第二十六話 剣姫<上>
「しかし妙だね」
先へ先へと進む悠のそんな呟きに、流星は首を傾げた。
「何が?」
「恭兄のことだよ」
悠は足を止めず、視線だけを流星に向けた。
「最後……羽衣姫に対する抵抗。殺されるつもりなら、式神を使って戦う必要無いよね」
「あ……」
流星は一瞬足を止めた。しかしすぐ、置いていかれそうになったので歩みを再開する。
「確かにそうだよな……抵抗せず、その場に突っ立ってた方がいいはずよな」
もっとも、あの攻防のおかげで恭弥は生き長らえたのだが、流星はそれに思い至らない。
恭弥が生きている。流星にとって、その事実だけで充分である。
それよりも今は、浮かび上がった疑問だ。
「攻撃が効かないって解ってたら、なおさらだし」
「どっちにしろあの精神状態で、そこら辺の妖魔はともかく羽衣姫を狩るのは不可能だよ。恭兄が無意味なことをするとは思えないし……」
そこで悠は、結論に行き着きかけた。思い出しかけたと言っていい。
しかし、思わぬ合流者により、それは霧散する。
「あぁ! 二人共、無事だったねっ」
その声に、悠と流星は振り返った。
こちらへ歩いてくる男女が二人。舜鈴と猛だ。
舜鈴は猛に肩を貸しており、猛は全身血だらけだった。無傷の舜鈴と、随分な差である。
「猛……よくその状態で生きてるね」
悠はどうやら、心配や驚きより先に呆れが出てきたようだ。
止血はされてるようだが、大怪我を負っていることに違いない。目が開いてなければ、死人と間違えそうだった。
「俺もそう思う……あっ、つっ……」
「全く。朱崋」
悠が名を呼ぶと、妖狐の少女はふらりと姿を現した。
「お座りください」
朱崋に言われ、舜鈴に手伝ってもらいながら腰を下ろす猛。その間にも酷いぐらい顔を歪めていた。
「手足が穴だらけですね……ここまで歩いてこれたのが、不思議なくらいです」
「うぇ……身体に穴開いてるとか、最悪じゃん」
「肩に穴開いてる奴が言うなよ」
顔をしかめる流星に、悠がツッコんだ。実際人のことを言えない状態である。
「流星様もこちらに。傷を負ったままでは戦いに支障が出るでしょう」
「あ、うん」
流星は猛の隣に腰を下ろした。
朱崋の尾が流星と猛の傷に触れ、ぽうっ、と光る。
傷が癒されていくのを感じながら、流星は「そういえば」と舜鈴に話しかけた。
「他の奴らは? 一緒じゃないのか?」
「うぅん、会わなかった。無事だといいんだけど……」
「俺が無事なんだから平気ッスよ。……多分」
「不確定な上に、あいまいなことこの上無いね」
悠は猛の言いようにため息をついた。
「まぁいいか。傷が治り次第進むよ」
「え? 他の奴ら待たなくていいのかよ」
「そんな猶予あると思う?」
驚く流星に対し、悠は冷静に返す。
「羽衣姫が動き出す前にこちらから動くのが一番なんだよ。そりゃ日影達は心配だけど、現状を考えたら待つより動く方がベストなんだ」
悠はそう言った後、思案するように顎に左手をそえた。
「……朱崋」
「はい」
「治療が終わり次第、他のメンバーの様子を見てきてくれる? 私達のことを報告してほしいの。怪我人がいた場合はその治療を優先して」
「かしこまりました」
朱崋が頷くのと同時に尾の先がひときわ大きな光を放ち、ふっと消えた。
「終わりましたよ」
「おぉ……サンキューな」
流星は肩を回してみた。先程までじくじく痛んでいたのが、嘘のように無くなっている。
「では、行ってまいります」
朱崋は深々と頭を下げ、上げたと同時にその姿を消した。
「肩の調子は?」
「いいよ。毎回思うけど、あの能力って便利だよなー」
「……利点ばかりじゃないけどね」
素直にはしゃぐ流星に、悠は否定的なことを言った。
「あくまで傷が完璧に塞がれる術であって、回復の術じゃないからね。流れた血は戻らないし、体力もまたしかりだ。試しにちょっと立ってみて」
悠にうながされ、流星は立ち上がる。とたん、視界がぐらりと揺れた。
と言っても一瞬のことで、頭を軽く振ると元に戻ったものの、意識が遠のきかけたのは事実だ。
「ね? 血が足りないせいで貧血起こしかけてる。猛だって、しばらくまともに動けないだろうね」
悠の言う通りだった。先程から感じていた気だるさはまだ残っているし、隣の猛だって、傷が塞がったというのに立とうとはしない。
傷の痛みが無いというだけで、それ以外は先程と変わらなかった。
「でもまぁ……さっきの状態よりましだろ」
痛みが無くなっただけでもありがたい、と流星は思うことにした。深く考えても、ろくなことが無い。
「さて……と。私と流星は進むけど、猛と舜鈴はどうする? 体力回復するまで待つ?」
「そうする……どのみちこのままじゃ戦うどころじゃないからな」
猛は座ったまま肩をすくめた。
「そう。まぁその体力でも、雑魚相手ならどうにかなるでしょ。舜鈴もいるしね」
悠は未練無く猛と舜鈴に背を向けた。
「……気を付けろよ」
猛が低い声で、こちらを脅かすように言った。本人にそのつもりは無かったろうが。
「あの時、羽衣姫におまえの攻撃が効いたのは、ラッキーパンチと思った方がいい。二度も同じことがあるとは限らないぜ」
「そんなこと、言われなくても解ってるよ」
悠は振り返りもせずに歩き出した。流星は一瞬迷った後、悠の後に続く。
「みんな……追いつくといいな」
「さてね、どうかな。とりあえずは」
悠は迷いもせず歩く。早足というのもあるが、何より体力が減っているので流星は追いかけるのがやっとだった。
「進むしか無いよね。戻ったところで、向こうが有利になるだけだし」
「……そうか。でも、それにしたって」
流星は顔を少しだけ後ろに向けた。猛と舜鈴の姿は、早くも遠くなっている。
「せかし過ぎだろ。おまえだって、怪我は無くても体力消耗してるはずだろ?」
「問題無い」
確かに顔色は悪くない。歩く姿はいつも通りだし、疲れた様子も無い。
しかし自分の体調を偽れないほど、悠は子供ではない。普段通りに見せることなど造作も無いだろう。
だからこそ、流星は心配だった。
顔や仕種を見ただけで相手の本心を見抜くなどという芸当は流星にはできないし、できたとしても、それでこちらの内心を明かすような悠ではない。
普段はともかく、こういう場で弱味を見せるような少女ではないから、当然と言えば当然である。
だから、自分が気付かぬうちに無理をしてしまったらと不安になってしまう。
無理をして、深手を負ってしまうのではないかと思ってしまう。
「……悠」
「ん?」
流星が呼ぶと、悠は歩みを止めずに顔だけをこちらに向けた。
「……無茶、するなよ」
「……善処するよ」
悠はあいまいな返事をした。
それは安心させるものではなく、不安を増長させるものだったが――この時流星は、深く考えないことにした。
―――
平安時代のことは高校生であるならとうに歴史の授業で習っているはずだが、流星は完全に忘却してしまっている。
せいぜい凄く昔の時代ぐらいの認識だ。そんなもの、小学生でも知っていることである。
彼自身は歴史に興味が無い。ただ、祖父はそういうことに強い関心を持っていた。
当時の絵や物語を流星に見せては楽しんだりもした――流星はちっとも覚えてないが。
だから、内裏やら清涼殿やら言われても、ぴんと来なかった。
そんな彼でも、建造物に対して何かしらの感想を抱くことはある。
「不思議、だな」
それが内裏に入っての、流星の第一声だった。
下は平らな土、その上に建つのは平らな建物。華麗さは無いがしかし美麗さはある。そんな様子だった。
桜でも舞ってたらもっと綺麗だろうなぁ、ぐらいの美的感覚は流星にもある。
しかしてっきり、妖魔達が襲ってくるとばかり思っていたが。
「ありったけの戦力を、うちを潰すのに使ったんだろうよ」
流星の疑問に、悠は淡々と答えた。
「よほど椿家を潰したいと見える。……しかしそれだと、疑問も残るね」
「疑問?」
「なぜ幹部級の実力者がいなかったのか、だよ。本当に潰したいなら高い実力を持つ妖魔か半妖を投入するはず。前々から思ってたけど……妖偽教団は一枚岩じゃないのかもね」
「前々からって……」
流星は思わず足を止めた。同時に悠も立ち止まる。
「どういうことだよ、それ」
「月読――葵姉のことや、もう考える必要無いだろうけど、熾堕。例えばあの二人は、決して羽衣姫の忠実な部下とは言えなかったろう。もしかしたらこの現状も、第三者が作り出したかもしれないってことだよ」
「つまり……妖偽教団以外に敵がいるってことか?」
「まだ敵とは言いがたいけど……まぁ味方とも言えないだろうね。目的が同じというだけか」
「は?」
流星は歩き出そうとして、足を宙に浮かせたまままた止まった。
「何……目的が同じ? 誰と誰の、何の目的が?」
「だから、私達と第三者の、妖偽教団を倒すという目的がだよ」
悠はどこかあきれ気味に言った。
「もし何かしらの要因でこの状況が意図的に作られたのだとしたら……理由はどうあれ妖偽教団を潰したいんだろう。この現状は、私達には有利過ぎる……」
悠は「だからこそ油断できないんだけどね」と付け加えた。
「どちらも潰す気だとも考えられる。それを想定して、動いた方がいいだろうね」
「ここまででそれだけ読んだのかよ」
流星は悠の洞察力に舌を巻いた。
前々から聡い少女だとは思っていたが、ここまで来るともはや異常である。
さすがは恭弥の妹と言うべきか。恭弥の偏差値七十越えの衝撃を、流星は忘れていない。
「恭兄だったら、もっと予測立てられるんだろうけど。一のことに千の対策練れるからね。本当に何で本気で勉強しないんだろ。その気になったら偏差値八十はかたいのに」
「……」
言葉どころか、呻き声すら出てこない流星だった。
「まぁ、どうでもいいけど」
「いや、よくない」
「それより確か……この辺りのはずなんだけどな」
ちょっと白くなってる流星を見事にスルーし、悠は建物の一つに入った。
ドゴオォォォォォォッ
――刀で扉を破壊して。
「っておぉぉい!? 慎重に行くんじゃなかったのか!?」
「そうは言ってないよ。第一、あれに遠慮が必要だと思う?」
悠の指す、あれ。外とは真逆な黒い空間にいる、黒衣の女。
恐怖を与えるほどの美貌の女は、その口唇にいびつな笑みを浮かべた。
「来たわね、来たわねん♪ ようこそ、妾の都へ♪」
「来たくて来たんじゃないけどね」
悠はふんと鼻を鳴らした。
流星はというと、ためらいながらも、その建物内に遅れて入る。
内部は黒一色で染まっていた。床から天井から壁まで、徹底して黒である。
おかげで正確な広さが掴めない。明かりがあるのが唯一の救いか。
「っ……!?」
その時。
流星の感覚に何かが引っかかった。
それは獏僧の戦いから表れ始めた鬼童子としての感覚であり、その何かは、悠に向かっていることを直感した。
「危ない!」
流星はほとんど反射的に悠を突き飛ばした。悠はいきなりのことで対処できずに倒れ込んでしまう。
後から思うと、本当に考え無しだった。この時流星も一緒に、身をかがめるなり何なりすればよかったのだ。
結果として。
「……! う、ぐぅっ」
悠に巻き付こうとしていた糸は、流星に巻き付いた。
手に、手足に、肘に。
足に、足首に、膝に。
間接という間接に巻き付いて、流星の身体を封じた。
「こ、これは……糸!?」
流星は指にさえも巻き付いたその細くて視認しにくい糸を見て呟いた。
「ふぅん。気付いてその娘を押したんじゃないの」
上空からの声に、流星は目を上向かせた。もはや動くのは、目玉だけである。
外からでは気付かなかったが、天井に誰かいる。一瞬浮かんでいるのかと思ったが、違う。糸に吊り上げられているのだ。
長いスカートの、メイドのような格好の女だった。
全身に見えるか見えないかぐらい細い糸を巻き、その糸は流星の糸と繋がっている。前髪がやたらに長いため、目が隠れていた。
「だ、誰だおまえは!」
「椿悠を操るつもりだったんだけどねぇ。まぁいいわ」
女は流星の声に答えず、隠れていない唇を歪めた。その唇に色は無く、白い。
「操女中の殺人人形劇、始まり始まり」
やる気無さげな声と共に、女の指が動いた。