第二十七話 幕開けの終焉<上>
椿家開祖、椿月凪。彼女は、月に愛された女だと称された。
なぜなら彼女は、美し過ぎて、強過ぎたから。
人も妖魔も関係無く、彼女は何者をも惹き付け、魅了した。さながら月のごとく。
そして強過ぎる力ゆえに、彼女は孤高で、孤独だった。
月のように美しく、孤独に輝いて。
だからかもしれない。
彼女は最凶にして最悪の『羽衣姫』を前にして、一度として恐怖しなかった。
ただ、憐れんだのだ。
「おぬしは、長い時をかけて眠る必要があるかもしれぬ」
そう『彼女』に言いもした。
だから、斬りはしてもとどめはささなかった。
慈悲深い女ではなかった。けれど、彼女は知ってしまったのだ。
『羽衣姫』が、『羽衣姫』でなかった頃を。
―――
流星は驚きのあまり、『剣姫』を離した。
しかし自由になったというのに、『剣姫』は動かない。
彼女も驚いているのだろう。当然だ。過去の人間が、死んだ人間が、己自身である刀から現れたのだから。
『ふむ……しかし出てきたはいいが、我ができることはさほど無さそうだ』
衣をすっぽりかぶって狩衣を来た女――月凪は、顎に手をやった。
『まずは、我が子孫の身体からおぬしを引き剥がすことにしよう。「剣姫」よ』
「っ……!」
『剣姫』の表情がさっと変わった。
「私を引き剥がすだと? そんなの……不可能だ!」
『可能さ。その身体は元よりおぬしのものではない。異物を抜くことに、さほど時間はかからんよ。とはいえ』
月凪はどうやら、羽衣姫に視線を向けたようだった。羽衣姫の顔が少しひきつる。
『おぬしはその僅かな時間を、与えてくれるのかな』
「……与えるわけ無いでしょぉん」
羽衣姫は両手を刃に変えて走り出した。
「最初は驚いたけどぉ、よくよく考えれば妾は幸運だわん♪ 憎ったらしい月凪ちゃんまで殺せるんだからん!」
『……あいも変わらす短絡的な』
迫りくる二つの刃を恐れもせず、月凪はため息をついた。そもそも生きてすらいない彼女に、刃を恐れる理由など無いのだろう。
『第一羽衣姫よ、おぬしは失念しておる。敵は我らだけではないぞ』
月凪のその言葉通り――
羽衣姫は別の者の邪魔を受けた。
「なっ……!」
それは、仮面を付けた『傀儡姫』だった。刃の指で羽衣姫の刃を止めている。
「よく解んないけど……ようは羽衣姫をとめればいいのね!」
舜鈴が言うと同時に、『傀儡姫』の蹴りが羽衣姫の腹に入った。
が、受け止められる。腹の服の部分が、鋼鉄に変化したのだ。
「甘いわよん!」
お返しとばかりに羽衣姫の蹴りが『傀儡姫』の胸に炸裂した。
しかしその隙を突いて、背後に回る者がいる。
「悠の祖先とかいうそこの人の言う通りだわ。敵は彼女達だけじゃないのよ!」
日影は扇を振り下ろした。狙いは――首。
が、羽衣姫が腕を後ろに振ったことで、慌てて扇を防御に転じなければならなった。
「この程度で、その数で! 妾を狩れると思わないでちょうだいん!」
「なら、二人追加だ」
と。突然銃声が響き渡った。
放たれた弾丸は、羽衣姫のむき出しの肩を貫く。
「銃撃……ってことは、風馬!」
日影は羽衣姫から距離を取り、入口の方を見た。
硝煙を上げる銃を握る青年――風馬は、少しだけ唇を緩めた。
「遅くなってすまない」
「あ、あれ……雷雲は?」
猛が首を傾げると、誰かの雄叫びが上がった。
何ごとか、と振り返ると、なんと雷雲が羽衣姫に突っ込んでいくではないか。
「何て無茶を……!」
そう呻いた文菜は、目を見開いた。
雷雲の持つ『卯槌姫』が雷を帯びていたからだ。
「へぇ……あの子部分解除できるようになったのか」
紗矢が感心したように呟いた。
「ふむ……あたしも負けてはいられないな」
そう言って、杖で床を叩く。
とたん、羽衣姫の足に鎖が巻き付いた。鎖は床から飛び出しており、羽衣姫の動きをがっちり止める。
「喰らいやがれぇ!」
雷雲は槌を振り下ろした。
羽衣姫は、それを正面から受け止める。いや、正面から受けるしかなかったのだが。
「妾をその程度で……倒せると思うなぁ!」
「え、うわ!」
雷雲は槌ごと投げ飛ばされた。いつぞやの熾堕戦のように叩き付けられる前に、雄輝がなんとか受け止める。
「なぁんか、完全魔王戦だよな。RPGの」
猛はそうぼやきながら、槍を連続で突き出した。
「連貫・百裂突!」
猛の最高速度でくり出される突きを、羽衣姫は次々と避けた。
しかし動きが制限されているため、それはことごとく羽衣姫をかすめる。
しかし避けきった。百の突き全てを、彼女は回避することができた。
そして大技を出して隙ができた猛に、刃となった手を突き出す。
猛はそれを『鉤槍姫』の柄で受け止め、後ろに下がった。
それを悔しげに見送った後、羽衣姫は足を封じる鎖を見下ろす。
「妾を縛るものは、何もかも許さない!」
そして刃を振り下ろそうと――
『やめろ、雪宮』
しかし。
その手が、月凪の一言で止まった。
『その大刃では、おぬしの足――正確にはおぬしの足ではないが――使いものどころか、斬り落とすことになるぞ』
「その、その名っ……」
羽衣姫の表情が変わった。
怒りから、恐慌へ。
「その名はっ、呼ぶなあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
羽衣姫の腕から、布帯が飛び出してきた。
それはさながら矢のようで、月凪を『剣姫』を貫かんと迫る。
ガギィンッ
が、その攻撃は、半ばではじかれた。
「ってめぇ、いきなり何なんだよ!」
流星だった。『煌炎』から炎のかまいたちを放ち、布帯を無理矢理方向転換させたのである。
「月凪! ……さん! 『剣姫』をひっぺがすなら、早くしてくれっ」
『言われなくてもする』
月凪は紅い唇を緩め、『剣姫』の額に触れた。
「無駄だ! この身体は完全に私のものだ!!」
『剣姫』は言い放った。しかし声が震えている。自分の言ったことを、心底から信じていないのかもしれない。
だとしたら次の月凪の言葉は、まさに追い討ちをかけるものだった。
『この世に完全も絶対もあるものか。あるのは、現実だけだ』
月凪の手が、ぼうっと光った。とたん、『剣姫』は絶叫する。
身体の一部を引きちぎられているような、そんな激痛にたえているかのような悲鳴だった。
『我はこのためだけにおぬしに宿っていた。かようなことが起こらぬよう、ずっとだ。一度きりだからな、時機をはかっておった』
「この……この私が、貴様のような女にいぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!」
『千年前前と同じように、再び刀へ戻るがよい』
『剣姫』の絶叫が大きくなった。まるで喉以外から出しているようだ。
思わず流星は「もうやめてくれ」と言いそうになり、口をつぐむ。
『剣姫』の髪が、金から黒へと変わっていってるではないか。
見開かれた目も金から黒へと変色していき、灯った光も次第に失せていく。
『我がかつて自身に使った術だ。いや、術というほど高尚なものでもないか。眠った精神を起こすという、ただそれだけの術なのだから』
「ぐぉ、この程度、でぇ……!」
『元よりおぬしは、我が子孫に負けておるのだ。それをおぬしは、意思の無い状態で乗っ取った。人形を斬り裂くのと同じで、抵抗など無かったであろうな』
月凪の声は限り無く冷たかった。口元の笑みなど、とっくに消え失せている。
『そんな小さき器の存在に、人の身体など不相応だ。前にも言ったはずだが、忘れていたようだな』
「ぐ、ぐおぉっ……」
『失せろ』
短く、冷淡な言葉と共に。
バチイィィィィッ
はじける音が響いた。
部屋全体を震わせる音に、全員がびくりと身体を固める。
「あ……」
流星は小さく声を上げた。。
彼女の髪が――黒い。金色じゃない。艶やかな黒だ。
彼女はぐらりとバランスを崩し、膝を着いた。
「っおい、大丈夫か!?」
流星は彼女に駆け寄り、肩へ手を伸ばした。だが、そうするべきか迷い、手を引っ込める。
彼女が悠なのか『剣姫』なのか……まだ判断がつかないのだ。
流星が戸惑っていると、彼女は刀を使って立ち上がった。
刃を杖のように着く様はどこか弱々しかったが、切れ長の瞳に収まる漆黒の瞳は、強い意志を秘めていた。
「……! ……ゆ、悠?」
「……何でそこで疑問形になるかな」
彼女は――悠は、流星の顔を見てくすりと笑った。
「心配、かけたね。流星」
「あ、あ……」
流星は出かけた言葉を忘れてしまった。喜びか安堵か解らないが、それらの感情がごちゃまぜになって、何が何だか解らなくなる。
ただ理解できたことは一つ。
目の前にいるのは、まぎれも無い悠だ!
流星は自然と、顔が緩んでいくのを感じた。先程までの緊張が解けたようである。
「……ぷっ、だらしない顔」
それが悠のつぼにはまったらしい。吹き出されてしまった。
流星が慌てて表情を調整しているうちに、悠はすでに真剣な顔を取り戻している。目線の先には、羽衣姫がいた。
「……少し現状が解らないから混乱してるけど、確実なのは」
目線の向きを変え、自分の横にいる月凪に目を向けた悠は、ほんの少しだけ唇をゆるめた。
「私は貴女に助けられたんだね」
『そうだ。この時のためにな』
月凪も衣の下で微笑み、そして羽衣姫に向き直った。
『さて、千年かかったおぬしの憎愛が生んだ悲劇を、今ここで終わらせよう。なぁ、雪宮よ』
「っ……!」
羽衣姫の顔が更に歪んだ。
いや、それより、雪宮とは何だ。
「……まさかとは思うけど、それ、羽衣姫の真名――なの?」
『そうだ』
悠の問いに、月凪はあっさり頷いた。
『あやつは、宇多天皇の御世、かの帝の娘として生まれた女だ』
しん、と辺りが静まり返った。
驚愕の、その場どころか歴史さえも揺るがしかねない事実に、誰もが口を閉ざし、黙り込む。
二人――雷雲と風馬を除けばの話だが。
「あのじいちゃんの言ってたのと同じだ……」
「ああ……」
全員、羽衣姫でさえその発言に振り返り、二人を凝視した。
「誰が言ってたのと同じって……?」
「えっと、修験狸っていう、ここの幹部」
雷雲の言葉に退魔師達は首を傾げるが、月凪だけはくつくつと、喉の奥から笑い声を上げた。
『あの狸じじい、まだ生きておったのか。まぁ、そうであろうとも思っておったがな』
どうやら知り合いらしい。誰か訊こうとした流星だったが、羽衣姫がそれをさえぎった。
「あの、男……! 妾を裏切ったというの? あの男ぉぉ!!」
咆哮にも似た声を上げ、羽衣姫は力まかせに一歩踏み出そうとした。
鎖が引っ張られ、ぴんと張る。ぶちぶちという音が響くが、それは羽衣姫の足がちぎれる音だった。
『哀れだな』
月凪が穏やかな、哀しくなるぐらい穏やかな声を出した。
『自分を裏切ったことに対する憤り……初めは愛する者に受け入れられなかっただけだったろうに。憎愛もここまで来ると滑稽だな』
「黙れ! おまえに何が解るっ。求められなかった者の気持ちが、おまえに!」
と。羽衣姫の顔が、歪んだ。
それは怒りの形相を浮かべたから、ではない。そもそもそれは表情に対する表現ではない。
文字通り、その美しい顔が、ぐずりと崩れたのた。
「……! な、え……!?」
自分の異変に気付いたのか、羽衣姫は崩れた一部分――額の中心から右目にかけてを片手で覆った。
「な、何だ……?」
流星は一瞬見た羽衣姫の顔に、恐怖以前に呆然としていた。
崩れた部分。ただれたように赤くはれ上がり、血が吹き出していた。皮は剥けたように顔から垂れ下がり、それはまるで――
――まるで身体の内側から、衝撃を受けたような崩れようだった。
「……あっ」
急に悠が小さく声を上げた。
「そうか、あの行動は、恭兄の行動はこういうことか」
「? ど、どういうことだよ」
「つまり、恭兄のあの不可解な行動は」
悠は全て解った、というように目を細めた。
「あの時の行動は、羽衣姫に術をかけるためだったんだよ」
「え、えっ……」
「恭兄が最後に放ったあの呪符……小規模な爆発を起こしただけだった。でも見るべきはそこじゃなかった。恭兄がかけた術に目を向けるべきだった」
悠は羽衣姫を見つめた。
「なぜ大人しく殺されなかったか。それは羽衣姫に接近するため。いや、接触と言った方が正しいかな?」
「……つまり?」
「恭兄がかけたのはただの爆発術じゃない。内側から羽衣姫を破壊する術だ」
「え……そ、そんな術があるのか!?」
「硬い外殻なんかを持つ妖魔用にね。ただ、時間差だし、いつ発動するか解らないっていう欠点があるけど」
今回はいいように作用したようだね、と、悠はゆったりとした口調で言った。
「今なら、奴を斬れる」
ほんの少し、震えていたけれど。
「小細工も何も必要無い。一刀で斬る。術が作用しているのは借り物の身体だけのようだけど……いずれ本体にも作用し出すだろう」
そしてゆっくりと、羽衣姫に歩み寄る。普段の動作からはほど遠い、のろまと言ってもいいほど遅い歩みだった。
「ひっ」
羽衣姫が短い悲鳴を上げた。後ずさろうとしたのか上体をのけぞらせ、そのせいでかろうじて繋がっていた足がちぎれてしまう。
両足を失い、不様に倒れる羽衣姫。更に崩れていた顔の部分が、ぱぁんと音を立てて吹っ飛んだ。
内側からはぜるように右目と額を失った羽衣姫は、ひいひいとあえいでいた。
あっけない。流星はそう思ってしまった。
あれに、俺達は苦しめられてきたというのに――
「さよなら」
悠は『剣姫』の刃を振り下ろした。その刃は、羽衣姫を脳天から真っ二つにする。
真っ二つ。
本体である黒衣ごと――斬った。
「……わらわ、を」
と。羽衣姫の唇が動いた。
その唇は羽衣姫のものではないけれど、その言葉はおそらく、彼女自身のものだろう。
彼女は最後に、最期の最後に、こう言った。
妾を愛して、と。