かくれんぼ<中>
肝試しというのは雰囲気が大切なのだが、なかなかどうして夕方の校舎は怖いようである。
友人達の顔色を見て、恭弥はそう判断した。
退魔師という仕事柄、怖いという感情はマヒしがちなのだ。恐怖には慣れっこなのである。
「それにしても……誰もいないな」
透が辺りを見渡して呟いた。当たり前だ、もうそろそろ六時を回ろうかという時間である。さすがに日も傾いてきた。
「ドキドキしてきました……何が起こるんでしょうね」
エドワードだけはやたらに楽しそうだ。見た目に反して、かなり心臓が強いらしい。
「と、とにかく中に入ろうぜ」
「声、裏返ってるぞ」
企画立案者が情けない……恭弥は嘆息する。
と。黒い蜂が恭弥に羽音も立てず近寄ってきた。
「蠱針」
恭弥が誰にも聞こえないよう口の中で呟くと、蜂は呪符に戻った。
「収穫無しか」
「何だ、式神放ってたのか」
透がそれに気付き、声をひそめて話しかけてきた。
「何か解ったか?」
「何も。妖力が弱過ぎてな、式神を通してだと何も解らなかった」
恭弥は肩をすくめ、先を行く友人達に続いた。
校舎内の教室には、一つも電灯がついていなかった。無論、廊下も例外ではない。
「外はまだ明るかったけど、中はやっぱ暗いな」
透は携帯のライトをつけた。
一寸先は闇――というほどではないが、離れたものだと影でしか認識できない。構造的に、校舎というのは光が入りにくいものである。
恭弥は右側にある階段を見やった。確か多目的室は三階のはずだ。
その階段を友人達と登りながら、恭弥は考える。
どうしてもういいかいと答えたこちら側が捕まるのだろうか。こういうたぐいのは、必ずその言葉にそった行動を起こすのに。捕まった後に、何かさせるのか。
いや、そもそもどうしてそんな噂を、噂を流した本人は知り得たのだろうか。やはり教師、もしくは卒業生にでも聞いたのか。
――どれほど考えても解らない。情報が少な過ぎるのだ。せめて噂の元となった事実さえ知ることができれば――
「恭弥?」
透の声に、恭弥は我に返った。
「あぁ……何だ?」
「いや、着いたって」
透が携帯で指した方向を見ると、確かに多目的室の前だった。
「どうした? やっぱまだ本調子じゃねぇのか?」
「いや、考えごとをしていただけだ。問題無い」
「あ、そう。ならいいけど。頼むぜ、もしもの時はおまえが頼りだからな」
「で、おまえは逃げるんだろう?」
「もち!」
「……阿呆」
恭弥はやれやれと首を振った。
友人達は何やら相談している。大方、誰が例の言葉を言うか決めているのだろう。エドワードはその様子を面白そうに眺めていた。
案の定、彼らはじゃんけんしだした。一回で決まったらしく、一人ががっくりとうなだれる。
ちなみに、企画立案者だった。
「……恭弥」
「却下」
「まだ何も言ってないよ!?」
断られたのがそれほどショックなのか、友人は青ざめた顔を更に青くした。
「くそ……。……じゃあ言うぞ」
諦めの顔で、友人は深呼吸した。そして震える声で例の言葉を口にする。
「も、もももももういいかーい」
……どもり過ぎだった。
これでは出てこないんじゃないかと、全員がため息をつきかけた時――
もういいよぉ。
か細い、耳をすまさなければ聞こえないぐらい弱々しい声が響き渡った。
反響しているのか、こだまのように何度も聞こえる。しばらくして聞こえなくなった後も、固まっていた恭弥達の耳に残っていた。
「嘘、だろ……」
声を上げたのは、例の言葉を言った友人だった。
「あ、あれは噂じゃなかったの、か……!」
友人は声にならない悲鳴を上げた。
当たり前だ。この状況でいきなり肩を捕まれたら、誰だってそうなる。
そのことを予想していた恭弥でさえ、言葉を失った。
掴んだのは、白い手だった。肌の白さではない。骨の白さだ。それが飛び出しているのは、この高校の旧服である学ラン――しかもぼろぼろだった。
やがてぬう、と頭が現れた。
手が白骨化しているのに、その顔は青白いことを除けば普通だった。
黒い短髪の、恭弥達とあまり変わらないであろう歳の青年だった。細い目に収まる茶色の目は虚ろで、どこを見ているか解らない。
「捕まえたぁ」
『彼』は薄い唇を歪ませ、友人に身体を寄せた。
友人は小さく悲鳴を上げ、振り返ろうとした。怖いもの見たさだったのかもしれない。
しかし恭弥は、その行為の危険性を知っている。
「振り向くな!」
恭弥が大喝すると、友人はその動きを止めた。恭弥はその間に、懐から呪符を取り出す。
「走嵐」
手に持った呪符が瞬時に大狼へ変わる。大狼は学ランの青年の首に喰らい付き、友人から引き剥がした。
「は、え?」
「逃げるぞ!」
呆然と立ちすくむ友人の手首を掴み、恭弥は走り出した。他の者は透が誘導している。
「き、恭弥……さっきのっておまえ……」
「早々に出るぞ。ここは危険だ」
友人の質問には答えず、恭弥は一階を目指した。言っても、後で忘れさせるのだから意味が無い。
階段を駆け下り、出入口まで行く一同。が、そこで問題が起きた。
「あ、開かない……!?」
先程まで開け放たれていた鉄の扉が固く閉ざされていた。だけでなく、びくりとも動かなかった。
おそらく、鍵がかかっているのではあるまい。どうやらここは、完全にあの青年のテリトリーらしかった。
否、ここまでくると、あの青年は妖魔と言うべきだろう。友人達が話していた、あの噂の。
しかし解らない。なぜ、あの青年の手は白骨化していたのだろうか。もしかしたら彼には本体があって、それが白骨化しているのだろうか。
――そういえば、この校舎の多目的室前で呼び出さなければならないと友人は言っていた。逆に言えば、そこ以外で呼び出せないということだ。
多目的室に何かあるのか。そういえば、旧校舎は二十年ほど前に――
「うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
友人達が悲鳴を上げた。
思考から現実に戻ると、階段から学ランの青年――もとい妖魔が降りてきた。
ゆっくりと。獲物を追いつめたことを確信したように。
式神は例外を除いて術者が離れ過ぎると呪符に戻ってしまう。だから妖魔が倒されていないことには驚きはしない。
ただ、無傷とはいかなかったようだ。首の半分が喰いちぎられている。血は出ていないが。
妖魔は恭弥と目が合うと、ぎい、と笑った。それは冷水のような笑みだったが、恭弥は表情を変えない。
それよりもっと恐ろしい笑みを、恭弥は知っている。
「ど、どうしよう……逃げ、逃げないと……」
「で、でもどこに?」
友人達が騒ぎ始めた。長引かせるのは、ありよくない。
「黒鋼丸」
恭弥は再び式神を出した。今度は鎧武者だ。
鎧武者が太刀を振るうと、妖魔は簡単に吹っ飛ばされた。
「え、何あの鎧武者!?」
「恭弥、おまえ一体……」
呆然とするギャラリーを無視して、恭弥は命令した。
「斬れ」
ザンッ
鎧武者の大太刀が妖魔を脳天から縦割りにした。
血は、やはり出ない。どころか、妖魔の姿が揺らめき、やがてかき消えた。
狩った――わけではなさそうだ。
しかし、とりあえず危機は脱したらしい。きい、ときしんだ音を立てて、出入口が開いた。
安堵のため息をつく一同。しかし恭弥は、顔をしかめて妖魔が消えた場所を睨み付けていた。
腑に落ちない。いや、最初からそんなものは感じている。
一体、今回のこの件は、どうなっている。
―――
「確かにそりゃ……変だな」
刀弥の眉間にしわが寄った。
夜。夕食をすませ、兄の部屋に行った恭弥は、そこで刀弥に高校でのできごとを話した。
刀弥も恭弥と同じ気分に陥ったようで、精悍な顔をしかめている。
「奇妙な違和感がある。妖魔に常識を求めるのは今更だが、こういうたぐいのは矛盾が無いはずだ」
「それに、尋ねるのが襲われる側だ。これも普通――ではないが――違う。尋ねるのは襲う側、つまり妖魔の方だ」
恭弥は出された茶をすすった。
「どこかで噂が変わっちまったのかもしれねぇな。怪談や都市伝説で形成された妖魔は、特に人の影響を受けるから、それに合わせて妖魔の性質が変わってもおかしくねぇ」
兄の言う通りかもしれない。噂話ほど不安定な話は無い。伝わる過程で変質してしまうことは、多々あるのだから。
ただ、問題は――
「あの時……狩れなかったってことは、どこかに本体があるということだろう。そしてそれは、おそらく多目的室にある」
「確信持った言い方だな、恭弥。何か確証が得られたのか?」
「帰ってすぐ、インターネットで調べたことがる。氷華に調べさせてもよかったが、いかんせん情報収集向きではなくてな」
恭弥は肩をすくめ、説明を始めた。
「二十年前、うちの生徒が一人、行方不明になっている。宮部隆一、当時二年。不良で有名だったらしい。まぁうちの高校だから、たかが知れているが」
「それで」
「その時、うちの旧校舎――当時はそこ以外に校舎は無かったが――建て直しされている。内外の壁を塗り替えたり、な」
「……ふぅん」
兄の反応は、それだけだった。
聡い彼のことだ。こちらの言葉の意味には気付いているだろうが、反応は薄い。
わざとそうしているのだろう。感情をあらわにするような真似を、彼はしない。
「なるほど、不明だった原因がこれで解ったってことか」
「まだ可能性の段階だが……それに、経過と結果にも、不明瞭なところがある」
恭弥は茶を飲み干すと、ため息をついた。
「これ以上噂を広められたら困る。とりあえず元を断ち切るつもりだ」
「今夜か?」
「今夜だ」
「気ぃ付けろよ」
刀弥は苦微笑のようなものを浮かべた。止める気は無いらしい。
ただし、と条件を付けられはしたが。
「一応病み上がりだからな。氷華だけでなくもう一人退魔師を連れていけ」
「もう一人……」
そう言われて、恭弥は思い出す。
そういえば、彼女はまだ帰っていなかった。こんな夜中に呼び出すのは非常識だと思ったが、彼女なら喜んで来るだろう。
刀弥とは違う種類の苦笑を浮かべつつ、恭弥は頷いた。
「解った」
「おう。日が明けるまでには帰れよ」
「うん」
恭弥は刀弥に笑みを向け、その部屋を後にした。
廊下に出た恭弥は、そっと息をついた。
そういえば、退魔師らしいことをするのは久しぶりだ。
ずっと自分は『人柱』だったから。
「……でも、今は違う」
恭弥は言い聞かせるように呟き、ズボンのポケットから携帯を取り出した。