かくれんぼ<下>
「僕の予想が正しければ、多目的室の壁の中に本体があるはずだ。問題は例の噂。どうしてかくれんぼや鬼ごっこのような噂が流れたのか。噂自体は五十年近く前にできたようだが……って、聞いているのか、舜鈴」
恭弥は自身の腕に引っ付いている舜鈴を見下ろした。
「ふふ……恭弥と二人っきり~♪」
「……言っておくが、一応これは仕事だ。デートじゃない」
「恭弥と二人ならどこでもデートだよ。今までの恭弥の看病もデート!」
「凄い理屈だな。……まぁいい。中に入るぞ」
「でも恭弥、鍵は?」
首を傾げる舜鈴の目の前に、恭弥は旧校舎の鍵をちらつかせた。
「事務所から、式神を使って拝借してきた」
「……恭弥って真面目だけど、生真面目じゃないね。今更だけど」
「確かに今更だ。なんせ悪友がいるんでな」
恭弥は肩をすくめた。
「夜の学校に来ている時点で、もう校則違反だ。まぁ例の悪友いわく、校則は破るためにあるもの――らしいぞ」
「あの人らしいね。何でこのガッコ入れたんだろ」
舜鈴はため息をついた。
「まぁそこは気にするな。行くぞ」
「あいあーい」
深夜の校舎を前にして、随分気楽な二人だった。
多目的室の前まで来た二人は、顔を見合わせた。
「妖気、感じないね……」
「変だな……この時間なら、少しぐらい感じてもいいはずなんだが……」
恭弥は多目的室を開けた。
別段変わったところは何も無い。普段通りの教室だ。
「この壁の中に例の妖魔の本体が……?」
「おそらくは。可能性だけの話だがな。気の流れはどうだ」
「う……ん。何か、嫌な感じ。うん、これは……死臭ね」
「……そうか」
恭弥は眉間にしわが寄るのを感じた。
「当たってほしくない予想が、見事に当たったわけか。ふむ、どうするか」
「壁壊す?」
「手当たり次第にか? そんな暴力的なこと。さすがにできない……」
恭弥は天井を見上げた。舜鈴も同時に顔を上げている。
「現れたか!」
天井に、まるで蜘蛛のように妖魔が貼り付いていた。
夕方と姿は変わらない。白骨化した手に生身の頭部、ぼろぼろの学ラン。あの青年だ。
妖魔は恭弥の声に応えるようにぎい、と笑った。
「舜鈴。あれの相手を頼めるか?」
「え?」
舜鈴は目を丸くしてこちらを見た。視界の端にそれを収めながら、恭弥は続ける。
「僕の術で、本体の場所を探れるかやってみる。その間、あいつを部屋から追い出してくれないか」
「それくらい、簡単ね!」
舜鈴はクナイを取り出し、妖魔に向かって投擲した。
当然のように避ける妖魔。更に舜鈴は棒手裏剣を投げた。妖魔を多目的室から出すよう誘導して。
狙い通り、妖魔は天井に貼り付いたまま部屋を出るはめになった。舜鈴はそれを追いかけていく。
「……何で手裏剣まで持ってるんだ?」
暗器使いなのは知っているが、それじゃまるで忍者じゃないか。
恭弥は珍しくツッコミを入れたくなったが、今はそれどころじゃないと自分に言い聞かせた。
目を閉じ、壁に触れる。
もし壁の中に本体がいるなら、これでどこにいるか解るはず。
僅かな妖気と霊気をたどって――
「なっ……!」
恭弥は手首の感覚に驚いて目を開けた。
壁に着いていた手を掴まれていたのだ。
自身の手首を掴んでいるのは、灰色の手だった。肉が腐り落ち、骨が見えている。しかも壁から突き出していた。いや、それはもうはえていると言っていいだろう。
これは――妖魔の手ではない。
あの妖魔の手は、完全に白骨化していた。なら、この手はまさか――!
恭弥は驚き、しかしなお冷静だった。これが妖魔に連なるものだとすぐ見抜き、術で祓おうとしたのだ。
の、だが。
「……っ……?」
突然視界が揺らめいた。暗い部屋が白黒に映り、やがて何もかも黒に塗り潰される。
思考さえも黒に染まっていき、やがて恭弥の意識は、ぶつりと途絶えた。
―――
妖魔の額にクナイが突き刺さった。
かなり深く刺さったはずだが、妖魔の額から血は出ない。もしかして、彼は文字通り皮と骨だけでできてるのかもしれない。
血などとうに渇れ果てて。
人の皮を被ってる。
かつて人であったのに。
「……ていうか、何で倒れないの」
舜鈴は額に刺さったクナイを抜く妖魔を見て、顔をしかめた。
かなりタフらしい。出し惜しみをしていれば足元をすくわられるだろう。
舜鈴はため息をついて指を鳴らした。
妖魔はそれを見ていぶかしげな顔をするが、その目が驚きで見開かれる。
当たり前だ。いきなり後ろから攻撃されたら誰だって、妖魔だって驚くだろう。
「『傀儡姫』、やっちゃって」
舜鈴が命令を下すと、妖魔に蹴りを喰らわせた人形――『傀儡姫』は、手に持った剣を振り下ろした。
振り返ろうとしていた妖魔だったが、その前に背中をけさがけに斬られ、ばったり倒れる。そのまま、地面に溶けるように消えてしまった。
「……最後はあっけないね」
舜鈴は拍子抜けして目を瞬いた。
「まぁ、いいや。早く恭弥のとこに戻んなきゃ」
舜鈴は踵を返し、多目的室に向かった。
扉を開け、中に入った舜鈴は、急に吹いてきた冷気に身をすくめる。
一体何だと室内を見渡して、絶句した。
どうしてこうなったのか、室内全体が凍り付いていた。天井も壁も床も教材も、何もかもだ。
自然にこんなこと――まして七月にこんな風になるわけない。つまりこの凍った部屋は、誰かの手によるものということだ。
「あら……貴女でしたか」
その誰かとは、どうやら恭弥の部下である雪女、氷華のようだった。
彼女は常に恭弥に付き従っている。ここにいることは別におかしくない。
問題は――
「どうしてこんなことになってるの?」
ばきばきに凍っている室内を指し、尋ねると、氷華はその場にしゃがみ、倒れた何かを太ももの上に乗せた。
「き、恭弥!?」
その何かとは恭弥であり、気を失っているのか目を閉じてぐったりしている。
「妖気にあてられたようですわ。何ぶん病み上がりですので」
「そう……」
舜鈴は何気無く傍の壁を見て目を丸くした。
凍った壁。それをよく見ると、何と手がはえていた。
腐りかけた手、白骨化した手――二十はありそうな手が、壁から突き出して、そのまま凍っていた。
「恭弥様を壁に引きずり込もうとしたようですわ。まったく……穢らわしい手で恭弥様に触れるとは……」
「まぁ、それは同感だけど……でも、これもあの妖魔なの?」
「いや」
と。恭弥が目を覚ました。凍った床に手を着き、身体を起こす。
「だ、大丈夫?」
「あぁ。それより、あの手だが」
恭弥は立ち上がって謎の手に目をやった。
「多分、妖魔に壁に引きずり込まれた者の霊だ。妖魔の影響で、悪霊化している」
「じゃぁこの壁に……」
「本体がある」
恭弥は呪符を取り出した。
「式神形変術――『鬼切』」
呪符は三メートルはありそうな巨大な槍に変化した。太さは恭弥の腕より一回り大きい。それを軽々と構え、穂先を凍った壁に向ける。
「二人共、下がっていろ。破片が飛ぶぞ」
恭弥にそう言われ、舜鈴と氷華は二、三歩下がった。
恭弥は槍を振りかぶり、壁に叩き付けた。
一度だけ。たった一回だった。
ドガアァァァァァァッ
だがそれだけで、壁は氷ごと粉砕され、こなごなになってしまった。
一瞬壁全てを破壊してしまったような錯覚を覚えたが、そんなことは無かった。
壊れたのは一部だけ――手がはえていた部分のみだけだ。
そしてその中から、恭弥に向かって何かが倒れ込んできた。
ほこりですっかり白くなり、ぼろぼろになった学ラン。白骨化した身体。
普通なら悲鳴を上げて避けるのに、恭弥はそれらのことをしなかった。
ただその白骨死体を受け止めたのである。
倒れた友人を支えるかのように、そっと。
驚く舜鈴の前で、恭弥は静かに微笑んで呟いた。
「見付けた」
―――
「最初は、ただ見付けてほしかっただけなんだろう」
警察署を出た後、恭弥は舜鈴にそう言った。
あの後警察を呼び、恭弥と舜鈴はそのまま警察に付いていった。いや、この場合は連れてていかれたという方が正しいか。
退魔師であることを話し、更に悠の知り合いである高野刑事の弁護もあって、三十分ほどで解放されたが。
「見付けてほしかったって、誰が?」
舜鈴が首を傾げると、恭弥は「妖魔がだよ」と説明を始めた。
「おそらくは殺されて、あそこにコンクリートで埋められたんだ。殺したのは誰か、今となっては推理しようが無いが」
「でも、何であんな噂に……」
「結び付いてしまったんだろう」
恭弥はため息をついた。
「噂自体は前からあったんだ。ただその時は、校舎で聞こえてくるもういいかいという声に答えたら、鬼に喰い殺されるというものだった」
「それが……いつの間にか噂がすり変わって今の形に?」
「そしてその影響を、彼は受けてしまった。いや、逆か。彼自身が噂になって、そのせいで噂が変わってしまったのかもしれない。かくれんぼから派生した怪談のようだからな、ぴったりはまってしまったんだろう」
「呼び出すための問答は、そのためか」
見付けてほしい。あれには、そういう意味が込められていたのか。
「しかし……悪霊化していたみたいだからな。地縛霊にもなっていたようだ。見付けてほしくて壁に引き込んで、結局殺してしまった」
恭弥は軽く目を伏せた。
壁の中には妖魔の本体である白骨死体の他にも十一人の死体が見付かった。おそらく全て、壁に引き込まれてしまった被害者だろう。
その中には、まだ腐敗が始まったばかりの死体もあった。最近行方不明になった生徒だと思う。
「今回のことで、恭弥の学校大騒ぎになるんじゃない?」
「だろうな。だが、休校にはならないだろう。授業ができなくなる」
「進学校だもんねぇ」
舜鈴は笑い声を上げた。時間も時間のためか、音量は小さい。
「……ただ、解決はしたが気になることがある」
恭弥はそれに笑い返した後、表情を引き締めた。
「何?」
「どうして今頃になって、こんな古い事件の噂が流れたのかだ」
「卒業生が教師になって、その人が生徒に話したからとかじゃないの?」
「うちに新任の教師――ましてや、うちの卒業生なんて来ていない。だからこそ、おかしいんだ。そういうことを調べる部活や同好会も無かったはずだし」
「え、じゃあ」
舜鈴は驚いたのか、足を止めた。
「どうして、そんな噂が広まったの?」
「さぁな。今回のことで噂はいずれ消えるだろうが……しかし」
恭弥は腕を組んだ。眉間にしわが寄るのを感じる。今自分は、きっと厳しい表情になっているだろう。
「一段落はしたが、終わりではなさそうだな、今回のことは」
自然、ため息が出た。何だか、酷く疲れた気分だ。
「悠の方も大変のようだし、一体どうなっている……」
「悠の方も?」
舜鈴は首を傾げた。
「何かあったの?」
「あぁ。実はある寺が何者かに潰されてな。僧も全員殺されたらしい。ニュースになっていたろう」
「あぁ、そういえば昨日。詳しくは言ってなかったけど……。……」
舜鈴はなぜか急に黙り込んだ。
何か思案してるような――悩んでいるような顔だ。
「舜鈴?」
「あのね、恭弥。私、諸事情でまだ日本にいることになったの。母様の命令で……重要なことだから、刀弥さんにも話して」
舜鈴の言葉に、恭弥は眉をひそめた。
「どういうことだ?」
「実は……」
舜鈴は真剣な表情と眼差しで恭弥を見上げた。
「最近、宗教テロのようなものが起きてるの。世界レベルでね。悠が関わってるっていうその事件も、多分関係ある」
―――
「ど、どうしてだ!?」
男の叫び声に、青年は不愉快そうに眉根を寄せた。かまわず、男は続ける。
「お、おまえらに協力すれば、私の罪を隠してくれるんじゃなかったのか!? ど、どうして」
ここは屋上。後ろは逃げ場の無い空中。その状況下で何をされるかなど、誰もが想像できることだ。
「……だから」
青年はため息をついて、男の胸を押した。
足場の無い空中へ、押しやるように。
「貴方が死ねば、隠す必要も無いでしょう」
男は悲鳴を上げなかった。急なことで驚いたのか、それとも恐怖が行き過ぎたのか――どちらにせよ、無言のまま落下した。
それを一瞬だけ見つめた後、青年は踵を返して建物の中に入ろうとした。
「似非紳士」
と。急に降ってきた声に、青年は顔を上げる。
見上げた先――給水塔の上に、闇夜でも目立つ金髪の青年がいた。
「君ですか」
「暇だった」
金髪の青年はそう言い、隣に音も無く降り立った。
自分より十センチ以上下にある顔を見下ろし、青年は苦笑をもらす。
「いきなり似非とは、随分な言いようですね」
「今更だ。それに、椿恭弥を殺せなかったじゃないか」
「それ、似非関係無いですよ。弱っているようでしたから、楽だと思ったんですけどねぇ」
肩をすくめてみせると、金髪の青年の瞳が冷たくなった。
「……そんな風に見ないでくださいよ。しかし、それにしても」
青年はため息をついた。
「問題は彼が今回のことを疑問に思っているようなんですよ。それは計算外でした」
「問題無い。いずれにせよ奴らとは潰し合う。むしろ向こうからこちらの懐に入ってくる方が好都合だ」
「それもそうですね」
青年は微笑を浮かべた。
「狂った計算は正せばいい。訂正箇所は訂正すればいい」
「そういうことだ。『我々』は最終的に、勝ちさえすればいい」
金髪の青年はにこりともせずそう言った。それに対し、頷きを返す。
「というか、勝ち以外に選択肢はありませんよ。勝つのが当然なんですから」
「そうだな。俺達には神のご加護がある」
そして二人は、口癖のようにくり返される、『彼ら』の合言葉とも言うべき言葉を口にした。
『全ては神の御ために』