マリオネットメイデン<中>
悠がいないと聞いて、流星はがっくり肩を落とした。
せっかくプレゼント買ってきたのに……
「すぐ帰られますよ」
気の毒に思ったのが、朱崋が慰めてくれた。
「にしても、連日で依頼か……ちょっと変だよな」
「ええ。今までこんな連続で依頼など、無かったんですが」
朱崋も不思議そうだ。
光と闇は、表裏一体。
どんなに平和でも、めくってみれば底無しの闇がある。
よって、妖魔が関係する事件は多いのだが、人間が気付くことはあまり無い。
だからこの事務所の客も、それほど多くない。
……なのに、こんな毎日のように依頼があるのはおかしい。
「俺が初めてここに来た時も、三週間振りだって言ってたし」
一ヶ月ほど前のことを思い出し、流星は眉をひそめる。
「ここのお客様は、多くて一ヶ月に四人ほどです。それにしても、次のお客様が来るのに数日の間があります」
朱崋も流星に同意した。
「もしかしてさ……誰かがここに来るよう仕向けた、とか?」
流星はふと思ったことを冗談めいて口にした。
朱崋は笑わなかった。くすりともしなかった。
いや、もともと笑うことが少ない(てか無い)少女なのだが、こんな風に驚くことも無かった。
「……どうして、そうだと?」
「え?」
朱崋の表情は、すでに消えていた。
しかし、薄赤の瞳には、まだ動揺が見え隠れしていた。
「……もしかして、マジでそうなのか?」
「……」
朱崋は何も言わなかった。沈黙が、肯定になっていた。
「え……一体誰が……」
「ただいまっ」
誰かが背中にぶつかってきた。手もまわしてきてる。
……って。
「うえぇぇ!? ゆ、ゆゆゆ悠!?」
「何? ひっついちゃいけなかった?」
流星のうなじ下辺りに顔をくっつけた悠は、上目遣いでじぃっと見上げてきた。
……俺、今死んでもいいです。
ちょっとむくれた顔が可愛いし、背中に柔らかいものが当たってるしで、本当に昇天しそうだった。
「流星、プレゼント買ってきてくれたんでしょ? ちょうだい」
「へ……?」
意識を手離しかけた流星は、悠の言葉で現実世界に戻った。
「あ、あぁうん。これ」
ずっと持っていた青いリボン付きの白い箱を渡してやると、悠は笑み崩れた。
「流星からのプレゼント……ふふふ♪」
なぜか、もの凄く喜ばれてる。
プレゼントあげただけだよな、俺。
「ね、中身何?」
「ん、えーと……」
「あー! やっぱ言っちゃ駄目っ。上で開けてくる。行こ、朱崋」
「はい」
「流星、店番頼むね」
早口にそう言って、悠は階段を駆け上がった。
朱崋も、流星に一礼すると悠に続いた。
「……何で俺が店番?」
流星はぽつりと呟いた。
「危なかったね」
悠は二階の壁にもたれて声をひそめた。
「申しわけありません」
朱崋は深々と頭を下げた。
「いいよ、別に。おまえのせいじゃないのは解ってるから」
リボンを解きながら悠は肩をすくめた。
中には、銀の髪留めが入っていた。蝶の形を模した細工が美しい。
「流星を巻き込むわけにはいかない。……て、やっぱ無理かな」
「ここにいる限り、彼らに関わらせないようにするのは不可能でしょう」
朱崋の言葉に、悠はだよね、と返した。
流星を辞めさせるか。いや、それは駄目だ。
(離れたくない。それに、何より……)
『……何でだよ』
流星の声が、脳内で響く。
『どうして……どうして俺が――』
悠は唇を噛んで、記憶が流れ出るのをせき止めた。
今、このことを思い出したって、意味が無い。
どうも今日は調子が悪い。
それもこれも、あの女性と会ったせいだ。
かつての自分と似ている、あの人に。
「悠様、顔色がすぐれませんが」
「ん……」
悠は口元を押さえた。
身体的ではなく、精神的な悪寒でだ。
「余計なことを思い出した。寝てくる。……そうだ。調べてほしいことがあるの」
悠は朱崋に一つ頼みごとをすると、フラッと自室に足を向けた。
『悠……おまえは私が……』
封印したはずの声が、蘇ってくる。
『おまえは、私の……』
「……違う」
頭を振り、浮かび上がる記憶を打ち消した。
「私はもう……弱く、ない」
悠は瞳を閉じた。
己の闇を、内にとどめるように。
―――
「……ひ~まだぁ~」
流星はレジにぐてー、と倒れ込んだ。
まだ昼前だ。夕方なら客がいるのだが、この時間は客の出入りがほぼゼロだ。
暇潰しに掃除でも、と思ったが、朱崋のせい(おかげ?)で必要無い。
棚の本は文字が読めないので無理。流星には記号にしか見えない。
(悠……何か様子がおかしかったな。くっついてくるし、プレゼントに大げさに喜ぶし、変な笑い方するし)
……後半は自分のせいだと気付かない流星である。
考えてもしかたがないので、頬杖をついてまどろんでいると、頭上から声をかけられた。
「起きて」
「はえ? ……て、あんた確か!」
顔を上げると、ほんの一時間前に会った不思議な女性が、目の前に立っていた。
「な、何でここに!?」
「勘に頼ったら来れた」
「か、勘……!?」
流星は立ち上がって唖然とした。
「さっき、君の想い人がうちに来た」
あまりに自然に言われたので、流星はあ、そうですかと普通に頷きかけた。
しかし、内容を理解して、口をあんぐり開ける。
「は!? 悠が?」
「うん。……いい店だな」
くるっと店内を見渡し、女性は胸の前で腕を組んだ。
「ちょ、何であんたんとこに悠が……」
「紗矢」
「は?」
「あたしの名前は西野紗矢。あんたじゃない」
女性は堂々とした態度で名乗った。
顔だけを見ればおとなしそうな女性なのに、ふてぶてしいというか。
「悪いか、ふてぶてしくて」
「いや、別に悪くは……て、今俺の心読んだ!?」
「気にするな」
「いや、気にするし」
顔に出てんのかなー、と思わず自分の顔に触れる。
そんな流星を見て、紗矢は口を開いた。
「……明るいな」
「え? 悪いですか?」
「いや。ただ」
紗矢の褐色の瞳に、探るような光が灯った。
「一ヶ月前にあんなことがあったのに、よく笑ってられるなと思って」
流星は、全身が凍り付く感覚を覚えた。
「な、何言って……」
「解らない? 君にとって、一ヶ月前は地獄のような日々だったろうに」
流星は呆然と、紗矢を見返すことしかできなかった。
彼女は何を知っている? 何を言っている?
何を、何を、何……
せき止めてたはずの記憶が、脳内を引っ掻き回す。
壁を濡らす血。
床に横たわる死体。
鼻腔を突く臭い。
醜い、化物。
(やめろやめろやめろ……!)
気付いた時には、床にしゃがみ込んでいた。
「大丈夫?」
紗矢が支えてくれている。どうやら、倒れかかったらしい。
「……ごめん」
「……え……?」
「君を苦しませるようなこと、言ったから」
紗矢はうつむいた。表情に変化は無いが、瞳には後悔の色が浮かんでいた。
「あたし、駄目なんだ」
「……何がですか?」
「……あたしは、人の心が読める」
紗矢はぽつり、と呟いた。
「それだけじゃない。その人の生きてきた道も『視え』るんだ」
「そ、それってどういう?」
紗矢は首を横に振って答えた。
「解らない。なぜ、あたしはこんな力があるのか。なぜ、他の人には無い力があるのか、まったく。……もしかしたら、前世は占い師だったのかな」
ふざけた口調で言う紗矢だが、流星は彼女から一つの感情を感じ取っていた。
『普通』でない者の孤独。
流星も知っている。あの辛い感覚を。
どんなに周りに友達がいようと、恵まれた環境に身を置こうと、自分が普通と違うということに変わりは無い。
周りと自分は違う。自分は普通じゃない。そう感じる人間は、世界で自分は独りきりにさえ感じられるのだ。
流星自身もそうだった。
霊感以外にも色々と『違う』から、ずっと独りに感じていた。
この人も、きっとそうなんだろう。
「あたしは人の心が読めるけど、人の心にどう応えればいいのか、解らないんだ」
紗矢は自身の手の平を見下ろした。
「あたしは……心さえも人と違う。何で他人が傷付くのかさえ、解らない」
「紗矢、さん……」
「解らないんだ。なぜあたしは生きている? なぜ存在している? なぜ普通じゃない? なぜ傷付けてしまう?」
なぜ、なぜ、なぜ……
何度も繰り返した言葉なんだろう。とても、とても哀しく響いてる。
流星は一度唇を湿らせた後、意を決して口を開いた。
「俺は、理由なんて無いと思ってます」
紗矢はいぶかしげな顔をした。かまわず、続ける。
「人間って、全部に理由を付けたがるけど、でもほとんどが、理由なんて必要無いと思います」
流星は無理矢理笑った。絶対ひきつった笑いになったと思うけど。
「生きてる。生きてるから存在している。それでいいじゃないですか」
「……変」
ぼそっと呟かれた紗矢の言葉に、流星はショックを受けた。
「え、俺けっこういいことっぽいこと言ったのに!?」
「嘘。冗談だから落ち着け」
ぽす、と頭を軽く叩かれ、流星はぽかぁんとした。
「アホ面」
「えぇ!?」
流星は思わず顔を押さえた。
「冗談。……ありがとう」
紗矢は立ち上がって店を出た。
「あたしも君みたいに考えられたら、こんな風にはならなかったろうな」
そんな言葉を残して。
―――
家に帰ってきたとたん、怒鳴り声が紗矢を迎えた。
「遅かったじゃない! どこ行ってたの!?」
「遅かったって……まだ五時じゃないか」
リングの窓上にかけられた丸い時計を見て、紗矢は目を瞬く。
「口応えしないで! お昼は?」
「外で済ました」
「だったら電話してよ!」
「メールしたはず。気付かなかった?」
「メールじゃなくて、電話して!!」
ヒステリックにまくし立てる母に、紗矢は眉をひそめた。
父が死んでから、母親はますます厳しくなった。
口応えすればこんな風に叫ぶ。少しでも遅ければ怒声を飛ばす。
自分を大切に思っていてくれてるのは解るが、少々度が過ぎる。
昔からそうだ。まるで人形のようにいとおしまれる。
しかし自分は生きた人間だ。マリオネットでもなければ、着せ替え人形でもない。
しかし、この女にとってあたしは人形なんだ……
自由が無かった。縛られていたのだ。
この家に。この女に。
(……まだ、駄目)
紗矢は無意識に固めた拳を掴んだ。
今、心にたまった鬱憤を母親にぶつけるのは簡単だ。
しかし、それをすれば壊れてしまう。
目に見えるものも、目に見えないものも、全て。
今まで、そう考えて抑えてきた。
しかし……今日は……
『どうして私の言うことが聞けないの?』
あぁまただ、と思った。
感情が高ぶった時だけは、人の心を読むこの力をコントロールできなかった。
だからどうしても聞こえてしまう。聞くべきでないことまで。
『貴女は私の娘でしょう? ちゃんと言った通りにしてよ!!』
(やめ、て……)
紗矢は額を押さえた。
現実と心がごっちゃになる。区別が、つかなくなる。
「まったく貴女はいつも私に余計な心配かけて!」
『本当にあの男そっくり』
あの男とは父のことだろう。母は、父を疎んでいたから。
「少しは私の気持ちも解ってちょうだい」
『自由気ままで、私の言うこと聞かないで!』
「私は、別に憎くて言ってるんじゃないの」
『どうして私の思い通りにならないの?』
「ただ、貴女に何かあったら死んだお父さんに顔向けできないし、それに」
『あの男を殺して、ようやく私だけのものになったのに!』
「……え?」
紗矢は耳を疑った。
今、母は何を?
「お、お母さん……今何て?」
「だから、私は貴女に危険な目に会ってほしくないし」
「違う! 今、何を思った? お父さんを殺したって、本当?」
母の目が大きく見開かれた。
「お父さんは交通事故でひき逃げされて、それで……あ」
紗矢ははっとした。
車庫に収まっている車。元は銀色の車だったが、父が死んだ翌日、黒に変わっていた。
それに父が死んだショックでか、昨日まで力が使えなかった。だから母が、父が死んでから何を思っていたかは知らない。
気付かなかった。気付けなかった。
父は事故死したんじゃなかった。殺されていた。
弁護士という職業柄、殺された可能性もあると思っていたが、その犯人が母?
誇りだった。常に毅然として優しく、たくさんの人を救ってきた父。
その父を奪ったのが、お母さん?
痛い。身体中が、痛い。
熱い。脳内が、熱い。
飲まれる、闇に。
『もう、止められないよ』
もう一つの声が、脳内で響く。
「……う」
拳を掴む手を、離す。
もう、抑えられない。
視界が、紅く染まった。