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HUNTER  作者: 沙伊
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      幕開けの終焉<下>




 身体も頭も、重くて痛い。鉛でできているみたいだ。

 そうぼんやり思った恭弥(キョウヤ)は、次の瞬間はっとした。

 かすみががっていた脳内が一瞬で切りかわり、現状の異常さに気付いてまぶたを開ける。

 目に映ったのは、見慣れた自室の天井だった。もう見ることは無いと思った、自分の部屋だ。

「……恭弥」

 と。そんな風に声をかけられ、恭弥は呆然としたまま首を巡らせた。

 右手側に、兄の姿があった。怪我でもしたのか、左頬に薄いガーゼを貼っている。

「兄さ……何で……」

 出した声が予想以上にかすれているのに気付き、恭弥は唇をしめらせた。

「……僕は、死んだんじゃなかった、のか?」

「いや」

 兄――刀弥(トウヤ)は首を振った。

「おまえは魂を失って仮死状態だったんだ」

「……羽衣姫は?」

「おまえが目を覚ましたってことは、倒されたんだろう」

 刀弥の言葉が最初解らなかったが、恭弥はすぐ得心がいった。

「そうか、降魔武器の特性か。それに人柱は魂と身体、両方あって初めて人柱となる。だから封印は、解けたのか」

 恭弥はぐっ、と腕に力を込めて起き上がろうとした。

「お、おい恭弥」

「大丈夫。身体は重いが、前より楽になった気分なんだ。つっかえがとれたと言うべきか……」

 おそらくは封印のための呪が解けたからだろう。

 しかし恭弥は、それを嬉しいとは思えなかった。

 自分だけ生き残るつもりは無かった。他の人柱と同じように、死ぬつもりだった。それがつぐないになるなど思っていないが、そうするべきだと考えていた。

 まさに死にぞこないだ。自分は何度、死にぞこなえば気がすむんだろう。

 恭弥がうつむいていると、からり、とふすまが開く。そちらに顔を向けると、見慣れた顔ぶれがそこにあった。

「あ……」

 恭弥は小さく声を上げ、どうするべきか迷った。

 まぁ誰だってぼろぼろで血まみれで、おまけに疲れきった知り合いが現れたら、当然言葉を失うだろうが。

「恭弥!!」

 と。その中から一人、比較的小綺麗で、返り血などはあびていない者が抱き付いてきた。

「し、舜鈴……」

 恭弥が名前を呼ぶと、恋人は涙にぬれた顔をこちらに向けた。

「う、うぅ……恭弥ぁ」

 自分の名を呼びながら泣きじゃくる舜鈴を、恭弥はただ見下ろすことしかできなかった。

 どうして泣かれているのか、よく解らない。

「……恭兄」

 またも名を呼ばれる。顔を上げると、妹と目が合った。

「悠……」

「私達、勝ってきたよ。勝ったんだ、羽衣姫に」

 その瞳に涙が浮かんでいるのを見て、恭弥はまたも驚いた。

 その顔は哀しみの顔ではない。喜んでいるかのような笑顔だ。

 なのに、どうして泣いているのだろう。

「もう苦しまなくていいんだよ。もう、苦しい思いをしなくていいんだ」

 悠は足音も立てずに恭弥に近付き、畳の上に座った。刀弥の隣だ。

 妹の泣き笑いの顔を見つめながら、恭弥は続く言葉を待つ。

 悠は涙をぬぐい、最上級の笑顔をその美しい顔に浮かべた。

「だから約束、ちゃんと守ってね」

「……」

「どうせ忘れてたんでしょ、あの時の約束。恭兄にしては珍しいよね」

 そう言う悠の傍に、流星が立った。恭弥が視線を向けると、にかっと笑う。

 目を瞬く恭弥に、流星も声を投げかけた。

「おまえって無茶するよなぁ。悠もさ、ついさっき無茶してきたところなんだぜ」

「え……」

 恭弥は悠に視線を戻した。

 服の腹部分に穴が空いている。よく見れば、血もにじんでいた。完治はしているようだが、へたをすれば致命傷だ。

「まぁ半分俺のせいなんだけど……それはともかく、とにかくまぁ」

 流星は言葉を選んでいるようだった。

 もともと、口べたではないが達者でもない流星だ。言うべき言葉が出ず、困っているのかもしれない。

 その横で、悠もまた彼の言葉を待っている様子だった。

 瞳には少々の期待を、本当に僅かばかりの期待を込めている。……つまりは大方失敗するだろうと思っているということだった。

 流星は言葉を絞り出すのに、まだ難儀していた。

 この状況でどう言うべきか、いつまで悩んでいるつもりなんだろう。

 しびれを切らした恭弥は口を開こうとして――


「ただいま! んでもっておかえり!」


 流星に先を越された。

 一瞬何を言われたか解らなくて、次の瞬間どうしてそれだけを言うのに時間がかかったのだろうと思い、そして――

「っ……!」

 そして、急に胸が熱くなった。

 どうしてかは解らない。そもそも言葉の意味自体、よく解らなかった。

 しかし起き抜けとはいえ、頭の回転が早い恭弥はすぐ理解する。

 ただいま、とは、羽衣姫との戦いから帰ってきた彼ら自身のことをさしているのだろう。それはすぐ解った。

 なら、おかえりとは。

 それは自分に向けてだろう。最初からそこは確実だ。では、なぜおかえりなのか。

 多分生き返ったことに――魂が帰ったことに対してだ。

 実際、恭弥は長い間ここを離れていた気分なのだ。時間はそれほどたっていないだろうし、身体はずっとここにあったのだが。

 けれど、感覚的にはそうだった。ずっとずっと離れていて、ようやく戻ってこれたような気分だった――

「……え?」

 戻ってこれた?

 戻ってきた、ではなく?

 この家に未練も何も無い。家族のことは心配だったが、きっと大丈夫だと信じていた。だからこの家に戻りたいなど思ってなかった――はずだ。

 なのにどうして、自分はここにいることを安堵しているのだろう。

 恭弥は戸惑い、わけが解らないまま視線を漂わせる。

 と。紗矢と視線がかち合った。

 彼女は最初無表情だったが、恭弥と目が合うと微笑して頷いた。

 それが何を意味するかは解らなかったが、何となく、恭弥は目を落とす。

 舜鈴はまだ泣きじゃくり、自分にすがりついていた。声を押し殺して泣き崩れるその姿を、恭弥は見たことが無い。

 恭弥は視線を上げる。目の前にいるのは、兄と妹だ。傍に直立するのは大切な友人である。

 その奥にいるのは、自分のせいで大切な人達を失うことになった仲間達だった。だというのに、こちらに向ける視線はとても優しい。

「僕、は」

 何と言えばいいのだろう。何と対応すればいいのだろう。

 謝罪の言葉か。しかしそれが何になろう。

 泣けばいいのか。しかし泣くことができない。

 ならどうするか。どうするべきか。どうしたいか。

「……みんな」

 全く。流星のことを言えないな。

 そう思うと、自然と頬がゆるんだ。

 深く、そして難しく考えなくてもよかった。

 ただシンプルに、まっすぐ言えばいいだけの話だ。

「おかえり。そして……ただいま」

 恭弥はただそう言って、皆に笑顔を向けた。

 それが彼らに向けるべきものだと、そう確信して。


   ―――


 崩れていく。崩れていく。崩れていく

 建物が。道が。空間が。

 崩れて、崩れて、崩れていく。

 直ることなく、ただ崩れていく。

 戻ることなく、ただただ崩れていく。

 その様を眺める男は、無表情だった。

 その眼差しに暖かさも冷たさも含まないまま、じっと見つめる。

「……つわもの共が夢の跡、とはよく言ったものだ。人間も、言い得て妙なことを言う」

 男はふむ、と唸った。

 銀の双眸は、未だ崩壊し続ける『空間』を見続けている。

 彼がいる場所は何も無い。何もかも、全て黒で塗り潰されたかのようなその場所は、地面や天井も判然とせず、酷く不安定に思えた。

 普通なら立っているだけで不安になりそうなのに、男は自分の周りなど意に介さない。まるで自室にいるかのように、表情はいつも通りだった。

「存在すべきでないものは無に還った。千年の怨念も消えた。全て星の瞬き通り――」

 と。そこで男の目に熱がこもった。

 それは視線の先にあるものを燃やし尽くしそうなほど熱く、しかしあいにく目前にはもう何も無い。

「残った星は、俺の望んだ輝きと俺の望まなかった輝きのみ」

 薄い唇からこぼれる言葉も、炎のように熱い。否、まさにその言葉は炎だった。

 怒気を含んだ、業火だった。

「あと少し……あと少しで終わる。星の瞬きは……消える」

 男は呟く。それを、心底望んでいるかのように。


   ―――


「終わりは近いわ」

 女はコートのすそをひるがえしながら言った。隣の男も女と同じコートを着て、彼女の話に耳を傾けている。

 普段は面倒くさがりなのに、と女は内心苦笑しながら自分の胸元を押さえた。

「我々の悲願よ。退魔師達を『同志』に引き入れられなかったのは残念だけど、これも運命よ。彼らは選ばれなかった。ただそれだけよ」

「……よう言うわ。手駒が欲しいだけのくせして」

 男の言葉に、女は肩をすくめた。

「馬鹿を言わないでちょうだい。手駒と同志は違うわ。手駒は傭兵を雇えば充分よ。同志は、替えが効かない」

「代わりがあるか無いかの違いやんか」

 男はあふ、とあくびをもらした。

「なら、貴方は自分のことを手駒だと言うの?」

「さぁなぁ。俺は指揮する側じゃない。面倒くさがりな、ただの一兵卒やからなぁ」

「どの口が言うの」

 女はくすくす笑った。

「どのみち、これからようやく我々は日の光をあびれるのよ。ここでのことは半分失敗してしまったけれど、まぁいいでしょう」

 二人の男女は歩く。まだ夜も明けきらぬ町を。

「近いわ。新世界の夜明けが。我ら『使徒』の時代が!」

 女は高らかに言い放った。その頬を紅潮させながら。



 一つが終わり、一つが始まる。

 そのことに気付いている人間は、少ない。





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