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HUNTER  作者: 沙伊
78/137

      剣姫<下>




 痛い。それしか感じられなかった。

 ただ痛くて、ただただ痛くて、痛くて痛くて痛かった。

 痛いとしか感じられなくて――気付かなかった。

 私が『私』じゃなくなるのを。

 私が『誰か』になっていくのを。

 感じること無くただ痛いと、思うことしかできなかった。


   ―――


 走り出す姿に隙は無い。止める気すら失せるほどに美しい走法だった。

 振り下ろされる刀も速い。速過ぎる。


 ギイィィィィィィィンッ


 刃と刃がぶつかり合った。

 刀を刃と化した腕で受け止めながら、羽衣姫は苦笑のようなものを浮かべた。

「お久しゅうございますぅ、剣のお姉様♪」

「姉だと? 我らは皆、貴様を妹など思っとらん!」

『剣姫』は後ろに身体を引いた。その金色の目に、嫌悪をにじませて。

「貴様と我らが同族など、おこがましいにもほどがある! その身体も、人と妖魔の肉を喰ろうて得たのだろうに。もっとも」

 紅い唇がぎたり、と歪んだ。

「その借物は、そろそろ使い物にならんだろうがな」

「……? どういうことですのん?」

「解らんのならいい。貴様は無知のまま、終わるのだ」

『剣姫』は再び刀を振り上げた。

 唐突に始まった戦い。手が出せないほど高レベルな戦闘に、誰もが唖然とした。

「……悠、が」

 ただ一人、流星だけは青ざめて戦いを――正確には金髪の少女を見つめている。

 思い出すのは、羽衣姫と二度目の邂逅をした時だ。

 あの時、絶望で心が折れてしまったあの姫持ちはどうなった?

 己の武器に乗っ取られた時――どうなった?

 あんなふうに髪と瞳が金色になって、別人のように――否、別人になっていた。

 あんなふう、に。

「お、俺のせい……?」

 流星はがくがくと全身を震わせた。

 後悔と恐怖が一緒くたになって脳に押し寄せた。何より、後悔が大きい。

「俺、俺の、俺……!」


「あぁ、そういえば」


 戦いの最中だというのに、それも息つく間も無い激戦のさなかだというのに、『剣姫』は口を開いた。

 その唇は彼女のものではなく、悠のものである。しかしその言葉は、悠のものではなかった。

「貴様がこの小娘を刺してくれたおかげで、私はこの身体を乗っ取ることができたのだったな」

 金色の瞳が流星を映した。

 色は違えど、やはりあの目は悠の目なのだ。けれど、自分を見るのは、悠じゃない。

「ありがとう」

「っ……!」

 流星は言い難い気持ちに教われた。

 それは怒りなのか哀しみなのか憎悪なのか解らなかったが、負の感情のどれかであることは違いなかった。

「こんなことって……」

 日影がかすれた声を上げた。

「こんな時に、『剣姫』に乗っ取られるなんて、そんなのって……」

「……マジかよ」

 猛は恐慌した顔で一歩、後ろに下がった。

「姫シリーズに乗っ取られて、元に戻れた奴なんていないんだぞ……こんな、こんな」

「……戻れない?」

 流星はゆらりと、猛の方を見た。

「戻れないって、悠が?」

「あ……」

 猛は口を手で覆った。しかし、もう遅い。

「悠は、もう戻れないのか? あのまま、あのまま……?」

 流星の中で、何かが確実に壊れていく。

 それが何なのか解らないが、それが大切な何かであることに違いなかった。

「そんな、俺、俺……!」

「流星君、落ち着け!」

 紗矢が流星の肩を揺さぶった。しかし、流星は止めない。

 自分を責めることを。

 自分を壊すことを。

「俺が、俺のせいで! 悠が、おお俺のせいで!!」

「違う。君のせいじゃない!」

「俺が刺した!! 悠を、悠のことをっ。俺が、俺が悠をあんなふうにしたんだ!」

 流星の目から、滂沱として涙が流れる。口は「俺が、俺が」とくり返していた。

 何かががらがらと崩れていく音がする。壊れていく音がする。

 こんな結果は望んでいなかった。望んでいなかったのに。

 どこから狂った? どこからずれた?

 どこが、誰が、どうして、どうして。

「う、うぅ、うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 叫んだ。声の限り叫んだ。

 もう喉はからからで、痛いぐらいだがそれでも、叫んだ。

「俺、俺、俺、俺!」

「落ち着けと言ってるだろう!」

 次の瞬間。流星の脳天にきつい衝撃が与えられた。

 ごいん、などという音がふさわしい一撃だった。つまり、殴られたのである。

 紗矢が『卯杖姫(ウヅエヒメ)』を使って、身長差も関係無く上からの攻撃を流星に与えたのだ。

 意外な人物の意外な行動に日影達は虚を突かれるが、実は紗矢は、ケンカッぱやかったりする。沸点自体は高いが。

 そして流星は、その高い沸点を越えさせてしまったのだった。

「うじうじうじうじと! 君は自分を責めることしかできないのか!?」

「さ、紗矢さん……?」

「違うだろう! 君にはもっともできることがあるはずだ。無理とか戻らないとか聞いただけで諦めるのか?」

 紗矢はへたり込みそうになった流星の胸ぐらを掴んだ。

「もし逆の立場なら、悠ちゃんは君を取り戻そうとするはずだ。取り戻そうと頑張って、その通りにするはずだ! あの娘がいつも言っているだろう。どうするか否か、全ては、自分次第だと」

 その言葉は、いつも悠が口癖のようにくり返していた言葉だ。

 それは口にだけじゃない。心の中でも、何度も何度もくり返していた。

 流星はそこまで知らないけれど、でも、それの意味には気付いている。

 悠が自身をいましめていることに、気付いている。

 と。足先にこつん、と何かが当たった。視線を下ろし、それを見る。

 それは、蝶をかたどった髪留めだった。起き上がった時に落ちたらしい。

 その髪留めは、流星が悠へ誕生日プレゼントに送った物だ。

 そういえば、買ったその場に紗矢もいた。というか、それを選んだのは紗矢だった。

 しかし、それを買おうと思ったのは流星である。悠に贈ろうと思ったのも、また。

「っ……!」

 流星は再び『彼女』を見た。

 金色の長い髪に金色の瞳、美しい顔に浮かぶ表情はどこまでも傲慢で。

 ――違う。あれは悠じゃない。

 悠の髪は、悠の瞳は、悠の表情は、あんなじゃない。

 あそこにいるのは、悠じゃない。悠は――

「っ……」

 流星は唇を噛み、走り出した。

「! 一体何を……っ」

 日影の制止の声を、流星は聞かないことにする。聞いたら、自分はもう動けない気がした。

「やれやれ、世話が焼ける……」

 そんな紗矢の、ため息まじりの声が追いかけてきた。



 ぶつかり合う。

 金属音が鳴った時には、次の動作に移っている。

 羽衣姫と『剣姫』の戦いは、そんな速度で行われていた。

「ところで剣お姉様ん♪ その動きだと、身体が付いていかないんじゃなくてぇん?」

「姉と呼ぶな。心配せんでもこの身体、見た目以上に頑丈でな。それにこの家の者の強度は貴様も知っておろう?」

『剣姫』は己の本体を振り下ろした。羽衣姫は後ろへ跳びのくも、浅く胸元を斬り裂かれる。

「っ……く」

「この身体は、あの女(・・・)以来の素晴らしい身体だ! 傷があっても、貴様を斬るには充分!!」

 姫シリーズ。

 強力な力を持つ退魔武器であり、それぞれ個々の意思を持つ物体である。

 誇り高い――と言えば聞こえはいいが、高慢で傲慢な『彼女達』は、無機質な己の身体を嫌っている。

 だから彼女達は選ぶ。所有者ではなく、自分にふさわしい身体を。

 日影も、猛も、雷雲も、紗矢も、雄輝も、文菜も、舜鈴も――そして悠も。

『彼女達』からすればただの『器』であり、身体を奪おうと虎視眈々としている。

 己を己で扱うために、己の身体にふさわしい『器』を選ぶ。それが彼女達だった。

 そして『剣姫』は、欲していたものを得ることができた。

 欲しかった身体。

 どうやっても手に入れられなかった身体を。

 千年振り(・・・・)に、ようやく――!

「あはははははははははは! いい、やはりいい! あの女(・・・)の時は失敗したがしかし! ようやくあの血を引く身体を手に入れた!!」

『剣姫』は刀を薙ぎ、羽衣姫の刃を半ばからへし折った。

「う、あう……」

 肉体には損傷を受けていない。しかし羽衣姫の本体は、肉体ではなく着物の方なのだ。

 着る物の肉体を奪い、それを行使する退魔武器とは対極の存在――降魔武器である羽衣姫。

 例え存在意義は真逆でも、その性質は同じである。

 使う者の身体を乗っ取る――その点は一緒だ。

 しかし、明らかな違いが二つ。

 一つは姿が変わるという点。

 誰の身体を乗っ取ろうと、羽衣姫の容姿は同一である。恐ろしいほど美しく、美しいほど恐ろしい女になることに変わりは無い。

 もう一つは、髪と瞳。

 姫シリーズに乗っ取られた人間は、皆が皆金色の髪と瞳を持つことになる。例外は無い。

 その中で唯一の例外が羽衣姫だ。

 長い髪は黒々として、輝く瞳は漆黒で。金色など全く混じっていなかった。

 それはある理由があり、それが羽衣姫がただ一つの降魔武器である理由だった。

 そして、『剣姫』達が羽衣姫を妹と見ない理由でもある。

 拒絶され、拒絶され、拒絶され、彼女は羽衣姫となったのだ。

 己の内の憎悪はもはや止められない。誰も止められないのだ。

 自分に逆らうことは、自分を拒絶すること。自分を拒絶することは、自分を怒らせること。

 特に自分を傷付ける行為は、何より重い――!

「妾の身体を傷付けた! 妾の身体を斬った!! 殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す!!」

 腕から飛ばした二本の布帯が、『剣姫』の両腕を巻き付いた。

「その腕を折って、腕の次は脚。脚の次は背骨。あばら、胸骨、首……折って折ってばらばらにしてやる!!」

「はっ……貴様にできるものか!」

『剣姫』は凄絶(せいぜつ)な笑みを浮かべ、手首を動かして布帯の一本を断ち斬った。

 更にもう一本斬ろうとして、しかし遅かった。


 ミシィッ


 空いた左手が嫌な音を立てた。

「むっ……!」

 その後すぐ布帯は斬り裂かれたものの、左腕は力無く垂れ下がる。

「あらあらぁん? 折れたかしらん?」

「残念だったな。ひびが入っただけだ」

 それだけでも充分不安要素だというのに、『剣姫』は何でもないという様子だった。

「で……これで終わりか?」

 腕を下ろしたまま、『剣姫』は羽衣姫との間合いを詰めた。

「愚かしい。貴様ごときが私に勝てるものか」

 下段に構えた刀を、『剣姫』は振り上げた。

 右腰から左肩にかけてななめに斬り裂かれる羽衣姫。直前で後ろに回避したものの、本体を損傷すれば深手を負ったも同然だ。

「ぐ、あ゛ぁ!」

 羽衣姫は思わず膝を着く。

 まさかこれほどは思わなかった。これほどの実力とは思わなかった。

 ……いや、自分は知っていたはずである。

 なぜなら『剣姫』とは、千年前にもあいまみえたのだから――

「千年前はあの女(・・・)に邪魔をされてできなかったが、今度こそ、貴様を斬る!」

『剣姫』はぐぁっと刀を再び振り上げた。


「やめろ」


 刃が突然止まった。止められた。

「り、流星ちゃん……?」

 止めたのは鬼童子――華鳳院流星だった。

 羽衣姫は膝を着いたまま目を見開いたが、誰より驚いたのは『剣姫』だった。

 手首を掴まれ、流星の顔を振り返る。

「こ、小童! 貴様何を……」

「斬るなっつってんだよ」

「愚か者が! これをかばうとは、貴様何を考えているっ」

「別に羽衣姫をかばったわけじゃねーよ」

 流星はぎっ、と『剣姫』を睨んだ。

「俺が言いてぇのは、斬るのはおまえじゃねぇってことだ」

「は!?」

「羽衣姫を斬るのは、悠の役目だ!」

 顔をしかめる『剣姫』に、流星は顔を近付けた。ずい、と自分から目をそらせないように。

「その身体は悠のもんだ。爪先から髪一本に至るまで、全部あいつのもんだ。おまえのしようとしてる行動も対象も全部あいつのもんだ!」

「く、戯言を……離せ!」

「刀が人になりかわれると思うな。刀が人を乗っ取れると思うな。刀が人の身体を得られると思うな!」

 流星は『剣姫』の金色の瞳を睨み下ろした。

「おまえはただの刀だ。刀は刀らしく、刀の中にいろ!」

 流星は大声でそう言い切った。

 それは誰もが静まり返ってしまうような声だった。退魔師も、退魔武器も、降魔武器も。

 たった一人――たった一つの意志を除いて。


『気に入ったぞ、小僧』


 第三者――いや、まずこの声は人なのだろうか。

 音ではない。脳に直接響くような声でもない。まるで文字の羅列だけが認識されて、脳が声と勘違いしているような声だった。

『千年という時を経て、かような者が育っておるとは思わんかったぞ』

「これ、は……!」

 羽衣姫は愕然とした。

 この声に聞き覚えがあった。いや、聞き覚えがあるなどという、甘いものではない。

 二度聞きたくないと思っていた――忘れたいと思っていたが、結局忘れられなかった声だ。

「な、何で」

 羽衣姫は立ち上がりながら呻いた。

 解っていた。その声がどこから出ているなど、気付いていた。

 なぜなら、あの女(・・・)あれ(・・)で自分を貫いたのだから。

 でも、それでも羽衣姫は信じられなかった。

「な、何で……何で刀に宿っているの!?」

『おぬしが言える立場か? 全くこの世にまで残りおって……私の予想は外れたわけか』

 声が答えた。現代にそぐわない、古くさい口調だった。

「だ、誰だ?」

 一方流星は、『剣姫』の手首を掴んだまま辺りを見渡していた。『剣姫』の方は、声の主に気付いて刀を――己自身を見上げた。

「き、貴様! いつの間に私の身体(・・・・)に宿っていた!?」

『千年前だ。もしもの時の保険だったが、まさか本当にでしゃばることになろうとは思わなかった』

 そう言った声の主の姿が、少しずつはっきりしてきた。刀からその姿が放射されるように。

 頭から衣をすっぽりかぶった女だった。顔はほとんど見えないが、唇が血のように紅く、逆に僅かに見える頬や細い顎は陶磁器のように白い。こぼれる黒髪は絹糸のようで、光沢さえ持っていた。

 服装の方は随分時代錯誤である。白い、シミ一つ無い狩衣に、水色のはかまをはいていた。白くたおやかな足ははだしで、わらじも何もはいていない。

 ただ、その格好より奇異なのは、彼女の姿がすけていて、しかも炎のようにゆらめいている点だろう。

「ゆ、幽霊……?」

 呟く流星に、女はふふ、と笑う。その仕種には、いいようの無い色香があった。

『幽霊か。まぁそのような認識でもかまわぬが、少し違うな』

「違う……? いや、ていうか、あんた誰だ……?」

 誰もが言葉を失い立ち尽くす。その中で流星は、なぜか自然なぐらい話していた。

 戸惑ってはいるものの、驚愕には至っていないようだ。

 羽衣姫や『剣姫』すら、先程のセリフ以降は何も言えなくなっているのに、だ。

『あぁ、この者達には不必要だが、おぬし達には名乗りが必要であったな。ふむ……。我が名は、月凪(ツキナギ)

 その名に、流星は「ん?」と首を傾げた。

 羽衣姫から見て、それは奇妙な反応である。

 まさか彼が、その名に聞き覚えがあるなどと全く思ってなかった。

『椿家開祖にして、かつての「剣姫」の持ち主だ』

 月凪。

 それは羽衣姫にとって、忌まわしい名以外の何ものでもなかった。





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