない――気がする。
よく覚えてないけれど。
ここまで何も覚えてないと、懐かしさも何も感じない。
悠が腕組をして校舎を見上げていると、人の気配が近付いてきた。しかも複数。
振り返ると、集団で歩いていた男女がこちらを見て足を止めた。
まだ自分と変わらないぐらいの年頃の少年少女だ。だが、中には妙に大人びた服装や化粧をしている少女達もいる。
服装はともかくそのけばけばしい化粧はどうにかならないのかと、悠は顔をしかめた。
服装に関しては何も言えない。自分も多少派手な服を好んで着るからだ。
ちなみに今日悠が着ているのは、白いキャミソールにレースの付いた黒いミニスカート、ノースリーブで燕尾の上着である。
アクセサリーはいつもの十字架付きチョーカー、バラをかたどった銀のバックルと黒いベルト、それに流星からもらった蝶の髪留だ。
地味とか大人しめとかからは程遠い格好なのは自覚している。しかしこれが好きなのだからしかたが無い。
そんな悠の目から見ても、彼女達の化粧の濃さは引いてしまうものがあった。
惹く、ではなく、引く。しかも後ろに。
「つ、椿さん」
少女の一人がおののいたように呟いた。
「ん? ……あぁ、元クラスメイトか」
悠は今更ながら気が付いた。よくよく考えたら、日曜日にわざわざ小学校に来るのは同窓会に参加する者ぐらいだ。
いや、それ以前に顔を見たら思い出す。
けれど悠の記憶は、彼らを見ても反応を示さなかった。
哀しいぐらいに、思い出が無かった。
「えっと……その、久し振り……だね」
少年の一人が、なぜか顔を赤らめて言った。
格好のせいだろうか。確かに脚はいつも通り剥き出しだし、キャミソールの丈が短いからウエストが見えているけれど――
「あの、元気だった……? えっと」
「元気だったよ、一応ね」
悠は肩をすくめた。
一ヶ月前は確かに死にかけたが、今はおおむね好調だ。元より、体力はある方なのである。
「そ、そっか。よ、よかった」
「ねぇ、ところで訊きたいんだけど」
悠は駄目もとで訊いてみることにした。
「吉村詩織のこと、今どうしているか知らない?」
多分誰も知らないだろうと思いつつの質問に、誰もが予想通りの答えをした。
「い、いや……知らない」
「あ、あたしも……」
「私も……し、知らない」
しかし、反応の方は予想外だった。
全員何かを隠しているような――むしろ何におびえているような感じだ。
首を傾げかけた悠だったが、後ろから声をかけられ、半身だけを振り返らせた。
「悠、もう来てたんですか」
「燐。ちょっといい?」
悠はやって来た幼馴染みを引っ張り、元クラスメイト達から離れた。
「私がいなくなった後、詩織に何かあった?」
声を低めて尋ねると、燐は一瞬だけ目を瞬かせた。
「詩織? あ、吉村さんのことですか。悠と仲よかった。いえ、別に何もありませんでしたよ」
「中学上がってからは」
「さぁ。中学違いますからね。ていうか、吉村さんが今どうしてるか、悠知らないんですか?」
燐が意外そうに言った。
確かに当時のことを考えると、連絡を取り合っていないのは意外かもしれない。
「……連絡先知らないんだよ。同窓会来るかと思ったんだけど、無駄足だった――」
「悠ちゃん」
と。そう声をかけられた。
聞き覚えのある声に今度は身体ごと振り返ると、見覚えの無い少女が、一メートル先にいた。
長い黒髪に細い身体付き、高い背はハイヒールのせいで更に高くなっている。
元クラスメイトと同じように化粧をしているが、けばけばしくない。実に自然だ。服装は多少派手だが――
……というか、あの服、自分が持っているものと似ているではないか。
全体的に、自分の普段のコーディネートとよく似ている。同じ趣味のクラスメイトはいただろうか。
――いや待て。この子、もしかして。
「……詩織?」
悠がかつての級友の名を呼ぶと、少女は満面の笑みを浮かべた。
「悠ちゃんなら気付いてくれると思ったよ」
「あ、うん……」
悠は戸惑いながら少女――吉村詩織を見返した。
記憶の彼女と、完全に食い違っている。昔の彼女はもっとおとなしくて、どこか気弱な少女だった。
勿論面影があったからこそ気付いたし、他にも理由がある。
昔からそういう傾向はあった。彼女はよく悠の真似をしたがって、しかしそれが空回りしがちだった。
今彼女はまさに、自分の真似をしているんだと悠は確信する。
化粧をほどこした顔は見覚えが無いと思ったが、違う。覚えがあり過ぎて逆に気付かなかっただけだ。
だってそれは毎朝見ている顔だから――!
――もっとも。
全体的に見て彼女の顔は悠に似ているだけでそっくりではなく、似せているだけでそのものではない。
それこそ月光と火種ほどの差があり、そもそも悠と同じになろうなど不可能に近いのだが――
それでも悠を驚かせるには充分だった。
言葉を失う悠を尻目に、詩織は喋り続ける。
悠とそっくりの口調で。
「実は今日の同窓会の幹事、私なんだ。アルバムを見付けてね……懐かしくなって。思ったが吉日――じゃないけどね。ここを選んだのもそのためだよ。もっとも、中学生が店を予約するなんて無理なんだけどね。内容? 時期も時期だし、百物語をやろうと思って」
「……何」
悠はようやく、自失から立ち直った。否、職業柄、聞き逃せなかった。
「百物語?」
「うん。来てない人引いて、確か三十三人のはずでしょ。三回ずつ階段話をすればいい」
詩織は微笑した。それは悠の記憶とは違う、別人の笑みだった。
――そしてその別人は、他ならぬ私だ。
愕然とする悠に、詩織は追い討ちのように言った。
「百番目の話は、私がするから」