背徳<下>
悠は舌打ちしたい気分だった。
まさか流星を人質に取られるとは思ってなかった。
「やはり……何度見ても綺麗だ……」
ツルでがんじがらめにされ、動けない悠を見つめるジョンは、ほう、とため息をもらした。
悠はそのため息に思わず顔をしかめる。
妖魔であるこのツルから逃れるのは造作も無いが、ジョンの足元に転がっている流星のせいでそれもできない。
もう少し離れていれば助け出すこともできるが、ジョンとの距離がほとんど無いのが痛い。
「……ふむ。ただ」
「……? 何」
ジョンの視線が顔から下に向いたことに、悠は首を傾げた。
「身体が残念だな」
「っ……!?」
めったなことでは動揺しない悠は、彼の一言で大きく傷付いた。
「ひ、人の気にしてることを! どうせ胸無いよ! ていうか、子供にそんなの求めないでよ!!」
悠の唯一のコンプレックス。それは胸が小さいことである。ちなみに現在Aカップ。
悠はひとしきり叫んだ後、息を整えて「それで」とジョンに問うた。
「貴方の目的は何? ただの殺人なら、わざわざこんなものに頼る必要無いはず」
「勿論。私には崇高な目的がある」
ジョンは胸を張った。
「私はね、完璧が欲しいんだよ」
「完璧?」
「正確に言うと、完璧な伴侶だね」
ジョンは教会で倒れたまま動かない女性達を見渡した。
「皆誰もがその容姿に何かしらの欠点を持ってる。完璧な容姿の女性など、女優でもいない」
ジョンの言葉を聞きながら、悠は頭の中で一つの仮説を立て始めていた。
おそらく正確の仮説。ほぼそれだけという仮説だ。
前にも似たようなことがあった。あの時は顔だけだったが。
「そこで、私は女性のいい部分を切り取り、それを繋ぎ合わせて理想の女性を作ろうと考えた」
「内蔵を取り出したのは中身を手に入れるためか……でもどうやって?」
「簡単だよ」
ジョンの言葉と同時に一本のツルが悠の口元まで移動してきた。
「このツルで中を取り出せばいい。口から入ってね」
「ふぅん」
悠はうねうねと動くツルを冷たく見つめた。
なるほど。ツルで中をいじり、もっともいい部分を取り出していたわけか。
「参考までに訊くけど、中と外、どっちを先に盗るの?」
「中からだ。……それにしても」
ジョンはいぶかしげな顔をした。
「さっきから、いやに冷静だね。怖くないのか?」
「怖い? 何が?」
悠はせせら笑った。
「なぜ貴方を恐れなくちゃならない? 私は貴方を嘲りこそすれ、畏怖の念など抱かない」
「強気だな。それとも何かの時間かせぎか?」
「さぁね。どうかな」
悠はとぼけてみせた。ジョンの顔が苦々しくなる。
悠はそんなことは意に介さず、続けた。
「私相手にかけ引きは無謀というものだよ。こう見えて、それなりの修羅場はくぐり抜けてる」
「……どちらにせよ、天使を味方としている私が負けることが無い」
「天使、ね」
悠は自分に絡み付く太いツルを見下ろした。
「やっぱりどう見ても妖魔――貴方の国で言うところの悪魔にしか見えないけど」
「天使の姿は千差万別だ。統一性は無い」
「そう。知らないみたいだから教えとくけど」
悠は右手首をひねった。
「妖魔の姿も、千差万別なんだよ」
バチイィィィィィィィィィィィィィィィンッ
悠の動きを封じていたツルが、全てはじけ飛んだ。
こなごなに。ばらばらに。
あとかたも無く――砕け散った。
「な、なっ……」
「やっぱり退魔の術が効いたね。そもそも妖魔だから妖気を放つんだ。妖気を放つ天使なんて、聞いたこと無い」
悠は髪を後ろに払い、微笑した。
「さて、根元があるはずだ。それを断ち切らせてもらうよ」
「……っ、待て! こっちには人質、が……」
ジョンは目を下に向けて、固まった。
当たり前だ。先程まで足元にいたはずの女達がどこにも、少なくとも教会内のどこにもいないのだから。
「私の腹心――と言うべきかな? そういう存在のものが外に連れ出してくれたよ」
「馬鹿な! 私に気付かれず、あの人数の女を!?」
「あいにく……それは人ならざるモノでね」
「ぐっ……だ、だがこの男だけでもいれば」
「っつー。あー、いってぇ」
突然。
気絶していたはずの流星が起き上がった。
頭から血が流れ、頭の骨は割ればせずともひびぐらいは入っているはずなのに、全く平気そうである。
鬼童子の治癒能力。そして頑丈さ。
悠はそれを見越して、流星が起きるまで時間かせぎをしていたのだ。
時間かせぎ。
まさに、ジョンの言う通りだったのである。
「殺す気かよ……あー、なんかくらくらする」
「流星、起きるの遅い」
「頭殴られた奴にかける言葉それ!?」
よかった、元気そうだ。悠は内心でほっとする。
しかしそれをおくびに出さず、注意をうながす。
「流星、頭またやられるよ」
「へ?」
流星の顔が上を向く。その顔に、ジョンの鉄棒が迫った。
「っと、うぉ」
しかし流星は、前転の要領でそれを回避した。その後すぐ、小刀を抜く。
「二度も頭殴られてたまるか」
「これ以上馬鹿になるわけにはいかないからね」
「怒るぞ!?」
叫んだせいで頭に響いたのか、頭を押さえる流星。しかし血は早くも止まってきているようで、頬を伝っている血はぬぐってもまたたれることは無かった。
「で、これからどうする?」
「そうだね……」
流星にそう問われ、悠は自身の唇に中指を押し当て思案した。
ジョンは明らかに追い詰められ、焦っているようである。今なら交渉ができるかもしれない。
「選んでもらおうか」
「え、選ぶ?」
ジョンの声が上ずる。整った顔は、完全におびえていた。
「おとなしく妖魔を引っ込めて警察に出頭するか、このまま抵抗して痛い目を見るか。前者を選んだ方が、よっぽどいいと思うけどね」
ただ、これまでの罪状を考えると極刑はまぬがれないかもしれないが――それは言わないでおく。無駄に興奮させるだけだろう。
「後者を選んだ場合は、精神的によろしくないと思うけどね」
「っ、く……」
「救いを求めるか否か、全ては、貴方次第だよ」
「っ、の……」
ジョンは左手を振った。それに呼応し、無数のツルが床を半壊させて現れる。
足場が不安定になったところで、全てのツルは悠と流星に向かってきた。
「流星」
「おう」
しかし二人は慌てない。まず流星が前に出る。小刀の炎は、すでに大きくなっていた。
「せーのっと!」
流星はふざけたかけ声と共に小刀を振るった。
刃から炎のかまいたちが放たれ、ツルにぶち当たる。動きが止まったところで、流星は視線を落とした。
床下から出現した大きな穴。おそらく地下に続いているのだろう。ツルは、そこから伸びているようだ。
「下か?」
「下だね」
「そうか」
流星は一つ頷き、小刀を振り上げた。
「っ、やめ――ぐあ!?」
止めようとしたのか、ジョンは右手を動かそうとした。が、悠は一息で間合いを詰め、彼の腹に蹴りを入れて動きを止める。
「この左手があの植物妖魔と連動してることぐらい、すでに見抜いているよ」
悠は更に足払いをかけ、ジョンを床に叩き付けた。そして彼の左腕を掴み、背中の後ろで固定する。
「うおぉぉぉぉぉぉ!」
流星の雄叫びと共に、小刀の炎が大きくなった。そのまま振り下ろすと、巨大な炎の塊が放たれる。
炎の塊は穴に落ちていき、その中を照らす。一瞬全体がツルに覆われた目玉が見えた気がしたが、すぐに吹き出した火柱で見えなくなった。
火柱は教会の最上部まで届き、天井をなめ上げる。
それを見た悠は、まずいと思った。
「流星、今すぐここを出るよ」
「ん? 何で?」
「多分あと一分もしないうちに、ここ焼けるから」
「……マジで?」
原因を作った流星は、顔をひきつらせて熱さ以外が理由であろう汗をかいていた。
焼けて崩れていく教会をバックに、流星は頭を抱えていた。
「やばいやばいやばいやばいマジやばい」
「大丈夫。いざとなったら黙らせるから」
「誰を!?」
どんな精神状態でもツッコむことを忘れない流星である。というか、今のは無視できない。
女性達はすぐ傍で眠っている。じき救急車が来ると朱崋が言っていたし、問題無いだろう。
そこで流星は、ある人物がいないことに気付いた。
「あれ? あの神父は?」
あの目立つ金髪が見当たらないことに少し慌てると、悠は肩をすくめた。
「知らない」
「……あの中とか言わないよな?」
「いや、外に引きずり出しはしたけどね。でも逃げた」
悠は音を立てて崩れる教会を眺めながら携帯を取り出した。
「ま、逃がさないけどね。高野刑事に連絡して、指名手配してもらう」
「……その前に消防車じゃね?」
「呼んであるから問題無い。それより移動した方がいいよ」
悠がそでを引っ張ってきた。
遠くからサイレンが聞こえてくる。近くの民家に電気がついたところを見るに、民間人も起きたようだ。
「え。何で?」
流星が首を傾げると、悠は眉間にしわを寄せた。
「自分が放火したこと、忘れたの?」
「あ……」
そうだった。教会が燃えているのは、元はと言えば自分が力を入れ過ぎたからだった。
「逃げます」
「言われなくても気付いてよ……」
悠があきれたようなため息をもらしながら携帯を耳に押し当てた。そのまま早足で歩き出す。
「もしもし、高野刑事? 実は……」
悠が電話の向こうにいるであろう高野次郎と話し出す。流星は彼女の後に続きながら、後ろの女性達を振り返った。
女性達はまだ倒れたまだ。ぴくりとも動かない。
彼女達はあの男に何をされたのだろう。酷いことには違い無いが、どんな酷いことかは想像できない。
いや、したくないのか。
他人の狂気など知りたくないし、興味も無い。いや、そう自分に言い聞かせている。
悠にも言われたではないか、いちいち感情移入するなと。苦しむのは流星だと。
「……ねぇ」
と。通話は終わったのか、悠が声をかけてきた。
「何だ?」
「流星ってさ……やっぱり胸の大きい人の方が好き?」
「はぁ?」
何だ、その脈絡の無い質問は。
けれど、問われたのだから答えねばなるまい。
「そうだなぁ……そりゃ、無いよりあった方がいいのかもしれないけど、俺気にしたこと無いな」
興味が無いと言ったら、嘘になるが。
それは言わないでおく。言ってはいけない気がしたのだ。そしてそれは、実際正しい。
ともあれ。
「そっか……流星は気にしないんだ……そっか!」
何やら嬉しそうな悠が見れたので、流星はとりあえずよしとした。
―――
ジョンは逃げていた。
何からと問われれば、様々なものから、と彼は答えるだろう。
それは先程の二人からだったり警察からだったり――
だが彼が最も恐れているのは、それらではない。それらなどではない。
彼らに隠れてやっていたこと――今回のことがばれれば、自分は殺されてしまう。
警察に保護を求めようか。いくら彼らでも、犯人を守るぐらいやってくれよう。
――いや駄目だ。彼らでは無理だ。
『あいつら』は、その気になれば一個師団を潰すこともできる。平和に慣れ切った日本警察は、たちまち全滅するだろう。
なら、先程のあの二人は。素人目から見てもかなりの実力だ。おそらく、幹部とも渡り合えるだろう。
――いや、無理だ。無理だった。
あっちには『あいつら』だけでなく『あの方々』までいるのだった。
『あの方々』の前では、人の子などひれ伏すしかない。刃向かう術が無いのだ。
ジョンは絶望の底に落とされた気分だった。いや、実際そうなっている。
もう道など無いのだ。後ろの道は崩壊しているし、目の前の道は途絶えている。こうして無茶苦茶に逃走すること自体、もはや何の意味も無い。
ジョンは顔を歪め、どうしてこうなったと自問自答していた。
そんなことをしていたからだろう。前を全く見ること無く、結果誰かにぶつかってしまった。
「うわ!?」
しかも相手の方があきらかに小柄だというのに、ジョンの方が無様に倒れてしまう。
勢いよく走っていたのはジョンであり、相手はぼうっと立っていただけなのに。
「やっと来たか。待ちくたびれた」
否、彼は立っていたのではない。待っていたのだ。ジョンのことを、待ち構えていたのだ。
「その顔を見る限り、手酷くやられたらしいな」
「は……?」
ジョンはしりもちを着きながら彼を見上げた。
自分と同じ金色の髪に、明るいオレンジの瞳、小柄な体躯は少年のようで、整った愛らしい顔立ちにはしかし表情は無い。
ジョンは一瞬呆けた。こんな青年、会ったこと無い。
「何だ、頭の回転が遅い奴だな」
青年はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「俺が『使徒』だと、見抜けもしないとは」
「……っ!」
ジョンは目を見開いた。
「ま、まさか……」
座り込んだまま、後ずさる。立って逃げたいが、腰が抜けたらしい。足に力が入らない。
「ん? まだ信じられないか? ならこれで満足か?」
青年は長い前髪をかき上げた。あらわになった白い額。そこに刻まれていたのは、十字型の傷だった。
「う、うあぁ……せ、聖痕!?」
「やっと理解したか。愚鈍な奴だ」
青年はため息をついて、左手をジョンの頭の上に置いた。
とたん、ジョンの頭が燃え上がる。マッチもライターも無く、発火した。
「ぎゃああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「おまえのその残念な頭、消し炭にしてくれる」
燃え上がる頭に手を置き続ける青年。否、彼が手を置いているからこそジョンの頭は燃えているのだ。
十数秒ほどして、青年はジョンの頭から手を離した。
火の消えた頭は、まるで燃えた後のマッチ棒のようだった。
黒こげた頭と焼けていない身体。支えを失ったそれは、地面に何の抵抗も無く倒れ込んだ。その時の衝撃で、頭は砕けてしまう。
脳髄まで焼けてしまったらしく、血など一滴も出なかった。
それを無感動に見つめ、青年は呟く。
「神の教えに背かなければ、もう少し長生きできたろうに、愚かな奴」
青年は未練無くその場を後にした。季節外れなコートをひるがえし、音も無く歩く。
「神よ、愚かな罪人に裁きを与えました。全ては貴方の御ために……」
そう言う彼の口調は、先程と打って変わって熱を帯びていた。いっそ、狂熱と言っていいぐらいに。