剣姫<中>
日影と雄輝は、猛と舜鈴に合流していた。現状を確認するために情報を交換していると、紗矢と文菜も追いついた。
全員怪我は朱崋によって治されている。体力の方はともかく、傷による痛みは綺麗さっぱり消えていた。
あとは雷雲と風馬だけだが、彼らを待つ時間も今は惜しい。
「朱崋が回っていってるなら、心配は無いでしょう。悠達を追いかけるわよ」
日影は仲間の顔を見渡す。
全員頷き、座っていた者は立ち上がった。
「ど、どういうこと!?」
日影と舜鈴が同時に叫んだ。
しかし、驚いたのは二人だけではない。全員が全員、その光景を疑った。
流星が悠を殺そうとするという光景を。
流星は炎を宿す小刀を抜き、それを悠に向けて振り回している。
悠は刀を抜いてはいるものの、それを流星に向けていなかった。ただ刀で流星の攻撃を受け流すだけである。
双方その顔は歪められていて、流星など今にも泣きそうだった。
「ど、どうしたっていうんだよ!」
猛は半壊した扉をくぐろうと一歩踏み出した。
「駄目だ。今は通れない」
が、紗矢に首根っこを掴まれて引き戻される。
「な、何を」
「よく見ろ。このまま通れば全身ばらばらになる」
「え……」
紗矢の言葉に、全員目をこらして扉(と言っても壁に空いた穴にしか見えないが)を見つめた。
じっと見てみると、細い、一瞬見ただけでは解らないぐらい細い糸が何本も張り巡らされていた。
まるで蜘蛛の巣のようである。しかしそこに触れれば、絡み取られるどころか原形をとどめず肉塊となってしまうほど鋭利だった。
「これは……悠! 一体何がどうなっているの!?」
日影は糸に気を付けつつも身を乗り出した。悠は日影達に気付いたようで、目だけをこちらに向ける。
「そこからじゃ見えないかもしれないけどっ、天井にいる変なメイド女が流星を糸で操ってるみたいなんだ!」
振り下ろされた小刀を受け止め、受け流す。普段の悠なら懐に入って蹴りでも入れるだろうが、今回は後ろに下がった。
「流星自身の意思はあるみたいなんだけど、身体は完全に操られているっ」
「糸を斬りたいけどっ……悠がさっきからやってるのに全然斬れねぇんだっ」
流星が叫んだ。意思があるというのは、どうやら本当のようである。
そして糸が斬れないということは、術者(この場合は妖魔か)が死ぬか倒されるかしなければ解けないということだ。
ここからではよく見えないが、流星の身体には糸が巻き付いているらしい。もし入口を塞ぐ糸と同じなら――
「……ちょっとどいて」
日影は扇を取り出して、どくように言った。全員が前方からいなくなると、扇を開く。
「『桧扇姫』、部分解除」
放つのは、現在自分が使える技の中で、最も鋭い技――
「第三十の舞――疾風裂舞!」
扇を振ると、目に見えない衝撃波が放たれた。
見えない衝撃波は糸を断ち斬らんと入口に迫る。
どんな硬い皮膚の妖魔でも斬り裂いてきた日影の技は――
バシイィィンッ
――弾かれた。弾かれて、散った。
「無駄無駄ぁん♪」
と。部屋の奥から声が聞こえてきた。
手前の悠と流星にばかり気をとられていたが、その奥に、倒すべき相手がいた。
「羽衣姫……」
「操女房ちゃんの糸はぁ、操女房ちゃんが死なない限り斬ることはできないわよん♪」
黒い玉座に座った羽衣姫はにやにや笑っていた。ぞっとするほど凶悪な笑みである。
「だからそこでおとなしく見てなさいん。悠ちゃんが流星ちゃんに殺されるところを♪」
「っ……!」
「ふふふ……ほほほほほほほほほほほほほ!」
羽衣姫の哄笑が、日影達の脳を気持ち悪いぐらい揺さぶった。
目の前にある彼の顔は酷く歪んでいて、けれど刃は迷い無く自分の急所を狙う。
そんなちぐはぐさに吹き出せるほどの余裕は、今の悠には無かった。
(くそっ……糸さえ断ち斬ることができたら!)
先程から流星に絡み付いている糸を斬ってみるも、全て失敗している。
日影の攻撃も通じなかった。どうやら羽衣姫の言葉は本当のようである。
いや、実を言うと、悠は言われるまでもなく気付いていた。
一、二度やればすぐに気付く。だから天井にぶらさがっているメイド服の女――操女房とやらに攻撃をしかけようとした。
しかけようとして――失敗した。
向こうもこちらがやることは読めているだろう。やる前から解っていると言っていい。
だから、流星を盾にした。
悠が上空への攻撃をしかけようとすれば、流星をその攻撃範囲に移動させる。もしくは、流星に攻撃をしかけさせる。
二対二であるなら、ことは簡単にすんだろう。
だが今は二対一だ。実際相手にしているのは一人だが、その一人がやっかいだ。
華凰院流星。鬼童子で、武器は炎を宿す小刀、『煌炎』。そして操られている時の動きは、素人ではなく熟練された戦士の動き。
それらは何もかも、悠にとってマイナスにしか働かない。
鬼童子の力は正面からやり合うにはやっかい過ぎるし、炎の小刀は刃が届かなくとも炎が届けばダメージを受ける。
一番やっかいなのは、動きだ。
普段の流星なら追いつけないだろう悠の動きを、操られた状態の彼は付けていけている。
おそらくこの動きは操女房の動きだろう。見た目に似合わぬ実力者らしい。それに流星の身体能力も加えられたら、強敵としか言いようがなかった。
……いや、どれも建前だ。どれもこれも戯言だ。
ようは自分は、攻撃したくないのだ。戦いたくないのだ。
相手が流星だから。ただそれだけの理由で。
「くっ……」
悠は振り下ろされた小刀を横に跳ぶことで回避した。
そこから反射的に蹴りを放とうとして、ぎりぎりで踏みとどまる。
この蹴り一発でどうにかなる流星じゃない。そんなこと解っている。
多少斬られたところで、刀傷などすぐ治ってしまうだろう。
だけど、どうしても手が出ない。出せない。
流星を傷付けずに操女房を倒すのは不可能だ。しかし、このまま消耗戦を続けていても無意味なのも事実である。
「悠、何で攻撃してこないんだよ!」
流星が操られながらも叫んだ。本当に今にも泣きそうだ。
当然だ。戦いたくないのに無理矢理身体を動かされているのだから。
「……流星、顔大変なことになってるよ」
「んなこと言ってる場合かよ!」
思わずいつも通り軽口を叩くと、怒鳴られてしまった。
「俺は、ちょっとやそっとじゃ死んだりしねぇし! そんなやわでもねぇっ。気にせずあいつを倒せばいいだろ!」
「それは……無理、かな」
悠は唇を緩ませた。流星の瞳に映り込んだ自分の顔は、酷く穏やかである。
見付けたのだ。一つだけ、この人質兼対戦相手を傷付けずにすむ方法が。
――いや、別の意味で傷付けるだろうが、別の方法よりいい。ずっといい。
なぜなら流星の身体は無傷でいられるからだ。自分は、無傷とはいかないが。
「無理って……何でだよ!?」
流星の声は、もはや涙声になっていた。その声が更に悲痛になることを思うと、心が痛む。
だけど。
「好きな人に怪我させたくないって思うのが、乙女心でしょ?」
「え……」
悠の言葉に、流星はぽかんとしたようだった。
ぽかんとしつつも――操られた身体は動く。
速く動く。
反射的に動いてしまうほど、速く動く。
しかし悠は、自分の反射を精神力で抑え込む。それは容易ではないのだが、悠はやってのけた。
それだけの精神を――それだけの精神を、悠は持ち合わせていた。
しかし流星は。
「悠、何で」
それだけの精神を。
「何で避けない!?」
それだけの精神を。
「避けろ……避けろよぉ!?」
持ち合わせては、いない。
ドスッ
貫いた。
貫いた音がした。
「……かはっ」
悠は痛みより先に込み上げてきたそれを吐き出した。
びちゃ、と床に落ちる血塊。それを見るうちに、みぞうちの激痛が脳に伝わってきた。
全身の神経がマヒしたかのような痛みだった。痛みが痛みと感じられぬほどの痛み。
あぁ、恭兄が感じていた痛みはこれか、などと思っていると、流星が「ゆ、悠……」と恐る恐るといった体の声を上げた。
「ん……? ……あぁそうだった」
我ながらびっくりするぐらい冷静な声が出た。その後、悠は空いた片腕を流星の首に回す。
がっちりと。固定するように、離さないように――離れないように。
「やることはやらならないとね。でないと君にこんなことさせた意味が無い……それに長く続けられる状態でもないし」
悠はどこまでも平淡に、いつもの調子で言った。
炎を宿す小刀。普通の凶器よりよっぽど凶悪な刃に貫かれながら。
いつものように、いつも通りに。
貫くどころか焼かれながらも、美貌に不敵な笑みを浮かべて。
「『剣姫』、部分解除」
刀の力を、発揮させる。
「六の手――『落葉刃花』!」
それは先程日影が放った技に似ていた。衝撃波を放つという意味では同じだろう。
けれど攻撃を――技を炸裂させる場所は違う。
悠は片手で刀を振った。流星を抱き締め、動きを封じた状態でだ。
そうして刃から放たれた衝撃波は、操女房にぶち当たった。
ぶち当たった――だけ。
「……ん……?」
操女房自身、その時は何が起きたのか解らなかったことだろう。
実際ことが起こるまで、悠以外誰も何が起きるのか解らなかったろう。
そもそも全身に巻いているあの細くも強靭な糸が、操女房の最大の防御なのである。
普通の攻撃は通じない。強力な攻撃も通じない。
だが、操女房自身が強固な肉体を持っているわけではないのだ。
だからようは、操女房だけを攻撃すればいいという、至極単純な話である。
ブシャッ
結果、操女房は悠の『技』によって全身を内側から斬り裂かれた。
「がはぁ! 何、何をっ……!」
「鎧通しって技、知ってる?」
降り注ぐ血の雨を受けながら、悠は言った。流星の刃は、まだ貫通したままだ。
「鎧の中の人間を攻撃する技だ。これはそれの応用だよ。衝撃波を使って遠隔的に鎧通しを行う技――片手だとちょっと不安だったけど、うまくいったみたいだね」
「っ……遠隔的にって……そんな、のっ、ふか、不可能よ! あ、ああありえないありえないありえないありえないありえない!!」
「ありえるよ。こんな刀だからね。それにさ、言うまでもないけど現実にはありえることしか、起こり、えな……い……」
限界だった。立っていられるか解らないから流星に抱き付いていたが、それも無理になってきた。
だが、どうやら糸は断ち切れたようである。流星の身体に絡み付いていた糸は、はらはらと床に落ちていった。
流星を盾に、そして防御に使うのなら、流星の動きを止めればいい。そういう考えでわざと攻撃を受けたが、うまくいった。
ただ――他の方法も無いわけじゃなかった。
流星の言う通り斬ってしまうこともためらわずに操女房を攻撃した方が、被害はもっと少なかったろう。
だができない。例えそれが互いのためとはいえ、悠に流星は斬れない。
好きな人を傷付けたくない。結局そういうことだった。
「ゆ、ゆう……」
「凄い顔だよ、流星」
悠は笑いながら、流星の頬に触れた。足にはもう力が入らない。
全くもって、兄のことを言えたものじゃない。むしろ全く同じだ。
結局は兄妹、か。
「辛い思いさせて……ごめんね」
あと、大好き。
そんな言葉を呟いて、悠の意識は一瞬で沈んだ。
―――
身体が震えた。
本当に急だった。それにこれは震えというより、けいれんに近い。
ほんの一、二秒のできごとではあったが、刀弥はそれに眉をひそめた。
元よりあまり動かない片腕も含めた全身の一瞬の異変。必要以上に気になった。
「刀弥様!」
「っ、くっ」
刀弥は我に返り、妖魔の攻撃を防いだ。
「っはぁ!」
『如意ノ手』に噛み付いた妖魔を別の妖魔に叩き付ける。潰れた妖魔を視界から外し、戦況を確認した。
現在こちらが有利ではある。妖魔もそれほど強くない。が、油断はできない。
むしろ油断こそ退魔師の敵と言っていい。油断は隙を生み、隙は死を招く。それは退魔師に限らず、戦う者には皆通ずることだ。
だから先程の異変を、刀弥は気にしないことにした。
しかしぬぐいきれなかった。いいようの無い不安が、どうしても。
―――
誰も何も言わない。誰も何も言えない。
ただ無言で、倒れていく少女を見ていた。
やがて腹に小刀を刺したまま彼女の背中が床に着き――
「……っうわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
流星が絶叫した。
その喉が、いや喉以外の何かを引き裂かんばかりに叫ぶ。
その声に遅れて、日影達は建物内に入った。
操女房が倒されたことにより、入口を塞ぐ糸も切れたのだ。
「どいてくれ、治療する!」
紗矢と舜鈴が突き飛ばすように仲間をかき分け、悠の傍にしゃがんだ。
「小刀が抜けてないのが唯一の救いか……炎も消えてる」
「止血しながら抜かないと――」
「させると思うん?」
ここで――こんな時に、羽衣姫が動いた。
動いた、というほどではない。ただ立ち上がっただけだ。
それだけで、全員硬直した。
しかし、この状況でただおびえるつもりはない。
「私達が相手をする! その間に悠をっ」
日影、猛、雄輝、文菜が流星、紗矢、舜鈴をかばうように武器を構えた。
「四人で大丈夫か?」
紗矢が治療術をかけつつ尋ねると、日影はひきつった笑みを浮かべた。
「やってやりますよ」
「……任せた」
紗矢が言うと、四人は羽衣姫に突っ込んでいった。
「よし、抜いてくれ。ただしゆっくりだ」
「うん」
舜鈴は頷き、小刀を慎重に抜き始めた。その上で、紗矢は更に術をかける。
(それにしても、まだ生きてるなんて)
舜鈴は驚嘆する。
ただ貫かれただけでなく、刃の炎に内側から焼かれたというのに。
「……ふふ」
笑い声が上がった。
それは羽衣姫のではなく、また戦っている日影達のでもない。紗矢でも舜鈴でも、呆然と立ち尽くす流星でもない。
悠、だった。
「ふふふ……あははははは」
悠の唇からもれる笑い声。戦っていた日影達や羽衣姫も、驚いたのか振り返る。
「な、何で」
意識の無い悠の笑い声に驚いた舜鈴は、絶句する。
見たのだ。悠の髪が、漆黒から黄金に変わるのを。
誰もが口を閉ざす中、悠は飛び起きた。
小刀は完全に抜けている。しかし傷は治りきっていない。
なのに彼女は立ち上がり、金色の瞳を開いた。
そういえば、悠は刀を――『剣姫』を持ったままだった。
持ったまま、彼女は意識を失った!
「全くしぶとい小娘だったが……まぁいい」
『彼女』は悠の口でそう言い、悠の唇で笑みを形どった。
「久しいなぁ、羽衣。あいも変わらず気に入らん面だ」
『彼女』は――『剣姫』は笑みを深め、走り出す。
悠の顔で。悠の身体で。