幕開けの終焉<中>
何ともあっけない最期。
それこそ、馬鹿馬鹿しいような終わり方だった。
小説だったなら、読者がすっきりしない最終回だろう。
でも、これで。
「羽衣姫を……倒した」
倒れた女を見て、誰かが呟く。
それは流星自身だったかもしれないし、悠だったかもしれない。もしくは、日影達か。
声の主が誰か判然としないまま、全員倒れた女を見つめる。
その姿は、羽衣姫ではなかった。
長く豊かな黒髪は、薄茶に。恐怖を呼び起こす美貌は、親しみを感じる顔立ちに。身長は百七十センチ以上はあろう長身に変わる。
おそらく羽衣姫に身体を奪われたという猛の母、橘桜だろう。身体の前面を縦一文字に斬り裂かれ、顔の半分を失っているが、表情は穏やかだった。
そして羽衣姫の本体である黒衣は。
いや、もうそれは衣とは言えない。まるで長い間放っておかれたようにほつれ、ところどころ切れているそれは、ただのボロ布だった。
「……やったのか?」
流星は誰に訊くでなく尋ねた。
誰も答えない。けれど、一拍の間を置き――
『うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!』
声が、全員の声が上がった。
聞き慣れてしまった悲鳴ではない。
それは、歓声だった。
「やっと……やっと終わった。お、終わったのね……!」
日影は感極まったのか、わっと泣き出した。
「日影、何で泣くんだよー」
「泣きたくもなるわよ!」
戸惑う雷雲にそう返す。その傍では風馬が苦笑していた。
「俺達、勝ったんだ……」
雄輝がぼそりと呟いた。呆然とした表情だが、口元には笑みが浮かんでいる。
「やれやれ。数時間ぐらいしかここにいなかったのに、何年ももぐってた気分だ」
紗矢は肩をすくめた。疲れたのか、長々とため息をついている。
「うっ……」
と。文菜が急にしゃくり上げた。
「ダイジョブ? 文菜ちゃん」
慌てて舜鈴がなだめにかかる。そうしてる間にも、文菜の目からはぽろぽろと涙がこぼれ落ちていた。
「……猛?」
悠の声に流星が顔を上げると、猛が羽衣姫――否、母の亡骸の傍に立っていた。その顔に、表情は無い。
「……ごめん。おば様、助けられたらよかったんだけど」
悠は申しわけ無さそうにうつむいた。猛はそれに対し首を振り、膝を着く。
「いいよ。こうするしか無かった。どっちみちお袋は死んでたと思う。だから」
母の手を取り、その甲を自身の額に当てる。そうして閉じられた猛の目には、涙がにじんでいた。
「死体でも、こうして戻ってきてくれただけで……」
後に続く言葉は、嗚咽に飲まれてしまう。小刻みに震える身体は、年相応に見えた。
「……さて」
悠はそれを見て微笑した後、すぐさまそれを消した顔を上げた。
視線の先には、ゆらめきながらも未だ存在する月凪がいる。
「余韻にひたりたいところだけど、その前に訊きたいことがある」
『……羽衣姫のことだな』
月凪は顎を引いた。
『無論話すつもりだ。皆知りたいことだろうからな』
空気がまたぴん、と張りつめた。先程までゆるんでいたのに、もう空気が変わっている。
流星はそれに付いていけずに焦るが、月凪の話が始まったためにわたわたと耳を傾けた。
『先程言った通り、羽衣姫は帝の娘だった。名を雪宮。いや、思念の持ち主――と言った方が妥当かな。雪宮という個人は、とうに死んでおる』
「残留思念――否、怨念というわけ?」
悠の言葉に、また頷く月凪。
『我が生きていた時代以前の者だ。ゆえにこれから話すのは人づてに聞いたこと。が、真実なのは確かだ』
「……」
『彼女はあの通り美しい女だった。無論求婚者は多くいたが、誰の求婚も受け付けなかったと聞く。誰も自分にはふさわしくないとな。しかしそんなあやつも、ある日恋をした。よりにもよって、とんでもない奴にな』
「とんでもない奴……?」
『かの武器職人、姫の名を冠す武器共を造り上げた男――綺羅だ』
月凪の言葉に流星は眉をひそめかけたが、悠達の驚愕の面持ちを見て何も言えなくなってしまった。
「……流星」
黙りこくってる流星に、悠は冷めた視線を向けた。
「前に教えたからね?」
「……」
覚えとらんわ、そんなもん。
そう思ったが、やっぱり黙っておいた。話が脱線する恐れがある。
『雪宮が生きていた時代、綺羅はすでに百八の「姫」と造り終えていた。そんなおり、綺羅は雪宮に美しい衣を送ったそうだ』
「また、何で」
『さぁな。そこは我の知らぬところだ。ただ、雪宮は思ったであろうな。彼も自分を愛していると』
「……」
『身分差の恋だ。綺羅は優れた武器職人だったが、しょせん地下人。退魔武器を造り出したという実績が無ければ、たとえ御簾越しでも会うことすら叶わなかったろう』
「……けど二人は、出会った?」
『出会ってしまった、と言うべきかもしれぬ』
日影の言葉に、月凪は首を軽く振る。
『雪宮は、綺羅から送られた衣をまとって彼に会いに行った――らしい。そこから我も、話をしてくれた知人も知らぬのだが、おそらく拒絶されたのであろう。でなければ、あんなことはしない』
「あんなこと?」
羽衣姫。かつて雪宮と呼ばれた女。
彼女は、何をしたのだろうか。
予想はつくが、しかし想像したくない考えだ。聞きたくもない。
流星はそう思うが、月凪に心の声が聞こえるはずもなく、彼女は淡々と言葉をつむく。
淡々と。いっそ冷淡に。
『雪宮は綺羅を殺し、何を思ったかその後民衆も殺した。貴族も、中にはいたらしい。最期は当時姫の名を持つ武器共の使用者達に、殺されたそうだ。綺羅から送られた衣は、返り血と彼女自身の血で真っ赤に染まっておったらしい』
「そんな話……聞いたこと無い」
『であろうな。雪宮は仮にも皇族だ。そのことは表も裏も、徹底的に隠された。隠され、潰された。雪宮の存在自体、歴史から抹消された』
表からも裏からも姿を消した女。否、消された女。
彼女は一体何を思って、どんな思いでそんな凶行に及んだのだろうか。
「……あぁ、なるほど」
と。悠がそう声を上げた。その表情は、酷く寂しそうである。
「拒絶されたことによる絶望、落胆、そして憎悪。そういう感情が、ごちゃまぜになって何もかも壊したくなったわけだ」
『だろうな。彼女はその立場上、欲しいと思うものは全て手に入っていたろう。遅い、初めての拒絶は、彼女の心をかき乱したはずだ』
妾を愛して。
つまりは――そういうことか。
「けど」
流星はしかし、言わずにはいれなかった。訊かずにはいられなかった。
「そんなことで……たったそれだけのことで、人を殺すなんて。そんなこと、あるのか?」
『人は理性を持つ生物だがな、少年。しかしけして理性的な生物ではないのだ。理性など、感情によってたやすく崩れるものだよ』
無論我もな――そう月凪は答えた。
『そういう最期を迎えた雪宮だが、しかしその思念は、怨念は、そのまま衣に残ったのだ。綺羅が造った衣にな』
「それが……『羽衣姫』の誕生」
『姫』達が羽衣姫を嫌っていたのは、そういうわけか。
『綺羅は、このことを予測していたのかもしれぬ。否、それが奴の狙いだったのかもな。かの男は、美しい容姿とは裏腹に狂気にまみれた精神の持ち主だったと聞く』
「姫シリーズのありようも、それゆえか……」
姫持ち達は、自身の武器を見下ろした。流星も、悠の持つ『剣姫』に目をやる。
姫シリーズを造った男、綺羅。
まともな人間でなかったのは『姫』達を見れば解ることだが、もしそれが本当なら、彼はどういう意図でそんなことをしたのだろう。
自分の命まで失って。
『雪宮と呼ばれていた女は衣に憑き、その衣をまとった女の身体を乗っ取るようになった。それを封印したのは、我が師の祖先と聞く。それもまた人づてに聞いた話だが……』
月凪は、透けた身体を雷雲と風馬に向けた。
『どうやらおぬしらも、あの狸じじい――もとい、修験狸から色々聞いたらしいな』
「と、いうことは、貴女も?」
『あぁ』
風馬に対し、『とぼけたじいさんだった』と笑う月凪。紅い唇が弧を描く様に、流星は見覚えがある。
改めて彼女が悠の祖先だと確信した。楽しそうに笑う紅唇がそっくりである。
『我が今話したことは全て、あやつが教えてくれたことだ。……その後、我は羽衣姫と相討ちした』
軽くなりかけた場の空気が、月凪の言葉で一気に沈み込んだ。
『帝に見向きされなくなった更衣が、羽衣姫と同調してしまったのだ。あやつは宇治に設けられた祠に封印されておったのだがな……それだけでは足りんかったのだ』
「だから、人柱か」
『そう。我の発案ではないし、皆反対したが……帝のご命令でな』
「理不尽だね」
『無理も無い。当時は天災が多かった上に反乱が起きてな、そういうことに神経質になっておられたのだろう。……そのせいでいらぬ苦しみを背負わせたことは、申しわけ無く思っている』
月凪はぐっと拳を握り締めた。
『本当はあの時、我らがあやつを狩っておればよかったのだ。だが、我はあやつを哀れだと思ってしまった』
「……」
『全て我の咎だ。すまぬ……』
「……今更謝られてもね」
悠はため息をついた。
「千年も前のことでしょ? とっくに時効だよ。確かに始まりは貴女達だったかもしれないけど、それを責める気は、少なくとも私には無いよ」
悠はそう言って、仲間にちら、と視線を向けた。
皆複雑な顔をしている。当然だ。悠のようにさっぱりとした考えがそうそうできるわけない。
中には、祖先を恨んだ者もいるだろう。そういう思いから無縁なのは、紗矢と舜鈴ぐらいだ。
『我は――我らは、許されることを望んでいるわけではない。誰かに責任を押し付ける気もない。ただ、先ほど出た我の謝罪は本物だと、それだけは理解してほしい』
「……」
皆何も喋らない。何も言えないのかもしれない。
流星は急に居心地悪く感じた。正直なところ、自分には直接関係が無い。もともと人柱の話は、どこか遠い話に感じていた。
自分に何かを言う権利は無いのかもしれない。そんな風にも思っていた。
だが。
『鬼を宿す少年よ』
「え?」
『おぬしには礼を言わねばなるまい。我が子孫達と共にいてくれること、感謝している』
「え、いやあの……」
流星はいきなりそう言われ、驚く。
ごにょごにょと意味も無く口を動かしたあげく、「俺は別に……」としか返せなかった。
『そう思い悩むな。共にいてくれているだけでよいのだ』
「え……」
『傍にいる。それがどれほど人の支えになるかは、まだ解らぬだろう。しかしそれが大切なことぐらい、理解しているはずだ』
「……」
『これからも、我が子孫達と共にいてくれ』
こんな頼みごとを悠の祖先にされると思わなかった。流星は呆然とする。
しかし、そんなことは頼まれるまでもない。
「言わなくても、一緒にいる。そうするつもりだ」
『……そうか』
月凪はふっと笑った。その幻のような身体が、やがてかき消えていく。
『そろそろ時間だ。亡霊である我は姿を消す。我が子孫よ、我がおぬしを救えるのは今回のみだ。二度があるとは思うなよ』
「そんなこと思ってないよ。それくらい理解してる」
悠は微笑を――得意の不敵な笑みを浮かべて言い放った。
「自分を救えるか否か、全ては、私次第だよ」
『……ふはは』
月凪は笑った。笑いながら、消えていく。
『そうか、なら安心だ。それならこれから起こることも、何もかも心配いらぬか……』
声が、少しずつ遠くなっていく――
『――、―――……』
月凪の口が動いた。何か言ったようだが、流星には聞き取れなかった。
口の動きから読み取ろうにも、読唇術を使えなければ意味の無いことだ。
そのまま月凪の姿は――かき消えた。
幻であったように、幻影であったように。
月光の影のように消えた。
しばらく誰も、何も言わなかった。
現実と夢がごっちゃになったような、そんな地に足が着かない感覚があったからかもしれない。
少なくとも流星はそうだった。
羽衣姫を倒したことも、月凪が現れたことも、そもそもここにいること自体夢ではないかとさえ思えた。
試しに、夢かどうか確かめるための行動に出た。
つまり、自分の頬をつねった。
「……」
痛い。
強くつねったからめちゃくちゃ痛い。
「……何やってんの?」
しかも悠に冷たい目で見られた。
「夢じゃないかと思って……」
「そんなわけないでしょ。現実」
「そっか……」
そこで流星は首をひねる。現実ということは、あの時悠が言ったセリフも――
『大好き』
「……っ!?」
かあっ、と顔どころか全身が熱くなった。まるで内側から火を吹いているみたいだ。
そんな流星に気付いていないのか、悠は仲間に対し、静かに言った。
「さぁ、帰ろう」